最後の決断


 樋口の薔薇がとうとう完成したらしい。
 工作員からその連絡が入ったのは、早朝の事だった。
 今日は早目に起き出した壱哉に、吉岡が真っ先に告げたのだ。
―――そうか、とうとう‥‥‥。
 どこか感慨に似たものが浮かぶ。
 あの薔薇が完成したのなら、多分、遠くないうちに彼は金を持って訪ねて来るだろう。
 きっと、出来上がった薔薇の花束を持って、あの土地を買い戻しに。
 そこまで考えて、壱哉は息を呑んだ。
 樋口が金を返して来たなら、あの土地は返さなければならない。そう言う『契約』だった。勿論‥‥『担保』であった樋口の身体は手に入らない。
 いや、それよりも。
 あの土地を手放せば、壱哉が樋口を訪ねる理由はなくなる。
 樋口も、借金がなくなれば壱哉と付き合う理由などなくなるはずだ。
 そして、樋口とはもう、会う事も、言葉を交わす事もなくなってしまうだろう。多分――もう二度と。
 そう思った時、壱哉の中に強烈な衝動が湧き上がった。
「吉岡。奴の薔薇園を燃やせ。出来上がった新種を枯らしてしまえ」
 どこか凶暴な苛立ちにも似た衝動に促されるまま、壱哉は口を開いていた。
「は‥‥‥」
 控えていた吉岡が、さすがに驚いた顔をした。
「よろしいのですか?」
 控え目に確認して来る吉岡の丁寧な態度すら、何故か気に障った。
「何度も言わせるな。あの土地を手放すような事になれば、ビル建設にも支障が出る」
「‥‥‥わかりました。すぐに、手を打ちます」
 一礼して、吉岡は出て行った。
 壱哉は、広いリビングを横切ってバルコニーに立ち、外を眺めた。
 小さな庭の向こうには、明るい光を浴びた街が広がっている。
 この、チャチな作り物のように見える町並みの中に、もうすぐ失われるであろう樋口の薔薇園があるのだ。
 これでいい。
 元々、手に入れようと思っていたものだ。
 樋口にチャンスをやったのは、ただ手に入れるのはつまらないから、少し回り道してみたに過ぎない。
 最初から樋口は、壱哉の所有物になる事が決まっていたのだ。
「遊びの時間は終わりだ‥‥樋口」
 壱哉は、低く呟いた。
 胸の奥にわだかまる嫌な気持ちが不可解だったけれど、これはきっと、樋口が借金を返せるだけの大金を手に入れそうになった、その計算違いが気に入らないのだろう。
 薔薇を失ってしまえば、もう樋口には何もない。明日にでも、ここに来るだろう。
 金で壱哉に買われた『モノ』として。
 いつも、能天気な程に明るい笑みを浮かべていた樋口の顔が目に浮かぶ。
 手に入れたなら、徹底的に貶め、辱めてやる。自負も矜持も全て奪い、心も身体も壱哉の所有物なのだと思い知らせてやる。
 その時に、あの顔は一体どんな表情を浮かべるのだろう?
 壱哉は、昏い悦びに低く笑った。
 全てを失った樋口が連れて来られるのが待ち遠しかった。
 樋口を手に入れてしまえば――この、息苦しくすら感じられる胸の痛みも、きっと消えるのだろう。
 壱哉は、そう思った。

END

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ポンと思い付いて、勢いで書いてしまったので、とにかく短いです。‥‥‥自分で書いといて言うのも何ですが、これじゃ社長、ヒステリー気質じゃないか(爆)。
実際、あれだけ樋口の薔薇に思い入れあったはずなのに火を点けてしまうと言うのは、一体どうしてなんだろう、と考えてたんです。しかし、借金ゼロ→会えない、と短絡してしまう辺りがなんとも(苦笑)。本当は後悔してるのに自分で気付いてない辺りはもう、鈍いと言うよりただの馬鹿かも(←酷い)。