「‥‥‥‥‥‥」
 啓一郎は、ベッドの上に起き上がったまま、しばし呆然としていた。
 目覚ましを止めようとしたら手が届かなくて、不審に思いながら眼鏡をかけようとしたらずり落ちてしまった。
 何かがおかしい気がして、起き上がってみたら‥‥‥何故か、自分の体が小学生並みに小さくなってしまっているのに気が付いたのだ。
 思わず、昨夜口にしたものを思い出してしまった啓一郎だが、思い当たるものはない。
 以前、壱哉がどこかから拾って来たきのこを毒見して、夜とんでもない夢を見てしまったりした事もあるのだが。
 少なくとも昨夜は、そんな事はなかったはずだ。
「‥‥‥‥‥‥」
 しばらく考え込んでも、理由は見当も付かない。
 どうやったら戻れるのだろうとか、この姿のままでは仕事に差し支えるとか、不安は色々湧いて来るが、とにかく、起きよう。
 家事をしていれば気が紛れるし、何かいい考えが浮かぶかも知れない。
 啓一郎は、そう思ってベッドから起き出した。


 いつもの通り、家族の中ではかなり早い時間に起き出した新は、啓一郎を手伝うのにキッチンへと入った。
 が、しかし。
 どこから持って来たのか、シンクの前に踏み台を置いて、その上に立っているのは小学生くらいの子どもだった。
「‥‥‥あぁ、おはようございます」
 新の気配に気付いたのか、振り返って掛けられた言葉はいつもの朝の長兄のもので。
 リズミカルな包丁の音も、確かに彼のものだった。
 ‥‥‥どう見ても、小学生にしか見えない姿になってしまっている事を除けば。
「まさか‥‥啓兄?」
 呆然とした新に、啓一郎は包丁を置いて振り返った。
「あ‥この姿ですか。よくわからないんですが、目がさめたらこうなっていたんです。とりあえず、家事をするのには支障がないので」
 平然と言う啓一郎は、諦めがいいのか大物なのか良く判らない。
「あの、ちょっといためものをてつだってもらえませんか?この体だと、中華なべはむりなので」
「あ‥‥あぁ、わかった」
 普段と全く変わらない口調と、あまりにもギャップのありすぎる声と姿とに戸惑いながら新が中華鍋に手を伸ばした時。
「あれ‥‥一也?」
 キッチンの入り口で、可愛い男の子があんぐりと口を開けて固まっている。
「?‥‥幸雄さん、ですか?」
「ええぇぇぇーっ!」
 しばらく子供を見ていた啓一郎の言葉に、新は思わず大声を上げてしまった。
 確かに、よく見れば一也よりもちょっとおっとりした感じで、身体つきも微妙に違う。
 しかし、啓一郎ばかりか幸雄まで子どもになってしまったと言うのか?
 唖然としている新と幸雄をしばし見比べていた啓一郎は、小さく咳払いをした。
「あの‥‥とにかく、朝ごはんをつくってしまいますね」
 仕事のみならず、家事に関しても絶対に妥協しない長兄であった。


「──で?どーしてこんなことをしたのかな、はるくん?」
 妙な雰囲気の朝食の後、すずいっ、と晴彦に幸雄が迫った。
 ‥‥‥もっとも、一也くらいの子どもになってしまっているから、その姿はどちらかと言えば可愛らしいものだったけれど。
「え‥‥晴彦さんがやったんですか?」
 まったく気付いていなかったらしい啓一郎が、大きく目を見開く。
 その傍らで、壱哉が深いため息をついて眉間を押さえていたりする。
「‥‥‥やりかねねえよな、はる兄なら‥‥‥」
「うん‥‥‥」
 テーブルの片方で、深く納得している新と樋口である。
「な、なーんのことかなー?」
 白々しく天井を眺める晴彦に、幸雄は更に迫った。
「ゆうべ、食後のお茶のとき、めずらしく出すのをてつだってくれたよね?それから、今朝こんなぼくたちを見て、はるくんなら一番よろこんでさわぐだろう?それなのにたいしておどろいてもいなかったし。なにより、人を子どもにするような薬、はるくんや壱哉じゃなきゃ手に入らないだろ?」
 可愛らしい子どもの声になっていても、その論理展開はいつもの幸雄のものだった。
「なんで俺が同類に見られるんだ‥‥」
 いたく不本意な様子で壱哉が呟くが、今までの言動を思えば無理もない。
 そして晴彦の方は、理詰めで詰め寄られ、黙って天井の木目の数を数えているしかなかった。
「で?どーしてこんなことをしたのかな?」
 子どもになっているとは言え、本気で怒った幸雄は怖い。
「い‥‥いいじゃねえか、一晩も過ぎりゃあ元に戻る薬だぜ?」
 ちょっぴり逃げ腰になりながら晴彦が言い訳する。
「それは何の理由にもならないんだけど?」
 更に詰め寄られ、晴彦は逃げ場がなくてソファにひっついてしまう。
「なあ。解毒剤とかはないのかよ?」
 助け舟のつもりなのかどうか、新の言葉に、しかし晴彦は肩を竦めた。
「それがなー。研究の途中に偶然できたから、薬は今使ったっきり、解毒剤も元の薬がないから作れない」
「‥‥‥はるくんは、そーゆー薬をぼくたちにつかったんだね?」
 幸雄が拳を握り締めて晴彦を睨んだ。
「だから、一晩寝りゃあ元に戻るって!保証する!!」
 子どもの拳に殴られても大したダメージはないが、その後に待っているであろう食事抜きは辛かった。
「大体なぁ、不公平だろ?兄貴達は俺達の子どもの頃を全部知ってんのに、俺達は大きくなった兄貴達しか知らねえんだぜ?そしたら、小さい頃の兄貴達を見てみたいと思うのは人情じゃねえか」
 人情、と言うより言いがかりのような気がするのだが。
 しかしこの言い訳は、人の好い兄弟達には納得出来るものだったようだ。
「うーん、確かにそうかも」
 末っ子の新が腕を組んで考え込む。
「たまにこんなのもいいかもしんないよな」
 子どもの頃、新の面倒を見ようとしては嫌がられていた崇文はちょっと嬉しそうだった。
「あぁ‥‥そういわれてみると、そうかもしれませんね」
 当の啓一郎までが納得してしまっているようで、幸雄は頭を抱えた。
 血の繋がった兄弟を悪く言うつもりはないが、少なくとも今回に関しては晴彦の下心以外の何ものでもないはずなのに。
「あのねぇ‥‥‥」
 更に晴彦を問い詰めようとした時。
「うん、僕もお父さんの小さいころが見られてよかったな♪」
 にこにこ、と一也が幸雄に抱きついて来た。
「お父さん、ほんとに僕とおんなじ顔だったんだねー」
 嬉しそうな一也に、幸雄は思わず相好を崩した。
「そりゃあ、ぼくと一也は親子だからね。にてなかったらこまるだろう?‥‥でも、そうだね、こんなににてたかなー‥‥」
 何故かしきりに照れている幸雄は、それ以上の追求をすっかり忘れてしまったようだ。
 ホッと胸を撫で下ろす晴彦に、一也がにっこりと笑いかけた。
 これからしばらく、晴彦の小遣いは一也の為に使われる運命のようだった。


 そして。
「‥‥‥‥‥‥」
 かぽーん、と間の抜けた音が蒸気の篭もる高い天井に響き渡った。
 一体どうして自分はこんな所に来ているのだろう、と啓一郎は深く考え込んでしまっていた。
 確か、朝食の後、啓一郎と幸雄を子どもにしてしまったのは晴彦のいたずらだと判って。
 このままでは仕事も出来ないから、会社には休むと壱哉から連絡してもらって。
 その後、何故か晴彦が、朝シャワーを浴びていて風呂が壊れたと言い出して。
 それから何がどうなったのか知らないうちに、兄弟達は温泉に来る事になってしまったのだ。
 温泉と言っても、晴彦の所属する研究所が所有している温泉保養施設だ。
 研究員の保養の為の施設で、関係者と家族以外は利用出来ないと言う、実に贅沢な施設である。
 しかも晴彦は、主任研究員と言う立場を濫用し、貸切にしてしまった。
 おかげで兄弟達は、とてつもなく広い浴場を家族だけで使っているのだ。
「‥‥なに難しい顔をして考え込んでるんだ?」
 と、覗き込んで来たのは壱哉だった。
「え!?あ、いえ、別に‥‥‥」
 突然の壱哉の出現に、啓一郎は何故かうろたえてしまった。
 それこそ壱哉が小さい頃、一緒に風呂に入ったりした事がないではなかったが、こんなに大きくなって、しかもこんなにだだっ広い所で裸で顔をつき合わせるのは(その上子どもになってしまった自分を見られるのは)ちょっと気恥ずかしい。
「せっかく温泉に来てるんだから、楽しまなきゃ損だろう」
「はあ‥‥‥」
 そう言われても、一体どうやって楽しめと言うのだろう。
 困っている啓一郎は、壱哉の良からぬ笑みに気付かなかった。
「そうだ。いつも世話になってるんだし、俺が洗ってやるよ」
「は?!いや、べつにそんなことは‥‥‥」
「いいから。遠慮するなって!」
 と、壱哉は軽々と啓一郎を抱え上げ、浴場の片隅へと移動して行った。
 同じ時。
「ちょっ、子どもになったって体くらいあらえるよ!」
「遠慮すんな、幸雄兄貴にはいつも世話になってるからな、せめてもの恩返しだ」
「その言葉、なんか含みをかんじるんだけど?!」
「まーまー」
 浴場の片隅で、幸雄は晴彦に泡だらけにされていた。
 必要ないと言うのに無理矢理捕まえられて、気付けば全身泡だらけだ。
 抵抗しようにも、子どもの体では晴彦に腕力で勝てる訳がない。
 鼻歌を歌いながら、上機嫌で晴彦は幸雄の小さな体を洗って行く。
「‥‥‥‥‥‥」
 諦めて、幸雄は黙って晴彦がするに任せる事にした。
 結構ゴツくて大きい晴彦の手は、思いの外繊細に動く。
 あまり弟達の面倒も見なかったはずなのに、どこで子どもの扱いを覚えたのだろう?
 丁寧な洗い方は結構気持ちが良くて、幸雄は晴彦にされるまま、ぼんやりとしていた。
 が、しかし。
「は、はるくん?!どこさわってるんだい!」
 ぞくり、としたものが背筋を突き上げて、幸雄は我に返った。
 気付けば、全身の泡は何故か増えていて。
 石鹸で滑る胸肌や股間を晴彦の手が撫で回す感覚が、全く別のものを呼び起こす。
「だって、ちゃんとこーゆーとこも洗わなきゃな?」
「そんなのじぶんで‥‥っ!」
 幸雄の言葉が途切れる。
 すっかり子どもの姿になってしまったものを、晴彦の指が玩ぶように扱き上げたのだ。
 子どもらしく小さくて柔らかいものを二本の指で挟んだり捻ったりすると、引き攣るように幸雄の体が震える。
「おとなしくしてろって。ちゃんときれいにしてやるから」
 幸雄を後ろから抱き竦めるようにして、晴彦は耳元に囁いた。
 そして、こちらも。
「い、いちやさん?!そんなところは、じぶんで‥‥‥」
「いいから。いつも色々迷惑をかけているお礼だ」
「そんなことは‥‥っ!」
 言いかけて、啓一郎は言葉を飲んだ。
 泡に覆われた肌は酷く敏感になっているようで、壱哉が軽く爪を立てるように擦るだけでとてつもない刺激に感じてしまう。
 慣れない感覚に頭がついて行けず、啓一郎は壱哉の手から逃げる事も思い付かない。
「ここも、ちゃんときれいにしないとな」
 笑い混じりの言葉で囁くと、壱哉は啓一郎の股間を下から撫で上げた。
 そればかりか、小さく可愛らしい双丘の狭間をも、楽しむように指を滑らせる。
 弱い場所を知っている手が丹念に擦り上げ、啓一郎の体が羞恥と別の感覚で熱くなる。
「いっ、いいです、そんなところ!じぶんでやりますから‥‥っ!」
「まあ、そう言うな」
 にまぁ、と笑いながら、壱哉は啓一郎をしっかりと抱え込んで撫で回す。
「近くで見ると本当にかわいいなぁ」
 大の大人が(今は子どもになってしまっているが)可愛いと言われて嬉しい訳がない。
 無駄とは知りつつ、じたばたと啓一郎が暴れた時。
 ばしゃあっ!
「〜〜〜〜〜!」
 頭から湯を浴びせられ、壱哉は長い前髪でお化けのような状態になる。
 力の抜けた手から、啓一郎を助け出したのは一也だった。
「‥‥‥一也ぁ〜‥‥‥」
 地を這うような壱哉の声にも、一也は全く動じない。
「そこまでだよ。抜け駆けはダメだからね!」
 一也は、啓一郎を庇うようにしてびしりと人差し指を突き付ける。
「くそっ‥‥‥」
 壱哉は忌々しげに舌打ちして、濡れた前髪をかき上げた。
 もう少し楽しみたかった所だが、一也に邪魔されては諦めるしかなかった。
 しかし、当然このままでは面白くない。
 視線を浴場の反対側に向けると、そこにはやはり幸雄を『洗ってやっている』晴彦の姿があった。
「お前だけいい思いさせられるか!」
 壱哉は、一也が使った湯桶を取り上げた。
「‥‥はるくん、いいかげんにしないとおこるよ!」
「固い事言うなって、罪のないスキンシップだろ」
 益々エスカレートして来た晴彦の手に、幸雄が本気で暴れようとした時。
 ばしゃあっ!!
「うわ‥‥!」
 頭から濡れ鼠になり、晴彦の手から力が抜けたのに気付いた幸雄は慌てて逃げ出した。
「壱哉か!てめー、いい所で邪魔しやがって!」
「俺だって邪魔されたんだ、お前だけいい思いをさせてたまるか!」
 その嗜好に関しては限りなく類似した方向性を持つ二人は、ずぶ濡れのまま睨み合った。
「ったく、お前は弟の分際でいつもいつも邪魔しやがって‥‥」
「いつもいつもお前の詰めが甘いからうまく行かないんだろう!」
 かなりの迫力の二人の間に、にこにこと一也が割り込んだ。
「せっかくの温泉なんだし、どっちが長くお湯に入っていられるかで勝負すれば?」
「よーし!」
「望むところだ!」
 と、二人は先を争って湯船に飛び込んだ。
「うわっ、ちょっと‥‥!」
 壱哉達のやる事を唖然として眺めていた崇文と新は、大波を頭からかぶってしまい、慌てて湯船から飛び出した。
「か、一也?」
 慌てて幸雄が声をかける。
「だって、これだと静かでしょ?」
「‥‥‥‥‥」
 それは確かではあるのだが。
 こんな所は、一体誰に似たのだろう。
 大人物と言うか、末恐ろしい我が子に幸雄は複雑なため息をついた。
「あ、幸兄、背中流すよ」
 まだ泡だらけの幸雄に、新が声を掛けた。
 ちょっぴり嬉しそうな様子である。
「じゃ、俺は啓兄流してあげるよ♪」
 崇文の方はあからさまに嬉しそうだった。
 壱哉や晴彦と違い、この二人は純粋に自分より小さい子の世話が楽しいのだろう。
 崇文は新の世話をしようとしては嫌われて落ち込んでいたし、新は末っ子だから自分より小さい兄弟を世話した事はない。
 その気持ちは判るような気もするが、だからと言ってあまり子どもとして扱われるのは(確かに今は子どもではあるが)複雑だった。
「兄貴達にも小さい頃があったんだよな。当たり前だけど」
「啓兄も、幸兄も、かわいかったんだなー」
 とても嬉しそうな新と崇文に、別の意味でおもちゃにされている幸雄と啓一郎は、顔を見合わせると力ないため息をついた。
 ちなみに。
「‥‥‥ふん‥‥‥なんだ、もう限界か?だらしねえ奴だ」
「お前こそ、ずいぶん辛そうだな。さっさと負けを認めたらどうだ」
 相手への意地だけで熱い湯船に居座り続けた晴彦と壱哉は。
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
 ばっしゃーん!(×2)
 仲良く同時に、湯当たりで気絶したのだった。


おわる。

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えっと。なんかまた12Kbにもなってしまったりしたのですが(←短文にまとめられない奴)。あさか様に先のちびネタを差し上げた時、Aね様が「おにーちゃんたちのちびも見たかった」と仰ったと聞きまして。MAYはその気になると何にでも登ってってしまう奴なので(笑)、何となく書いてみました。
まさか温泉になだれ込むとは思わなかったですがねー‥‥(乾いた笑い)。
余談ですが、晴彦さんは本当に嘘を吐こうとしたら完璧につくと思います。もう、眉一筋動かさず。でも、こう言う時はバレるのも含めて楽しんでるんでしょうねー。
ちなみに、My設定としては、晴彦さんは凄く優秀な研究員ですが、自分の欲望の為にしか頭を使いません(その割に大半の研究は今回のような結果に終わる)。でもって、「こんなのつまらん」と切り捨てた発明とか発見とかがとんでもなく利用価値(企業・社会的に)があって(そもそも物事の考え方が普通の研究者とは違うし)、助手君達はそれを拾って開発しているため、研究所としては大儲け、と考えています。なので、晴彦さん、結構好き放題やってもうるさい事言われてません。