「おかえりなさい、壱哉さん」 駅に降り立った壱哉を迎えたのは、啓一郎と新だった。 こうして『家族』の顔を見ると、改めて帰って来た懐かしさが胸に染みた。 「おかえりなさい!」 啓一郎にくっつくようにして、新がにこにこと見上げて来る。 「ただいま、兄さん。久しぶりだな、新」 本当に久しぶりに見る弟の笑顔に、壱哉も顔を綻ばせた。 「これからどうしますか?私は、この後、関連企業の視察に行かなければならないのですが‥‥」 すまなそうに表情を曇らせる啓一郎を、新が不満げに見上げた。 どうやら、仕事に出るついでに壱哉を出迎えようとした啓一郎に、新が無理矢理くっついて来たらしい。 「あぁ、だったら俺が新を家に送って帰るよ。学校で学園祭だって言うから、覗いて帰ろうと思ってたんだ」 「‥‥そうしてもらえると助かります」 ホッとしたように、啓一郎が微笑した。 「学園祭?ボク、行ったことない!」 壱哉と啓一郎に会話に、新は飛び上がらんばかりに喜ぶ。 「ねぇ、早く行こう!」 早速、壱哉の袖を掴んで引っ張る新である。 「あぁ、そんなに慌てるな。じゃ、兄さん、行ってきます。そう遅くならないうちに帰るから」 「はい。いってらっしゃい」 新に腕を引っ張られるようにして歩いて行く壱哉がとても微笑ましくて、啓一郎はクスリと笑った。 「学園祭‥‥か」 実を言えば、啓一郎はあまり学園祭にいい思い出がない。 高校の学園祭の時、クラスで一番体格が良かったはずなのに、何故かカツラとフルメイクで女装させられた挙句にミスコンに飛び入り参加させられ、しかも何を間違ったのか優勝してしまった。 おかげで、一部の女子に睨まれた上、学園祭の後には他校も含め、男女を問わず(男の割合が多いのが更に嫌だった)ラブレターが山のように届いて頭を抱えたのはちょっと嫌な思い出だった。 そう言えば、弟の幸雄も、学園祭当日、クラス対抗のウエディングドレスコンテストのモデルに何故か決められてしまい、そしてどう言う訳か優勝を攫ってしまい、やはりラブレター攻撃に閉口した、と聞いた覚えがある。 「あ‥‥そう言えば‥‥‥」 崇文から学園祭の話を聞いて、見に行くと言ったら、来なくていい、と本気で止められたのを思い出す。 クラスで何か店をやるとかで忙しくて、案内も出来ないのは嫌だから、と言っていた。 絶対に来るな、と言われていたのだが、壱哉にそれを言うのを忘れてしまった。 まぁ、壱哉は同じ学校に通っていたのだから、別に構わないだろう。 そう考えて、啓一郎は仕事の顔に戻ると、その場を後にした。 派手なイラストや紙の花などで飾り付けられた校門をくぐると、高校としてはかなり広い敷地は保護者や他校の生徒などで賑わっていた。 「兄ちゃんは、ここに通ってたんだよね?」 新は、その広さに驚いたようだった。 「あぁ‥‥今は留学してるから休んでいるようなものだが」 この型破りな広さは、私立ならではだ。 壱哉が籍を置いたまま長期留学を認められているのは、この学校の会長が西條貴之だからだった。 「‥‥色々な企画があるようだが‥‥新は屋台がいいだろう」 「うん!」 育ち盛りの新は、結構食べるのが好きだ。 甘いものも好きなようで、祭りなどでは屋台のハシゴをするのが何より好きな様子だった。 「崇文のクラスは‥‥喫茶店、か」 壱哉は、入り口でもらったパンフレットを眺めた。 喫茶店なら新が食べたり飲んだり出来るものもあるだろうし、崇文がいれば、そこそこサービスしてもらえるだろう。 妙にけち臭い事を考えて、壱哉は校舎の中に設置されている喫茶店へと足を運んだ。 「いらっしゃいま‥‥げ、壱哉?!」 実に愛想のいい声で迎えた崇文は、壱哉と新を認めて固まった。 「‥‥‥なんだその格好は」 呆れる壱哉にくっつくようにして、新は目をぱちくりさせている。 それもそのはず、崇文は何故か女子高生の格好で、超ミニのスカートに白が眩しいルーズソックス姿だったのだ。 「な、なんで壱哉が来てるんだよ!俺、来るなって言ったのに‥‥‥」 「その話は聞いてない。それに、久しぶりに日本に帰って来たのに、自分の学校に来ては悪いのか」 「う‥‥‥」 まさか壱哉が戻って来た足でここに顔を出すとは思っていなかったのか、崇文は黙り込む。 「誰が言い出したのか知らないが、女装喫茶か」 喫茶店風に仕立てられた教室の中にいるのは、いずれも女子高生姿の男子生徒だった。 違和感がない程似合っている奴もいれば、視覚の暴力に等しい凄い状態の奴もいた。 「うん‥‥なんか知らないけど、こんな事になって。俺、接客に向いてる、とか言われて呼び込みやらされてるんだ」 確かに、警戒心を起こさせない崇文の笑顔は接客向きだろう。 しかし。 「似合うと言うか、恥ずかしいと言うか‥‥‥」 童顔で小柄だった中学時代ならともかく、壱哉と肩を並べる程の背になって、しかも園芸で鍛えられた体はどちらかといえば筋肉質だ。 借り物らしい制服は袖もスカート丈もやや短い。それをカバーする為にルーズソックスなど穿いたのだろうが、ちょっと凄い光景だった。 「うるさいな、だから来るなって言ったのに‥‥‥」 一応恥ずかしいのか、崇文は少し赤くなって口を尖らせる。 「崇文兄ちゃん、どうしてそんなかっこしてるの?」 きょとんとした顔の新が、実に答えづらい事を聞いてくる。 「え、えーと‥‥‥」 「新、違うぞ。こう言う時は、『崇文おねえちゃん』と呼ぶものだ」 すっかり面白がっているらしい壱哉が、真顔で新に言い聞かせる。 「そうなの?」 「違うっ!新、壱哉の言う事なんか信じるな!‥‥‥っ、え?!」 慌てて弁解しかけた崇文は、腰の辺りが妙に頼りなくなった事に気付いて手をやる。 「なんだ、短パン穿いてんのか?邪道だな」 短いスカートを摘み上げ、中をのぞきこんでいるのは晴彦だった。 「ぅわ、なにするんだよ!」 晴彦の手から逃げ出してスカートの後ろを抑え、真っ赤になっている崇文は結構可愛かったりする。 「女子高生ルックなら下着もちゃんと女物じゃなきゃまずいだろ」 「どこがまずいんだよ!‥‥って言うか、なんではる兄までここにいるんだよっ!」 「心優しい兄としては、可愛い弟の晴れ姿は絶対に見届けなくちゃならないだろ?」 およそ、これ程晴彦に似合わない言葉もないだろう。 「晴れ姿って‥‥‥」 突っ込みたい所が多すぎて、崇文はそれ以上言葉にならない。 「おい。どうしてお前が学園祭の事を知っている?」 壱哉の場合は、一応在校生だから予定表や案内状が送られていた為、開催を知っていたのだが。 「あぁ、ここの臨時養護教諭は知り合いだからな」 一体、どんな知り合いなんだか。 晴彦のアヤシげな趣味を知る壱哉は、心の中で呟いた。 「とっ、とにかく、兄さん達がいると営業にならないから、さっさと帰って‥‥‥」 言いかけた時、崇文の袖を引く者がいる。 「な、なに?」 見れば、それはこの女装喫茶を言い出しておきながら自分はちゃっかりシャツに蝶ネクタイでマスター姿の要領のいい奴だった。 「おい。お前、客引きしなくていいからもう少しお兄様方にいてもらえ」 「は?!」 小声で囁かれ、崇文は戸惑う。 「お前の兄弟、ルックスがいいから、見ろ、店内」 「あ‥‥‥」 見れば、壱哉や晴彦を目当てにしているらしい他校の女生徒達が店を埋め尽くしている。 通路に群れていては通行の邪魔になってしまうから、注文すれば長く美形兄弟を眺めていられるこの店に流れ込んでいると言う訳だ。 「で、でも、これじゃ回転が悪いし‥‥‥」 「それなら大丈夫だ。ほら」 と、彼が指差した先には、いつの間に作ったのか『大変混雑していますので、一回の注文につき滞在は十五分以内にお願いいたします』との張り紙が。 「あ、あこぎな‥‥‥」 火事場の商売と言うか、便乗商法と言うか、悪徳商法にも近いやり方に崇文は呆れる。 「ふっ、これで学園祭の売上ナンバーワンは俺のものだ!」 将来の夢:日本一の商人、と真顔で書いたこの生徒は、力強く拳を振り上げて宣言した。 「やりたいんなら勝手にやれっ!俺まで巻き込むな!」 「ほー。お前、そんな事言っていいのか?」 「な、なんだよ‥‥‥」 怯む崇文に、彼はにやぁ〜と笑った。 「イベント限定販売のクリアパーツバージョン、いらないんだな?」 「?!」 そう言えば、兄がやはりプラモ好きでイベントなどに言っているこのクラスメートから、限定販売の特別モデルを譲ってもらう話になっていたのだ。 命と薔薇と同じくらい大切なプラモデルが懸かっているとなると‥‥。 「‥‥‥わかった」 顔の上半分に縦線を浮かべながら、崇文は地を這うような声で答えた。 「それじゃ、しばらく頼むからな!」 いそいそと、カウンターの向こうに消える後姿を、崇文は恨めしげに見送った。 「あんまり邪魔しているのもなんだからな。この辺で‥‥‥」 さすがに気が引けたのか、それとも新がいるから遠慮したのか、壱哉がそう言った。 「あーっ、まっ、待って!」 「?」 「あの‥‥もうちょっと、いてもらいたいんだ」 さっきと違う言葉に、思わず晴彦と壱哉は顔を見合わせてしまった。 が、真っ赤になっている崇文と、店内を埋め尽くす女生徒に、すぐにその理由に思い当たる。 「ふ〜ん。俺達は客寄せパンダか」 「うっ‥‥‥」 図星を指され、崇文は詰まる。 「まぁいいや。なら、ちょっとはいい目見させてもらおう」 と、晴彦は体格差を利用して、崇文を後ろから抱き竦める。 「ちょっ、なに‥‥!」 店内の女学生の一部から小さな歓声が上がり、携帯やデジカメなどでしっかり撮っているらしい気配に崇文は泣きそうになる。これで変な噂が立って彼女が出来なくなったらどうしてくれるのだろう。 反して、晴彦は益々調子に乗っていた。 固まっている崇文のスカートを摘み上げ、ため息をついて見せる。 「ぅわ、だからやめろって!!」 慌てて手でスカートを抑える仕草は妙に可愛らしい。ギャラリーから、また歓声が上がる。 「この制服の中にこれはないだろ。まだ午前中だし、似合う下着、買って来てやろうか」 晴彦の発言はまるで助平オヤジ状態である。 「し‥‥いらないよっっ!!」 思わずその光景を想像してしまったのか、崇文は真っ赤になる。 「おい‥‥多少は遠慮してやれよ」 呆れたように、壱哉が口を挟んだ。 「弟思いの心優しい兄として頑張ってるのに、何を言う。しかも、公衆の面前だから手加減してるだろ、こんなに?」 これで手加減しているなら、本気になったらどうなるのだろう、と眩暈を感じる崇文である。 「お前も、新がいるんだからショタの女どもにサービスしてやれ。崇文のためだろ?」 さすがに、呆れて眺めている壱哉を晴彦は煽った。 「え?なに?」 退屈そうにしていた新は、自分の名前が出て来て、戸惑ったように晴彦を見た。 「相変わらず勝手だな、お前」 自分だけ美味しい崇文を持って行っていて何を言うのやら。 しかし。 壱哉は、少し不安げに晴彦を眺めている新を見下ろした。 新の年齢ははっきり言って射程外だったが、これから成長する事を思えば悪くはない。 今のうちから『スキンシップ』に慣らして置くのもいいかもしれない。 「ふん‥‥まぁ、崇文のため、となればな‥‥‥」 わざと恩着せがましく言った壱哉は、しゃがみこんで新を抱き締めてみた。 途端、さっきとは別の集団から黄色い歓声が上がる。 こうなれば壱哉も嫌いではない。 新の頭を撫でながら、その頬に自分の頬を擦りつける。 「い、壱哉兄ちゃん、くすぐったい!」 新が、壱哉の腕から逃れようと身を捩る。 「おとなしくしていたら、何でも好きなものを食わせてやるぞ」 「ほんと?なんでも?」 食べたい盛りの新は、壱哉の言葉に相好を崩す。 「あぁ、なんでも」 そんな言葉に騙されるな、と可愛い弟に言ってやりたい崇文の方は、目下、兄の過激すぎるスキンシップをガードするので手一杯だった。 ―――学園祭に来て、良かった。 客引き、の名の下にささやかな欲望を満たし、似たような事を考える仲のいい兄弟であった。 ちなみに。 当日、崇文のクラスの売上は過去の記録を倍以上塗り替え、言い出したあの生徒は自分の将来に自信を深めたと言う事だった。 そして、晴彦と壱哉は結局、店の材料がなくなるまで崇文と新にべたべたと『スキンシップ』を続けた。 二人がそれを愚痴った事から長兄と次男に知られ、晴彦と壱哉はその後、わざわざ訪ねて来た次男の鉄拳制裁を喰らった挙句、数日間、嫌いなものばかり食べさせられる羽目になるのだった。 |
おわる。 |