初詣
その日は正月にふさわしく、朝から、抜けるような青空だった。 太陽がやや高くなった頃、樋口と新は少し離れた街にある大きな神社に来ていた。 学問の神様を祀ったこの神社に初詣に来ようと言ったのは樋口だった。 新が受験に合格するように、そう思っての事だろう。 そこまで気を遣ってもらわなくても良いのだが、樋口と二人っきりで出掛けられる事を思えば、悪くはなかった。 学問の神様と言うせいか、神社の境内は学生を中心とした参拝客でごった返していた。 「うわ、すごい人だな‥‥」 毎年、商店街近くの小さな神社で初詣をしていた樋口は、その人の多さに驚く。 スーパーのバーゲンセールなどで人ごみに混じるのは慣れていたが、それとこれとは別の話だ。 「新、はぐれないようにしろよ」 と、樋口は新の手をしっかりと握り締めた。 「崇文さん‥‥」 新は、思わず樋口の横顔を見上げた。 暖かい手が、ちょっと嬉しかった。 樋口は、そんな反応に全く気付かず、新を引っ張るようにして人ごみの中へ入って行く。 それを見ても、単純にはぐれない為に手をつないだだけなのだと判ってはいたが、それでも、樋口の方からこんな事をしてくれたのは初めてだった。 もっとも、そんな気持ちは参拝客の群れの中に入ると吹き飛んでしまったが。 四方から押され、新は本当に、樋口から離れないようにするので精一杯だった。 「はー‥‥凄い人だった」 何とかお参りを済ませた二人は、神社の裏で大きく息をついた。 人でごった返している正面と違い、ここにはまばらに学生の姿があるだけだった。 「なんだか、人を見に来たみたいだなぁ‥‥ごめん、新」 真面目な顔で謝られ、新は慌てた。 「そんな、崇文さんのせいじゃないだろ?それに、人が多いって事は、きっとご利益があるって事だよ!」 「うん‥‥」 項垂れる樋口は、何だか雨に打たれた子犬のようにも見えてしまう。 「別に気にする事ねえって。俺、崇文さんと一緒にお参りに来られただけでも良かったよ?」 「新‥‥‥」 顔を上げた樋口は、ちょっと赤くなっていた。 どうも樋口は、こんな言葉に弱いようで、妙に可愛い反応を見せてくれたりする。 笑ってしまいそうになったのを咳払いして誤魔化した新は、樋口を見上げた。 「これからどうする、崇文さん?せっかくここまで来たんだから、どっかでうまいもんでも食ってこうか」 「うーん、そうだなぁ‥‥」 樋口が考え込んだ時。 「清水‥‥?清水か!?」 声の方を振り返ると、そこには五、六人程の学生のグループがいた。 「やっぱり清水だ!お前も合格祈願に来たのか?」 「あ‥‥う、うん」 こんな所でいきなり知り合いに会うとは思わなかった新は、思わずどもってしまう。 「予備校の外で会うなんて初めてだよね、清水くん」 「清水くん、いつも早く帰っちゃうんだもん」 グループの中の女子学生達も、思わぬ出会いに嬉しそうだった。 「今ね、みんなで遊びに行こうって言ってたの。清水くんも行こうよ」 ロングヘアの、可愛い顔立ちの女の子が嬉しそうに誘ってくる。 「あ、でも‥‥」 新の後ろに立つ樋口に目を止めたのか、最初に声を掛けて来た男子学生が困った顔をする。 「俺の事はいいよ。俺は、あ‥‥清水君のバイト先の人間だから。ここにも付き合ってきただけだし」 「崇文さん?」 急に他人行儀になった樋口に、新は驚く。 「俺、先帰るから。ゆっくり遊んでくるといいよ」 そう言って、樋口は新の答えも待たず、逃げるようにその場から立ち去った。 ――――――――― 樋口は、走るようにして神社の人ごみを抜け、気付けば自分の街の駅に戻って来ていた。 そのまま家に帰る気にもならず、待合室のベンチに腰を下ろす。 思わず、深いため息が洩れる。 あの学生達は予備校の同級生なのだろう。 年の割に落ち着いている新は、多分あんな女の子達にはとてももてるのだと思う。 それは充分判っていたはずなのだが、新と嬉しそうに話す女の子を見ていたら、とても胸が苦しくなった。 「俺‥‥やな奴だよな‥‥‥」 ため息と共に呟く。 あの時、新が彼らと話しているのが嫌だった。 自分の知らない新と、自分の知らない時間を過ごしている彼らを見たくなかった。 あのままあそこにいたら、一緒になんか行くな、と言ってしまいそうな気がして、急いで逃げて来たのだ。 そう、これは『嫉妬』なのだ。‥‥認めたくはないけれど。 「俺‥‥こんなに独占欲強かったのかなぁ‥‥」 それともこれは、コンプレックスかも知れない。 思いもかけず、新が自分を『好きだ』と言ってくれて。 その気持ちを疑う訳ではないけれど、自分は年上だし、新のように有名大学を受けられるような頭はないし、薔薇を作るしか能が無いし。 何より、自分は男なのだ。 これから、新の前に可愛い女の子が現れたら、絶対に自分は勝てないと思う。 でも、一旦手に入れてしまったぬくもりは、あまりにも心地良くて‥‥以前のように一人に戻るのが怖くなってしまっている。 父が、サンダーが死んでからは普通だった一人っきりの時間が、今はとても寂しいと感じる。 「‥‥‥‥‥」 もう一度大きなため息をつく。 これから色々な人に出会って、弁護士と言うしっかりした目標に歩いて行く新に、自分の気持ちを押し付けるのは間違いだ。 だから。 今のうち‥‥これ以上、新の存在が自分の中で大きくならないうちに――今でも、充分大きくなってしまっているけれど――新と、距離を置いたほうがいいのかも知れない。そう、思う。 好き、だから。 本当に好きだから、新を縛るだけの足手まといにはなりたくなかった。 「そろそろ、帰んなきゃ‥‥」 呟いたものの、何故か身体に力が入らない。 ベンチに座ったまま、動く気がなくなってしまった。 幸い、暖かい日差しで寒くはない。 正月の為か、駅に人は少なかったから、このまましばらくここにいるのもいいかも知れない。 そう思った時。 「‥‥‥なにやってんだよ、崇文さん」 聞き慣れた声に、樋口は慌てて顔を上げた。 正面に、呆れた顔をした新が立っている。 「あ、新?なんでここに‥‥‥」 「崇文さんを追いかけてきたに決まってんだろ!」 新は、少し怒っているような口調で言った。 「で、でも‥‥‥」 「あいつらなら、断ってきた。崇文さんと一緒にでかけたんだから、途中で他の奴と一緒になんか行かないよ。それなのに、崇文さん、さっさと帰っちまうしさ」 「ご、ごめん」 樋口は、思わず謝ってしまった。 「‥‥‥まぁ、いいけど。とにかく、こんなとこじゃなんだし、帰ろうぜ」 「あ、うん‥‥」 少し不機嫌そうにも見える新に促され、樋口は立ち上がる。 肩を並べて歩きながら、新は口を開いた。 「崇文さん、おかしいぜ?なんであんな急に、他人みたいな事言ったんだよ」 まともに訊かれ、樋口はとっさに答えられない。 「‥‥‥友達と一緒なら、その方がいいかと思ったし。それに‥‥あの女の子とか、可愛いじゃないか」 樋口は、新から視線を外したまま言った。 自分でも、やきもちを妬いているような言葉だと思った。 「はぁ?」 きょとんとした新は、頬を膨らませた。 「なんだよ、崇文さん。俺が、崇文さんが好き、って言った言葉、まだ信用してねえの?俺って、そんなに口先だけの奴だと思ってんの?」 「い、いや、新が信じられないとかじゃなくて。新って、格好いいから、女の子とかにもてると思うし、俺は年上だしゴツいし可愛くないし‥‥‥」 慌てて言い訳を始める樋口に、新はたまらず吹き出してしまった。 「‥‥わかってるよ。崇文さん、俺より年上だしね。男同士だとか、俺のこれからの事とか、色々考えちゃうんだろ?」 まるっきり見透かされている言葉に、樋口としては複雑だ。 これでは、どちらが年上か判らない。 「でも、これだけは信じてくれよ。俺、崇文さんが本当に好きだ。今まで、こんな気持ちになった事、ないよ」 真っ直ぐ見上げて来る大きな瞳が、迷う心の中まで見透かしてしまいそうで。 樋口は、思わず目を逸らしてしまった。 俺もだよ、と心の中では呟いていたけれど。 本当にそう言ってしまっていいのかどうか判らなかった。 口篭もる樋口に、小さくため息をついた新は、ふと、足を止めた。 「崇文さん、ここにもお参りして行かなきゃ」 新が足を止めたのは、商店街の近くにある、樋口がいつも初詣に来ていた小さな神社だった。 元々近くの人がお参りに来る程度で、そう賑わう場所ではない。 もう昼近くになっているせいか、そこに人の姿はなかった。 「あぁ‥‥そうだな」 樋口と新は肩を並べ、賽銭を入れて拍手を打つ。 「これからも、ずっとずっと、一生、崇文さんと一緒にいられますように!」 新は大真面目な口調で言って、頭を下げる。 「あ、新、そう言う事は口に出さないもんだろ?」 隣りで聞いている樋口の方が恥ずかしい。 「いーじゃん。声に出さないと、聞こえないだろうと思ってさ」 にこにこ、と笑う新の笑顔が眩しい。 そして、新の言葉はとても嬉しかった。 こんな笑顔を見ていると、自分は何を考え込んでいたのかと馬鹿らしくなる。 「じゃ、俺も‥‥‥」 と、樋口は正面を向いた。 「新が立派な弁護士になっても、ずっと一緒にいられますように!」 真面目に言って、頭を下げる。 「崇文さん、それ気が早すぎ‥‥‥」 今度は新が赤くなる番だった。 「いいじゃないか。新なら、きっとすぐだよ」 「へへ‥‥ありがと」 照れたように、新が笑った。 「じゃ、そろそろ帰ろうか」 樋口の言葉に、新は頷いた。 そして、樋口の隣りに寄り添うようにして手を繋ぐ。 「あ、新?!」 振りほどく事も出来ずに慌てる樋口に、新は口を尖らせた。 「なんだよ、さっきは手ぇつないでくれたろ?」 そう言えば、神社の境内では手を繋いだ気がする。 「で、でもあれは、はぐれると困るから‥‥‥」 「うん。何があっても離れたくないから。こうしてたいんだ」 真顔で言われ、樋口は赤くなった。 「あ、崇文さん耳まで真っ赤」 「‥‥‥だって‥‥」 嬉しいけど恥ずかしい。 おかげで、新の顔をまともに見られなくなってしまった。 でも、顔を見なくても、手を繋いでいれば、大切な人がとても近くに感じられる。 繋いだ手がとても暖かくて、とても幸せな気分だった―――。 |
END |
樋口と新が初詣に行って、樋口がちょっぴりやきもちを妬く、と言う話だったはずなのに‥‥気付けば、長い割に良く判らない話になってしまいました。
樋口がガラにもなくぐるぐるしてますが。壱哉は同い年だし初恋の人だし、元々そーゆー性癖だから樋口もすんなり入れると思うのですが、新相手となると、年下だし、多分普通の性癖だったろうし、将来立派な弁護士さんになるし‥‥と、結構樋口としては気にするんじゃないかと思ってます。‥‥もっとも、そんなに気にしてる割には新の一言であっさり浮上して来る辺りがわんこですが。