お○○○の味


 オムレツが食べたい、壱哉にそう言われた時、吉岡は困惑した。
 最近は新も料理の腕を上げ、吉岡は手の込んだ料理でなければ食事の大半を任せるようになっていた。
「清水さんでも作れるのでは?」
 吉岡の答えに、壱哉は心外だと言う顔になる。
「オムレツと言ったら、お前が作ったものを言うんだろう」
「はあ‥‥‥」
 新と共に暮らし始める前から、壱哉は時折、オムレツが食べたいと言い出した。
 昔、まだ吉岡が料理などろくに知らなかった頃、思い付きで作ったオムレツは、壱哉の中に強く印象を残しているようだった。
「今夜は、お前のオムレツだ。わかったな」
「‥‥わかりました」
 我が儘な主人に苦笑しながら、吉岡は頷いた。
 その日の夜。
 必然的に、夜の食事を用意するのは吉岡になる。
「あの‥‥俺、手伝いましょうか」
 新が、キッチンに顔を出した。
 別にいい、と断ろうとして、新が、何となく物問いたげな顔をしているのに気付く。
「そうですね。少し、手伝ってください」
 吉岡の言葉に、新はホッとしたように入って来る。
 その新にみそ汁を頼み、吉岡は卵とチーズを用意する。
「あの‥‥吉岡さん」
 案の定、新がおすおずと口を開いた。
「なんですか?」
 聞き返すと、新は、思い切ったように口を開いた。
「黒崎さん、すごくオムレツを楽しみにしてるみたいなんだけど。なにか‥‥特別なものなんですか」
 ほぼ、予想出来た問いに、吉岡は苦笑した。
 壱哉の様子から、吉岡の作る『オムレツ』が、ただ美味いと言うのではなく、特別な意味を持っていると気が付いたのだろう。
「特別、と言う言い方がふさわしいかどうかはわかりませんが‥‥‥」
 吉岡は、どう説明したものかと頭の中で言葉を選ぶ。
「壱哉様が子どもの頃‥‥私が、作ってさしあげた事があるんです。その時は、料理などわからなくて、あるもので適当に作ったのですが。その時の事を思い出されているのだと思います」
「‥‥‥‥‥」
 吉岡の答えに、新は目を伏せた。
 壱哉が幼い頃からどんな風に育って来たか、本人は勿論、吉岡も詳しくは話していない。
 しかし、聡い新は、言葉の端々などから、おおよその事には見当を付けているだろう。
 母親がいたはずの壱哉に、何故吉岡が食事を作ってやったのか、その理由も、薄々は気付いたはずだ。
「そう言うの‥‥俺まで食べさせてもらって、いいのかな‥‥‥」
 新の言葉に、吉岡の方が戸惑ってしまった。
「あまり自慢できるような料理ではないので、新さんの口には合わないかもしれませんが‥‥」
「いや、そうじゃなくて」
 新は、慌てて手を振った。
「黒崎さんと、吉岡さんにとって大切なものなのに、俺までご馳走になってもいいのかな、って‥‥‥」
 壱哉と、吉岡との『思い出』に、自分が割り込んでしまうのではないか、新はそう思っているのだろう。
「構いませんよ。大体、あなたの分を作らなかったりしたら壱哉様がお怒りになります」
「そうなのかな?」
「えぇ。そうですよ」
 同居し始めた頃、自分だけおかずが一品多かったりすると、壱哉はとても不機嫌になった。
 家で、気を許せる相手と食事をする時ぐらい、特別扱いされたくない。
 壱哉はきっと、そう思っているのだろう。
「後はオムレツを作るだけですから、食器を並べてください」
「あ‥‥うん」
 新は頷いて、皿や茶碗などを並べ始める。
 と、そこに壱哉が顔を出した。
 壱哉は、吉岡と新が仲良く話していると、仲間外れにされたように感じるらしく、料理など駄目なくせに首を突っ込んで来るのだ。
「あ、黒崎さん。もうすぐできるから、座ってなよ」
 新の言葉に、壱哉はちょっと不満そうな顔をした。
 こう言う事にはてんで不器用なくせに、壱哉はこんな時には手伝いたがるのだ。
 しかし、料理は当然やらせられないし、食器も数回に一回は割ってしまうのを考えれば、これ以上仕事を増やされたくない。
 子どものような壱哉の相手を新に任せ、吉岡はフライパンを火にかける。
 壱哉がオムレツが好物になってしまってから、吉岡は料理の中で一番オムレツを練習していた。
 おかげで、キッチンにはオムレツ専用のフライパンまで揃っているのだ。
 慣れた手際で、吉岡は溶いた卵をフライパンに流し込んだ。
 少し固まりかけてきたあたりで、薄く切ったチーズを中に巻き込む。
 三人分を作り終わるまで、殆ど時間はかからなかった。
「いただきます!」
「いただきます」
 新は元気良く、壱哉は礼儀正しく挨拶をして箸を取る。
 そんな二人を、吉岡は穏やかな表情で眺めていた。
 壱哉も新も、まず真っ先にオムレツに箸を伸ばした。
 回りの熱でチーズが丁度柔らかくなって、半熟の卵と良く絡み合う。
 一口、食べた新は、何故か動きを止めた。
 目を宙に泳がせて、何か考え込んでいるような新に、吉岡は首を傾げた。
「‥‥口に合いませんでしたか?」
 吉岡の言葉に、新は我に返ったように視線を向けてくる。
「あ、そうじゃなくて。うまいよ、すごく」
 新は、何かを思い出すように、もう一口、オムレツを口に運んだ。
 そんな新を、壱哉も箸を止めて見守った。
「黒崎さんが、これ、食べたいって言う気持ち、わかるような気がする‥‥」
 新は、何となく嬉しそうな顔で、吉岡を見た。
「もちろん、味もすごくうまいけど。そのほかに、なんか‥‥懐かしい感じがする」
「‥‥そうなんですか‥‥?」
 吉岡は、少し驚いた。
 壱哉ならともかく、新にこのオムレツを懐かしむ思い出などないはずなのに。
「俺、オムレツなんて作ってもらったこと、ないはずなんだけど。でも、なんだか‥‥すごく、懐かしい」
 新の言葉に、壱哉は嬉しそうな顔になった。
「そうか‥‥お前も、美味いと思うんだな」
 自分が好きな味が新にとってもそうであった事が、壱哉はとても嬉しそうだった。
「新も『懐かしい』と思うと言うのは‥‥こう言うのを、『おふくろの味』と言うのか?」
「‥‥‥さあ‥‥‥」
 そんな事を真顔で訊かないでもらいたい。
 喜んでいいのか、悲しんでいいのか、吉岡は良く判らなかった。
「それは、ちょっと違うんじゃねえ?黒崎さん」
 新が、さすがに呆れた顔をした。
「そうか。確かに、吉岡は『おふくろ』じゃないからな」
 だから、そう言う事を真顔で言われても困るのだ。
 反応に困ってしまっている吉岡に、新が慌てて口を挟んだ。
「こう言うのって『思い出の味』って言うんじゃないの?」
「あぁ。なるほど」
 深く納得したような壱哉に、吉岡はホッとした。
 壱哉に『おふくろの味』などと認識されるのはちょっと‥‥いや、とても悲しい。
「吉岡さんは、なんか懐かしい料理って、あるんですか?」
 話を逸らそうと言うのか、新が吉岡に話を振った。
「私‥‥ですか?」
 日頃考えてもいなかった問いに、吉岡は困惑した。
「俺は、煮付けとか煮っ転がしとか、やっぱり懐かしいんだけど。吉岡さんも、そう言うのはあるんですか」
 新の言葉に、吉岡は記憶を探る。
 厳格な父が家の全ての中心だった為か、吉岡の家は基本的に和食が多かった。
 父の口が肥えている事もあり、煮付けなども丁寧に手を掛けていた気がする。
「そうですね‥‥筑前煮とか、私も煮付け類は好きですね」
 やや薄味で、素材の味を生かした煮付けは、確かに懐かしく思い出せた。
「‥‥‥もう、ずっと食べていませんが‥‥‥」
 無意識に口から出てしまった言葉に、吉岡は我に返って口を押さえた。
「そうなの?」
 驚いたように、新が目を見開いた。
「いえ‥‥その‥‥‥」
 どう言い訳しようかと考えた時には遅かった。
「黒崎さん、吉岡さんて里帰りとかしてねーの?もしかして、ずーっと黒崎さんのところにいたわけ?」
「あ、あぁ‥‥。そう言えば、そうだな」
 いきなり話を振られ、壱哉はちょっと考えてから頷いた。
「ダメだろ、それって?別に吉岡さんは、家と仲悪いってわけじゃないんだろ」
「あぁ。もう、出入り禁止は解けたはずだ」
 吉岡が壱哉に着いた直後は、実家と絶縁状態に近かった。
 しかし、黒崎グループが巨大なものになり、壱哉のわだかまりが新のおかげで軽くなり、西條グループとの関係も良好になってからは許されていた。
「じゃあ、吉岡さん、家族と会えるんだろ」
「い、いえ、私は‥‥‥」
 どうせ今までも会っていなかったのだから同じだ。
 しかし、新はそこまで言わせなかった。
「ダメだぜ、吉岡さんも、たまに家族の人に顔見せなきゃ」
 そして、新は壱哉に視線を戻す。
「黒崎さんも、吉岡さんは大事な人なんだから、気を遣ってあげないとダメだぜ。黒崎さんは親と仲悪いのかもしんないけど、吉岡さんは違うんだろ?」
 真っ直ぐな瞳で見上げられ、壱哉は少し驚いた顔をした。
「あ、あの、私は‥‥‥」
 壱哉に、家族の話は出来ればしたくない。
 それは、壱哉の中の大きな傷を抉ってしまう行為なのだから。
 しかし、吉岡が言い訳の言葉を探しているうち、壱哉は柔らかく微笑した。
「‥‥そうだったな。すまん、吉岡。俺が気付かなかった」
「‥‥壱哉様‥‥‥」
 無理をしているのではない、ごく自然な笑みに、吉岡の胸は締め付けられた。
 あぁ、やはり。
 自分では、駄目だったのだ――。
 改めて、吉岡はそう思う。
 この人の痛みを、苦しみを、自分は長く見過ぎてしまった。
 だから、その傷に触れないよう気遣う事しか出来なかった。
 けれど、壱哉を、もっと明るい世界に連れ出すには、それでは駄目だったのだ。
 たとえ傷に触れる事になったとしても、正しいと思った事は臆せずに口にする。
 どこまでも、何に対しても真っ直ぐな新に、だからこそ壱哉は救われたのだ。
 それは、吉岡には決して出来なかった事。
 それが、壱哉が新を選んだ理由‥‥。
「今度、休みを取れるようになったら、一度家に帰るといい。俺の方は心配するな」
「‥‥はい。そうさせていただきます」
 吉岡は、何故か晴れ晴れとした気持ちになっていた。
 今まで、胸の奥にずっと引っ掛かっていた何かが、痕も残さず抜け落ちたようだった。
「あ‥‥ほら、せっかくのオムレツ、さめちまう」
 新が、やっと自分の前の皿に注意を戻した。
「黒崎さんが言うとおり、吉岡さんのオムレツは最高だな!」
「あぁ。吉岡のオムレツは世界一だ」
 世辞でもここまで臆面もない言葉は聞けないだろう。
「ありがとうございます」
 吉岡は、気恥ずかしいものを感じながらも微笑した。
 今度は、壱哉の為だけでなく、二人の為に、オムレツを作ろう。
 吉岡は、胸に暖かいものを感じながら、そう思った。


END

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ひしょFanの方、ごめんなさい(とゆーか、そう言う方は読んでないと思いますけど)。前回upした秘書とのオムレツ話を書いていた時にこっちも浮かんだんです。
新ラブEDの時の秘書って、父性本能バリバリな気がするんですよね。見守るスタンスに徹してると言うか。
ドラマCDで、キッチンで仲いい秘書と新がとっても微笑ましかったりします。壱哉様が嫉妬するのもまた良いなと(苦笑)。