西條家の休日。
 それはまず大量の買い物から始まる。
 何しろ、育ち盛りを含む男六人家族である。
 毎日ある程度の食材は仕入れているが、やはり休日に纏め買いをしておかなければ間に合わないのだ。
「じゃあ、これお願いします」
 長兄であり、この家の食生活の責任者である啓一郎が、崇文に大体必要な食材の種類と量のメモを渡す。
「えーっと、たまねぎとじゃがいもは駅前のスーパーが一番安かったなぁ。塊肉は商店街の肉屋さんだとお得だし‥‥あ、そう言えばショッピングモールでトイレットペーパー安売りしてたんだっけ」
 と、崇文は大量の安売りチラシを片手に、ぶつぶつと独り言を呟きながらメモに店と回るコースを書き足して行く。
 一時期、薔薇相手にとても庶民的な生活をしていたせいか、崇文は安売りチラシのチェックにかけては長兄を凌駕していた。
 しかも、その人懐っこい笑顔は地元の商店街では人気者で、いつも色々なおまけを付けてもらって帰って来るのだ。
「今日は色々買って来てもらわなくてはいけないんですが、私はちょっと手が離せないんですよ。だから、晴彦さんに一緒に行ってくれるように頼んでおきましたから」
 ここしばらく、啓一郎は壱哉に付いて長期出張に出掛けていた。
 勿論、軽い掃除や洗濯は各々分担していたが、当然啓一郎の手際には遠く及ばない。
 やっと休日になって、啓一郎が本格的に家事に取り組むのは無理もない事だった。
「えー、はる兄と‥‥?」
 思わず不満の声を上げてしまった正直な崇文である。
 時間が不規則なせいか、家ではいつも暇そうにしている晴彦が荷物持ちに選ばれるのは無理もない事だったのだが。
 実は崇文、以前晴彦と買い物に行った時、何故か服売り場に連れて行かれてしまって、何故か更衣室に二人っきりで剥かれそうになって、何とか逃げ出したものの、結局荷物を一人で運ぶ羽目になってしまったのだ。
 悪気はないのだと崇文は思っているが、それでも今日は一人で運ぶのは勘弁してほしかった。
「晴彦さんが一番手が空いていたようなので頼んだんですが‥‥まずかったですか」
 そう面と向かって訊かれると嫌とは言い辛い。
 崇文が少し困っていた時。
「兄さん、それなら僕も行くから。その荷物の量じゃ、二人でも大変だ」
 天の助けに現れたのは、幸雄だった。どうやら、キッチンの後片付けをしていて話を聞きつけたらしい。
「あぁ、そうしてもらえると助かります。よろしくお願いします」
 ややほっとした顔で、啓一郎は頷いた。
 幸雄がついていてくれれば、我が儘な三男にすんなり言う事を聞かせてくれる事だろう。
「じゃあ兄さん、行ってきます」
「行ってきます」
 財布を幸雄が、メモを崇文が持って、二人はリビングを出た。
 黒塗りの高級車からちょっとした買い物に使う軽自動車まで揃っている駐車場に下りると、そこには先客がいた。
「あれ‥‥なんで壱哉まで‥‥‥?」
 崇文が不思議そうに首を捻った。
 仏頂面で晴彦と肩を並べているのは壱哉だった。
「こいつとお前を一緒に買い物になど行かせられるか」
 家の手伝いなど間違ってもやろうとしない晴彦が、文句も言わず買い物について行くのは、崇文と二人っきりだからに違いない。
 真昼間でも理由をつけて良からぬ振る舞いに及ぶであろう晴彦を野放しに出来る訳がない。
 そう思って、壱哉もついて行く事にしたのだ。
 しかし壱哉は、大きな財布が幸雄の手に握られているのに気付く。
「幸雄兄さんが行くなら心配ないな。俺は寝る」
 現金にも、家に戻ろうとする壱哉である。
「なんだ、壱哉も手伝ってくれるんだね。ありがとう、助かるよ」
 壱哉の言葉が聞こえなかったかのように、幸雄はにっこり笑顔で強引にワゴン車に押し込む。
「あー、そんなら俺は‥‥‥」
 興味を失って逃げ出そうとする晴彦も、同じく力ずくで後部座席に放り込まれてしまう。
「さ、それじゃ出発しよう」
 自分は運転席、崇文は助手席に座らせて、下心のある連中の魔手を断ち切った幸雄は、上機嫌でワゴン車を出すのだった。


「‥‥‥‥‥」
 文字通り、山のような日用品と食料品を買い込み、ワゴン車は結構窮屈になっていた。
 荷物の番に、今度は幸雄と崇文が後ろ、ハンドルを握るのが壱哉で、晴彦は面白くない顔で助手席に座っている。
 ショッピングの間、幸雄の目を盗んで悪戯を目論んでいた壱哉と晴彦だが、次々と荷物を持たされてすぐに両手が塞がってしまった。
 たまの息抜き、と幸雄が崇文にソフトクリームを食べさせている間、日頃行いの悪い壱哉達はかさばるトイレットペーパーやティッシュペーパーに囲まれ、二人寂しくコーヒーを啜っていた。
 口元にクリームをくっつけて食べている崇文は実に可愛かったのだが、襲い掛かろうにも幸雄がトイレットペーパーなどを微妙に積み上げてしまったから、少しでも動けば崩れて来てしまうのだ。
 おかげで壱哉と晴彦は、戸棚の上に置かれたおやつに手が届かない子どもの気分になっていた。
 晴彦は勿論、壱哉も不機嫌さを隠しもせずにハンドルを握っている。
 と、その時。
 よりにもよって、若いカップルの乗ったスポーツタイプの真っ赤な車が、からかうようにワゴン車を追い抜いて行った。
 ぷつん。
 何かが切れる音が聞こえたような気がした。
「‥‥この俺を抜いて行くなど、百万年早いっ!」
 欲求不満も重なって、壱哉は真っ赤な車を睨みつけて咆えた。
「まっ、まずいっ!!」
 反射的に、崇文がバーゲンで買い込んだ卵のパックを抱え込む。
 直後、思いっきりアクセルが踏み込まれ、急加速に三人はシートに押し付けられた。
 派手にタイヤを鳴らし、ワゴン車は大の男四人を乗せているとは思えない見事なドリフトで赤い車の後ろにぴたりと付ける。
「ちょっ、あ、安全運転で行こうよ!」
 窓に顔を押し付けられ、引きつったような幸雄の声も、最早壱哉の耳には入らない。
「晴彦、君助手席だろ!早く壱哉を止めて‥‥」
「馬鹿言うな、こうなったこいつを俺が止められるわけ‥‥‥」
 晴彦の言葉が途中で途切れたのは、舌を噛んでしまったせいらしい。
「女連れでこの俺に喧嘩を売るとは、いい度胸だ!」
 こうなったら、誰よりも濃く父の血を引く壱哉は誰にも止められない。
 その後、赤い車と派手なチェイスを繰り広げ、パニクった若者が路肩の電柱に衝突してしまうに及んで、やっと気が済んだ壱哉が帰路につく頃には、すっかり日が傾いていた。
 その日の夕食には、長兄の自慢料理であるオムレツが、普段の倍以上ある特大サイズで食卓に並んだ。
 が、何故かオムレツが大好物である壱哉だけは、一口も食べさせてもらえなかったと言う。


おわる。

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