はじめての看病?
吉岡が風邪をひいた。 軽く風邪気味になる事は今まで何度かあったが、寝込む程酷くなったのは初めてだった。 疲れていると風邪をひいたりすると言う。 壱哉のスケジュールの調整や、会議の下準備など、吉岡に頼っている部分は多い。 現在吉岡に任せていた仕事や調査などを指折り数えた壱哉は、両手の指では到底足りなくなってしまった。 しかも吉岡は、そこに加えて壱哉の生活の全ての部分まで切り盛りしているのだ。 ある程度自覚はしていたものの、吉岡にかなり負担をかけていたのだと言う事を、壱哉は再確認してしまった。 更にその上‥‥。 「‥‥‥‥‥」 壱哉はため息をついた。 はっきり言って、夜の行為も吉岡には負担をかけていると思う。 吉岡の優しい愛撫が心地良くて、時間が取れればつい求めてしまう。 それは必然的に、吉岡の睡眠時間を削る事でもあって。 夜遅かった時くらい寝ていればいいと思うのに、吉岡は壱哉が朝眠っている間に起きてきて、炊事や家事などをしっかりこなしている。 現に今朝だって、吉岡は熱があるのに起きて来た。 朝食を作らなければ、そう言う吉岡に、壱哉は呆れた。 既にフラついているのを見かねて、壱哉が強引に寝かせたのだ。 幸い、今日は大した予定は入っていない。 山積みになっている決裁書類を片付けるくらいだから、外に出掛ける必要もない。 だから吉岡を煩わせる事がないのは何よりだった。 それはそれとして。 「どうしたものかな‥‥‥」 壱哉は、台所で途方に暮れていた。 自分の食事なら、外食でも何でも出来る。 しかし、吉岡の食事をどうするか、だった。 栄養をつけた方がいいと思うのだが、さすがに壱哉も、病人には消化の良いものがいいと言うのは判っている。 確か何かの時に、吉岡が粥を作ってくれたのも覚えている。 しかし、どう作ればいいのかが判らない。 飯を炊く時は、米を洗剤で洗ってはいけないとか、水の量はちゃんと守らなければならないとか言う事は、山口の家で失敗した後に教わっていたのだが。 ―――こんな事なら、粥の作り方も教わっておけばよかった。 多分自分が適当に作ればまず食べられるものは出来ないと言う事、結局吉岡の仕事を増やしてしまうと言う事は何となく見当がついた。 しばらく考え込んでいた壱哉は、おもむろに携帯を取り出した。 こんなに熱を出すなど何年ぶりの事だろう。 意識ははっきりしているのだが、熱のせいか身体に力が入らない。 喉も痛くて、声を出すのはちょっと辛かった。 ―――油断してしまった‥‥。 寝床でうとうとしながら、吉岡はひたすら反省していた。 一週間程前から身体が怠かったのだが、丁度壱哉の視察や出張が続いていて、その分吉岡の仕事は増えていたから、つい気に留めずに動き続けてしまったのだ。 もう少し気をつけていればこんな事にはならなかったのに、と悔やまれる。 確かに最近は忙しかった。 西條貴之の死後、壱哉が本格的に動き始めるに連れ、吉岡がこなさなければならない雑用も激増していた。 休む時間があまり取れなくて、疲れていたのは確かだった。 しかし、それで体調を崩してしまうのは自己管理がなっていないからで。 こんな事では秘書失格だと思う。 もっと気を引き締めなければ、吉岡はそう自分に言い聞かせる。 と‥‥ノックの音に、吉岡は我に返る。 「吉岡‥‥寝ているのか?」 そっと入って来たのは、壱哉だった。 「いえ。起きています」 視線を向けると、壱哉の手には湯気の立つ土鍋の乗った盆があった。 壱哉は、どこか危なっかしい手つきで盆をサイドボードに置く。 何とか起き上がって見ると、土鍋の中はどうやら卵粥らしい。 「もし食べられるなら、少し食べておいた方がいいぞ」 心配そうに壱哉が言うが、吉岡はそれどころではない。 「あ‥あの、まさか壱哉様が作られたのですか?」 「あぁ。初めてだったが、何とかできた」 壱哉は胸を張るが、逆に吉岡は眩暈を感じる。 何でも器用にこなす壱哉だが、料理に関してだけは信じられない程不器用なのだ。 山口の家で、一也の前で大失敗をして以来、少しずつ教えてはいるのだが、一向にものにならない。 と言うか、普通の食材を使っているのに何故か食べられるものが出来上がらないのだ。 しかも吉岡は一度、味はどうかと試食して腹を壊してしまった。 勿論、終わった後の台所は惨憺たる有様になっている。 その壱哉が作った粥を食べて、自分は果たして無事でいられるだろうか? 「あ、あの‥‥作り方をご存知だったのですか?」 「知らなかったから、山口さんに来てもらった。今、後片付けをしてもらったところだ」 「そうですか‥‥‥」 安堵して、吉岡は肩の力を抜いた。 山口がいてくれたなら、食べても大丈夫なものが出来ているだろうし、台所も再起不能にはなっていないだろう。 やっとレンゲを取った吉岡に、壱哉は少し不満そうな顔になる。 「なんだ、山口さんが見ていてくれたら安心なのか?俺一人では信用できないのか」 「えっ、い、いえ、そう言う訳では‥‥‥」 実際、その通りなのだが、まさかそうは言えない。 もごもごと言い訳して置いて、吉岡は一生懸命粥を食べているふりをする。 食べてみても、それはごく普通の卵粥だった。 風邪で口が馬鹿になっているから味ははっきり判らないが、多分塩加減なども丁度いいだろう。 山口がどれだけ手を出したのかは知らないが、初めて作ったものとしては上出来だった。 落ち着いて考えてみれば、台所になど殆ど立たない壱哉が、吉岡に食べさせようとこうやって頑張ってくれたのは嬉しくも申し訳ない気がする。 正直言えば食欲はあまりなかったが、壱哉が作ってくれたと思えば残したくなかった。 何とか土鍋を空にした吉岡は、息をついてレンゲを置いた。 「美味しかったです。ありがとうございました」 「そうか。よかった」 ずっと心配そうに見守っていた壱哉が、照れたような笑顔になる。 こんな顔をすると、壱哉は本当に、小さい頃と変わらないと思う。 感情を表すのが少し不器用だけれど、壱哉は、本当はとても優しいのだから。 「今、薬を持って来る。熱を測っておけよ」 と、吉岡に体温計を渡した壱哉は、盆を持って出て行った。 そう言えば、薬をもらうのに壱哉の主治医に来てもらった時は困ってしまった。 壱哉と同じような性癖を持っているあの医師は、『診察』と称して不必要な程身体に触れて来て、壱哉の機嫌が見る見る悪くなるのが判った。 こっちは風邪でつらいと言うのに、何故医者と壱哉の間で居心地の悪い思いをしなければならないのだろう、とげんなりしたものだ。 それもこれも、風邪をひいてしまったりしたのが悪いのだ。 とにかく早く治さなければ。吉岡は顔の上まで布団を引き上げた。 しばらくして戻って来た壱哉は、薬の処方された小さな紙袋を持っていた。 「山口さんが、大事にしてくれと言っていた。台所の片付けも全部やらせてしまって、悪い事をしてしまった‥‥」 「そうですか‥‥後で、私がフォローしておきます」 壱哉が片付けをしたのではないと知り、吉岡は内心安堵する。 どんな惨状になっていたのかは知らないが、下手に壱哉に触られて食器などを壊されてはたまらない。 役に立ちたいと言う壱哉の気持ちは嬉しいが、仕事を増やされてしまう事を思えば複雑なのだ。 「吉岡、着替えるか?」 「あ‥‥はい、すみません」 吉岡は、少し汗をかいてしまったパジャマを脱ぎ、壱哉が熱い湯で絞って来てくれたタオルで身体を拭いた。 新しいパジャマを着ながら、壱哉の妙に甲斐甲斐しい様子に照れくさいような微笑ましさを感じる吉岡である。 すっきりしてベッドにもぐり込んだ吉岡は、壱哉が持って来た数種類の薬をコップの水で流し込む。 一眠りすれば、風邪も治りそうな気がした。 サイドボードの上に置かれた体温計を手に取った壱哉は、その示す数字に眉を寄せた。 「まだ熱が下がらないな‥‥」 壱哉は、紙袋の中をがさがさと漁る。 「よし、これを使おう」 妙に嬉しそうな壱哉の言葉にそちらを見た吉岡は、ぎょっとした。 壱哉が袋から取り出した小さなものは、形からしても、座薬、だった。 「だっ、大丈夫です!熱はもう下がりましたから‥‥」 「平熱の低いお前が38度は異常だろう」 「う‥‥」 反論も出来ない吉岡に構わず、壱哉は布団をはねのける。 「そっ、そう言うのはちょっと‥‥」 吉岡は思わずパジャマの上着の裾を掴んで抵抗する。 「裸など別に珍しくもないだろう。今更何を恥ずかしがっている」 「それとこれとは別です!」 確かに、いつも肌を合わせているのだから裸など何度も見せているが、これは恥ずかしさの種類が違う。 「いいから。さっさと尻を出せ」 「ちょっ、壱哉様?!」 「ろくに力も入らんのに暴れるな!」 熱で力の抜けている吉岡は、簡単にうつ伏せにされてしまう。 軽く腰を上げさせて、下着もろともズボンを引き下ろす手際は実に手馴れたものだった。 「こっちの処女は俺がもらってやる」 にんまりとして壱哉は座薬を手に取った。 ―――あの‥‥ヤブ医者ー!! 思わず、心の中で叫ぶ吉岡であった。 |
END |
風邪ネタと聞いて色々期待した方、残念でしたー。まぁ、壱哉が「風邪は熱を出すのが一番だ」と押し倒してしまうのも考えないではなかったのですが、それは樋口あたりにやってもらいたいなと。
かなり受けテイストな秘書ですが、最後の座薬がやりたくて攻め秘書と言う事にしました。
‥‥に、しても。攻めのつもりで書いていたのに、どう見ても受けっぽい‥‥(涙)。これで本当に私は攻め秘書を書けるんだろうか?