2009年 山けんの気まぐれ日記

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2009.10.18(日) アメブロ 『神さま応援隊長の おかげさま日記』 開始!!
本日より、「山けんの気まぐれ日記」は、アメーバーブログの
『神さま応援隊長の おかげさま日記』 にて生まれ変わりました。
コメント・ペタ・読者登録、大歓迎!!
今後とも、山けんの日記を、どうぞヨロシクお願いいたします。 (^_^) 山けん
2009.10.17(土) 「気まぐれ日記 閉幕」
明日は新月、何かをスタートさせるには最適の日だ。朝にはうぶすなメイトのご開運ご祈祷があるので、私も新たなスタートを宣言し、
実行していくつもりだ。私の新しい試みは、初の外部ブログを始めることである。HP内にある「気まぐれ日記」は2004年の
11月1日から始めたが、ほぼ5年、気まぐれで書くつもりだったのが、やってみると毎日(まとめ書きもかなりあるが)続けることが
できたことは、自分なりによくやったと自分に「天晴れ」を言いたい!それで、明日の新月から新たにアメブロで「神さま応援隊長の
おかげさま日記」が登場するので、ぜひご覧ください。HPからクリックすると見られます。おかげさまで、ありがとうございます。
2009.10.16(金) 「息子がインフルエンザに」
ついに我が家でも新型インフルエンザが発症した。中二の息子は昨日から喉がイガイガして調子悪いといっていたが、本日、昼頃、
学校から熱が高いと連絡が入り、早退してきた。病院に行くとインフルエンザであることが判明した。息子の中学校の隣のクラスは
学級閉鎖になっているらしいが、きっと我が家でも感染していることだろう。こういうときに想うことは、「病気に罹(かか)るときは
罹るのがよい」ということである。病気や怪我は無いように予防することは大切だが、起こったときはジタバタせず、病気や怪我を受け
入れて身体をいたわり、休ませていただけることに感謝することである。起きた現実には逆らわず、よかったと思えば困ったことは起こ
らない。
2009.10.15(木) 「金木犀は二度おいしい・・・」
窓を開けると、お隣さんから金木犀の香りが漂ってきて、幸せな気分になる。金木犀の花は小さくて目立たず、咲いたあとで雨風がある
と、たちまち散ってしまう。そのいさぎよさが美しさを生むのか、散った花は、金の雪が降り積もったようにきれいである。金木犀は
香りで鼻を喜ばせ、落ちた花びらで目を喜ばせる。金木犀さん、ありがとう・・・秋は、五感に嬉しい、飽きがこない季節だ!
2009.10.14(水) 「新車ご祈祷で大神神社へ」
私はなぜか昔から奈良の大神神社が好きで、結婚式を挙げたのをはじめ、七五三、厄払い、新車のご祈祷等、人生の節目やスタートには
奈良の三輪さん(大神神社)にお参りさせていただいている。本日の道中には、東大寺、興福寺、猿沢の池、春日大社で有名な奈良公園
(自薦、日本最高の公園)を通る。奈良公園と調和している鹿の姿をみるのも、ホッと癒されるのだ。そのまま南に下ると、石上神宮と
天理教の町、天理市を通り過ぎて、やがて巨大な鳥居のある桜井市の大神神社に到着する。おかげさまで新車のご祈祷といつものコースを
有難く参拝させていただいた。妻も私も奈良にくると、原点に戻れるのか、機嫌がよくなるのだ。今日は夫婦でゆったりとエコ運転しな
がらドライブもできたので一石二鳥であった・・・
2009.10.13(火) 「本気になると神仏は守る」
運がいいとか悪いとかは、自分が決めていることで、どんな状況になっても「〜で、よかった!」で終わらせることはできるものである。
「よかった」で終えると、今に感謝でき、今できることに集中できるので、今後の未来も感謝できる状況が着実に増えてくるようになる。
上手くいくのは運のせいではなく、自分が運を引き寄せるのだ。本気になると、不満より学びや感謝の心が出るので、お蔭様が願わずと
も応援してくださるのだ。開運の秘訣は、本気になっているか!何が起ころうとも感謝できるかである。私も本気度を高めたい・・・
2009.10.12(月) 「神仏調和の祭典」
神職としてご奉仕させていただいている神社は別名「不焼宮」と呼ばれている。その由来は、浄土宗の誠阿上人が、石清水八幡宮の宝物
を授かって寺院を建立するために帰る途中、これを妬む僧侶たちによって追われ、隠れた神社で火を放たれる目にあったが、火は忽ち
消えてしまったのである。追ってきた僧侶達はビックリし、誠阿上人の徳に接し、その後に帰依したそうだ。上人は、神社の霊験と恩に
報いるため、この不焼宮に石清水八幡宮の御分霊を奉祀したのである。それ以後、元からお祭りされていた春日大神を相殿とし、八幡大
神が主祭神となったが、この縁によって来迎寺さんとの交流が今もずっと続いている。今回の祭典は神さまに住職の世代交代の就任をお
伝えする祭である。神社の祭典で神職と僧侶が祝詞とお経と念仏をとなえることは普通はありえないが、神と仏のどちらも尊重し、恩を
大切にして、招き、招かれて祭典をする伝統は素晴らしいと感じた。秘仏の掛け軸のご開帳のときには、ご奉仕中で頭を下げていてちら
っとしか仏さまは見えなかったが、観なくてもその光明とあたたかさが伝わってきて有難くて涙が出てきた。神と仏、日本は両方あるこ
とで陰陽のバランスがとれている。といって混ぜてごちゃごちゃにすることではなく、どちらの個性も尊重して認めるという姿勢が大事
なのである。
2009.10.11(日) 「福も禍も紙一重」
福も禍も「しめすへん」であるが、「示」は、二と川を合わせてできている。「二」は上で天を表し、「川」は三つの縦棒で日、月、
星を表している。また「示」は足つきの祭壇を象徴しているとも言われており、つまり「示」は、「神」のことを表す字なのである。
「福」のつくりの部分は満ちるという意味があり、福は、神のお蔭によって豊かになることを示している。「禍」のつくりの部分は
逆らう、ゆがむという意味があり、禍は天地自然の道理から外れていることを示している。つまり、道理に合っていれば神は福を授け、
方向性がずれると神は気づきを与えるという違いである。福も禍も神さまからの「示して申す」ありがたいメッセージである。
2009.10.10(土) 「うぶすな神道学講座 2回目」
今日は、元体育の日で私の記憶では雨が降らない日だ。やはり予想通りに晴れて、そんな中、うぶすな神道学「人生を
輝かせる祓い」の本質とその具体的なミソギハライのやり方と生き方を楽しく語らせていただいた。ラストは自分の太陽(内なる神さま)
を賛美する歌もとび出し、参加者のお顔も晴れやかにみえたのは私だけだろうか・・・今回の参拝のメインは「太融寺」(弘法大師が
嵯峨天皇の勅願により、創建された寺院)で、お不動さまを鬼門、白龍さまを西北、お地蔵さまを西、そして中心にご本尊
「十一面観音さま」を配置しているところは真言宗の寺院らしい。おかげさまで本堂にまで上がらせていただいて、みんなで真言を
心地よく上げることができ、ラッキーだった。最後に参拝した綱敷天神社は、元々嵯峨天皇が祭神になっている。その後、
菅原道真公が無実の罪で太宰府へと御左遷の折、この梅田の地で、一本の紅梅が今を盛りと咲き匂り、しばしこの梅をご覧になられる為、
船の艫綱(ともづな)をたぐりよせ、即席の座席とされた事が「綱敷(つなしき)」の由来となっているようだ。嵯峨天皇、弘法大師空海、
菅原道真公、みな文化人で智恵の人である。今回の参詣でその能力をあやかりたいものだ・・・
2009.10.9(金) 「新型プリウス納車」
話題のエコカー「新型プリウス」に4月に試乗させてもらって、エコ好きの妻はとても気に入り、私もあの静かさと驚異的な燃費のよさに
魅せられて購入を決めたのだった。当初の予定では納車は11月末頃と言われていたが、本日納車することができ、その乗り心地を
味わった。新車独特の香りは、気持ちをウキウキさせると同時に運転するときにはドキドキ緊張する。エンジン音のない発進は、まさに
忍者のようで無駄のない走りに「天晴れ」である。運転席の前のパネルをみると、充電したエネルギーとガソリンのどちらで今走っている
か?や、一分間ごとの走行燃費まですぐ分かるようになっている。これをみながら運転すると、アクセルを強く踏んで加速した場合に
燃費が落ちるのが一目瞭然で分かるので、できるだけエコ運転して燃費が伸びるように心が向いてしまう。メンタル面まで考慮された
究極のエコカーである。
2009.10.8(木) 「台風で日本を祓う」
二年ぶりに上陸した大きな台風は、被害をもたらす反面、ツミケガレの溜まった日本を祓い清めていただいている有難い側面もある。
人間の思念が重くて暗いと、それが積もり、ケガレとなって下に溜まっていく。ケガレは穢れ・汚れであるが、気枯れ(けがれ)でも
あり、自分の元気が枯れてしまうことを示している。それを祓うのは、水と風である。水で洗い流して、風で吹き飛ばす。おかげさまで
台風の後は、空気が爽やかでとっても清清しい・・・
2009.10.7(水) 「欲について」
仏教では欲を慎み、無欲になることを良しとするが、欲は人間の性であり、欲があるから向上心もわき、魂を成長させる側面もある。
欲で苦しむのは、欲に執着し、手放せず、とらわれるところに問題があるのだ。欲があっても欲張らず、いつでもゼロにできる覚悟と
いさぎよさがあれば、苦しむことはないだろう。それに欲が叶って、周りと喜びを分かち合えば、感謝にもつながるものだ。欲を悪いと
決めつけず、向上と幸せの種にして、人生の味方にしてしまおう。
2009.10.6(火) 「Aikaさんの神宮奉納演奏、延期」
10月1日のメルマガで紹介していた8日の伊勢神宮での歌と鈴の奉納演奏が台風のため延期の連絡が入った。私も行きたかったが
、神社の祭典や仕事の関係で行けなくなり、残念に思っていたところだったので、延期になったことは行ける可能性が出てラッキーかも
しれない。神社に行く目的は本来、奉納ではないかと思っている。人間の幸せはもらうことより与えて喜んでもらうことの方が大きいので
はないだろうか・・・神社での奉納といえば大げさだが、寄付やお賽銭をはじめ、神さまへの感謝、ご開運の祈りを捧げることも奉納なら
、境内のゴミ拾いやお掃除、お祭りに参加、その準備、後片付けなども奉納に含まれると思っていいだろう。些細なことでもさせていた
だけることは有難いことなのである。
2009.10.5(月) 「善人の罪は恐ろしい・・・」
悪人の罪は分かりやすいが、善人にも罪がある。それは「あのときにこうすればよかった・・・自分はなんて愚かな人間なのだ!」と、
物を苦にし、後悔し、自分の魂を弱めることである。自分を責め、自分の思い込みで自分を追い詰めることは、実は大きな罪となる。
魂の本質は、いきいきと輝いて生きようとするものだが、それに反して自分を否定して心を煤や埃でいっぱいにして、暗く、重く、停滞
させて魂の光を包み隠してしまうことは、まさにツミケガレを溜めることになるのだ。悪人は他人に裁かれて罪になるが、善人は自分で
裁くのでいくらでも罪を重くしてしまう。善人はそのために自暴自棄を起こし、取り返しのつかない状況を生むことにもなる。自分を
否定や後悔するのではなく、前向きに反省と謝罪をして、過去をスッキリ清算させ、今を明るく生きよう!
2009.10.3(土)4(日) 「試合観戦と運動会」
小5の息子のサッカー試合が土曜、日曜は運動会と、秋晴れの日差しの強い中、日焼けしながらスポーツ観戦を楽しませてもらった。息子
はおかげさまで絶好調!二日間、上機嫌だった。どの親もわが子を観るときは客観的には観れず、自分が乗り移ったかの分身のように手に
汗を握って応援している。それはそれで幸せなことと思うのだが、結果だけをみて子どもを叱咤激励するのは慎んだ方がよさそうだ。たと
えば、最近の運動会の徒競走やリレーの特徴は、50メートル走のタイムで同レベルの子ども同士に(走力別)分けられている場合が多い
ということである。つまり、足の遅い子でも一等になれる可能性があるかわりに、足の速い子でも最下位になってしまうのだ。このやり方
だと、差が開かないので、競いあえる面白さがあって、いい方法であるとは思うのだが・・・走るのが速いことを取り柄にしている子も速
い子ばかりの中で走るので、最下位になることもあるわけで、このからくりを知らない親に「おまえは遅い!」と叱られてガッカリしてい
る子もいるのだ。徒競走の順位や試合結果だけで親は子どもに一喜一憂するのではなく、子どもとよくコミュニケーションをとり、ベスト
を尽くしているか!をよく観て、叱咤激励してほしいものである。
2009.10.2(金) 「妻のケガ」
昨日発行のメルマガで妻が高野山ツアー中に転んでケガをしたことを書いたのですが、そのお見舞いのメールをいただき、ありがとうござ
います。実はツアーに参加されていた人も大半の方は転んだことを全く知らないほど、妻はいつもどおりにむしろニコニコして歩き、運転
もしていました。そして、ツアーの参加者を全員見送った後、私が「歩きにくそうにしてなかった?」と声をかけたとき、初めて、朝に
転んだことを私に打ち明けたのでした。言わなかったのは「ツアーに集中し、楽しんでもらうために心配かけたくなかった」ということ
ですが、その心意気には脱帽しました!(でも今後は報告するように話す)その後も、明日に病院に行くというので、「それはあかん、
今すぐ、救急で診てもらおう」と病院に連れて行きました。ケガは結構深かったのですが、おかげさまで大したことはなく、今は歩くのに
も不自由せずに元気にしています。(大丈夫ですのでご心配なく!)そして、私は妻が黙っていたことに「カッコよさ」を感じ、これで
この話は終わると思っていたのですが・・・なんと、今回のメルマガでわざわざネタにして真相を暴露するとは!? そのあたりが、
う〜ん、妻らしい・・・
2009.10.1(木) 「盛りだくさんよりシンプルがいい」
若い頃はバイキングや食べ放題が好きで、種類の多さ、量を得ることに満足していたが、最近はひとつのものをじっくり味わうことが
好きで、うどんが食べたいと思えば、お気に入りのうどん屋に行って一杯のうどんを味わうと幸せ一杯になる。本を読んでいても、
話を聞いていても、アラカルトのように内容が盛りだくさんであればあるほど、気が分散して「もういい」と感じてしまう。それに
対して、心地よくなるのは、ひとつのことを豊かに味わえたときだ。「シンプル イズ ベスト」である。
2009.9.30(水) 「許します」
人間を苦悩させている大きな要因に「許せない!」がある。許せないから恨み、復讐し、殺人も戦争もするし、自分のことが許せなく
なると、自分を責めて自殺する引き金になる。宗教は救いのための教えだが、その根本は「許し」にあるといっても過言では
ない。許すと心がゆるみ、重苦しい心が明るく、軽くなり、感謝の念も湧いてくるようになるのだが、これがなかなかできないのが
人間である。幸せになる秘訣は、欲しいものが得られることではなく、許す心をもつことではないかと思っている。とりあえず
「許します!」と口ずさんでみよう・・・
2009.9.29(火) 「悪い知らせは有難い知らせ」
悪い知らせや嫌な情報は聞きたくないものだが、情報が自分に入ってくるということは、気づきと学びが必要であり、早く手を打ちなさい
!というお蔭様からのメッセージであることが多い。トラブルの多くは、それまでに予兆があり、そこでキャッチすればボヤで済むのだが
、「放っておくと大変なことになりますよ!」になってしまう。問題や低迷の原因として、無理、我慢、慢心、油断などが起こっているの
で、そのことをまず受けとめることである。そして、気づいて謙虚に反省し、対策を打ち、改善していけば、大きなトラブルが
未然に防げるだけでなく、凶は吉に転じるものだ。悪い知らせこそ、有難い知らせだと受けとめよう・・・
2009.9.28(月) 「あらゆるもののご開運を祈る」
釈尊は「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」と説いているが、そこには自分と自分以外のものが繋がっている意識が根底
にある。相手や自分以外のご開運を祈ることは、幸せを応援する意念、繋がろうとするエネルギーが送られるので相手も心を開きやすく
なるので寛容になり、調和が生まれる。あらゆるものを味方にして、ともに幸せになるご開運の祈りをゴカイのないように5回となえよう。
(ちょっと無理があるな〜 笑)
2009.9.27(日) 「高野山ツアー 有難し」
高野山ツアーでの圧巻は、聖地「壇上伽藍」に参詣させていただいたことである。壇上伽藍には、高野山の鎮守の大神である「丹生都比
売大神」をお祭りしている御社、中心に光り輝く根本大塔、両隅の東塔、西塔、金堂、数々のお堂が曼荼羅の思想に基づいて配置され
ているのが見事である。今まで何回か壇上伽藍には参詣させていただいているが、今回ほどスッキリ清清しく、心地よく、嬉しく
感じられたことはなかった。とても幸せだった・・・一緒に同行されたご先祖さまたちもこの素晴らしい光の世界にふれ、感激されて
いたことだろう。金剛峰寺にある襖絵、日本最大の石庭にも癒され、日本のよさを満喫できた一日となった。帰りの車内から空をみると、
鳳凰と羽衣のような雲がお出ましになり、夕日はみたこともないような大きさではちきれんばかりに鮮やかに光り輝いていた。この瞬間
「大日如来」さまの光がふりそそいでいるのを感じ、鳥肌がたってきた・・・ツアーもほぼ予定通りに進行したので、おかげ様に感謝で
ある。後で分かったことだが、私の母方のご先祖は真言宗とのご縁が深かったようで、お彼岸近くにじっくり高野山に参詣できたことは
とてもラッキーであった。ありがたし・・・ありがたし・・・・
2009.9.26(土) 「高野山 奥之院」
高野山に参詣すると、宗派の総本山の立場を超えた日本人の心のふるさとのような感覚になる。祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する
神道の精神が仏教に上手く融合されているからだろうか・・・高野山の奥之院に行けば、杉の大木に囲まれた聖地に弘法大師御廟があり、
その参道の両側には日本の皇室をはじめ、歴史的に有名な大名や武将、そして企業の墓までがずらりと並んでおり、圧倒されてしまう。
それほど高野山は浄土に近い特別な場所なのかと頷いてしまうほどである。ただそうは言っても墓には独特のエネルギーがあり、重苦しさ
も感じてしまう。それを懸命に救っていらっしゃるご存在がお地蔵さま(地蔵菩薩)である。お墓の近くで働いておられるお地蔵さまは
さぞ大変だろうな〜と、出会うお地蔵さまには真言をあげて労い、お地蔵さまのご開運をお祈りして参道を歩いていた。すると、心も身体
も軽やかになっていくのだった。奥之院の玉川の御廟橋のそばに水向け地蔵(仏尊11体)があり、先祖供養の木札がたくさんおかれて
いる。参詣者が木札に水を注いでご先祖を供養していくのだが、お地蔵さまに水をかけて要求をきいていただこうとしている方も見受けら
れた。それでもお地蔵さまは働かれるだろうが、できれば水をかけるのではなく、お地蔵さまに(水をお供えして喜んでいただく心で)
水を注ぐ方が、その心はお地蔵さまにしっかり通じると実感した。そして、喜ばれたお地蔵さまが今度は先祖供養されているご先祖さまを
元気にしてくださることだろう。
2009.9.25(金) 「いよいよ明日は 高野山」
関西日帰りツアー3回シリーズも明日の高野山で最終回である。高野山の金剛峰寺は、高野山の鎮守神である天野原に鎮座する丹生の神
が空海に土地を譲った、と高野山縁起にあるように「丹生都比売神社」への参拝が重要で、高野山のみに参拝すると片参りになるとされ
ている。明日は、まず高野山の鎮守の大神さまにご挨拶してから、高野山奥之院の弘法大師御廟、壇上伽藍に有難く参詣させていただく
予定だ。とっても楽しみである・・・
2009.9.24(木) 「好みを増やし、面白がろう・・・」
人は正しさやためになるからでは生きていけないものだ。たとえば、鳥居をみれば、どんな神社なのだろう?とワクワクするタイプの人
もいれば、全く興味のない人もいるし、鳥居は入ってはならないものとして不機嫌になる人もいる。要するに人は好みによって心地よく
なり、面白いから自ら行動するのである。好みのものを食べ、好みの場所にいき、好みの人に会えば上機嫌になるし、面白いと、もっと
やりたい!と、やる気がでてくる。面白いとは、顔が白くなる、つまり、顔が明るく輝くことである。せっかくの人生、自分の好みを
増やし、面白がって生きたいものだ。
2009.9.23(水) 「高校プチ同窓会」
うぶすなメイトのご祈祷をした後、口コミで集まった高校の同窓会に参加してきた。卒業して三十年以上経っているので、顔かたちは、
それなりに変わっているが、話していると、だんだん昔の面影が蘇ってきて、青春時代にタイムスリップしてしまう。何といっても
自分が若返った気分になるのが心地よい!面白いのは、自分の言ったことややっていたことはそれぞれ忘れていて、相手の言った
ことや行動を良く覚えていることである。その当時の私の言動や行動を客観的に聞かせてもらう機会に恵まれ、私の言い出したらとまら
ない猪突猛進ぶりに迷惑していたことが発覚!「ごめんなさい」と、30年ぶりに謝れてよかった・・・
同窓会は、母校(ふるさと)や自分の本質に触れて、気づきと輝きと元気をいただけるチャンスにもなるものである。
「産土(うぶすな)パワー」を得るための方法に「同窓会」はいいかもしれないと感じた・・・
2009.9.22(火) 「神社は見た目じゃない」
神社のお社が新しくてしかもコンクリートだと、権威がなさそうで有難さがないように感じてしまうものだが、それは神社は古い方が
いいものだという思い込みである。大切なことは、その神社の神主さんや地域の方が神社に神さまが心地よく鎮座していただけるように
心を向けているかで神社は光り輝き、有難い聖地となっていくのだ。神さまは神社だから降りてこられるのではなく、神さまを祭祀
する(感謝のお祭りをしてともに生かしていただく)という人間の真心から神社に神さまがとどまられるのだろう。のあゆさんの
ブログ「新しいからではなく」を読まれると、この意味と本質が分かりますよ。
2009.9.21(月) 「彼岸花」
徳島のとある神社に参拝すると、鮮やかな真っ赤な彼岸花が咲いていた。境内にいた地元のおばあちゃんが、「それまで何ともなかった
のに2日前の彼岸入りになってパッと咲くので感心した。花は知っているので偉い!」と、言っていた。彼岸花がお墓のそばにも多いの
には、鱗茎の毒を嫌って避ける虫除け効果があり、土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐために植えられたそうだ。また、
救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされた事もあり、毒と栄養の両面を備えている。お彼岸は、日中と夜
の時間が同じでこの世とあの世の門が開くといわれているが、その門が開くのと、彼岸花が開くのは一致しているかもしれない。
2009.9.20(日) 「うぶすな神道学講座」
久しぶりに大阪梅田の総合生涯学習センター(独立当初使用していた)で、私のトレードマーク?である「うぶすな」の基本となる話
ができたことは、5年前を思い出し、懐かしさとともに「初心忘れるべからず」の境地にならせていただいた。話していても
心地よくて、今後も「うぶすな」の心を中心に伝えていきたいと思った。そして、神道の原点は、経典も無く、大自然の中に神性を感じ、
その道理を体感することである。いのちを尊重し、大自然(神仏)とともに有難く生かしていただくことが、「神ながら
の道」であり、神道の経典になるといってもいいかもしれない。今日は「露 天神社」のお参りも何とも爽やかで清清しく、有難い
日となった。
2009.9.19(土) 「シルバーウィーク」
ゴールデンウィークならぬシルバーウィークがスタートした。敬老の日、お彼岸(秋分の日)があり、その前後が祝日・休日になることは
自分のルーツに心を向けられる時間にもなるのでとってもいい休日だと思う。産土(うぶすな)とは、広い意味で自分を現実においても
見えない蔭からも見守り、御蔭をいただいている縁あるルーツの存在(お蔭様)を示しているので、このシルバーウィークは
「うぶすなウィーク」とも言える。土地の神さま、ふるさとの神社、墓参り、親やその親、年配の方に有難く感謝して、清清しい
シルバーウィークにしよう!
2009.9.18(金) 「チャンネルをかえる」
イライラしていたり、ムカムカするときに思いつめると、その感情がさらに激怒に増大する可能性がある。刺してしまう殺人事件も
怒りをフォーカスしてしまってコントロールできなくなった結果だろう。怒りが湧いたときは、その心のチャンネルを一旦消して、全く
違った心のチャンネルに変えて、即行動してみることである。たとえば、怒りの替わりに、笑顔でお店の人や駅員さんにあいさつして
みたり、お年寄りに優しくしてみたり、掃除をしてみたり、小さな善行をとにかく実行してみるのだ。やっているうちに心地よく
なるし、怒りや不安も軽くなっているものだ。
2009.9.17(木) 「安心を得るためには・・・」
お金がいくらあっても、不安な気持ちをずっと持ち続けて生きている人もいれば、お金が無くても、笑顔をふりまき、安心な気持ちで
生きている人もいる。この違いはなんだろう〜 結婚、家族、仕事、健康など、安心や幸せは条件で得られるものではないようだ。
生まれつきの性分だろうか。自信のあるなしだろうか。私は、おかげさまで御蔭さまにいつも守られているという実感があるので、
いろいろとあっても、今回は何を学べる(学ばされる)のだろう〜と、ドラマを観るように受けとめられることがありがたい。
2009.9.16(水) 「鳩山新政権が発足」
鳩山首相の発言「本当の意味での国民主権」「日本の歴史が変わる」「身震いするような感激と重い責任」「失敗もあるのでご寛容を」を
聞き、新時代の到来にちょっとワクワクしている。まさに「飛べよ鳩よ」である。話題性のある幸夫人の存在は、今のところ鳩山首相を
後押ししていて微笑ましい。「朝は消化のよい雑炊に、勝負用?の金色のネクタイ着用」のコメントをされていたが、私も雑炊が好きで、
金色のネクタイはよく着用する。そう言えば、今日、鏡を見ると、何となく鳩山首相に似ている気がした(ほんまかいな?)
ただ、鳩山首相のように毎日の食器洗いは・・・
2009.9.15(火) 「修行は喜びの心でやろう!」
ダメなところを変えようとして修行しても効果は得にくい。最初の前提が闇に心が向いているからである。それより「すべては順調」
「困ったことは起こらない」「ありがたし」と、念じながら、修行をただ喜びと感謝の心でさせていただくと、心が光に向いていくので、
自分の光がどんどん増してくる。そして、内なる光が輝いた分、外からの光にも包まれるようになる。そうなると、ダメなところが
素敵な個性であったことに気づくことだろう・・・
2009.9.14(月) 「イチローの生き方に天晴れ!」
大リーグ史上初の9年連続200安打を達成したイチロー選手だが、私はイチローの発する言葉が「禅」の名言のようで大好きである。
「打撃にはこれでいいという形がない(答えが無い)こと、今の自分の状態が最高であると思い続けること、この相反するものが自分の
中に共存していることが結果につながった」と言っていたが、このバランスがイチローの進化し続ける秘訣だろうか・・・そして
以前から「僕はいつも一生懸命プレーしていますが、今日はよい結果が出なかった。でも、だからといって後悔もしていないし、
恥ずかしいとも思っていません。なぜなら、できる限りの努力をしたからです」と、自分のすべての行動に誇りを持っている生き方、
カッコイイ!そんなイチローが「苦悩というものは、前進したいって思いがあって、それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れ
ない。だから苦悩とは飛躍なんです」というと、苦悩が希望に変わってしまう。いやぁ〜すごい!イチローに天晴れだ・・・
2009.9.12(土)13(日) 「秋祭り」
12日は雨で涼しく、13日は晴れで汗ばむ対照的な2日間となった。雨が降っていると、祭りの人出が少なくなるので、ガッカリされる
面もあるが、違う面では有難い。それは、雨によって場が清められるので、祓いとなり、神さまとしてはこの方がスッキリできてパワーが
発揮できる体制が整うことにもなるからだ。雨降って地が固まり、地がしっとりがいいのだ。二日目には朝からしっかり天が晴れたので、
天の気と地の気が陰陽調和されて、神社は清清しいご神気に溢れていた。おかげさまで午前中の祭典、午後は各地区の神輿の宮入りも順調
に行われ、夜は名物の地車囃子の踊りで盛り上がり、参拝者も行列が続き、大勢の人出で活気のある素晴らしい秋祭りとなった。ただ、
残念に思うことは、お祭りは神さまへの感謝・喜ばせるためにあるものとして認識されていないことだ。お祭りは観て楽しむもの、神社参
拝は願い事をいう場所、というのがまだまだ一般常識なのである。
2009.9.11(金) 「心地よい心配をしよう!」
心配とは、心を配ることでもあり、相手をもてなす配慮にも通じるので、大いにした方がいいが、心が暗く、重くなり、苦しめる
ような心配(心痛)は避けた方がよいだろう。心の中心(魂)は、輝いていても、それを覆う暗い念や妄想が厚くなると、心が
重くなり、正常に機能しなくなってしまうからだ。考えてもどうにもならないことは思わず、今できることに心を配る「心配」を
したいものである。
2009.9.10(木) 「運のよさは自分が決めること」
「おかげさまで自分は運がいい!」と言う人は、今まで運がよかったことを自分の力だと過信せず、謙虚さをもち、お蔭様に感謝して
いるので、今後もお蔭様に応援されることになる。「自分はいつも運が悪い!」という人は、今まで上手くいかないのは自分のせいでは
なく、ツイてないからだ!と、お蔭様のせいにしたりする。これではお蔭様も応援する気にならず、運の悪さも思ったとおりに続く
ことだろう・・・
2009.9.9(水) 「サポーターになると、よく観える」
今日は週末の神社の秋祭りの準備に宮司さんのサポーターとして手伝わせていただいたが、9月に入って、サポーターの立場で
行動する機会に恵まれていることは有難いことだ。「どうすれば流れがスムーズになり、サポーターとしてお役に立てるだろうか・・・」
という視点で行動するので、周りの状況が客観的に観れて、先の見通しも読めるようになってくる。また、直観力も冴えてくるのか
、たとえば、無ければ困る重要な祭具を探しているときに、何となくここにあると感じたら、そこにあったり、この日の会場を押えたい
と思えば、その日は空いていたりするのである。普段は自分が主催者(リーダー)だと見逃してしまうようなことも、立場が変わると、
観る視点が違うのでよく気づけるようになるものだ。サポーターの感覚を大切に生かしたいものである。
2009.9.8(火) 「自分ファンクラブの会長になろう!」
好きな人のファンクラブに入るのもいいが、自分自身が上機嫌で生きてこそ、人を明るく応援できる気持ちにもなるものだ。
そのためにも、まず自分の応援団である「自分ファンクラブ」を創設し、自分が自ら会長になることが適任である。なぜなら、
自分ファンクラブ会長は、自分の最高の理解者であり、最大の味方なので、どんなときも応援し、励まし続けることができる
からである。自分の至らなさを責めたくなるとき、自分ファンクラブの会長は、自分にこう言うだろう。
「あなたには短所などない!あるとすれば、それは持ち味であり、個性だ!」と・・・
2009.9.7(月) 「玉置・熊野ツアーの心地よさをおすそ分け」
玉置・熊野本宮ツアーの様子をきれいな写真と分かりやすい解説で味わえるブログ感謝のきもちをみると、そのときのことが蘇ってくる。(実は、もっと光が降りている写真もあるのですが、人が映って
しまうので割愛されています)私が玉置に行かせていただくときは、なぜか人生の流れの節目になっているようなときで、今回はちょう
ど衆議院選挙の日であったことも感慨深い。玉置神社のご祭神は「国常立尊」(国土形成の神)であり、大地(土台)を常しえに立ち続け
る、まさにグラウンディングの神さまだ。玉置神社は、自分の足元や本質をドッシリさせたいときにはお勧めの神社である。
2009.9.5(土)6(日) 「三世のご開運講座」
二日間、山田雅晴先生の講座のスタッフ兼受講生として参加させていただいた。三世のご開運とは、過去(前世・先祖)、現在(現世)、
未来(来世・子孫)を開運に導いていくことだが、講座では宿命・運命のネガティブな側面を毒だしして、過去と現在の心・運身を
特殊なメソッドで清め、活性化していくのが圧巻である。講座中には、空気が重たく澱んでくるのも、明るく軽く清清しくなるのも感じら
れるのでメソッドの効果が実感できる。ただし、大切なことは不思議世界ではなく、「普段からのご先祖やふるさとの産土(うぶすな)
の神さまや住ませていただいている土地の神さまに心を向けて感謝する」ことなのである。その産土やご先祖を尊重することの重要性を
山田先生も強調されていたが、私のお役目は「うぶすな」のことを今後も発信し続けていくことであると思っている。山田先生が開発した
開運法や増益法、息災法も、あくまで地道なルーツへの感謝(産土信仰)を続けていくことが基礎体力となって効果を発揮することに
なるのだ。やはり、開運は一発ではなく、継続した習慣の後に起こるものなのである。
2009.9.4(金) 「日々祓い、シンプルに生きる」
神道は「祓いに始まり、祓いに終わる」とされているが、まさに本質をついた言葉である。これはお祓いをしてもらうことではなく、
自分で自分をクリーニングすることの大切さを示している。人間が不幸や苦悩を招いている大きな要因は、思い込みである。過去の
記憶や情報の偏りが自分の本質の輝きをブロックしているのだ。思い込みは重いゴミでもあり、ゴミは掃除して軽くスッキリさせて
こそ本来の力が発揮できるのだ。神道の「みそぎ祓い」は、身を削(そ)ぎ落として、ケガレを祓うことだが、日々の生活でも
溜めるより、できるだけシンプルを心がける生き方が福を招くことになるようだ。
2009.9.3(木) 「自分のものは何もない」
自分の肉体は、この世でその人にとって最適に学べるように神さまから期限付きでお借りしている有難いいのちである。そして、
寿命がくれば、「今までお借りしましたおかげで、たくさんの体験をさせていただきました。誠にありがとうございます」と、
いのちに感謝して、お借りした肉体をお返しすることになる。肉体を自分の所有物ではなく、神さまから預かっているいのちだと思うと、
粗末に扱えなくなるものだ。これは肉体だけでなない。わが子も住ませていただいている土地も恵みもあらゆるものは、神さまからの
預かりものなのである。人間は自分のものと思い込んでいるだけで、実は自分のものは何もないと思った方がよさそうだ。
2009.9.2(水) 『あたりまえ』から『おかげさまに』
人間の苦悩は、「あたりまえ」と思っていると生じるものだ。「あたりまえ」でなくなったときに不満が生まれ、怒りが起こる。
そもそも、自分はあたりまえに生きているのではなく、自分以外の「御蔭様」の御蔭によって生かされているのである。
そして、あたりまえと思っていたことが、なくなって初めてその有難さに気づくようになるものだ。「あたりまえ」で苦悩するより、
「おかげさま」を口癖にして、生かされていることに感謝し、上機嫌に生きよう!
2009.9.1(火) 「新しい風、心機一転」
政界に新しい風が吹いたが、秋風の吹く9月になると人の心も価値観も変わりやすいものだ。今まで熱くなっていたことが、
冷静になると急に冷めて、新たなことに目覚めるなんてこともある。私も8月はのんびりさせていただいたが、9月の
声を聞くと、お尻に火がついてきて行動欲求が出てきた。今日は、まずは床掃除をして足元をきれいに、そして散髪をして頭をスッキリ
して心機一転だ!「よし!やるか!」
2009.8.31(月) 「うぶすな神道学講座(大阪)10月10日に日程変更」
10月12日(月)<体育の日>に予定していた「うぶすな神道学講座」二回目は、都合により10月10日(土)<元体育の日>に変更
となりました。予定が変更になり、申し訳ありません。実は、私がご奉仕させていただいている神社の重要な祭典の日が寺院や氏子関係者
の都合により10月12日となったため、講座の日取りを変えざるを得なくなってしまったのです。奉仕させていただいている神社は、
元は春日系でしたが、足利時代に誠阿上人(浄土宗)を火攻めから救ったというご神徳があったため、上人は報恩のため石清水八幡宮の
分霊をこの神社にお祭りしました。そのため、9月の神社祭典時には誠阿上人のお寺(来迎寺)から住職が神社に来拝される伝統が続いて
います。今回、住職の世代交代のため、来迎寺住職就任奉告祭が10月12日に35年ぶりに神社で挙行されることになったのです。
祭典では神社で祝詞とお経をあげ、秘仏のご開帳もご神前で行われます。まさに神仏習合の祭典です。
当日は助祭員として有難くご奉仕させていただきたいと思っています。
2009.8.30(日) 「素晴らしき玉置・熊野ツアー」
おかげさまで玉置神社を満喫させていただいた。今回は、重要なポイントになる二箇所で、神仏とともに「明るく・軽く・シンプル
に」を目指したご開運神業を心地よくさせていただいた。玉置山は密教の聖地でもあるので、仏尊の真言をとなえると、しっくりくるのだ。
ご神業後は、一帯が明るく穏やかで柔らかくなったのが印象的だった。その後、清めの雨が降りそうな気配がしたら、案の定、ケガレ
を水に流してスッキリするような激しい雨が降ってきた。ほぼ車に乗ってからの雨だったのが有難く、その後、熊野本宮大社に着いた
ときには雨も上がり、何と陽もさしてきた。さらに熊野本宮大社の上四社にお参りさせていただいている間のみ、我々だけしか参拝者は
おらず、独占参拝となった。日曜日でしかも人気の高い熊野本宮大社ではありえないことである。おかげ様で他の参拝者に気兼ねするこ
となく、じっくりと神仏のご開運を心地よくお祈りできて最高に幸せだった。こんな調和された優しい本宮を感じたのは10回ほど来てい
るが初めてである。また元地である大斎原も相変わらずのイヤシロチで、夕日が輝く西方をみると、まさに阿弥陀さまと極楽浄土を感じた。
とにかく有難い一日だった・・・今回のツアーは、坂や階段も多く、歩く距離も長い上、祈りや神業で身も心も軽くなるので、ダイエット
ツアーともいえるかもしれない。参加者の皆さん、神社エールをありがとうございます。ゆっくり休んでください。
2009.8.29(土) 「いよいよ明日、玉置神社・熊野本宮大社へ」
標高1000mにある玉置神社はまさに霊峰であり、境内にある巨木群はご神気に満ち溢れている。縁があって十数年前、玉置神社に
泊り込みで何回か清掃ご奉仕させていただいたこともあって、身近に感じられる神社であり、何となくふるさとの感覚もするので、
行くのがとっても楽しみである。熊野大社の元地である「大斎原(おおゆのはら)」も大好きな聖地で、ここにいるだけで癒され、
元気になれる。明日は自分の魂の帰省なのかもしれない・・・
2009.8.28(金) 「自分をみつめるより吐き出して愛する」
自分のことに自信が持てなくなったときに自分を見つめるのは欠点探しをしてしまい、さらに苦しい迷路に入ってしまうので
避けた方が無難である。それより、自分を責めたり、憎んでいたりする感情をスッキリ吐き出してしまった方がいい。(大泣きもよし!)
そして、そのネガティブな感情を尊重し、分かってあげるような包み込む愛が必要となる。愛は愛されるだけでなく、愛することが
さらに大きなエネルギーを生む。言霊の力で自信を取り戻す方法に、自分で自分に「愛してます」「自分を責めてごめんなさい」
「ゆるしてくれてありがとう」というものがあるが、これは効果的である。結局、自分を救うのは自分への愛である。
2009.8.27(木) 「選挙(期日前投票)に行く」
30日は衆議院議員 総選挙だが、当日は近畿日帰りツアーがあるので期日前投票に行ってきた。遅い時間だったが、人が
止まることなく、来るのにはビックリした。今回は政権交代と言われているだけあって、国民の意識も高く選挙に行く人が多く
なる兆しが出ている。投票用紙は、名前を書く小選挙区制と政党名を書く比例代表制だが、いつもよく分からないのが、もうひとつ
ある「最高裁判所裁判官国民審査」の用紙だ。何の情報もなく、判断できないのでそのまま白紙で出して承認してしまうが、しっくり
こない。ただ妻のようにやり方に納得できなければすべて×をつけるほどのことではないが・・・
2009.8.26(水) 「中道を目指す」
中道は、 センターロードという意味ではなく、真ん中を進むことでもない。 右にも左にも寄らずにむしろ自由自在に進むことが
中道である。たとえば、仕事をとるか、家庭をとるかであれば、 どっちにも偏らず、そのとき、そのときの状況に応じてどちらも大切に
することである。変化することが真実でもあるので、過去や思い込みにとらわれず、瞬間瞬間に生きることこそ、中道だと思うのだ。
2009.8.25(火) 「ありがとうは見返りなく言おう」
人から「ありがとう」と言ってもらいたいから、行動していると、自分がやりたくないことまでつい引き受けてストレスを溜めてしまう。
また、「ありがとう」と言ってもらわないと、不平不満が出る。「ありがとう」は、自分の栄養であり、喜びであり、幸せなので
言ってもらうことを期待すると、逆効果にもなりかねない。自分がただ心地よいから、周囲にも自分にも「ありがとう」と明るく・
シンプルに言うようにしたい。
2009.8.24(月) 「愚の中の極愚」
伝教大師最澄の言葉に「愚の中の極愚」がある。最澄は「いろいろと学び、励んだが、自分は知恵も才能もない取るに足らぬ最低の人間だ。
ならば、今までしてきたことは流し去って生まれたままの自分になり、愚の中の極愚に徹してみよう」と決意をする。プライドや
思い込みをすべて外し、観る位置を下にすると、眺める世界が変わり、山川草木のすべてが先生となり、今まで上から見ていて観えなか
ったものが観えるようになり、大いなる気づきがいただけることになる。最澄に素晴らしい弟子が育った要因はここにあるのではないか
と思う。そう考えると、今、どん底にいる人、自己否定している人も、観方を変えて真実をつかむには絶好のときである。人生はすべて
先生であり、無駄はない・・・
2009.8.23(日) 「幸せの定義とは・・・」
「お金がいっぱいある」「成功している」が幸せだとすると、自分がそうでなければ幸せではならないことになるが、実際には
お金がなくても、成功していなくても幸せは感じられるものだ。幸せは、何かを得る以上に、人を楽しませ、喜びを与えたり、応援した
り、分かち合ったりしたときに、自分も嬉しく、幸せな気持ちになってくる。つまり、幸せは入ってくることを期待するのではなく、
どれだけ自ら光を発し、輝き、愛情を注げるかであって、ポイントは出す方にあるような気がするのだ。そして出すから、期待せずとも
お金や成功も入ってきて、そこでまた感謝して出すから、また幸せの循環が起こることになるのだろう・・・
2009.8.22(土) 「息子の想い(宣言)が叶う」
小5のサッカー大好きな息子は、センターバック(守備)のポジションであったが、1週間ほど前、チームのコーチに「フォワード(
攻撃)のポジションをやりたいので、次回の大会でチャンスをください」と、自分から想いを伝えたようだ。普段は大人しく穏やかな(
私とは違う?)息子が積極的に自分の想いを告げたことで、コーチにそのやる気を尊重してもらい、今日は初めてフォワードとしてピッチ
に立てることになったのだ。一試合目は緊張していたが、きれいなヘディングシュートを決めてから、調子づいてきて、予選一位を決定
する試合では後半の最後に1点を決めて1−0で勝ち、チームから賞賛されて大喜びだった。小5の息子は、朝早く起きて自主的に走った
り、サッカーで使うシューズを磨いたりする上、神社参拝もよくするので、おかげ様から好かれているのだろうか、ここ一番というときに
運が強いのだ。人生もやってみたいことがあれば、あれこれ悩むより、やると宣言して行動を起こした方がよさそうだ。
2009.8.21(金) 「伝説のスプリンターが示す数メッセージ」
世界陸上ベルリン大会で100m、200mで世界新記録を出したボルト選手の走りは、とにかく凄かった!ところで、そのボルト選手の
誕生日は今日8月21日だ。そして今回の100m、200mで自身の世界記録をともに0秒11ずつ縮めている。誕生日の数8・2・1
をたすと11。縮めた秒は0秒11。また、200mのタイムが19秒19で、19はたすと1+9で10となり、1+0は1で、やはり
1、1と並ぶ。また2009年8月をたすと、何と19だ。そして順位はもちろん1位。ボルト選手にちなんだ数が11と19(1)
なので、勝つことがシナリオにあったかのようにも思えたのと、人類へのメッセージ性も感じた。つまり、1が2つあるのは、
↑が2つあることを示し、今後、価値観や状況が二極化していくことと、そのスタートが今、始まったことを示唆しているようにも
思えたのである。
2009.8.20(木) 「新月のうぶすなメイトご祈祷」
新月の度に揺れ動いた自分を真ん中にし、仕切り直して新たな気持ちでスタートをすることは、不運に陥らない効果的な習慣である。
最近は、世の中も不安になるような変化の兆しが起こっており、どう対応するかが問われているが、こんなときこそ、自分は生かされて
守られていることを意識して、おかげ様に心を向けて手を合わせることは、安心を得て本来の自分を取り戻すためにもとても有効な
手段であると信じている。本日のうぶすなメイト「おかげ様ご祈祷」は、後ほど時間をかけて行ったので、いつも以上にお祓いができて
いるように感じた。もし、メイトの方で何か感じられたり、体験された方がおられましたら私の方までご連絡くださいませ。
2009.8.19(水) 「自分の排泄物に感謝しよう」
排泄物というと、汚いイメージがあるが、自分の出したものを汚いといえば、出した自分も汚いものになる。汚いと感じる気持ちと
きれいと感じる気持ちは自分の思い込みが決めたもので、うんちはただ身体の中で消化して変化しただけである。汚く、避けたいものと
してとらえていると、上手く循環できず、滞って便秘がちにもなるものだ。自分の排泄物には出るたびに「健康を守ってくれてありが
とう」と、言い、出させていただいているトイレにも感謝してきれいに磨くようになると、出した自分も感謝される存在になり、循環が
よくなるので健康になり、不思議にお金の循環もよくなるので、お金に困らなくなってくる。排泄物とトイレに感謝しよう!
2009.8.18(火) 「神式のお葬式(神葬祭)」
昨日と本日、神式のお通夜、お葬式(神葬祭)の副祭主としてご奉仕させていただいた。祝い事は神社で、お葬式は寺院というのが
日本人の常識になっているが、神式のお葬式や仏式の結婚式もあるのだ。ただし、神道では死は穢れの意味合いがあるので葬式は
神社では行えず、「忌」の期間は家族の神社参拝も控えることになっている。そのあたりのこともあって、神職とお葬式は結びつか
ないのだろう。お経に代わって祝詞をとなえ、玉串を奉る。ただ神葬祭では、祝詞とは言わず、たとえば、通夜祭詞と言う。
それにしても仏式に比べて神式のお葬式はなぜか明るく感じてしまうのは私だけだろうか・・・
2009.8.17(月) 「分けるよりつながる心がけで幸せ気分」
正しいという判断は、立場によって変わるものである。「〜しなきゃいけない」というのもその人のそのときの価値観である。
この世の中、何をやっても肯定する人もいれば、否定する人もおり、批評や分類や裁きの波動が渦巻いている。分けることは効率的だが、
時には対立を生むこともいがめない。裁くのではなく、違いを尊重することを私は大切にしたい。目の前に起こることも否定も肯定もせず
、ありのままを受けとめて、つながる想いをもって行動した方が、楽しいし、心地よいものだ。
2009.8.16(日) 「お盆に活躍する仏尊さま」
私の好きな仏尊さまは「地蔵菩薩さま」と「不動明王さま」である。お盆にはたくさんの霊がやってくるが、その中でも地獄に落ちている
霊たちを自ら地獄の池に飛び込んで笑顔で抱きかかえて助けるのが「地蔵菩薩」であり、本当は慈悲の心で溢れているのにも関わらず、
顔は憤怒の形相で地獄にさまよっている霊を懸命に救いに行くのが「不動明王」である。如来さまは、上から光をあまねく御存在だが、
菩薩さま(特に「地蔵菩薩さま」や「不動明王さま」)はいわゆる下界の地獄のような現実に自ら降りていき、善も悪も抱き参らせて
救っていく現場派の仏尊さまである。この人間臭さが好きなのだ。今後は、裁いて選りすぐりを残す世界も必要かもしれないが、一見ダメ
人間に自信と尊厳を与えて、元気と本質を輝かせていく世界はもっと必要であるように感じている。
2009.8.13(木)14(金)15(土) 「お盆は今を感謝するとき」
お盆の時期は、今、有難く生きていることに改めて心を向け、自分のルーツをはじめ、あらゆることに感謝するには一石二鳥の効果がある。
なぜなら、お盆は家族はもちろん、ご先祖様もあの世から帰省されて一緒にくつろがれているからである。ご先祖、両親、子ども、兄弟親
戚、縁ある人々のおかげ様で自分は今ここに存在できるのである。それだけでも十分有難いことである。そして、感謝とともに自分を労い、
自分にご褒美を与えることもお勧めだ。楽しむことを優先して自分を喜ばせてあげよう。今の自分が満たされると、優しい気持ちになれる
ものだ。それでも優しくなれない時は、今の自分をただ許し、愛してあげよう。それと、どうにもならないことは、どうにもならなくて
いいのである。ありのままを受けとめて、今できることに最善を尽くしていると、何とかなるようになるものなのだ。おかげさまで、私も
兄弟家族と笑顔で語らい、カラオケで歌い、お墓参りの後はおいしいものをご先祖様にもおすそ分け?して、分かち合っていただいた。
今年も有難いお盆である・・・
2009.8.12(水) 「おいしく食べて会話を楽しむ」
教師をしていた頃の同僚・保護者と、ふとしたご縁からちょっと贅沢なランチを一緒に楽しむことになった。お互い5年前と変わって
おらず、若さを保っていることを褒めあい、お互いを賛美すると、一気に盛り上がり、笑顔になる。さらに、おいしい食事を目の前にする
と、益々饒舌になり、話も弾む。昔というか、数年前に懸命に生きていた頃のことが、会話を通じて鮮やかに蘇ってくるのが懐かしく、
そして心も若返っていくのが心地いい・・・ご縁に感謝である。
2009.8.11(火) 「お墓参り」
お盆の墓参りを毎年早めにしているのは、父方・母方とも姫路出身なので、車や人で込むのもあるが、早めにお墓を掃除してお花を始
めにお供えできれば、気の早いご先祖さまも安心されて、お喜びになるのでは・・・と感じるからである。また、今日は母方の祖母の
命日になっているので墓参りにはピッタリでもある。私の父・母の祖父はともに宮司と禰宜の神職で、縁あって同じ神社「魚吹八幡宮」
に奉職しており、その神社が父の産土神社にもなっているので、お盆は墓参りとセットで参拝するようにしている。ふるさとの地に行くと、両親は昔話に
花を咲かせ、上機嫌になる。今日は両親と私でルーツの地を訪れたことでふるさとパワーがいただけ、有難い一日であった。
2009.8.10(月) 「大阪一の宮めぐり」
全国一の宮駅伝を実施されている「柴村隊」が大阪の一の宮にやってこられるということで、自称「なにわの神さま応援隊長」の私も何か
のお役に立てれば・・・と参加させていただいた。雨の中、燦然と輝く「枚岡神社」(河内国一の宮)、参拝後に千木に鳥が止まり、
歓迎モードで境内が明るくなった「大鳥大社」(和泉国一の宮)、太陽がお出ましになり、「神さま 天晴れ!」の神社エールで神さま
と人が笑顔になった「住吉大社」(摂津国一の宮)、大阪のビジネス街にご神気が溢れた坐摩[いかすり]神社(摂津国一の宮)の4社に
丸一日かけてのリレー参拝に、どの神社にも100人をはるかに越える参加者がおられ、ビックリした。これでさらに神社の神さまに心を
向ける方が増えたなら、嬉しいことだ。今回、大阪の一の宮は、地元なので大阪の神さまのことを少しでもお伝えできれば、と念じていた
ら、有難くも神社のガイド役をさせていただくことになり、「ついてる」「うれしい」「感謝してます」の一日となった。おかげさまで、
ありがとうございます。
2009.8.9(日) 「地震は忘れた頃にやってくる!」
午後7時56分ごろ、東海道南方沖を震源とする地震があった。震源が遠くて深かったので、揺れもたいしたことがなくて良かったが、
今は、大雨や台風の被害が頻繁に起こっており、こういった激しい気圧の変化や雨による地への影響は地震に影響するものだ。昨年は
ジュセリーノさんのおかげで地震のことがマスコミでも取り上げられていたが、こういうときは大地震は起こりにくい。今年は地震に
関しては「どうせ、大きいものはこないだろう〜」と、思われている。こういうときこそ、地震が起こりやすいものだ。起きても被害
や混乱が少なくなるように心の準備はしておいた方がいいだろう。
2009.8.8(土) 「エイトマン」
今回のメルマガは88回目になり、8月8日発行となった。これは作為的ではなく、メルマガを書き終った時点で気がつけばそうなって
いたので「おお〜っ」と感動だった・・・8は昔から好きな数だ。幼少の頃、「エイトマン」という足の速いヒーローアニメがあったが、
なぜかエイトマンが大好きだった。テーマソングは今も鮮明に覚えていて、
当時4,5歳だった私はエイトマンの走る真似をするのが日課だった。そのおかげか、足だけは速くなり、学生時代にはもう少しで100
メートルを10秒台で走れるほどになった。私の眉毛は八の字眉毛で誕生数秘学のエンジェルナンバーも8、山けんの「や」も八である。
別名「エイトマン」と名乗りたいくらいだ。八を称え、八を生かし、末広がりの八になるような生き方にしていきたいものだ。
2009.8.7(金) 「暑い夏を楽しむ」
大阪もやっと梅雨が明け、猛暑がやってきた。8月は昔から「夏休み」とインプットされているので、仕事モードにはなりにくいし、
気分はバカンスの日々を送っている。そして、暑いときこそ一日一回は体を動かして(掃除でも運動でも)汗をいっぱいかいて
シャワーを浴びるようにしている。おかげ様で体の奥からスッキリして気持ちいい・・・血液の循環も良くなって血圧も良好になるし、
筋肉が復活してきた影響か、膝の痛みも消え、体も引き締まってきつつある。ただ食事量も少し増えてきたので体重も若干増えているが
・・・夏バテにはよさそうなので良しとしよう!
2009.8.6(木) 「野菜と果物の区別?」
今の季節、トマトやスイカの赤を食べるのが何とも心地よくて幸せを満喫できる。ところで野菜と果物の認識は学術的なものと一般の
感覚ではかなり違う。茎やつるなどの草本性植物を「野菜」とし、樹木になるものを「果物」とするなら、スイカもメロンもパイナッ
プルもイチゴも野菜に分類されることになる。普通これだと八百屋より果物屋にいくだろう。学術的見解もいいが、私の感覚はごはんの
おかずにするものが野菜で、デザートにするものが果物であると、これからも認識し続けることだろう・・・
2009.8.5(水) 「ゆっくりとゆとりをもつ」
焦ると呼吸が浅くなり、本来の力が発揮できなくなり、あがくと自分を見失い、自滅する。時間にはゆとりを持てるように行動すること
は自分の身を守り、開運する秘訣である。ところが、事情があって遅れてしまうこともあるものだ。そんなときこそ、焦らず、下腹で
呼吸をして、笑顔で普段よりゆっくりと行動することがピンチをチャンスにする極意のようだ。それにいつも遅れない人が
遅れるときは、遅れるようにおかげ様に導かれて守護されているので、できる手を打った上で遅れたことにも感謝である。
2009.8.4(火) 「不動心で感謝・継続できるのがプロ」
神さまに対して始めは姿勢を正し、ご無礼はないかと丁寧に参拝していたのが、だんだん慣れてくると、発する祈り言葉はスムーズ
になっても誠意や真心が欠けてしまうことがある。特に願掛けをしているような人は、願いが叶わないと、参拝すらしなくなる傾向がある。
これは人や仕事に対しても同じである。上手くいっているときは、感謝の姿勢で人に接し、情熱をもって仕事に取り組んでいた人も、
マンネリ化し、気がつけば、人や職場の不満を口にするようになってしまうものだ。プロと呼べる人は、不動の心をもち、足元が安定
している。そして、上手くいかないときに自分への気づきにして、その道をさらに意欲的に継続できる人である。私もこの仕事をおかげ
さまで5年あまりさせていただいているが、まだまだプロと呼ばれる境地には至っていない。今こそ、気を引き締めるときだと感じている
。
2009.8.3(月) 「地愛・自愛・慈愛」
私のうぶすな観を愛にすると3つある。大地を愛し、そこに宿る神仏を尊重し、感謝する「地愛」。自分が生かしていただけるだけの
貴重な存在であることに気づき、自分を精一杯生かし、輝かせ、大切にしていく「自愛」。そして、親が子供をいつくしみ、かわいがる
ようなあたたかさを広げて、ともに分かち合っていく「慈愛」である。この3つはそれぞれ独立したものではなく、つながっていると
いうか、元は同じものでもある。私としては、神道を通じ、大地の神々に触れることで愛を感じる「地愛」をメインにして、少しでも
多くの方にお伝えできるように自分を磨き、高めていきたい・・・
2009.8.2(日) 「セレッソ大阪 天晴れ!」
セレッソ大阪のサッカー観戦の招待が当たり、息子と行ってきた。大阪市の小学生とその親がペアー観戦できる券なので有難い。
長居スタジアムには子どもたちの姿が多かったので、セレッソ大阪の選手にはサッカーの醍醐味を魅せて、子ども達をサッカー好きに
して欲しかったが、その期待に十分応えた素晴らしいゲームだった。セレッソの香川選手や乾選手の果敢なドリブル突破や中盤の
鮮やかなパス、そして3点のゴールシーンはワクワクできて、スカッと爽やかな気分になった。小5の息子は乾選手にあこがれたようで、
守備側から攻撃側に転向したいと言いだした。セレッソ大阪はJ2現在一位だが、J1に昇格できそうな勢いがある。
2009.8.1(土) 「うぶすな健康療法」
今日は芸術の日というか、五感の日だった。昼は屋久島出身のアーティースト「AZAMI」さんのコンサートの祈声を心地よく聴き、
夜はPL花火芸術の音と光を楽しんだ。今は五感というか、体が喜ぶ健康法に心が向いているからか、その方面の最適な情報が得られたり、
メンターが突然現れたりする。今日から始めた実践は、まさに「うぶすな健康療法」にピッタリのシンプルなもので、お金もかからなく
自分でできるオーダーメイドの健康法である。やってみると、体が喜んでいると実感したのと、自分の直観力が冴えてくる感覚がした
のでやってみる価値がありそうだ。これは産土神社にお参りする感覚にも似ている。しばらく試してみたい・・・
2009.7.31(金) 「3キロダイエット達成」
2週間あまり前に体重を3キロ・ウエストを3センチを減らす目標を立てたが、本日早くも達成してしまった。特に食事を制限したわけ
でもなく、特別なダイエットのお茶や健康食品等を使用したわけでもない。したことと言えば、ダイエット神社に参拝し、「〜キロに
なるように心地よくダイエットします」と宣言して、筋トレとストレッチと水泳を無理なくするようにして、冷たいものを控えるように
心がけただけである。それとマメに体重計に乗るようにして、どんなときに体重が増え、減るのかをチェックするようにした。ありがたい
ことに衰えていた体力も日々アップし、膝の痛みや血圧まで改善されてきた。おかげ様のおかげさまも感じている。しばらくは健康オタク
になりそう・・・
2009.7.30(木) 「体の声を聞いて健康に心を向ける」
夏になれば、クーラーの効いた部屋で冷たいものをゴクゴク飲みたくなるものだが、これは体を冷やし、免疫力を衰えさせてしまう
ことになるようだ。体温が一度下がると、体の機能の働きは弱まり、がん細胞は増え、更年期障害、老化現象は加速するようだが、体の
冷えは夏に起こりやすく、ひと夏のすごし方でその後の健康に大きく影響を与えることは間違いなさそうである。ここ最近は体の声を聞
くように心がけているが、そうすると今まで冷たいものを一気飲みしていたのが、「これは体が嫌がっている」と感じ、ゆっくり口で温
めるようにして飲むか、あたたかいものを飲むようになった。冬はもちろんのこと、夏も体温を下げず、むしろ上げるくらいが夏バテ
もせず、健康でいられる秘訣ではないかと感じている。
2009.7.29(水) 「人を変えることはできないのか!?」
「人は本人が変わろうと思わない限り変わらない。人を変えるなど不遜である」と、最近よく言われているが、そんなことを教師が当たり
前のように言っている世界は寂しいし、逃げではないかと思ってしまう。確かに人を変えることはできないかもしれないが、教師が子ども
を叱り飛ばして「お前はやればできる!今日から変わるんだ!!」と、迫るのも悪くないのでは・・・もっと素晴らしいことは、教師が
輝いて「あの先生、凄い!カッコイイ!」と、憧がれる存在になり、自分も変わりたい!と思わせてしまうことだろうか・・・
2009.7.28(火) 「大自然の祓いを感謝しよう」
梅雨明けしない地方も多く、全国で集中豪雨や竜巻まで起こっているが、それが今の日本には必然であり、水や風の祓いが
必要なのである。もちろん災害は起こって欲しくはないし、被害を受けられた人には救援を祈るばかりだが、今は起こる時期であり、
起こる要因を私たちがつくっていることも認め、反省する謙虚さをもち、大自然の雨・風の激しい祓いにも嘆くのでなく、死なずに
生かされていることを有難く感謝できる心境になりたいものである。
2009.7.27(月) 「ピンチは受けとめ方で開運に・・・」
生きていると、ショックなことも起こるもの。ある人は「どうしてこんなことになってしまったんだろう・・・」と、過去に心が
向き、ある人は「どうしたら今を乗り越えてよくなるだろう・・・」と、目の前のことを受けとめて何とかしようとする。前者は、
後悔と先の不安で今がおろそかになり、さらに状況を悪化させ、後者は、今の現実を直視しているので問題解決に集中でき、未来
を切り開くことになる。そして、もうひとつは、「自分があがいて心のコントロールができず、人のせいにしようとする」か、
「どうすれば自分が平常心でいられるかを考え、言い訳しない潔い対応ができる」か、の違いもピンチに強くなれるかの鍵を
にぎっているようだ。
2009.7.26(日) 「家族の試合観戦」
息子の中学校がサッカーの大阪府準々決勝に進んだので試合観戦してきた。芝生のきれいな高槻総合スポーツセンターの陸上競技場で
試合を観させてもらえたのは有難かった。試合は0対0の引き分けでPK戦で惜しくも負けてしまったが、ワクワクする場面がいっぱい
でとっても楽しめた。特に嬉しかったのは中二の息子が三年生に混じって後半15分間、試合に出してもらえたことである。
芝生の競技場で惜しいシュートも一本打てて本人には大きな励みになったようだ。続いて、妻のママさんバレーを観戦、この試合も決勝
で負けてしまったが、妻がボールを懸命に拾おうとする姿は何としてもボール(珠)を生かし救う菩薩のようで素晴らしかった。ボール
を媒介にしてつなぎ、みんながひとつになる球技は改めて人間を磨き、成長させる神聖なものに思えてきた。今後も家族の試合観戦に応援
にいくつもりだ。
2009.7.25(土) 「竹生島・多賀大社ツアー」
マヤ暦では7月25日は「時間を外した日」とされていて、マヤの大みそかでもある。時間が外されているので三次元にいる我々が時空
間を超えて自由に旅することが可能となり、ルーツと自分の本質が輝く日でもあると言われている。この時を超えて旅ができる日に、
私からみれば、龍宮城のような琵琶湖の竹生島に行って、神仏とじっくりと交流できたことは我ながらすばらしい企画のツアーであったと
思っている。近江国一の宮「建部大社」では核になるお社に参拝してツアーの無事を祈った後、竹生島行きの船上で涼風に当たりながら
心地よくランチをして、竹生島に着けば音のない清めの雨が降りだす展開となった。龍神さまから竹生島神社、宝厳寺の神仏にじっくりと
感謝とご開運のお祈りをさせていただいたが、やはり水の神「弁天さま」には慈愛の優しい雨がピッタリでしっかり心と体に沁みこんで
いくのだった・・・その後の胡宮では琵琶湖に縁にある〜の歌を参加者一同で歌い、歌の奉納?もさせてもらった。すると、雨がやみ、
太陽がお出ましになり、一同感動!そこで有難くみんなで日拝をすることに・・・最後の多賀大社は清めの雨の後だったこともあり、
境内はピカピカで清清しく、豊かさを感じた。さすが近江商人の土地柄である。寿命が20年延びるご神徳があるそうだが、現実はいかに
・・・
2009.7.24(金) 「上手くいかないときにわかるもの」
おかげさまで、友人・神社リサーチした方から近況報告や相談の電話をいただき、ともに喜んだり、悲しんだり、アドバイスさせて
もらえたりできることがとっても嬉しくてありがたい。人の優しさが身にしみるときは、上手くいかないとき、悲しみや苦しさを乗り
越えようとしているときが多い。調子にのれないとき、上手くいかないときは、自分に関わる人の正体?がよく分かるし、自分の本気度も
どれくらいあるかがわかるものだ。自分に起こることには何一つ無駄はない・・・
2009.7.23(木) 「穏やかな琵琶湖」
25日の竹生島・多賀大社ツアーの直前下見に行ってきた。彦根港から竹生島までの40分のクルーズは真夏だからこそお値打ちだ。
船に乗って風に当たると、その広大さは海のようだが、潮風でなく、湖風なのでさらっとしてとっても心地よい。竹生島は涼しくて、
穏やかでずっと居たくなる異空間だった。おみやげ屋のおばちゃんが「おにいちゃん、お茶飲んでいき・・・」(みんなに言っていたり
して)と、若く言ってくれたのが嬉しかった。「また、明後日、来るわ!」と、竹生島を後にした。多賀大社とセットになっている
胡宮神社にも参拝して、本ツアーでも寄ることに決める。気になっていた場所や時間的なことも下見をすることで目安が立てたので
当日は竹生島行きの船さえ出てくれれば上手くいきそうである。
2009.7.22(水) 「皆既日食のご褒美?」
大阪では11時すぎに欠けた太陽が見えやすいということだったが、11時前はかなり曇っていた。私は特に日食がみれる期待もせずに、
神社連続参拝最終日(21日目)に小5の息子を連れて出かけた。玄関を出ると、暑くなく、いつものセミや鳥の鳴き声もせず、静かだ
ったが、神社でも静かで海の凪のような感じがした。最後に産土神社で21日間参拝できたことに感謝して祈り終えたとき、息子が
「お父さん、太陽!」と言うので、見上げると、雲の隙間から突然、太陽がお出ましになったのだ。そして、30秒ほどしたとき、
ちょうど雲がまぶしい光を抑えてくれ、見事な三日月形の日食の太陽が現れた!専用のグラスも持っていなかったので、肉眼ではっきり
見えたことに親子共々大喜びだった。21日参拝の最終日の最後に日食が親子でみれるという幸運をいただいたので、改めてご本殿で
感謝のお参りをして帰路についた。おかげさまで、その後のうぶすなメイトのお祈りも心地よくさせていただいた。ありがたし・・・
ありがたし・・・
2009.7.21(火) 「ダイエット順調」
一週間前にダイエットを宣言し、3キロ減量する目標を立てたが、すでに体重は2キロ減り、ズボンのバンドの穴の位置がひとつ移動した。
おかげさまでお腹の調子もよくなったので、普通食に戻している。今後の食事は腹八分目を心がけ、冷たいものをがぶ飲みしないように
し、運動も少しずつ増やしていくつもりである。明日の日食新月までに体調が戻ったことがありがたい。これで11時頃の日食を味わい、
12時のうぶすなメイトのご祈祷も万全にできそうなので楽しみだ!
2009.7.20(月) 「50歳からは、努力で若返る?」
50歳を過ぎれば、若さを保つのは努力と生き方である!と何かで言っていたが、郷ひろみさん(54歳)や京本正樹さん(50歳)など
をみると、うなづいてしまう。きっと日々のトレーニングと美しく魅せることへの努力を継続してきた結果なのだろう。私もこの間50歳
になってから、10歳若く見えるような生き方と努力をしてみようか?という気持ちになっている。まず食事量を減らし、運動不足を改善
して、元気と感謝の言霊を使い、自分をいたわり褒めながら、向上心を持ち続けたいと思っている。
2009.7.19(日) 「お粥がありがたい・・・」
体調は回復に向かっているが、食事はシンプルにお粥をいただいている。お腹の調子が不調になったおかげで、粥のおいしさ、お米の
パワー、あったかさ、粥の上澄みの重湯でのどの渇きがおさまる、気持ちが楽になるなど、たくさんの発見と感動があった。梅干を入れ
た日の丸粥?を食べていると、日本人に生まれてきてよかった!と、涙ぐんでくる・・・多目の食事を当たり前のように食べていた自分を
反省し、食を慎み、粥の素晴らしさを教えていただいた神さまに感謝である。
2009.7.18(土) 「7月は大いなる変化の月」
7日の七夕と満月のエネルギーもすごかったが、22日の新月と皆既日食のエネルギーも格別なものになりそうである。これは天気が
晴れているいないに関わらず変化をもたらすものだ。古事記で天照大神が岩戸に隠れる話は、日食を表しているとも言われているが、
月と太陽が重なることは、陰と陽のエネルギーが同時に起こることであり、闇と光も同時に見えることでもある。今まで闇だったものが
光となり、光だったものが闇になるかもしれない。私としては今までの価値観が変化するそのキッカケの日食になるような気がしている。
7月は私の誕生日も含めて変化の大波についていくための浄化現象が私の体調に表れているような気もしている。
(考えすぎや!ただの食べすぎやて・・・)
2009.7.17(金) 「腹八分目」
ダイエットをしているにもかかわらず、昨日、ちょっと?暴飲暴食した結果が現実となってやってきた。朝からお腹が痛くて下痢が続き、
一日中、お粥しか食べられなくなってしまった・・・お腹に力が入らないし、そらみたことか!と、体が怒っている感じだ。それでも連続
神社参拝は雨の中、何とか終えた・・・普通なら下痢はしなかったような気がするが、「ダイエットします!」と宣言してから、たった二
日目で食べ過ぎたので、神さまや体が愛想をつかし、私を懲らしめてくださったのだろう・・・そう考えると、ダイエット神社の神さまは
改めて有難くてすごい!と感じた。とにかく腹八分目が大切である。
2009.7.16(木) 「おやじの会」
息子の中学校のPTA役員の男だけの飲み会に誘われて、料理を嗜みながら語り合ってきた。わが子について、学校教育について、
ラグビー、陸上、国旗と君が代、政治など、おやじたちは熱く語ることで今を楽しみ、盛り上がった。私は酒が弱いので、その分、多く
食べ過ぎてしまうのだが、今回は酒も料理もかなり多めに摂りすぎたようで、体に負担をかけてしまった・・・さて?どうなることやら
2009.7.15(水) 「尽くすことの難しさ」
尽くすとは、何かのために献身的に努力することだが、自分の思い込みや尺度だけで献身的に行動してしまうと、相手によかれと思うこと
を押しつけてしまい、これだけ尽くしているのに・・・と敵意さえもつようになる。誠意や好意でやっているご奉仕が、ありがた迷惑や
ストレスになり、お互いに毒を溜め、不幸にしてしまうこともあるのだ。本来の尽くすとは、その相手をよく観て、相手が尊重している
価値を応援することであり、自分よがりにならず、多面的な観方で本質を見抜く力も備わっていることではないだろうか。尽くすことの
できる人間になりたいものだ・・・
2009.7.14(火) 「ダイエット神社」
本日、血液検査の結果を診ると、内臓等には異常はなかったが、中性脂肪が基準値をかなり超えていた。そういえば、ウエストもメタボ
基準値ラインを超えようとしているので、これは誕生日後から生活習慣を改め、健康に心を向けよ!というメッセージだと受け取った。
と、いうことでダイエットをすることに決めた。目標は2ヶ月で3キロ減量し、ウエストを3センチ減らすことだ。具体的には、
運動と食事を改善し、ここからが画期的?・・・おかげ様に後押しいただく、ダイエット神社に参拝することだ。面白いのは、産土神社や
鎮守神社ではない神社がダイエット神社になることだ。妻もやりたい!と言い出し、明日からダイエット神社にお参りしてから、ダイエッ
トをすることに・・・これが成功したら、ダイエット神社リサーチをHPにアップしようと思っている。
2009.7.13(月) 「生かしていただいたことに感謝と恩返し」
ついに大台にのった記念すべき誕生日が今日である。私の生まれた日はとにかく暑かったらしく、その後も記録的な暑さが続いてアセモ
に悩まされたそうだ。振り返ると、今まで熱く汗する人生を歩むことができたのは、夏生まれの宿命なのかもしれない・・・それにしても
あっという間の半世紀だった。気持ちの上ではまだ二十歳そこそこだが、わが子の成長ぶりをみれば、「おやじ」であることを認めざるを
得ない。産土神社に参拝して感じたことは、生かしていただいている以上、縁ある人たちのお役に立ち、喜んでいただける自分でありたい
ことだ。その中でも特に学び合えるのは家族である。今後も感謝をしつつ、恩返しをしていきたい・・・
2009.7.12(日) 「6人乗り太鼓台25年ぶり復活」
今年のわが氏子地区の夏祭りのメインイベントは神社に眠っていた「6人乗り太鼓台の復活」だった。祭りでこの太鼓台に乗ることが
夢だった少年たちは、その夢は途絶えたまま、今は三十代半ばを越えてしまったが、今回は担ぎ手として25年ぶりに参加し、嬉しくて
感慨無量の涙を流しておられた。今回そんな事情の中、神社でその太鼓台と乗り手、担ぎ手も含めて100人強を、私が出発前にお祓い
をさせていただけたことが嬉しかった。つい腹の底から気合が入り、わっしょい風祝詞奏上?となってしまったようだが、自分では
とても手ごたえを感じた。太鼓台が鳥居をいよいよ出ようとするとき、力強い太鼓と躍動する鐘、地車囃子、獅子舞と笛とともに踊る
子ども達、担ぎ手の掛け声とそれを見守って拍手を送る氏子たちが一体となる。これぞ祭りである。人でいっぱいなのにその空間はご神気
に満ち溢れていて清清しいのだ。やくざ風のオヤジからヤンキー少年少女、品のいいお年寄りや親子連れまで、みんな違和感なく祭りを
楽しみ、応援している・・・だからこそ神さまが喜び、降りてこられるのだ。
2009.7.11(土) 「子どもの参拝、神さまは歓迎?」
今日は夕方から夜にかけて神社の拝殿で神職としてお神楽の受付をしていたが、嬉しかったのは浴衣を着た小さな子ども連れの親子参拝
が多かったことだ。小さな子が手を合わせてお祈りする姿は見ているだけで元気がもらえる。つい可愛い姿を目にすると、私はニコニコ
して子どもに手をふったり、おせっかいにも参拝の見本をしてみたりして楽しくサービスをしたくなるのだ。なるほど、神さまはきっと
こんな気分になるので子どもが好きなのかもしれないと思った。明日は祭典も含めて丸一日、神社でご奉仕だ。
2009.7.10(金) 「神社での祈り」
神社参拝にもいろいろある。願いの祈りもあれば感謝の祈りもある。ただそこにいるだけで心地よいから・・・という参拝もある。
どんな参拝もいい悪いはなく、その人の祈りから発している心根と誠に応じたものだけが返ってくることは間違いなさそうだ。
今の状況を否定して、自分の都合で要求する祈りは暗くて重いので、神さまも受け取りにくいが、今を感謝する祈りや反省の祈りは
明るくて、自分の思いが軽くスッキリしているので、神さまはすぐに受け取られ、応援されることになるようだ。
2009.7.9(木) 「梅雨はありがたい」
雨はうっとしい・・・といわれるが、世界では雨が降らずに砂漠化して、数キロも離れた場所に水汲みにいくのが女性や子どもの
仕事になっている国がたくさんあるのだ。日本は海に囲まれ、山は緑におおわれ、あらゆる方向から湿気を帯びた風が吹くので、
雨をもたらし、水に不自由せずにすんでいる・・・このことは世界的に観て奇跡のような国であるようだ。また、神仏は水そのものと
いっても過言ではないほど、水が豊富で清らかな場所に神仏は宿る。そう考えると、梅雨は慈雨であり、降れば不機嫌になるどころか、
手を合わせて感謝して喜んだ方がよさそうだ。
2009.7.8(水) 「時代は、尊重と調和の流れに・・・」
節日で満月の7日が明けた8日、ご縁をいただき、六甲山の頂上近くの「六甲山神社 石の宝殿(白山の宮)」に有難く参拝させていただ
いた。ご祭神は菊理媛(くくりひめ)神であり、ククリヒメの「くくる」は繋ぐ働きであり、調和・統合を意味しているが、参拝中、
雨と晴れが同時に起こり、太陽と大地の両方からくる素晴らしいご神気にしばらく涙がとまらなかった。このとき、今後の時代は、
優劣や良し悪しを決める時代から、あらゆるものを尊重して調和していく時代に移行していくことをハートで感じさせていただいた。
2009.7.7(火) 「満月の七夕」
7といえば「ウルトラセブン」が思い浮かぶ(年がばれる)が、七夕、北斗七星、七曜星・・というように7は宇宙とつながりが深い。
三次元では、7は一週間や初七日といったサイクル(周期)を示しているが、今日は、七夕と満月が重なったことで陽のエネルギーに
溢れている。今後、周期が変わり、しばらくはあらゆることが表面化しやすいので、兆しを感じて慎重に行動した方がよさそうだ。
2009.7.6(月) 「元にもどすクセをつける」
教師をやっていた頃、子ども達が席を離れるときはイスを机に入れ、教科書を片付ける習慣をつけるだけで、授業態度が改善し、成績も
上がることを学ばせてもらったが、元にもどす習慣がつくと、使ったものの力が発揮できて運(ツキ)もよくなるようだ。「トイレのふた
を閉める」「洗面所の鏡をきれいにする」「リクライニングシートを元にもどす」「使ったグラウンドをきれいに整地する」・・・など、
片付けたり、元にもどす動作に、使ったものに対する感謝と敬意の心が顕れるところが、運をよくする要因にもつながるのだろう・・・
2009.7.5(日) 「神社参拝のおかげさま」
一番上の息子はこの4月から社会人になって日々クタクタになりながら働いているが、そんな中、営業で使用しているガソリンカード
を紛失してしまい、会社に始末書を書かねば・・・と落ち込んでいた。二番目の息子も中学校に提出する書類が見つからなくて困って
いた。ところが、上の息子は始末書を提出しようとしたとき、カードが出てきたという連絡が入り、始末書は不要になって助かり、
二番目の息子もベッドの隅から書類が出てきて期限に間に合ったのである。まさに、おかげ様の御蔭さまである。
2日より始めた「家族を守護し、成長を後押しする神社連続参拝」の成果がここに顕れたと、私は信じている。
2009.7.4(土) 「山けんと行く近畿日帰りツアー」
やっとメルマガが発行でき、近畿日帰りツアー(三本立)のちらしもホームページにアップすることができた。6月から7月にかけて
なかなか仕事がはかどらなくて足踏み状態であったが、やっと抜け出しつつある。7月は私の誕生日もあり、今後、新たな気持ちで
初心に戻って有難く仕事をさせていただきたいと思っている。今回企画した地元の近畿の日帰りツアーは、昔から私のお気に入りの
場所であり、大阪が猛暑でも涼しく清清しく神仏の有難さを感じられる聖地(琵琶湖は暑いかも)を選ばせていただいた。ツアーで
行く「琵琶湖竹生島・多賀大社」のことは今回のメルマガの記事に載せているのでご覧ください。
2009.7.3(金) 「結果は出すものでなく出るもの」
仕事をしていると、結果を求め、求められるようになるが、結果は思ったようになることもあれば、ならないこともある。結果を
出さねば・・・と意気込んでも、結果は原因に応じて起こることなので、どんな原因の種をまいているかが問題なのである。結果に
一喜一憂するのではなく、今の結果はただ受けとめて、結果をヒントに次のとっておきの原因を創り出していくことにエネルギーを
注いだ方がいいだろう・・・
2009.7.2(木) 「神社連続参拝」
本当なら先月に出す予定だったメルマガを7月1日に出す予定だったが、まぐまぐさんが1日〜3日までメンテナンス中ということ
で4日になりそうだ。そのおかげか?近くの神社三社を今日から21日間連続参拝する気持ちになった。産土神社や鎮守神社という
分類の仕方があるが、今回はさらに自分の目的に応じて、それぞれの働きのある神社に連続参拝してみることにした。たとえば、ダイエッ
トするのに適した神社(ダイエット神社)をリサーチし、連続参拝をして、同時にダイエットもしていくのである。今後、働きに応じた
神社参拝のバリエーションを増やして目標達成につながる開運法をあみだしたいと思っている。
2009.7.1(水) 「ゴキブリとクワガタ」
見た目はそれほど違わないのに、片やスリッパで叩かれ、片や高値で取引されるゴキブリとクワガタ。どちらも元々は森に住んで腐っ
た葉や樹木を分解してくれる昆虫だったが、数種類のゴキブリが人間の近くに住むようになり、残飯やごみをあさり、フンをばらまき、
どんどん繁殖して生きるようになったのだ。一方、クワガタは人間に近づくことなく、森で生活し、餌は樹液や果物を好み、顎や
角をもち、毅然として生き続けている。逞しさや適応力ではゴキブリの方が上だろうが、そのかっこよさ、どこにでもいない貴重価値、
衛生状態、堂々とした動き(ゴキブリの速さが不快)からみても、ゴキブリがクワガタより好まれる要因はみつけにくい。昆虫としては
差がなく、いのちの価値は同じかも知れないが、同じ生きるならコソコソしたゴキブリ人生ではなく、毅然としたクワガタ人生を
私は歩んでいきたい・・・
2009.6.30(火) 「本日は前半の大晦日」
今年前半が終わろうとしている。あっという間のようで中身の濃い、学びの多い半年間であった。今日は前半の大晦日で明日の後半の
お正月を気持ちよく迎える準備の日でもある。そのためには溜まったツミケガレをスッキリさせておくのがよさそうだ。今日の激しい
雨はお祓いとなり、有難く水に流してくれそうである。この半年間に感謝して手を合わせ、明日からの後半の夜明けをあたたかく
迎えたい。
2009.6.29(月) 「餃子の王将」
「深いいい話」で「餃子の王将」のことが話題に上っていたが、私も若い頃は(今でも)嬉しいときも辛いときも王将の餃子を食べて
英気を養ってきたので、うなづきながら観ていた。王将には店のマニュアルがなく、店長独自のメニューやユニークなサービスがあるのが
特長だ。中には学生だと30分皿洗いをすれば食事代が無料になる店とか、子どもが似顔絵を描いてくれば餃子一人前が無料になる店とか・・・
店の裁量に任されているところが面白い。私も前々から店によって味もメニューも雰囲気も違っているところが気に入っていたが、
これからはチェーン店も創意工夫と独自性が大いに生かされる時代が到来することだろう・・・
2009.6.28(日) 「サッカーは暑くて熱い」
息子の中学校のサッカー(地区代表を決める)大会を暑い中、一日観戦していたが、一番熱いのは監督(指導者)だった・・・
私も20年前は土日はサッカー指導に明け暮れていたので、熱くなる境地は手に取るように分かるのだ。作戦を立て、チームの士気を
高めて練習してきた成果を当日発揮できることはワクワクドキドキの世界で本当に楽しく面白い!また、生徒への声のかけ方ひとつ
で実力を120%発揮して予想以上の結果が出たりすると、もうやみつきになってしまう(笑)今日はそのときの感覚を思い出して
監督目線で観ていたが、試合の先の流れや予想が当たっていたので嬉しかった。ただ、あの暑いグラウンドに立って指導する
気力と体力はもう湧いてこない(神社なら何社でも回りますが・・・)
2009.6.27(土) 「マイケルジャクソンさん死去」
マイケル・ジャクソンといえば、史上最も成功したエンターテイナーだが、その50年の半生は人間としての生き方についても考えさ
せられた。成功と名誉を若い頃から手にしている反面、容姿のコンプレックスや自分の存在に心から満足できない面があったようで
度重なる整形手術や児童虐待等、その素行は常軌を逸していたようだ。マイケルジャクソンさんの死は、人々に感動を
与えることの素晴らしさと同時に、ありのままの自分を好きになれないと幸せにはなれないことを教えてくれているような気がした。
2009.6.26(金) 「安息日でリフレッシュ」
自営業や経営者として仕事に関わっていると、どこまでが仕事でどこまでが休みか境界線が分からないものだ。いつも仕事のことが
頭にあるが、仕事そのものが楽しいので、遊んでいるといえば、遊んでいるのかもしれない。そんな中、息を安らかにしてゆったりと
静かに自分の内側と向きあえる日(安息日)や時間があると、とてもリフレッシュできる。今日、安息日にしたおかげで現在の自分
の立つ位置と今後の方向性が確認できたので、とてもスッキリした。進むことと同じくらい止まって左右さらに全体を見渡すことは
大切なことである。
2009.6.25(木) 「苦と楽は表裏一体だ」
禅問答にこんなのがある。「人生に楽しみをもたらすものは何か」・・・「苦」 「では、苦しみをもたらすものは何なのか」・・・「楽」
苦しいときは学んでいることが楽しみとなっていき、楽していると甘えが不満となり、苦しさをもたらす。苦しめば、また学んで
楽しみになる。大切なことは、目の前に起こることはすべて成長のための現象だということだ。運がいい人は、得意の時にも
浮かれもせず、失意の時にもしょぼくれない、とらわれない心を身につけているようだ。
2009.6.24(水) 「トルコキキョウと白」
お気に入りの花屋さんで、榊を買いに行くと、白いトルコキキョウの花が目に入り、その清楚さと華やかさに惹かれ、思わず買って
しまった。花瓶に入れて飾って眺めていると、幸せな気持ちになり、心も洗われてくる。元々白が好きで、クルマも自転車も白だが、
なぜか今は特に白が癒されて落ち着くようだ。白装束で塩、白米を供え、白いソフトクリームを食べるのが心地よいのだ。ちなみに
パンツは赤で腰を冷えないようにしているが・・・そんなこと聞いてないって!すんません(笑)
2009.6.23(火) 「新たなスタート」
今まで日が長くなっていたのが、夏至を過ぎると日は短くなっていく。夏至は陽の極みであり、変化のときである。大自然での変化は
人間社会にも影響が出るものだ。つまり、夏至の頃は今までの価値観が変わるような出来事や自分への気づきも起こりやすくなるのだ。
この時期は変化についていけず、とまどいやストレスも抱えやすくなるが、反面その変化を受けとめて自己変革すると、大きく成長でき
る絶好の時期となる。私も今はとまどいながらも、できるだけ思い込みを外して、シンプルで質を高める方向を目指し、新たなスタート
を切ろうと思っている。
2009.6.20(土)21(日)22(月) 「軽井沢・群馬・山梨の3日間」
夏至の軽井沢はとっても心地よかった・・・特に野菜がおいしくてうさぎになった気分?だ。セミナーではおかげ様と自分を明るく・
軽く・輝かせる方法(参拝法)の話を熱唱付き(もしかして迷惑?)で聞いてくださり、感謝の気持ちでいっぱいだ。参拝で感じたことは
、浅間神社といえば、美人で誉れ高い「コノハナサクヤ姫」が思い浮かぶが、浅間と名のつく神社であれば、そのお姉さんである「イワナ
ガ姫」も陰陽セットでお働きされているので心を向けた方がよいということだ。そのことで、自分の中のいさぎよさとゆるぎなさの両方
の働きも活性化することだろう。熊野皇大神社は、霧が何とも心地よくご神気に包まれた中、お祈りするたびにウグイスが健気に鳴き続け、
我々と一緒に祈り詞を唱えているかのようだった。そして参拝が終わると同時にぴったりと鳴きやんだので「やはりそうだったのか・・・」
と一同が納得?だった。翌日の群馬ツアーは、午前と午後とでは対照的な参拝となり、雨と晴れ、怒りや悲しみと喜びや楽しみ、
闇と光の部分の両面を味わい、気づかせていただけた貴重な参拝となった。参加者が一番盛り上がったのは榛名神社境内にある「みそぎや
」というお店の名物「みそこんにゃく」や「きゅうり」をおいしくいただいたことかもしれない。この店で食べると、水の音と神社の清清
しさとみそでみそがれて幸せになれまっせ!3日目は甲斐国一の宮の「浅間神社」に縁ある方と一緒にお参りさせていただいたが、
ここでも雨から始まり、じっくりと神社でエールや祈りを続けると、境内が明るく・軽くなり、最後に本殿でご挨拶するときには太陽ま
でお出ましになられ、嬉しい参拝となった。おかげさまで、おいしく、清清しく、ありがたい3日間であった・・・長野・群馬をはじめ、
参加者の皆さん、お手伝いのスタッフさん、心より感謝申し上げます。
2009.6.19(金) 「思い込みや裁きが成長をとめている」
私は神仏が好きでそのことを仕事にもさせていただいているが、知らず知らずに特別意識になっていたり、施しが「してあげている」
境地になっていたりもする。また、神仏のご開運を祈っている自分がよくて、願っている人はよくないと、裁いていたりもする。
優劣をつけて裁こうとする自分こそ傲慢であることに気づかなくなるのである。神仏のお役に立っていることを誇りにすることは素晴
らしいことだが、自分のやっていることが一番だと思うようになると、神仏の御心がみえなくなって、その時点で成長がとまってしまう。
まずは、神仏の御心を分かろうとする心が大切である。人間関係もそうだが、相手をしっかり観ず、良かれと思い込んで余計なお世話を
してしまうことが多いものだ。明日から3日間、憧れの軽井沢、聖地である浅間山、妙義山、榛名山、甲府・・・と、ご縁のある方とと
もに各地の神仏にお会いできることは本当に有難い。まだまだの自分だが、「明るく、軽く、シンプルに」をモットーに新たなスタート
となる出張にしたい。
2009.6.18(木) 「仕事は自分らしさを発揮する舞台」
ここ最近、有難くも気づきのメッセージをいっぱい受け取るからか、事務的な仕事が進まない。本来ならメルマガや近畿ツアーのちらし
を出しているはずが、手が回らない。今はしない方がよい!という風に都合よく受け取っている。(来週中には出しますので、お待ちの
方はご了承ください)時代は今「物と量」から「心と質」を尊重する流れに移行しつつある。仕事もただすることが目的ではなく、生きる
目的を達成する手段のひとつであり、仕事の中で「どう自分らしさを演出していくか」がポイントになるだろう。ところで自分らしさ
とは長所だと思われがちだが、短所も味わいのある自分らしさである。
2009.6.17(水) 「どんな能力があり、いつ開花するのか?」
「自分にはどんな能力がありますか?それはいつ頃に開花しますか?」と聞きたがる人がいるが、そんなことは自分が一番
よく知っていることだ。つまり「興味があってやってみたいと思うものにはその能力が備わっている」ことになる。それでいつ開花する
かだが、「開花するまで本気になって続けられたときに開花することになる」のだ。当たり前のことだが、能力を発揮できるか
できないかは「どれだけ本気か!」に比例しているといっても過言ではない。
2009.6.16(火) 「悲しみと怒りに潜む まことの心」
もののけ姫の歌詞にもあるように悲しみと怒りの心の中に真実がある。人は喜びや楽しみはプラスの感情として受け入れ、
悲しみや怒りはマイナスの嫌な感情としてしまいがちだが、愛するからこそ悲しみ、愛しいから怒るのである。悲しみも怒りも
愛が根にあるだけに、しっかり味いつくすことで手放すことができるようになり、質が変わって慈悲となっていく。悲しみや怒り
の感情も闇でなく光ととらえてじっくりお付き合いしてあげよう!
2009.6.15(月) 「幸せになる秘訣とは・・・」
幸せになる秘訣はとてもシンプルである。つまり「今の自分は幸せだ!」と思えることである。今を幸せだと感じていると、さらに幸せ
なことが目の前に起こるようになるものだ。ただし、この幸せはお金があるとか、理想の人と結婚するとかいうものとは違い、条件では
ない。今の自分におかれた環境を最善であると受けとめ、ありがたい・・・と感じられるかである。たとえば「身体は病気だけど、心は
元気なので幸せだ!」と思える人は健康になる幸せを加速させることになり、「視力はないけど、自分には素晴らしい心眼がある!」と、
感謝できる人には、名ピアニストになる可能性も高まることになるのだ。今あるものを尊重し、生かして幸せになろう・・・
2009.6.14(日) 「車中バトルで禊祓い?」
妻と自家用車で遠出すると、なぜか車内で口論となる。普段のストレスや辛抱していることが景色が変わる車内では言い易い環境なのか?
そこまで言うか!ということまで容赦なく言い合ってしまう。始めは運転の仕方やどのコースを走るかで、意見が分かれ、そこから他の
ことに波及してヒートアップしていくのだ。口論が止まるのは食事中で、お互いにおいしく食べたいので休戦モードになるが、車に乗れば、
また激論は続き、そのおかげで頭は冴えて眠くならなくてすんでいる。また、言いたいことを言い合うと、お互い腹は立つが、それ
以上にスッキリすることと、あとで自分の至らなさに気づいて反省することができるので、車中バトル?は我々夫婦には禊祓いなのである。
2009.6.13(土) 「短所をどうみるか」
「短所はやはり直していくものですか、それともありのままを尊重し、直す必要はないものですか?」という質問には、どちらかが
正しいとは言いにくいものだ。もし適切な回答を出すなら、その人の現状とどうなりたいかが問題だ。酒で肝臓を弱らせていて、健康に
なりたいなら酒癖を治した方がいいし、自分の短所を責め、自分はだめな人間と思い込んでいる人には短所は美徳でもあり個性なので
責めるより尊重することを伝えるだろう。教育やマスコミの影響もあるのだろうが、人はどっちかが正しいとする判断をしてしまいがち
である。そのことよりもまず現状をよくみつめ、どうすれば輝き、成長できるかがポイントである。
2009.6.12(金) 「大いに涙を出そう!」
6月に入って感受性が高まるからかよく涙が溢れてくる。神社に行っても、花を見ても、テレビを観ているときも、演奏や歌を聴くときは
もちろん歌いながらも泣けてくる。今日は、さだまさしのベストCDを聴いていると涙が溢れてとまらなかった。さださんの曲に
は慈悲があちらこちらに詰まっていて、それを自分が感じ取ったとき涙が出てくるのだ。涙は「水」で「戻」ると書くが、今年半分
の溜まったツミケガレをありがたく涙で流して、本来の自分に戻る禊祓いをさせていただいているのかも知れない。それにしても
泣けるって気持ちいい・・・
2009.6.11(木) 「神社に入れば畏れ慎もう!」
鎮守神社に参拝して、何かご神木の方から呼ばれるような気配を感じたので行ってみると、年配の男女が手を木に触れた後、ご神木の
木の皮を何枚も剥ぎ取っていた。私が「そんなことをして神さまが喜ばれると思いますか!!」と言うと、スッ〜と帰っていったが、
神社の境内は神域であり、石や木にも神さまが宿っておられるので畏れ慎んで参拝してもらいたいものだ。スピリチュアルブームで水晶
を境内に埋めたり、石や砂を持ち返ったりする人もいるが、これは神さまへのご無礼であって、開運のつもりがかえって衰運を招いて
しまうことになりかねないことを知ってもらいたいものだ!
2009.6.10(水) 「あじさいとバラ」
大阪も梅雨に入り、家の玄関には雨露を喜ぶあじさいが上機嫌で咲いている。紫の陽の花を「紫陽花(あじさい)」とは上手く言ったも
のだ。青紫から赤紫に変化するからか花言葉は「移り気」といわれているが、変化を受け入れ、日々成長する中で自分の色を試行錯誤
しながらどうすれば輝けるかを生きている人間のひたむきな姿にも思えてくる。そんな紫陽花の横に気がつけば、真っ赤な情熱の「バラ」
が一輪、凛と咲いている。これは「人は移りゆく変化を受けとめながら、その中でゆるぎなく自分を輝かせなさい」ということを教え
ていただいたように感じている・・・
2009.6.9(火) 「盲目のピアニスト 辻井伸行さん」
国際ピアノコンクールで優勝した辻井さんの奏でるピアノの音色に耳を澄ますと、その音色は本当に色彩感にあふれ、一気に胸があった
かくなり、なぜか涙があふれてくる。水のきらめきとあざやかさ、やさしさとゆるぎなさ、神さまが辻井さんと一体となって音霊を奏でて
おられるのだろう。この慈悲の音色を出すには盲目であることが必要であったのかもしれない。日々、人間界のケガレや思念の重たさ
に疲れている人はこの曲(幼い頃お父さんに隅田川に連れて行ったもらったとき
の記憶を頼りにつくった)をどうぞ!心がほっこりしますよ。
2009.6.8(月) 「うぶすなメイトの祈りと歌」
満月の日はエネルギッシュだ。新月の祈りは声を出さなくても自分のハートの想いがスッと通っていく感じがするが、満月の祈りはお祭り
気分なので大きな声を出したくなる。今日は夜の祈りの前になぜか大きな声を出したくなり、ひとりカラオケに行ってきた。こういう
満月の日は感情を込めて熱唱できる歌がお勧めだ。アリスのチャンピオンや尾崎豊のT LOVE YOUを歌っていると、喉のチャクラ
がスッキリして内にあったモヤモヤが取れていく・・・歌は感情や思念・カルマの昇華にも効きそうだ。自分でいうのもなんだが、結構
上手く歌えたので満足している。その流れでお祈りタイムもパワフルに心地よくとなえることができた。明日も歌いたい気分だ。
2009.6.7(日) 「サッカー日本代表、ワールドカップ一番乗り」
2010年ワールドカップ(W杯)アジア最終予選で日本はウズベキスタンを1―0で破り、4大会連続4度目の出場を決めた。
得点した岡崎慎司選手は顔もプレースタイルも往年の中山ゴン選手に似ているが、とにかくボールをもらう前の動きが素晴らしい!
今回の得点はこぼれ球を頭で押し込むダイビングヘッドだったが、ボールがくれば不利な状況でも自分ができる最大限のシュートを放つ
気合と潔さには感動だ!こういうメンタル面での強さを持ったフォワードが登場したことは嬉しい限りだ。
2009.6.6(土) 「発表会」
小5になる息子のバイオリンとピアノ伴奏をする妻、そして70歳を過ぎてからピアノを始めた私の母の発表会があった。3人とも
得意なことではなく、仕方なく出演しているようなレベルだが、やはり出るとなれば緊張もするし、真剣になるものだ。おかげさまで
小5の息子も妻も本番に強く、練習より上出来だった。その後だった私の母は、息子と妻が成功すれば、自分のピアノもきっと上手く
いくと信じていたこともあって、堂々としていてそれなりに味わい深い演奏となった。やる前は、みんな嫌がっていたが、やってよか
ったようだ・・・
2009.6.5(金) 「自分のことは気づかない」
人のことは、その人を客観的に観ようとするのでよく分かるものだが、自分のことは自分の都合のいいように知らず知らずに思い込ん
でいるのでズレていても気づかないものである。特に先生的立場の人やアドバイスを仕事にしている人は、人から忠告を受ける機会
が少ないので裸の王様になりかねない。人間は人の慢心には敏感だが、自分の慢心には鈍感である。そんなときに本気で自分に忠告
してもらえる人が身近にいる人は幸せである。
2009.6.4(木) 「選んだことはやりきろう!」
6月のこの時期に入ってくると、ジメジメすることもあって停滞感が出やすい。「本当にこの道でよかったのかな?」自分の選んだ道に
迷いや疑問、不安を感じてしまうのだ。私の持論は、選んだ時点でその人には最適な人生と学びが待っているので、今の現状から逃げず
に乗り越えることが開運への近道だと思っている。多分、その場を逃げたとしてもまた同じ試練を繰り返すことになるからだ。とにかく
自分が選んだことをとことんやってみること、そうすれば必ず、自分にとって大切なものが必ず見えるようになるものだ。大切なもの
が見えれば、次のステージが用意されることになるだろう。
2009.6.3(水) 「人の道、すなわち神の道」
宗教や信仰をしていることが神の道というより、人の道の延長に神の道がある。日々の営みそのものが神業ともいえる。心は神さま
とともにあるという気持ちで、ありのままの自分を尊重して、今を味わい、喜びと学びに生きることである。いろいろとあっても、
「おかげさまで、ありがたく学ばせていただき、ありがとうございます」と、寝る前には感謝で締めくくろう。
2009.6.2(火) 「人間の心には温度がある」
話していると、心があったかくなる人がいるかと思えば、何となく寒気がする人、逆に暑苦しい人もいる。つまり、人間の感情には
温度があるといってもいい。このハートで感じる温度感覚は見えない世界をキャッチするときにも大切で、元気な神仏はあったかくて
スッキリしているが、幽霊や地縛霊はゾクッと寒気がして重たいものだ。自分としては、できればお風呂と同じで、ちょうどいい(湯)
加減の心でいられるようにしたいものである。
2009.6.1(月) 「慢心と自信」
慢心とは、一言でいうと「思い上がり」である。自信と似ているが、大きな違いは、自信は自分をあるがままに観ているが、慢心は
他人と自分の違いに心が向いていることである。過去の自分より成長した自分を貴く思うことは自信につながるが、他人より上か下かで
自分を判断していると慢心につながる。調子がよくなれば思い上がり、上手くいかなくなると怒ったり、卑下したりするのは、見せかけ
の自分に生きていないかチェックした方がよさそうだ。「あなたは間違っている」「自分のいうことを聞きなさい」と偉そうに
いう親や指導者や上司、そして、言われたことに過剰に反応して反発し、不平不満を口にする人も同じように「慢心」があるものだ。
私も思い通りにいかないときこそ、自分の慢心に気づき、尊重と感謝の心が足りないと、自分を戒め、成長・向上のチャンスだととらえる
ようにしている。
2009.5.30(土)31(日) 「大いに喜び、嬉しがる」
2日間、セミナーのお手伝いと助手を有難くさせていただいた。感じたことは、神仏も人間も、「ありがたい」という感謝、「うれしい」
という歓喜、「楽しい」という心地よさがあると、生き生きといのちが輝き、心の岩戸や開運の扉が開いていくようだ。人やおかげ様か
ら多大なる応援してもらえる人の特徴は「とても喜び、うれしがる」ことである。気難しい織田信長も、豊臣秀吉がちょっとのことでも
感動し、大喜びするので、異例の待遇を与え、勝海舟は坂本竜馬が船にのせるだけでとっても嬉しそうにするので、特別な便宜をはかる
ようになったという。つまり、運をよくしたいのなら、笑顔と愛嬌をモットに、単純に喜び、素直に嬉しがる時間を増やすことである。
面白いと感じられれば、どんなことでも面白くなるものだ・・・
2009.5.29(金) 「銭湯が好きだ」
久しぶりにわが子たちと近くの銭湯に行ってきた。昔から銭湯が好きで、自分も大きな風呂やサウナでスッキリして、さらにわが子との
コミュニケーションもとれる銭湯は一石二鳥の楽しみでもあった。見た目は身体が大きくなって逞しくなっていく子どもと体力が衰えて
くる父(私)の姿を感じたが、接していると、心の本質は変わらず、あったかさを共有できて心地よかった・・・
2009.5.28(木) 「新型プリウス」
トヨタの最新のハイブリット車「プリウス」に試乗してきた。あまり車にはこだわらない方だが、この車には感動した。電気つまり、
モーターだけで走ることが可能なのだ。ガソリン無し走行だと静かだし、燃費がリッターあたり、38キロと宣伝しているのも大げさ
ではない。そして、節約だけでなく、パワーモードにも切り替えると、ガソリンが待ってましたとばかりにグンと作動し、2400cc
並みの馬力で走ることもできる。普段はゆっくり穏やかだが、いざとなるとパワフルになる「気は優しくて力持ち」という感じだ。
車内は後部でも高級車並みに広くて、リラックスできて落ち着く空間だった。何といっても、排気ガスを出さず、静かなのが環境にもっ
てこいだ。不況で苦しんでいたトヨタだが、「新型プリウス」は神仏に応援されそうな車なので、これをきっかけに巻き返しを計りそう
な気がしている。
2009.5.27(水) 「働いて、はたを楽させよう!」
働(はたら)くとは、ハタを楽させること。仕事をして報酬をもらうこともそうだが、家族を守り、喜びを増やす声かけをしたり、
悩みを聞き、分かち合って楽な気持ちになってもらったりすることも含まれる。何もお金を稼ぐことだけが働くことではなく、
赤ちゃんなら、泣いて笑って家族に可愛がられて、家族を和やかにしていることで、ハタを楽しませていることになる。働くことは、
特別なことではなく、目の前にあることや目の前にいる人が少しでも喜ぶこと、助かること、楽しくなることをやってみればいいの
である。
2009.5.26(火) 「インフルエンザにも感謝」
おかげさまでインフルエンザ騒ぎも落ち着いてきた。子ども達も学校に登校し、ご家族もホッとされたことだろう。今回の新型
インフルエンザのことではいろいろな声があるが、神戸から発症がスタートしたことが、拡散の沈静に大きな影響を与えているように
感じている。神戸は震災の教訓もあり、メンツよりいのちを優先するシステムが確立されている。もしこれが他の都市だったら、もっと
感染が拡大していたのではないだろうか。神戸の皆さまには感謝である。海外からは過剰反応だと指摘されているが、日本人の心配症で
周りの目を気にする癖も二次感染の沈静化に貢献していることも事実である。阪神の学校や保育所、施設はこの一週間でかなり掃除
できたようで、禊祓いと休養ができたと考えれば、インフルエンザにも感謝である。
2009.5.25(月) 「新バージョンご開運神業」
今回の鹿島・香取ツアーの際、今までとは全く違った流れが最後に起こった。普通なら私がメインになって祓い清めや調和するための
神業をするのだが、今回、神輿(みこし)に神さまをのせて町を練り歩いて、町を元気に清めていくような役目をさせていただくことに
なったのだ。(見えない世界のことなのでついていけない方はパスしてください)偉大な神さまが私たちと同行されるだけで神社の神々
を元気にしてしまうということが、私には今ひとつ納得できなかったのだ。ただお参りするだけではやりがいが感じられない私は、モチ
ベーションが下がってしまったが、実はこのサポート神業が香取神宮では最大効果をあげていたのだった。ちょうど終わった直後に太陽が
見事にお出ましになったことはそのことを示していたようだ。鹿島神宮では前面に出て活躍すること。香取神宮ではサポート役に徹する
ことがポイントだったのだ。神業にも陰陽があり、そのときの状況によって臨機応変に使い分けられる柔軟さが必要であることを今回の
ツアーでしっかり学ばせていただけた。
2009.5.23(土)24(日) 「東京セミナー&鹿島・香取ツアー」
最近のセミナーは一体感があり、初めて参加する人もリピーターも一日で昔からの知り合いのように仲良くなってしまう。今回の話の
核心は「大国主命」と「自分自神」であったが、神話から神さまの働きや神田明神の重要さを学校の授業のような感じで、和やかに楽しく
進めることができて自分では満足している。午後からの参拝では、神社エール(神さまを元気づける)を行うと、自分の本質が輝く「鏡」
の法則を実践して体験してもらった。神社の良し悪しをよく述べる人がいるが、すべては自分がどう神さまに投げかけるかで感じ方が変
わってしまうのだ。2日目のツアーは内容が濃く、参拝していく毎に鹿島神宮や香取神宮の問題点が浮き彫りとなり、車の利便性や人間
の都合で本来あるべき参拝がされず、神々が弱っていらっしゃることを肌で感じた。神社の配置は意味があって、神さまが働きやすいよ
うに造られている歴史・伝統を尊重してもらいたいものだ。今回は特に水の穢れに関して神さまの気持ちを受けとめて、参加者全員で感謝
と賛美の祈りができたことは鹿島・香取の神々だけでなく、参加者の浄化と輝きにも大きくつながったと確信している。
2009.5.22(金) 「いよいよ明日から関東に」
いよいよ明日から2日間、東京セミナーと鹿島・香取ツアーだ。この新型インフルエンザで騒がれている最中での神社参拝は
意味があると思っている。今回のセミナーは自分からの発信もさせていただくが、参加者の声や質問を尊重しながら、みんなで
深め、創り上げていくような内容にしていきたい。そして、神社参拝も気持ちを合わせて笑顔で祈ることの心地よさを味わってもらえば
と、思っている。
2009.5.21(木) 「ひとつの情報を信じ込まない方がいい」
古事記と日本書紀では話の中で主役になる神さまが違う。古事記が話としては面白いので、その流れで理解してしまうが、
たとえば、古事記の国譲りの段では、高天原のアマテラスに命じられて、最後の切り札としてタケミカヅチの神が圧倒的な強さで
功績をあげているが、日本書紀ではフツヌシの神が主役で、付き添いとしてタケミカヅチの神が登場している。タケミカヅチの神は
藤原氏の祭る神で、フツヌシ神を祭るのが物部氏だが、勢力があるものによって記述は書き換えられるのであろう。歴史書もテレビ
の都合のいい編集と同じで、情報は鵜呑みにしない方がいいだろう。
2009.5.20(水) 「自分の神さま(自分自神)」
自分の中にある秘められた神性、内なる神、内在神、ハイヤーセルフ、自分の本質、一霊四魂など、言い方はいろいろあるが、
「自分自神」と言うのが、分かりやすくて気に入っている。自分自神の存在を感じられるときは「自分はこんなに貴い存在なのか」
と気づくとともに、自分と神さま、ご先祖、家族、社会、自然、地球、宇宙がそれぞれの働きをもちつつ、ひとつにつながっている
ことが実感できるときである。そうなるには、日頃から自分と周囲に感謝と尊重の言葉を使うことが一番の近道のようだ・・・
2009.5.19(火) 「自宅観光」
阪神では新型インフルエンザの影響で休校となった中高生が繁華街で多く見かけ、カラオケボックスに行列ができたそうだ。
家にじっとしていられない気持ちはよく分かるが、わざわざウィルスを感染拡大する行為は自分も他人も心地よいことではない。
自宅待機になったときは、自宅にいることを活かすことだ。自宅の中にあるものを整理してスッキリさせる。曇っていたものを磨く、
家族や家に感謝するなど、自宅を居心地のよい空間にしてしまえば、家の闇だったものや避けていたことが光に観えるようになる。
阪神の児童・生徒は、今こそ「自宅観光」 するときである。
2009.5.18(月) 「新型インフルエンザ」
新型インフルエンザが神戸から起こるのは、何らかのメッセージという気がしている。神戸は神の戸であり、時代の新しい扉が開こうと
する兆しを感じている。神戸をはじめ、兵庫、大阪では学校が1週間の臨時休校ということになり、わが子も今日から休みとなった。
きっと、どこのご家庭でも予想外の休みにてんてこ舞いであろう・・・阪神地区は混乱気味だが、全国に広まる可能性も十分考えられる。
いくら気をつけても罹るときはかかるし、罹らないときはかからない。起こることはすべてちょうどよいことなので、健康には留意しつつ
、家族のコミュニケーションがとれる有難い一週間にしていきたいものだ・・・
2009.5.17(日) 「人間は神さまでもあり獣でもある」
自分も含めて、人間である以上、やさしい微笑みと険しい形相の両面をもっているものだ。人の役に立ちたいと思っている人も
認められないと、人を攻撃する側に回ることもあるし、信頼が依存や甘えにすり替わると、愛情が憎しみに変わりやすい。人の心は神にも
獣にもなるし、絶えず変化するものである。怒りや憎悪を生むのは思い込みや期待によるところが大きいので、何が起ころうとも期待せず、
ガッカリもせず、今に感謝しながらできることを淡々とこなしていく生き方がいいのではないかと想っている。
2009.5.16(土) 「人気者は場を読み、生かすのが上手い!」
明石家さんまさんの場を盛り上げるしゃべりには本当に感心する。一般の若い女の子や小学生もさんまさんの前では、生き生きと
しゃべり始める。大阪弁で「お前はアホか!」と、いいながら相手をどんどんリラックスさせていく・・・その秘密は、瞬時に
場の空気を読み、目の前にいる人の輝きとカラーを見極め、誰を話題に取り上げて誰に振り、話を拾うか拾わないかをしゃべりながら
秒単位で判断していることだ。島田紳助さんもそうだが、言葉はきつくても、相手をよく観て生かそうとしてしゃべっているので、毒の
しゃべりが笑いになり、やさしさや思いやりも感じさせてしまうのだ・・・
2009.5.15(金) 「結論は成長すると変化するもの」
じっくり考えることは素晴らしいことだが、じっくり出した結論だからといって固執しない方がいい。確かにそのときは、それが最善
かもしれないが、状況は刻々と変化するので、結論も臨機応変に変えられる柔軟性が必要だ。ひとつの結論は、それを足がかりにして
次の結論を導くためのものだと思ったほうがいいだろう。答えは思い込まず、成長するためのきっかけとして位置づけたい。
2009.5.14(木) 「日本人はサッカー向きでない」
昔から懇意にさせていただいているサッカーショップの店長さんと話していて、日本の国民性は野球には適しているが、サッカーには
向かない・・・という話題で盛り上がった。野球は野球道といわれるように和の心や謙譲の美徳、技術、戦術も含めて武道の精神に通じる
ものがあり、日本人の土壌に親しみやすいが、サッカーは本来、野生的でエゴが強いほど活躍できる競技なので、自己アピールの少ない
遠慮がちな日本人は、いくら技術があっても強気の海外の選手には圧倒されてしまうのである。
2009.5.13(水) 「えべっさんが大好きだ!」
「えべっさん」こと、えびす神といわれる神さまは複数存在し、大きく3つ説がある。イザナギとイザナミの子で育たないので海に流さ
れた「蛭子神」は「西宮えびす神社」が有名で、大国主大神の子でタイを釣る託宣の神「事代主神」は出雲の「美保神社」が有名、一寸法
師として国造りをした「少彦名神」は江戸の「神田明神」が有名だ。えびすには異邦の者という意味合いがあり、共通することは、海に
関係し、去っていく悲しい運命を背負っていることだ。ハンディと厳しい環境の中でも、ニコニコと焦らずに気長に待ち、だれとでも仲良
くなって七福神としてまとまって福をもたらすのが、えべす神なのだ。今日は妻と神戸に所要があり、その道中に西宮えびす神社と広田神
社に有難く参拝させていただき、益々えべっさんファンとなった・・・
2009.5.12(火) 「わが心の光を信じる」
何かにふれて、感動したり、感激したり、感謝したりできるのは、自分の内に同じものを持っているからで、自分もまた素晴らしい
存在だということだ。どんな人の心にも尊い神さまの光が灯っている。ところが、自分の光を観ようとせず、外の光ばかりに
ご利益を追い求めるか、または光はないと信じ、自らを闇にしてしまっている人がいる。光は自分の中に必ずあると信じ、しっかり
観光(光を観る)して、グングン発光しよう!
2009.5.11(月) 「ゆったりと生きる」
5月は気候がいいし、仕事も追われていないのでのんびりしている。ゆったりできるときは、家族とどうでもいいような話ができるのが
いい。必要なことしかしゃべらないようになると、大事なこともしゃべらなくなるものだ。おかげさまで息子たちとも親ともコミュニ
ケーションがとれている。ただ話すと心は軽くなるが、そのたびに食べているので、体は重くなる。
2009.5.10(日) 「満月パワー」
9日の満月はエネルギーに満ち溢れていた。9日午前中にうぶすなメイトの祈りをしているときも祈るほどに神口密度(人口密度でなく)
の高さと、神さまの祓いの強さを実感していたが、夜の月のパワーは9日、10日ともに格別だった・・・こういうときは気持ちが高揚
するので、元気でパワフルになるが、反面、事故やトラブルも多い。満月前後は、冷静な判断をした上で盛り上がるのがいいだろう・・
・「注意一秒、怪我一生」である。
2009.5.9(土) 「迷いと決断」
決断という字をみると、「断ることを決める」と書く。ものが溢れ、価値観が多様化する現代は恵まれているゆえ、迷いが生じる。
迷いが起こるのは豊かである証だが、迷いがあると集中できないので自分の力が十分に発揮できなくなるものだ。「迷い」はどちらか
といえば、いいものを選択しようとして選択肢が増えていくが、決断は断ることを決めていくのでどんどんシンプルにそぎ落として
いく。シンプルに絞れると、行動も集中できるので、力も発揮しやすくなる。多様化を学ぶことは大切だが、行動はシンプルにした方が
よさそうだ。
2009.5.8(金) 「気にせず汚してしっかり掃除する」
教師だった頃、学校の状態は掃除の状態に現れていると感じていた。荒れている学校はたいてい掃除ができていなくて、トイレが
臭いのだった。ただし、教室で作業をするとき、ものをつくるときには中途半端に服や教室の汚れを気にするより、汚れは勲章のつもり
で積極的になることがリラックスして集中できるのでいいものができる。そのかわり、終われば、始める前よりきれいにすることを
心がけるのだ。「思いっきり汚して、思いっきり掃除することが教育の原点」だと思っている・・・
2009.5.7(木) 「パパの歌」
忌野清志郎さんが亡くなられて数日経った・・・大好きな曲(CM)に「パパの歌」がある。「家の中ではとどみたいでさ、ごろごろして
あくびして・・・だけどよ、昼間のパパはちょっと違う〜昼間のパパは光ってる〜昼間のパパはいい汗かいてる〜昼間のパパは
男だぜ!カッコイイ!」あの忌野清志郎さんの独特の歌い方
が何ともピッタリで聞いていると、やる気と元気が出てくる。子どもにはお父さんの働く姿をみせた方がいい・・・
2009.5.6(水) 「記念日や誕生日は感謝の日」
記念日や誕生日というと、祝うイメージが強く、特に誕生日は祝ってもらうという受身の日となっている。この感覚だと、「私の
誕生日なのにだれも祝ってくれない」とかえってガッカリする日となってしまう。それより「今日は私の誕生日、みんなありがとう!」
と、生まれてきたことに感謝し、反対にプレゼントを渡す方がずっと幸せな気分になれる。いろんな記念日が増えれば、そのたびに
感謝と喜びを分かち合う時間が増えて楽しくなるものだ。
2009.5.5(火) 「ホ・オポノポノ」
監獄内の精神病棟の患者たち全員が治癒したという方法が、「ごめんなさい」「ゆるします」「ありがとう」「愛してます」を
自分に対して言い続けることだった。つまり、自分を愛せないという想いを自らの言霊によって浄化して手放し、自分の光に気づいて
いくのである。この方法は神道の祓いである禊をしてゼロ(無)となり、感謝と賛美によって自分を蘇らせることと本質は同じである。
「ホ・オポノポノ」は具体的でとてもシンプルな方法なので、自分を責めているような人にはお勧めしたい・・・
2009.5.4(月) 「地震、雷、火事、親父」
怖いものの代表として「地震、雷、火事、おやじ」と、幼い頃に聞いて、なぜ台風がなくて親父なんだろう?うちの父は怖くないし・・・
と、疑問をいだいていたが、おやじは本来「大山風(おおやまじ)」つまり台風のことで、語呂が悪いので「お」と「ま」が抜けて
「おやじ」になったようだ。また、親父風を台風とも言うらしい。これで長年の疑問が解けたが、恐れ(畏れ・怖れ)をいだくことは
とても大切である。恐れがあるから、危険予測や安全の意識、健康管理ができるようになるのだ。また、大自然に対して畏れ慎み、
尊重する心にもなれる。私としては違う意味で「親父風」を吹かしたいと思っている。
2009.5.3(日) 「人生は遊行なり」
一遍上人は「人生は修行ではなく、遊行である」と述べておられるが、確かに人生を修行とすれば、どうしても言い聞かせて乗り越え
ていく側面が強くなるので、しばられる感覚があり、自由の境地にはなりにくい。「成功するためにこれを耐えよ」「遊ぶために仕事
をせよ」というのも悪くはないが、その考えだと大半は苦痛の人生になってしまう。そして休日も明日の仕事を考えると、休みを味わえ
なくなってしまうものだ。一遍上人は、同じ念仏を唱えるにも楽しく、踊りながら唱えればよい!と、「踊り念仏」を広めたが、この本
質は、いやなことでも起こったことは最善として受けとめ、面白さをみつけて楽しんで遊んでしまう心ではないかと思っている。私も
修行より遊行がいい・・・
2009.5.2(土) 「浅野温子語り舞台 日本神話への誘い」
浅野温子さんの語り舞台は3度目だが、今日は特に素晴らしかった!石清水八幡宮での2回公演ということで連続で鑑賞(夜は最前列
真ん中で)させてもらったが、一度目は夕日がご神木に当たって木漏れ日となる黄昏時、二度目はライトアップされた朱色の漆塗りの
社殿が鮮やかに光り輝き、頭上には月が出ている時だった。周囲には松明の火が灯り、その煙が絶妙なタイミングで舞台に流れたので
幻想的な効果を与えていた。浅野温子さんが登場し、語り始めると、境内に風が吹き、木々は揺れた!きっと、多くの神さまが石清
水八幡宮に集まって鑑賞されていたからだろう・・・最後に浅野温子さんが挨拶して去られるときは、神々からの拍手喝采に包まれてい
る感じだった。考えてみると、日本神話を人気女優に語ってもらい、神さまのことをアピールしてもらえることは、神社にも神さま
にも本人にも三方良しのビッグチャンスとなるわけである。そらあ〜神社側も神々も浅野温子さんの大ファンになることだろう(笑)
今回は親子・家族の情愛の深さがテーマであったが、神話に登場する母は、とにかく潔くて強い!そして、この強さは慈悲の優しさにあふ
れている。私も日本神話や神さまを分かりやすく、楽しく、深く伝えられる「神さま応援隊長(おかげ様伝道師)」を目指し、研鑽して
いきたい・・・
2009.5.1(金) 「おかげ様祈り詞の冊子」
ゴールデンウィークといっても私のような自営業は、普段とほとんど変わらない。仕事・休み・遊びの境界線がないのだ。仕事をやって
学んでいることが遊びのようでもあるし、疲れれば横になって寝ているので、それが休みである。ここ3日ほどは、神さまと仲良くなる
「おかげ様祈り詞」の小冊子作りに精を出している。色もきれいし、解説も分かりやすく、なかなかのできばえだ。この小冊子の参拝法
や祈り詞を実践する人が増えれば、神さまはもちろん、おかげ様も大喜びされることだろう!人間の最大の強みは智恵もあるが、
言霊と祈りの力は、人智を超えるものである。豚インフルエンザの解決の鍵を握るのも現実対応とともに感謝の祈りのような気が
している。
2009.4.30(木) 「感謝の絵馬・言霊を奉納しよう」
絵馬は本来、神さまに喜んでもらうために奉納するもの。今、神社に奉納している絵馬のほとんどに願いごとがかいてある。
そんな中で「一年間、家族が笑顔で過ごせました。おかげさまで、ありがとうございます」と、書いてある絵馬がたまにあると、この
家族は今年も感謝できるようなことが続いていることだろうな〜と思ってしまう。実際に神さまに今の状態を感謝すると、投げかけた
感謝が、またブーメランのように返ってきて、さらに感謝するようなことが起こるからである。
2009.4.29(水) 「昭和の日」
私も半世紀ほど、生かしていただいているが、昭和の時代に存在していた期間がまだまだ多く、今日は昭和を有難く振り返る日とした。
私の昭和はスポーツ(サッカー・空手・ラグビーなど)中心で勝負の世界にどっぷりつかっていた時代だった。そんな中、女性アイドル
の存在は眩しく、特に絶頂期に引退した山口百恵やキャンディーズの、桜の花の如きいさぎよい美しさに感動したものだ。昭和
天皇といえば、現人神から人間宣言されて激動の昭和を国民とともに歩んでこられた天皇だが、「男はつらいよ」の大ファンであり、
ビデオをすべてもっていたらしいという噂を聞き、嬉しくなった(私もファン)寅さんはまさに昭和を象徴した映画である。とにかく
今日は「昭和天皇」と自分の昭和時代に感謝したい・・・
2009.4.28(火) 「何かの役に立つ想いがパワーとなる」
自分の理想や目標に向かって行動することは素晴らしいが、そのことだけでモチベーションを継続していくのは難しい・・・たとえば、
自分一人の食事の分なら手を抜いてしまうが、「おいしい!」と言って食べてくれる人がいると、俄然気合がはいるし、続けられるものだ。
私も教師でサッカー指導をしていた頃は朝練をしていたが、生徒達がサッカーに意欲をもって楽しみにしていると思えば、眠くても、
寒くても早起きできたものだ。これが自分ひとりだけで続ける目標だと三日坊主になってしまう。人は何かのお役に立っているとき、誰か
に喜んでもらえるときには気力・体力・アイデアが湧いてくるようだ。させていただけることがあるということは、そのことが生きる力
になっているということであり、有難いことである。
2009.4.27(月) 「大阪セミナー四天王寺&住吉大社」」
今回は特に自分の幹の中心の地元大阪の開催ということもあり、参加者にも神仏にも喜んでいただき、自分も今後につながる満足のいく
セミナーにしたいと、創意工夫と準備をしてきたが、そのことが実ってとっても嬉しい! 実は、セミナーの10日前に四天王寺と住吉
大社に下見したときは、神社(神仏)の状態がよろしくなかったのだった。そこでその現実を受けとめた上で自分のできる対策を立て、
今回のセミナーを迎えたのだが、有難いことに前日も当日も雨風の大自然の禊祓いをいただいたのだった・・・このことでセミナー参加者
の神仏への感謝と賛美の祈りが効果的に通じ、住吉大社では太陽と風と雨と言霊が一体となった見事なハーモニーのエネルギーが生まれ、
その清清しさはもう有難くて心地よくて楽しくて、まさに祓いと笑いの住吉大神、そして大阪七福神がお出ましになった素晴らしい参拝と
なった。今回のセミナーに参加された方は、自分の個性を発揮しながら、他者を尊重して調和する七福神の働きをしっかり受け取る
ために同じ宝船に乗せていただいたような気がしている。セミナー後の直会も宝船に乗って続セミナー?となり、四天王寺の聖徳太子さま
の「和をもって尊しとなす」の一日となった。参加者の皆さんの新しい船出にエールを送ります(セミナー感想もお待ちしています)
2009.4.26(日) 「大阪おかげ様1dayセミナー」
おかげさまで今回の大阪おかげ様セミナーはウキウキ笑顔になる最高の一日となった。今回の山けんセミナーの見どころを述べると、
まず、セミナーの資料が冊子になり、グレードアップしたことだ。(妻・けいこやスタッフのおかげです)この冊子により、住吉大神が
誕生するまでを古事記の原文の抜粋と私の語りと歌(今回は松山千春バージョン)が活かされ、さらにイザナミの死からイザナギが禊祓い
をする場面までの感情が手に取るように分かる『まんが 切り取り古事記』(これ笑えます)が付いたことだ。これにより、原文、語り、
マンガの3つで古事記を楽しく深く味わってもらえることになっている。古事記や神話や昔話を通じて、神さまや仏さまに親しんでも
らい、神社や寺院で有難く参拝する人が増えることが私の生きがいでもある。今後もいろんなアプローチでおかげ様(神仏)のことを
分かりやすく、面白く伝えさせていただきたいと思っている。
2009.4.25(土) 「おかげ様ご祈祷」
うぶすなメイトのおかげ様ご祈祷をさせていただいた。前日の夜から雨でお祓いには最適だ。ちょうど新月なのでしっかりお祓いが
できると、とてもいいスタートが切れることになる。今年の祈祷内容は禊祓いと感謝を前面に出した祈り詞を使わせていただいている
からか、お祓い効果を強く感じた。祈りをした後の天候は、雨がやんでも強風がすごかった。実は明日の大阪セミナー住吉大社参拝の
前にお祓いの雨が降ったらな〜とイメージしていた。思い通りに雨と風のお祓いがあり、理想的な参拝になりそうだ。なんといっても
住吉は「お祓い」の神なので・・・
2009.4.24(金) 「草なぎ剛 イザナギ」
草なぎ剛さんの「なぎ」はイザナギミコトも連想してしまう。「草薙剣」の元々の持ち主は、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコ
トである。スサノオの父はイザナギであり、草薙剣とイザナギはつながっている。イザナギミコトが魂を磨く数々の体験をした後、禊祓
い(裸になって清める)をするが、このときお出ましになったのが「三貴神」の一神であるスサノオノミコトなのである。草なぎさんの
裸は、「禊」のメッセージではないだろうか。禊は、バランスや調和をとり、成長する前段階で起こる現象であり、準備である。今後の
時代は、自分(内)から魂を磨いて有難く「禊」をするか、環境(外)からの厳しい現象によって「禊」をさせられるのどっち?という
感じである。私は内からの禊を選びます(笑)
2009.4.23(木) 「草なぎ剛 草薙剣 」
草なぎ剛さんが全裸わいせつ罪で逮捕されたが、私などは事件云々よりも名前や意味に反応してしまうのだ。つまり、草なぎさんが裸に
なることで、三種の神器である「草薙剣」の働きのメッセージを送っているのではないかと感じてしまう。私の妄想?では、裸になると
いうことは、剣の働きが表面化するということ、あるいは剣を磨きなさいというイメージに受け取っている。剣は世の中を平定する力が
あるのでその働きが今後出るということ。鉄は人間の魂を表し、鉄の原石が磨かれると「剣」になる。今こそ、魂を磨き、剣にしていく
ときがきたということではないだろうか・・・
2009.4.22(水) 「あきらめる あきらめない どっち?」
あるときには「あきらめなさい!」と言われ、あるときには「あきらめないで!」と言われる「あきらめる」はどう扱えばいいのだろう?
あきらめるは、思いを断念するという意味だが、元来は「明らかに見極める」意味であり、「諦める」と書いて諦観することを示して
いる。つまり、周囲の状況と自分の状況を見極めることである。見極めれば、今、最大限の能力を発揮するには、とどまるか、進むかを
決定できるわけである。たとえば夢でいえば、危険で方向がズレているときは一旦「あきらめて」流れをよく観て、英気を養い、実力
をつけて待つのだ。そして夢は「あきらめず」に、毎日できることを着実に積み上げ、夢に近づけていくのだ。目先の結果であきらめる
のではなく、「あきらめ続けながらも夢はあきらめない」生き方をしていきたい・・・
2009.4.21(火) 「鋭きも鈍きもともに捨てがたし」
幕末の儒学者「広瀬淡窓」の言葉に「鋭きも鈍きもともに捨てがたし 錐(きり)と槌(つち)とに使い分けなば」がある。
人間には人それぞれ違った能力があり、その能力にあった使い方をすれば、役に立たないという者など居ないことを言っている
と思われるが、自分の中にも鋭さと鈍さの両面があるものだ。食には鋭い感性を発揮する人もスポーツには鈍いとか、見えないものには
鋭い感性なのにパソコンの扱いには鈍いとか・・・鈍いことで鋭い人に憧れ、必要とし、鋭さは鈍さのおかげで持ち味を発揮できる。
天から与えられた個人の資質に優劣はない。鋭きも鈍きも尊重して生かしていきたいものだ。
2009.4.20(月) 「祟(たた)りとして崇(あが)める心」
神さまは、恵みをもたらす有難い存在ではあるが、その反面、祟りをもたらす恐ろしい存在として日本では畏怖されていた。祟神天皇は、
まさに名前のように祟り神に悩まされ続けた天皇である。その当時の日本は天変地異が相次ぎ、疫病が蔓延して国民の半分が死に絶える
という恐怖を味わっていた。そして、この災いの原因を占ったところ、それは大物主神によるもので、「大和の三輪山に大物主神を祀らせ
れば、神の心も鎮まり、国も平安になるであろう」と出たのだ。そして、三輪山に大物主神を祀ると、実際に疫病は去り、国は平安となっ
たのである。今どき、こんなことを言うと、非科学的で相手にされないかもしれないが、山をご神体として崇め、禁足地を設け、注連縄を
張り、山を人間の好き勝手にさせなかったから、日本は、まだ山も自然も神々も守られてきたのだ。祟り神として畏れ敬う心も感謝ととも
に人間は持ち続けたいものだ。
2009.4.19(日) 「産土神社は神さまとのアンテナ」
産土神社にただ参拝すればよいというものではない。神社はあくまで神さまとのアンテナで
あって、アンテナの前に立っても、スイッチをつけて、チャンネルを合わさなければ、神さまとつながらないものだ。つまり自分が発す
る祈りや想いがとても重要なのである。感謝と賛美の祈りが習慣になると、産土神社に参拝しなくても神さまに光が届くので、神さまの
方から近づかれるようになってくる。ただ、産土神社にわざわざ足を運ぶことで真心や誠意が神さまにダイレクトに通じるので、機会を
設けての感謝の参拝はお勧めである。
2009.4.18(土) 「禊の本質」
滝(川・海)で禊をするといえば、荒行(修行)のイメージが強く、「自分に苦痛を味わせて現状を乗り越える
ぞ!」の目的でしていると思っている方も多いのではないだろうか・・・もちろん、そういう要素もあってもかまわないが、それでは
自然と戦っている感じとなる。それより、自然を味わい、自分と自然が同化していくことで、自分が生かされていることを実感する
ことが禊となる。つまり、有難さを体感することで自分に不必要な罪・穢れが流れていくのが禊である。自分に対しても戦うのではなく、
自分を尊重し、有難さを感じることがピンチを乗り越える秘訣である。
2009.4.17(金) 「戦争と森林」
緑に囲まれていると、心が落ち着くものだ。森林に囲まれていると清清しくなるのは、森の神さまや精霊の
お祓い効果もあるだろうが、その人の心も森林の緑になっているからだろう。人間は戦争する前には、自然破壊をするらしいが、事実、
世界の戦場になっているところは、森林が減り、砂漠化している。人間は森林や緑がなくなると、心も砂漠化するようだ。ということは
世界に森林をバランスよく増やし、町を緑化すれば、空気も水も人の心も潤い、戦争する気が起こらなくなりそうだ。
2009.4.16(木) 「七福神精神」
七福神の神々は、恵比寿さんが日本で他は中国とインドの神々である。そして、商売繁盛の神、長寿の神、節約
の神、武神、言霊の女神・・・など、国も働きもバラバラで個性的な性格の神々が一隻の宝船に乗っている。どの神もお一方だけで十分
活躍できる神々だが、七神が揃い、しかも対等でトップ(リーダ)はおいていないことに大きな価値があるようだ。自分の持ち味は輝か
せつつ、独りよがりにならずにそれぞれの神を尊重し、ともに切磋琢磨して歩むところが特長である。これからは七福神に学び、トップ
を決めずに、それぞれが働きを自覚して自発的に周囲を応援して大きな目標を達成していく時代のような気がしている。
2009.4.15(水) 「体験してこその学びだ」
「もっと早くこのことを学べばよかったです」という人がいるが、人間は困ったり、悩んだり、冷や
汗をかいたりしてこそ、真剣に向き合うことになるので、早く知っていても、実際には学んだ気になっているだけである。かえって、
知識だけが専行して、分かったつもりになっている人は、思い込みとプライドで体験が中途半端になり、深く学べないし、活用できない。
泳ぎ方の知識がいくら豊富でも、水を体感しないと泳げないように、泳げない感覚(体験)があるからこそ、泳げる感覚(コツ)がある
ことが分かるのである。学ぶのに早い遅いはなく、学べたと思えたときがベストタイミングである。
2009.4.14(火) 「志は神さまに伝えよう!」
神社では、感謝と神さまへの賛美を推奨している私だが、自分が心からさせていただきたいと
思っていることは、遠慮なくお伝えすることもお勧めしたい。志とお願い(要求)することは似ているが質が違う。願望実現したい
ときに「〜できますようにお願いします」というのと、「〜をさせていただきます」というのとでは、前者は依存を感じ、後者は
覚悟を感じる。志は覚悟を決め、自分を信じることが前提となる。このゆるぎなさが神仏の心を動かすことになるのだ。
2009.4.13(月) 「石清水八幡宮・御本殿特別拝観」
石清水八幡宮は神職の実習でもお世話になり、昔から大好きな神社のひとつ(ひとつがいっぱ
いある?)だが、昨日に家族で特別拝観させていただいた。今は平成の大修造の時期で御本殿の修復工事が終わったところで、4月25日に
仮本殿から御本殿に八幡大神さまがお戻りになる前ということで特別に御本殿や御神宝を拝観できるのだ。とにかく、丹漆塗の朱色が
鮮やかさと崇高さを醸し、社殿が見事に蘇っているのを目の当たりにしてとっても幸せな気持ちになった。この先人たちの優れた技と
心の精髄である文化財を後世に護り伝えていきたいものだ。また、境内の枝垂桜がとってもきれいだったのでこの写真をうぶすなメイト
祝詞集の表紙にすることにした。
2009.4.12(日) 「天皇、皇后両陛下ご成婚50年」
天皇陛下が「結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます。私ども2人を50年間にわたって支えて
くれた人々に、深く感謝の意を表します」と、声を震わせて感謝の気持ちを述べられたのをお聞きして涙した。また、天皇陛下は皇后さま
に「結婚50年にあたって贈るとすれば、感謝状です」と、ここでも感謝を述べられた。今の日本に不足していることは感謝ではないだろう
か・・・夫婦はもちろん、親子、社会に感謝することの尊さをお伝えされた功績は大きい。
2009.4.11(土) 「嫌われるのも良し」
恋愛でも子どもの会話でも「大好き」なのに「大嫌い」と言ってみたりすることがあるが、大好きも大嫌い
も存在感の大きさや自分の思い込みの強さという点では同じなので、見方が変われば、オセロの黒が一気に白に変わるように大嫌いが大好
きに、または大好きが大嫌いになる可能性を秘めている。年頃の子どもが親や教師に反発して嫌われるような行為や発言を繰り返すことが
あるが、これも愛がほしいから気づいてもらいたいサインでもある。嫌われているときはチャンスでもあるのだ。一番悲しいのは、嫌いを
超えて相手にされなくなることだろうか・・・
2009.4.10(金) 「陰気もまた良し」
昨日は光り輝く満月の桜をみて、今日も空は晴れて環境的には陽気に満ち溢れているが、今の私の状況は自然環境に反して陰気である。
私は陽気が好きだが、陰気な孤独感も好きだし、調和の世界が大好きだが、格闘も好きである。すべてに陰陽があるので、答えはひとつ
ではなく、矛盾することこそ真実なのである。そして、陰のエネルギーは陽のエネルギーを引き起こす。つまり「毒」や「失敗」が
「笑い」や「感動」になるものだ。ネガティブはダメ!ではなく、ネガティブは笑いや成功の種なのである。
2009.4.9(木) 「場所によって祈り詞は変わる」
神社や寺院では、いろいろな祝詞やお経、祈り詞、真言等がとなえられているが、それぞれの場
や祀られている神仏に合ったものをとなえた方がいいだろう。祈り詞には意味とエネルギーがあるだけに、場違いの祈り詞をとなえる
と、神仏から「それはやめてくれ!」というエネルギーがかえってくる。特に神仏の力を顕現するために使われている祈り詞は使い方を
誤ると危険である。もちろん称える人の心を神仏は観ておられるが、言霊は発するだけでエネルギーが出るものなので影響は受けてし
まう。そんな中、安全でどんな神仏にも喜ばれる祈り詞といえば「おかげさまで、ありがとうございます」である。
2009.4.8(水) 「年度初めの新学期と桜」
始業式、どんな友だちとどんな一年が始まるのだろう・・・とワクワクとドキドキを味わえるこの期間
はまさに桜の花ようにフレッシュである。そして、だんだん周囲の状況が見えてきて緊張感が解けてくるときには、自分の居場所が分かっ
てくるものだ。桜吹雪で花が散っていく様は、自分の落ち着く場所を探し当てた花から順にいさぎよく散っていくのではないか・・・
と感じた。桜にとっては、蕾もよし、満開もよし、そして散るときが一番自分らしさを発揮しているときなのかも知れない。
2009.4.7(火) 「投げかけたことが返ってくる」
目標が叶う前は厳しい状況が起こり、叶った後は禊現象が起こりやすいものだ。たとえば、WB
Cで優勝直前までイチローの調子は悪かったが、最後には優勝に大きく貢献できたこと。WBCが終わってから、原監督の巨人はなかなか
勝てず、イチローは胃潰瘍になり、休んでいることなど・・・目標の度合いに応じてそれに見合ったバランスをとるための鍛えやお祓い現
象が前後に起こるものだ。自分に起こる現象は吉凶を超えて、自分が投げかけたことが答えとして返ってくる。受けとめると、鍛えや
お祓いは早く治まるが、逃げたり、結果を焦ってあがくと、さらに厳しい状況を自分で引き寄せることになるようだ。
2009.4.6(月) 「花見はお祓いだ」
わが家でも恒例の花見に花博記念公園にお出かけだ。お花見は季節を有難く感じるという点でお祓いになるが、
私が楽しんでいる桜祓い?は、潔く散る桜吹雪の花びらを手の平に乗せてしばらく眺め、「おかげさまで、有難く頂きます」と手を合わ
せてから食べることだ。桜の花びらを頂くことで桜の香りと潔さを味わい、自分の中にある執着を軽くさせて頂くのである。桜はみるだけ
で明るく、軽い気分になり、色は淡いピンクでシンプルなのに飽きない。私の信条とする「明るく、軽く、シンプルに」そのものが「桜」
にはあるのだ。もうすぐ満月も近いので、夜桜も楽しみたい・・・
2009.4.5(日) 「三男の誕生日」
小5になる息子が誕生日だったが、昼は家族それぞれの用事があり、結局、私と息子の2人だけでランチの豪遊
?に行くことになった。イオンモールにはファーストフードの店が11あるが、そのうち7店のものを2人で味わって食べた。韓国冷麺、
長田焼きそば、ケンタッキーフライドチキン、たこ焼き、ミスタードーナツ、クレープ、サーティワンのアイスクリーム、二人でよくこれ
だけ食べたものだ。息子はサッカーをしているせいか食べても太らないが、私はやばい!?ただ、ハシゴして食べたことが息子はとても楽
しかったらしく、今日はずっとニコニコしていた・・・
2009.4.4(土) 「幸せになる方法はシンプルだ」
拝むといえば、大げさな感じがして引いてしまう人もいるが、手を合わせて「いただきます」
「ごちそうさま」と感謝することなら、違和感なくできる。この左手と右手の陽と陰を合わせることは、陰陽調和のエネルギー働きが起こ
るので元気や感謝の心になりやすくなる。手をこすり合わせてもむと、あったかくなるし、洗うときれいになる。手をたたいて喜ぶ。拍手
して賛美する。・・・など、手を合わせているときはたいてい上機嫌である。笑顔で手を合わせる習慣が身につくと、特別なことをし
なくても幸せがやってくるものだ。手を合わせて感謝しよう!
2009.4.3(金) 「情報は自分の光のフィルターを通そう!」
最近は情報を得ようとすればすぐにでも手に入る。それだけに情報に振り回されて
悩むケースが多い。特に占いや姓名判断、風水、方位、宗教、ヒーリング、祈り方、供養、祭祀等の科学的に証明できないものについて
は何を信用していいか分からないものだ。私もいろいろなものを学び体験させていただいたが、今の感想は「どれも当たっているが、どれ
も外れることがある」ということだ。すべての人に正しいものはないのである。それよりも自分の「光」に気づき、環境やおかげ様に感謝
できるようになると、自分の光のフィルターを通すので、自分に必要な情報のみキャッチできるようになってくるものだ。
2009.4.2(木) 「女性は皆、神さんだ!」
母国、母屋、日本は元々母が中心の母系社会である。父なる大地ではなく、母なる大地。母親のことを
山の神。海という漢字にも母が入っている。海は産みでもあり、胎児は子宮の羊水で育ち、やはり、いのちの元は母なのである。夫婦は
「め(女)おと」と言い、漢字的には夫が先だが、本来の言霊は女が先である。男(父)は、いのちを育む力も寿命も度胸?も女(母)
には到底及ばない。男(父)は本来、弱くてバランスが崩れているので、その反動であえて強く見せかけているだけなのかも知れない。
「カミさん」「おカミさん」女性は「神さん」なので誇りと慈悲の心をもち、男性は、女性を「神さん」として尊重することが人の道では
ないかと感じている・・・
2009.4.1(水) 「ついに新年度4月がやってきた」
今日はテレビと電話、そしてパソコンまで使えなくなり、電器屋さんや専門のサービスの方に
来ていただいて修理してもらった。どの方もさすがにプロで、状況を冷静に観て、見事に原因をみつけ、以前よりもいい状態に
していただいた。新しいスタートの日に今まで詰まっていたものがスッキリつながった感じでとっても気持ちいい。一番上の今年
大学を卒業した息子も今日は入社式で社会人スタートの日だった。「新人賞を取る!」と目を輝かせている姿を見ると嬉しくなった
・・・
2009.3.31(火) 「綾小路きみまろさんのネタで軽くなろう!」
「クヨクヨすることないです。人間の死亡率は100パーセントです」「牛乳を飲んでいる
人よりも配っている人のほうが健康だそうです」「大丈夫です。奥様の場合は外見よりも内臓がきれいです。男も女も50を過ぎたら
内臓勝負です!」「大丈夫です。あちこち痛む間は、まだ生きてる証拠!」さすが!私もこんな風に笑えて執着を外せる話術を勉強中?
今年の目標は「神道界の綾小路きみまろ」だ。
2009.3.30(月) 「感謝はプラス思考でもマイナス思考でもない」
「人や現実に感謝なんてできやしない!俺はそんなポジティブじゃない!」
という人がいるが、感謝することはプラスに考えることではなく、ただ今、生きていることを素直に味わえる(受けとめる)ことが感謝だ
と思っている。怒りも苦しみも喜びも楽しみも目の前に起こることは、ただ体験することに大きな価値があり、怒りや苦しみを味わっても
押さえ込まずに出せばいいし、感情をしっかり味わうことで魂が磨かれていくことになる。体験は貴重なギフトなのである。ギフトを
有難く受け取ることが感謝のニュアンスに近いかな〜
2009.3.29(日) 「失敗は受けとめ方がポイント」
偏らずにバランスがとれていることは理想だが、偏ることを体験せずしてバランスが
とれていることは分からないものだ。たとえば失敗は偏りがあるから起こるのだが、失敗することで偏りに気づくのでバランスがとれる
ようになる。言い方をかえると、失敗すればするほどバランスのとり方が分かるようになるともいえる。ただ気をつけることは失敗は、
学びや糧になるものだが、失敗の認識が甘いと、同じ失敗を繰り返すことになるし、失敗したことで自分を過剰に責めてしまうと、
コンプレックスやトラウマとなってしまう。失敗すること云々よりも、失敗をどう受けとめるかが重要なのではないだろうか・・・
2009.3.28(土) 「サッカーは攻撃より守備で決まる」
サッカーの2010年ワールドカップ(W杯)アジア最終予選 日本対バーレーン戦、日本は
中村俊のゴールで1−0で勝利。サッカーは点の入りにくい競技なだけに一点の重みが大きい。つまり実力ではかなわない相手でも守り
きって少ないチャンスをものにすれば、勝つことも可能なのだ。消極的と言われるかも知れないが、サッカーは攻撃より守備で決まると
思っている。私がサッカーの指導者をして学んだことは点を入れることよりも相手の攻撃をどう封じるかだった。相手の攻撃を封じ、
リズムが崩れたときこそ、こちらの攻撃の最大のチャンスとなるものだ。今回は遠藤選手のすばらしい守備が相手の力を封じ込めていた。
ただ守備といっても気持ちは仕掛けてチャレンジしているので足元を固めた攻撃ともいえるのだ。
2009.3.27(金) 「埃(ホコリ)」から「誇り」へ
今日は昼から家にたくさん訪問者が来られることもあって、朝から結構気合を入れて掃除をして
いた。普段できない床拭きや窓拭きを感謝の言霊や歌を歌いながらすると、心身ともにスッキリしてくる。床は足元なので拭くことで自分
の心も地に足が着いてくる。自分のことが嫌になったり、不平不満がいっぱいの人は、そこらじゅうの窓や床をピカピカにしてみることを
お勧めする。床を磨くと心が安定し、窓を磨くと心の窓の「ホコリ」が取れて輝くので、心の「誇り」を取り戻すことができるから
である。
2009.3.26(木) 「親子の絆」
「渡る世間は鬼ばかり」の最終回をみて親子の絆の深さ、大切さを考えさせられた。どんなに惚れた恋人であっても
親子の絆にはかなわない・・・親子のつながりは、ときめきや損得を超えた特別な関係である。生み、育ての親も含めて、衣食住をとも
にしてきたことは、自分の分身でもあり、親子は合わせ鏡になっているものだ。愛おしい反面、憎悪も激しくなることも多い。親子関係
を当たり前と思わず、学び、成長させていただける最高の存在としてお互いに尊重し、有難く感謝する気持ちをもつことが、今の時代に
特に重要な気がしている。
2009.3.25(水) 「離婚は祓いの祝い?」
陣内智則さんと藤原紀香さんの離婚には賛否両論だが、私は桜の満開の前に別れて新たなスタートを
切れるにはちょうどよい時期と結果だったと思っている。結婚も離婚も有難い学びと成長で潔く別れることも大切だ。もともと芸能人の
夫婦で両方が人前に出る仕事をして結婚生活を続けること自体、陰陽の働きから考えてもどちらも陽なので、バランスをとるために陰の
現象が出てくることは避けられない。芸能人でも夫婦として同じ方向を向いているサザンの桑田夫婦や大助・花子の場合は仕事の中で陰陽
の働きが出せるのでバランスがとれるが、それぞれにベクトルの違うファンがいる場合は、結婚生活が大きなストレスとなる。特に男性
より女性が有名で男性が野心家の場合は受けとめられないのも無理はない。今回の陣内さんと紀香さんの離婚は、お互いに溜まった重い
想いを明るく、軽くするお祓いである。出会いや結婚が結びの祝いなら、別れや離婚は祓いの祝い。どちらも祝福したいものである。
2009.3.24(火) 「WBC優勝」
野球はあまり見ない方だが、今日のWBCの試合は感動と幸せな気分を味わえて気持ちよかった!イチローがあの
重要な「紙一重」の場面でセンター前にヒットを打ったときは、「神一重」の神さまの計らい?と思えて鳥肌が立った・・・韓国野球の
底力にも感銘し、日本と韓国に「天晴れ!」だ。野球がアメリカやキューバのパワーや身体能力に頼る野球ではなく、日本や韓国の技術や
戦術やメンタル面を大切にした野球で素晴しい決勝戦ができたことが嬉しい!このことはアジアが世界の表舞台になる兆しのようにも
感じている・・・
2009.3.23(月) 「なごり雪と桜の三月」
3月は前半に雪が舞い、後半には桜が舞う、この両方を味わえるのは日本ならではの特権だ。この時期に
卒業式があり、年度末や転勤で大きく環境が変わる。別れと旅立ちのこの季節には雨も多い。思い出や心の整理も含めていろいろなもの
を雨と別れの涙で流すからだろうか・・・そして、桜が咲くと、今度は笑顔になり、笑いで心を祓って浄化していく・・・この春らしさを
しっかり味わって、新たなスタートを切りたいものだ。
2009.3.22(日) 「お彼岸のお墓参り」
セミナー&濃い参拝ツアーの次の日は、いつもボーっとしていて行動が緩慢だ。そこで家の掃除と片付けをして、
お彼岸の墓参りにひとり姫路まで行ってきた。昨日とは打って変わって、雨風の中、お墓掃除をさせていただいた。雨だと草が根から引き
やすく、墓石も水をかけないでも磨けるのでとても都合がいい・・・掃除を終えて、お参りしようとすると、不思議と雨風が止み、ろうそ
くも線香もつけることができた。線香の香りの中、じっくりと墓標に書いてあるご先祖さまお一方ずつに思い浮かぶ感謝の言葉をお伝え
すると、急に涙があふれた・・・ご先祖は子孫を優しく見守っていらっしゃるのだ。私たちは何気なく生きているが、この世にいることは
特別なことであり、生かされている有難さをお彼岸にご先祖さまに感謝することはとても大切なことであることを改めて実感した。
2009.3.21(土) 「徳島おかげ様1dayセミナー」
お彼岸で見事なお日さまがお出ましになり、しかもこの時期、黄砂や霞みがあることも多いの
に、くっきりとした青空の日本晴れ、まさに天の岩戸開きで天照大御神がお出ましになって、神々が「天晴れ(あっぱれ)」といったよう
な日となった。実際にセミナー内容で話したことは、全くリンクしていて、実際に午後からの参拝は、阿波の神々の天の岩戸開きの神事
をさせていただく流れとなった。神さまには、厳粛に謹んで接する態度(礼儀と感謝)と、歌って踊って楽しんで神さまを喜ばせる
神楽(奉納)の両面があるのが理想的な神事となる。今回はその両方ともバランスよくさせていただいた素晴しい参拝神事となった。
詳しいことは、濃い過ぎるのでここでは書けないが、こんなに有難く、めっちゃ楽しく、心地よい参拝をしかもご先祖さまとともにさせ
ていただけて、もう感謝・感激である。おかげさまで、ありがとうございます・・・
2009.3.20(金) 「春分の日はお祈りに最適な日」
今日は春分の日。お祈りが発しやすく、神仏に通じやすいので、うぶすなメイトご開運祈祷
では「大祓詞」や「六根清浄」も追加してとなえることにした。おかげさまで、部屋も家も自分もスッキリして気分爽快だった。産土
神社や鎮守神社にも参拝して、明日の徳島セミナーでお会いする神々にもよろしく!と、ご挨拶してきた。阿波の神々は日本の皇室
ともご縁が深い。一の宮の「大麻比古神社」と伊勢神宮の御札「神宮大麻」、神さまは「麻」が好きそうである。明日が楽しみだ!
2009.3.19(木) 「ちょうどいいことしか起こらない」
人は都合のいいことが起これば嬉しく、運がいいというが、神さまからみれば、
都合の悪いことも含めて、その人には「ちょうどいいこと」が起こっているものだ。WBCでは、日本が韓国に負けたときは、
崖っぷちにたったが、その緊張感がキューバ戦で生かされ、4度目の韓国戦にも勝っている。「苦しさ(悔しさ)」と「喜び」は
セットになっており、「悲しさ」の中に「優しさ」があり、慈悲となる。思い通りにならないから、人間は成長し、喜び、幸せを
手にしているともいえる。ただし、受けとめて気づきがなければ、同じようなことがまた続くので要注意だ。
2009.3.18(水) 「幸せは現象の受けとめ方で決まる」
幸せとは、起こる現象が恵まれているというより、現象の受けとめ方にポイントがあり
そうだ。自分を尊重し、ゆるぎないものがあると、批判されたとしても自分への有難いメッセージだと気づき、波に乗ることができるが、
他人にどう思われているかが気になる人や正しさが判断基準になっている人は、怒り、攻撃する。すると、波に逆らうことになり、追い
込まれる状況が増えていく。もちろん、追い込まれて、乗り越えていく人生もすばらしい・・・私も昔は戦って勝つのが好きだったが、
今は目前に何が起ころうとも「自分を成長させ、味方している現象」と思えるようになり、その方が心地よいので、「気合と勝負」
から「笑いと感謝」のおかげさま人生に進路変更することにしたのだ。
2009.3.17(火) 「思い込みも信念になればすばらしい」
思い込みはよくない!と言われるが、思い込みのおかげで「信念」も育つ。サッカー日本代表の攻守に活躍する大黒柱「中澤佑二」選手
は、かつてまったくの無名選手だった。5,6歳から始めないと一流になるには遅いと言われるサッカーを中澤選手が始めたのは、小学校
6年生、そして試合に出るたびに「下手糞」と言われ、叱られ、走らされてばかりだった。そんな環境の中でも「自分はJリーガになる」
「練習は裏切らない」と、信じ続け、人の何倍もの練習をこなし、今や世界の「中澤」となったのである。「思い込み」が自分を磨き、
輝かせることもある。今の彼の目標は「日本が世界のベスト4になって世界中を驚かせる」ことだ。彼の口癖である「自分はまだまだ
下手だ」は、わざわざネガティブな言葉を出さなくても・・・と敬遠されそうだが、ここに彼の「今」を大切に生きる極意が秘められて
いる。私もまだまだである・・・
2009.3.16(月) 「愚痴・悪口・不満の扱い方」
宗教や心の話をするところでは、愚痴・悪口・不満は言ってはいけない!と言っているが、言ってはならない思って我慢して言わない
でいると、余計に思い出して苦しくなるものだ。溜め込むよりは、言ってスッキリするのもいいだろう・・・。ただし、口に出す
ことで、言った人や事柄に対して責任がかかってくるので、そのことを覚悟した上でなら、言えばいい。言わないで辛抱するか、言って
スッキリして責任をとるかという選択もいいが、一番いいのは、愚痴や悪口が思い浮かばない自分になってしまうことではない
だろうか?それか、愚痴・悪口・不満をお笑いのネタ?にしてしまうことだ!これが一番面白いかも・・・
2009.3.15(日)
3月21日の徳島セミナーでの具体的な内容が読者の立場で分かりやすくこちらのブログに掲載されています。こんな風にセミナーのことを書いていただいてとっても
有難いです!私が目指している神道や神社参拝は、一言で言うと「心地よさ」です。開運するために神社に行くのではなく、神さま
にお会いして神さまに喜んでもらいたいから行くのです。「どんなお祈りをすれば、喜ばれるだろう?」と、考え、実際にその場で
神さまと交流して応援エールを送ることはドキドキ・ワクワクして喜ばせようとしている自分が喜んでいることに気づきます。こんな
参拝を3月に徳島、4月は大阪、5月に東京・鹿島・香取、6月に軽井沢・群馬に参りますのでぜひ体験されてみませんか?
2009.3.14(土)
花粉症のこともあって、できるだけ外に出ないでおとなしくしている。おかげさまで本を読んだり、今の自分を振り返る時間もあり、
花粉に感謝している。「幸せが叶う」とか言う話があるが、幸せって何が幸せなのだろう?金持ち、結婚、健康を手にしたとき?
いや、金がなくても、結婚してなくても、病気であっても自分が「幸せ」と思えば幸せである。「あれもほしい、それはイヤ、
これが足りない」と、現状に不満を言うことが、幸せから遠ざかる一番の方法である。自分の受けとめ方次第で「幸せは目の前
に山ほどある」ものだ。
2009.3.13(金)
中学校教師をやっていた頃、叱るときに学んだことは、裁かず、受けとめ、気づき、気づいてもらうことだった。裁くときの心は、「自分
が正しい、君が間違っている!」から始まり、「言うことを聞きなさい!聞かないのなら君はいらない!または聞くようにしてやる」と、
切って排除するか、権力、武力で追い詰める。このやり方も組織をまとめる上では効果があるし、秩序を保つには必要なこともある。
ところが、排除や力で押さえ込むやり方は、力関係が逆転すると、今度は排除され、押さえ込まれることにもなる。戦争、抗争、校内暴力、
家庭内暴力、内部告発も、発端は裁く心によって受けとめてもらえなかった辛さや尊重されなかった分離感が引き起こしたものではないだ
ろうか?まず、相手の心を感じ、受けとめて尊重した上で、自分も気づきながら感じていることを伝える。また、伝えるときは、分かっ
てもらうことを期待するのではなく「自分はこう思う」ということを遠慮せずに出すことに意味があると思うのだ。
2009.3.12(木)
人間関係で大切なことは距離感であると思っている。親子、夫婦、友人、知人、それぞれに程よい距離感というものが存在している。
ところが、この距離感を自分の思い込みで近づき過ぎると、「小さな親切、大きなお世話」となり、好意から憎悪になってしまう
ことも多い。人には踏み込んではいけない領域があるのだ。人間関係で上手くいかない人の多くは、この距離感がつかめていない
ようだ。熱くなりすぎず、といって離れて冷えてしまわず、あたたかい関係を続けたいものだ。
2009.3.11(水)
私は神社や神仏のことが大好きだが、神話や歴史的な真実の解明には、首は突っ込まないようにしている。歴史を知ることは
学ぶ中で土地に親しみを感じ、尊重する気持ちになるので大切だとは思うが、人間は自分の都合で書物を残したり、正当化するために
本来とは違う事実を刷り込むこともしている。神社の祭神も時代によって変わっていたり、古事記、日本書紀、各地域の風土記に記述
された神さまの名前、働き、見方もかなり違ったりしているのだ。ただ言えることは、どんな話にも意味と理由があり、答えをひとつに
することはできないと思っている。謎解きもロマンがあって面白いかも知れないが、私としては、目の前の神仏の気持ちを察して、
嬉しく、感謝と賛美の祈りをしている方が心地よいし、楽しいのでお勧めしている。
2009.3.10(火)
向上を目指すことはいいこととは思うが、「向上しなければ生きる価値はない」という想いになってしまうと、苦しくなる。
向上をどうとらえるかにもよるが、求めることや、何かと比較するをような目標や決意を掲げてしまうと、今に感謝ができなくなって
くるものだ。それよりも、自分以外の周りの人々やおかげ様のおかげさまによって、すべて成り立っていることにまず気づくことだ。
目の前の現実に起こることにベストを尽くし、感謝できる日々を積み重ねることが結果的に「向上」につながると思っている。
2009.3.9(月)
花粉症になると、目や鼻が辛くて、頭もスッキリしないので、自分の体に文句を言いたくもなるものだが、辛い箇所ほど、他からの
進入を防ぎ、守ろうとして必死で頑張っているので、「ありがとう」と感謝の声かけをすることをお勧めしたい・・・それと、花粉症
にかかる人は、それだけ情報をキャッチする感度がよく、高性能のアンテナを持っているということなので、自分に誇りを持てばいい
のである。ただし、高性能のものほど慎重に扱う必要があるので、無理しないことが大切だ。
2009.3.8(日)
入口と出口と言うと、入り口が先という感じがするが、重要度から言えば、出口である。人は食べなくてもそれなりに生きられるが、
出せなくなると、すぐに死んでしまう。呼吸も出すから、入ってくるのであって、出せないと入らないのである。人の生き方も出す方が
先である。詰まっているものをスッキリ出すと、幸運が入ってくる。自分が与えることで、豊かさが入ってくる。漢字をみても出入口と
なっているし、呼吸の呼は、息を吐き出す意味で、吐いてから吸うのが呼吸なのである。上手くいかないと感じるときは、出さず
(与えず)に、入る(もらう)ことの方に心が偏っていないか、チェックした方がよさそうである。
2009.3.7(土)
小4の息子のサッカーの試合観戦をしてきた。うちは3人息子で私の影響もあってか全員サッカーをしている。上の二人はフォワード
で攻撃型だが、この末っ子はディフェンスで守備型である。面白いのはサッカーでは、フォワードには熱くてお調子者のタイプが多いが、
ディフェンスには冷静でひたむきなタイプが多いものだ。点をとるのは一か八かだが、点を守るには用意周到にならざるを得ないので、
ポジションと性格は一致してくるようだ。私も見た目どおりのフォワードでやんちゃ系なので、この末っ子のサッカーの冷静さやひた
むきなプレー(相手のキックを顔で受けて、口から血を流しながらも守っていた)に改めて感動した。たかがサッカー、されどサッカー
である。
2009.3.6(金)
プリンターの修理を出しに行って、その間にも仕事で使用するのでもう一台プリンターを購入する。かなり精度がよくなり、その上に早く
印刷できるものがちょうど期間中で安くなっていてラッキーだった。修理代も5年間保障がついていて無料だったので得した気分だ。
昼はうなぎのひつまぶしで3度楽しめた。最後のだしで食べるうなぎ茶漬けはめっちゃ上手かった・・・おいしいものを食べると、心が
豊かになり、機嫌がよくなるのだ。同じ期限でも、メルマガの方は今はとても出せない状況なので、無理して出さないことにした。
期限は過ぎても機嫌を尊重します!(勝手な言い分で、メルマガが遅れてごめんなさい)
2009.3.5(木)
2月が28日までしかないことで1ヶ月の仕事量が3日分減ったシワ寄せをはじめ、いろいろな事情が重なってバタバタしているが、
心に余裕がないと、周囲の人にだけでなく、体や物にも影響するものだ。今日はプリンターを操作していると、いきなり使用不能に
なった。こういうときは、できないことは無理にせず、お詫びや感謝をいつも以上に言葉にした方がよさそうだ。目の前に起こることは
おかげさまの合図である。
2009.3.4(水)
よく広告やちらしにビックリするような体験談が載っていて、それを観て興味をもち、申し込むパターンは今でも多いが、いいことばかり
が書いてあると、事実であっても「うさん臭いな〜」と感じてしまう。そういう宣伝をするところほど、裏ではバッシングも多いものだ。
すべてはちゃんとバランスがとれている。いいことばかりの羅列をする裏には都合の悪いことは見ないことも含んでいるので
ちょっと危険である。それに上手くいかないことの中におかげさまの有難さがたくさんあるものだ。体験談に期待して申し込むのではなく、
あくまで自分で確かめてみたいというチャレンジ精神にお金を投資するのがいいだろう・・・
2009.3.3(火)
5年前に教員を退職したが、そのとき小学校4年生だった子どもたちはこの春に高校受験だ。その中の一人の親から合格の知らせ
が届いた。合格発表のとき、その息子は「神さま(神社)に御礼の感謝参りにいかな〜」といったという。神社にはお願いはしても
お礼や感謝に心が向かない人が多い中、この一言はとっても嬉しかった!私が授業中、神さま話をよく語っていたので、その影響が
あったかもしれない。ちなみにこの教え子は神社で「合格しますように」とは言わず、「当日、ベストを尽くします!」というお祈り
をしたことも付け加えておきたい。
2009.3.2(月)
この時期、花粉症の方はスッキリせず、辛いものだ。私も今日は目は痒いし、喉がイガイガし、鼻水は出るし、くしゃみの連発だ。
この症状を緩和させるために番茶やハーブ茶を飲み、しょうが、大根、たまねぎを食べるようにしている。土のものは効果があるようだ。
明日はにんにくにしてみようか・・・折角?花粉症を体験させていただいているので、辛さも含めて味わい、何が効くかいろいろ試して、
このチャンスを楽しもうと思っている。
2009.3.1(日)
開運セミナー、金運セミナー、話し方セミナーそれぞれすばらしいとは思うが、成功するためのハウツーや技術の習得に走って、
根っこや幹の部分を忘れてしまうことがあるので気をつけた方がいい。ハウツーや技術には、凄い!と、感心はさせられるが、
感動にはいたらないものだ。確かに、ハウツーや技術で結果は出せるかも知れないが、人を感動させるのはテクニックではなく、
魂の想いであり、日々のプロセスではないだろうか? もちろん、技術を学ぶことも大切だが、うわべではなく、奥や本質を観ていく
姿勢を常にもちたいものだ。
2009.2.28(土)
このHPの山けんのコラムの「はじめに〜うぶすなで開運とは」を新たにアップさせていただいたが、ここに私の言いたいことの
本質が凝縮されている。神社や神さまや個人の生き方にはいろいろな考え方や価値観があっていいと思うのだが、生きている幸せや
開運は、もらうことよりさせていただくことではないかと私は考えている。昨日の続きにもなるが、「あなたのためにやってあげている」
の人は、感謝してもらうことを期待してしまうのでストレスが増えるのだ。感謝はもらったからありがとう・・・というより、させていた
だいてありがとう・・・に価値観が変われば、感謝する人も一気に増え、自分の心も豊かになれそうである。
2009.2.27(金)
「あなたのためを思って言っています」という人。自分がもし、こんな風に言われたら「あんたのためというより自分のためとちゃうん
? はっきり言って、余計なお世話やで!」と突っ込みたくなる。子どものため・・・といって、自分の価値を押しつける親。セールス
マンなら、それを言っちゃ、おしめえよ!という一言だ。「人の為と書いて、偽り」漢字はよくできている。もちろん〜のために信念を
もって行動することもいいとは思うが、そういう人は期待も思い込みも大きなだけに裏切られたときのショックは大きく、傷も深い。
その点、自分が楽しくなるからさせていただくことは、どうなろうが自分が納得していることなので後腐れがなく、爽やかだ。神さまの
ことも自分が心地よいからさせていただくという姿勢がいいだろう・・・
2009.2.26(木)
人は悲しみや辛さを避け、逃げ出したくなるものだが、悲しみと嬉しさ、辛さと楽しみは表裏一体で、悲しみが深いほど、
嬉しさも感じられ、辛さを乗り越えたときに楽しみにチェンジすることも多い。自分の目の前の悲しみや辛さは、必要だから
起こるのでむしろしっかり味わった方がいい。悲しいとき、悔しいときは泣き、恥をかいて、かっこ悪い自分に落ち込むのもいい。
大切なことは、情けない自分を許し、そんな自分でも好きで愛おしく思えるかである。悲しく、辛く、ボロボロのときに自分を
愛おしく尊重できる人は、悲しみは慈悲となり、辛さは幸せになる。字からみても本当に紙一重である。起こることに感謝である。
2009.2.25(水)
名古屋セミナーに参加された方から有難いメールをいただいている・・・「名古屋セミナーは、感動してウルウルしっぱな
しでした。あれからというもの、日常のささいなことにいちいち『ありがたいなぁ。うるわしいなぁ。とおといなぁ。』 とジーンと
なりまくっています。ちなみに今日は自分自身の体がすごくありがたいなぁと思えて、電車のなかで泣きそうになりました。」
「山けんさんが、本当に楽しそうで幸せそうで・・・!! 好きな事をして生きる、という素晴らしい輝き・お手本を
見させていただきました。ありがとうございます。ありがたい・もったいないという感謝の気持ちで、私の心は溢れております!」
「今回のセミナーは本当に楽しかったです。特に山けんさんが!(笑)」・・・私の伝えたかったことが、分かっていただけたので
それが何より嬉しい!自分のやりたいことをただ有難くさせていただき、少しでも喜んでもらえれば、これほど幸せなことはない。
ああ〜おかげさま おかげさま おかげさま ああ〜ありがたし ありがたし ありがたし・・・
2009.2.24(火)
私の目指す神社参拝にしても開運にしても、願いを叶えてもらうことが目的ではない。人間である以上、願いや欲望は次々と湧き上がっ
てくることは仕方がないこととは思うが、願いは叶うと嬉しく、叶わないと不満が残るものだ。そして、願うほど足りないものが増え、
おかげさまが当たり前になって、さらに要求することにもなりかねない。一方、自分が今、生かされていることに有難く感謝できると、
足りないことを神さまに要求する気持ちにはならないものである。むしろ、有難く生かされているお返しに自分のお役に立つことをさせ
ていただきたくなるものだ。願いを叶えてもらうことより、今に感謝し、与えられる自分になることが、私の「開運」である。
2009.2.23(月)
死や納棺師を扱った映画「おくりびと」が、米アカデミー賞外国語映画部門を受賞。まだ映画は観ていないが、私は昔から死や葬式は
人生の一番大切な時間であるという特別な想いがあったので「おくりびと」のような映画が世界に評価されたことはとっても嬉しい!
人の死は誰にも訪れる悲しく切ないものだが、それ以上にふるさとに帰るようなあたたかさや感謝の気持ちが湧いてくるものでも
あるのだ。お葬式に関わるときには、死者に執着をとり、この世からあの世への旅立ちを祝福するようなエールを送るようにしている。
死は恐れるものではなく、訪れたときは有難く受けとめ、笑顔で感謝してこの世にお別れしたいものだ。
2009.2.21(土)・22(日)
21日、名古屋で友人たちお勧めの店で食べた「味噌カツ」がおいしかった。その感動?もあって「おかげ様伝道師講座」は、自分でも
スイッチオンになり、いつも以上に熱く乗れたのでとっても快感! 参加者とともに参拝した近くの神社での実習もお祈りが通じ
た証か、ご神木にはあったかいエネルギーが降りそそぎ、本殿はピカピカ光っていた。快調な滑り出しの一日目であった。二日目の
「日本の神さまを知って神社でエールを送ろう」一日セミナーは、話す内容が多すぎて、どれをメインに話そうか、迷いもあったのだが、
いざ話を始めると、口から言葉は湧き出てきて、歌、ものまね、ジェスチャー連発の展開となる。今後は喜劇神道?の路線(でも中身は
濃い)がいいかもしれない。それで途中からは、レジメに書いていた神さまの名前や働きを全部説明することは不可能であることを悟り、
自分がしゃべりたいことだけに絞ることにした。そのために話が「とんで、とんで、とんで・・・」になってしまったことは反省してい
る(参加者の皆さん、ごめんなさい)後はお渡しした充実した?資料をみて、勉強してくださいね(感想もよろしく!)今回の熱田参り
(元宮、本宮)は女神さまの悲しみと喜びを目の当たりに感じさせていただき、改めて女神さまの優しさ、明るさに元気をいただいた
有難い参拝となった。熱田で熱く語り、名古屋でなごやかに、愛知で愛を知って?めでたく一日が尾張(終わり)となった・・・
ああ〜ありがたし、ありがたし・・・
2009.2.20(金)
明日から名古屋入りで21日には、今回初めて「あなたの町に熱血お笑いおかげ様伝道師が参ります講座」もさせていただけることに
なった。22日のセミナー資料の準備にかなりの時間を費やした結果、なかなか充実した資料となった。私も同行する妻も含めて、
寝不足と風邪気味のため、体調は今ひとつだが、ラッキーも続いているので波に乗って、名古屋を盛り上げたいと思っている。
2009.2.19(木)
名古屋セミナーの内容を吟味していると、話す内容からどんどんエスカレートしてマニアックな領域に首を突っ込んでしまう。
もっとやるべきことを早くやってしまえば、余裕もできるのだろうが、のめりこみ出すと止まらなくなる。そして、いつも準備がギリギリ
になってしまうのだ。ではどうして改めないのか・・・それはギリギリまで味わって、集中している自分が好きなのだ。ただ、周囲を
ハラハラさせることは自分に返ってくるので慎みたいと思う(どっちやねん?)
2009.2.18(水)
迷いに悩む人も多いが、迷いがあることはとっても有難いことである。迷いは「間良い」であり、「まあよい!」である。すぐに
決断できることには、実は思い込みや観念である可能性が潜んでおり、その迷っている時間を味わいながら、行動はやめずに続けて
いると、自分の方向性がはっきり見えてくるものである。迷うときは、しっかり迷おう!
2009.2.17(火)
はづき虹映さんのブログで「もったいない」について述べられていたが、私も同感である。神さまや仏尊さまにお会いするとき、大自然
の恵み、動物、花の美しさに触れるときにも「もったいない」くらいに有難い・・・と、感じられる心があると、それだけで幸せになれ
るものである。「もったいない」はケチに近いニュアンスで思い込まれていて、執着にもとられそうだが、私の解釈する「もったいない」
は、尊重と賛美であり、過去や未来の損得を超えた、今の喜びを味わう心である。これは「もったいない」は反対の解釈にも近い
「いさぎよさ」にも通じるのではないかと、想っている。「もったいない」の心、日々感じたいものである。
2009.2.16(月)
妻と映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を観てきた。ベンジャミンの宿命は「80歳で生まれ、年をとるごとに若返っていく」
という設定で話は進んでいくが、この人生から得るものは大きく、悲しみにも愛が伝わってくる。たくさんの死を見てきたベンジャミン
が最後に最愛の人の手の中で赤ちゃんとなって息絶えることは感慨深い・・・どんな宿命であっても「自分は人とは違うこと」を誇りに
思える生き方をしたいものである。
2009.2.15(日)
不景気や重いニュースが多い昨今だが、こういうときこそ言霊の力でチェンジしていくことが大切である。
商売上手で有名だった「近江商人」の口癖は「おかげ様」と「させて頂く」だったそうだ。「おかげさまで〜」と言うと、自分以外
の存在に守っていただいていることの感謝のエネルギーが満ちてくる。「〜させて頂きます」は自分の周りのお役に立つ、奉仕の
エネルギーが高まるので、喜びとともに人が集まってくる。本日も「おかげさまで、日記を書かせて頂き、ありがとうございます」
2009.2.14(土)
HPのトップ画面をようやくリニューアルすることができた。私の産土の世界のイメージはご神木であり、大地の恵みの神(産土さま)
のおかげさまによって、つながり、生かされていることを画面で表現したかったのだ。イメージ通りにデザインしていただけたので
とっても嬉しい!私のアップの横顔はちょっと恥ずかしいが、このように顔を見せると責任と覚悟ができるので良しとした。
2009.2.13(金)
調和が大切、バランスが大事だということは、私も常に言っているが、そうかといって「のめりこみ」を否定しているのではない。
むしろ「のめり込み」大賛成である。特に子どもや若者に「偏るな!」と強要すれば、「それなり」にしかできない習慣が身につき、
エネルギーが燃やせない分、何をやっても「そこそこ」しかできず、輝ききれないことにもつながってしまうのではないだろうか・・・
何かに「のめりこむ」ことで、集中力が身につき、本質に気付き、その過程でバランスが必要なことが分かってくるものである。
私は、死ぬ間際まで「のめり込み」精神は続けたいと想っている。
2009.2.12(木)
最近、神社がどうも重苦しくなってきているように感じる。有名神社ほど、その傾向は顕著である。鳥居から境内の鎮守の森は
以前と変わらないのだが、拝殿(人が拝む場所)は空気が重くて、澱んでいるのだ。神社参りに来る人が増えているのは結構だが、
「この神社は 〜のご利益には効果抜群!」という評判の影響からか、神頼みをする人が後を絶たない状況となっている。神さまから
してみれば「もう願いを聞くのは、うんざりじゃ!ここには居れん!」と、ご神木や静かな摂社・末社に避難?されているので、益々
拝殿は黒い思念がたちこめてしまうのだ。神社は、願いの場ではなく、本来は感謝を捧げ、有難さを共有する聖地である。これを読んで
くださる方だけでも、神社では、笑顔で感謝と神さまを元気にするエールを送っていただけると、嬉しいです・・・
2009.2.11(水)
「水」から学ぶことが多いこの頃だ。「老子」から抜粋したものを次に掲載したい。「水は万物に恩恵を与えながら相手に逆らわず、
人の嫌がる低い方へ身を置き、淵のように深い心を併せ持っている。与えるときは分け隔てがなく、言うことには偽りがない。治まる
ときには必ずおさまり、絶妙なときをとらえて行動に移す。変転流動して行き詰ることがない。」水の柔軟性と謙虚さが、むしろ強い
力を生み出している。
2009.2.10(火)
2月に入って、おかげさまでたくさんの気づきをいただいている。特にスピリチュアルな業界での動きは二極化していくように
感じている。いただき系、与える系、自称すごい系、あたたかい系、ご利益系、感謝系、教祖賛美系、大自然崇敬系、・・・いろいろあって、
自分の好みで自由に選べばいいが、選んだ時点でその人の運命の流れや人の縁もやってくることになる。
2009.2.9(月)
いい天気ですね・・・というと、晴れをイメージするが、植物にとっては雨の方がありがたくて、いい天気なのである。冬も暗い、
辛い印象があるが、植物の根にとっては、上に養分を送らなくてすみ、ぐんぐん下に根(自分)を伸ばすことができるので、嬉しい
季節なのである。天中殺や空亡・厄年など恐れられているが、ただ運気が冬なのであって、いい悪いはなく、自分を伸ばし、実力を蓄
えるには最適な時期といえよう!目の前のことは、自分にとって必要なことであり、悪いと思いこんでいることでも実はありがたいと
、感じた方がいいだろう・・・
2009.2.8(日)
熊野からの帰りの列車、そして家に着いてからも、眠くて眠くて力が入らない。いわゆるありがたい神さまのエネルギーを2日間で
たくさんいただき過ぎ?て、酔っている状態である。今日はカウンセリングの仕事があったので、そのときは専用スイッチ?を入れる
のでしゃきっとしたが、終わると、やはりフワッとしている。夢心地は今日までにして明日からは現実に戻るぞ!
2009.2.7(土)
「お燈祭り」の次の日、新宮の友人が「山けんさんに紹介したい、とっておきの神社があります」と、プライベートな神社参拝にガイド
してもらって到着した場所は、本当に凄かった・・・私はまず鳥居近くのご神木に祈りを捧げた途端、感動で涙があふれ、ご神域の奥に
足を進める度にそのありがたさが増して、その神々しいエネルギーに言葉を失ってしまったのだった。いつもなら、神仏に喜んでもらえる
ようにエールを送るのだが、それさえ忘れ「生きていて、この場に来させていただけてよかった ありがたい ありがたい・・・」と、
たたずんでいた。お燈まつりに参加させていただいた後なので、こういう境地を味わえたのかも知れないが、熊野にはこういう聖地が
残っているのだ・・・
2009.2.6(金)

新宮に着いて友人の事務所で白いおむすび、白いたくわん、白いかまぼこをいただく。これがシンプルでうまい!お燈まつりに参加する人
は、一週間前から白いものしか口にしないらしい。(今ではそこまではしないそうだが・・・)それほど新宮の人の祭りへ想いは真剣なの
である。私も白装束の上に5重の縄を腹に巻いてもらい、白足袋にわらじを履き、華つきの松明をもち、景気づけに酒を飲む(普段は飲ま
ないが、こういうときは飲める)と、どんどんテンションは上がっていく。そしていよいよ神倉山に上がる前の神社参拝では、「上り子」
同士が町で出合うと、松明をタッチ(というよりぶつけ合う)し合って「頼むよ!」と声を掛け合う。この挨拶が何とも心地よい!男だけ
でする祭りだが、参拝の最後が尼寺になっているのは、女性を尊重していることを示しているようでこのことも深い・・・聖地「神倉山の
ゴトビキ岩」に到着すると、2000人を超える男たちが岩場に張りついて神聖な火を待っている。火が下から上がってきた「上り子」によっ
て持ち込まれると、どよめきと盛り上がりの中、どんどん受け継がれて、一面は火と煙の世界となり、「上り子」たちは燻されて清まって
いくのだ。門が開くと、松明をもって一斉に山を降りていくのだが、その様子は下から見れば火の龍が下る感じとなる。おかげさまで私も
友人にエスコートされながらも、掛け声で気合をかけながら、慣れない急な段を松明を消さず無事に持ち帰ることができた!嬉しいのは
山を降りると、女性のギャラリーがたくさん待っていてくれることだ。神さまと人がともに助け合って喜び合う「お燈祭り」は
地元新宮以外の人でも参加でき、歓迎してもらえることが、ありがたい・・・さすが南国の聖地、熊野である。
2009.2.5(木)
明日は熊野新宮にある神倉神社で「 山は火の滝、下り竜」で有名なお燈まつりがある。神倉山には4,5回登拝して
いるが、今回は、勇壮なお燈まつりに新宮の友人にありがたく招待され、衣装をつけ、たいまつをもって「初のぼり」参加させて
いただけることになった。ワクワクしているが、体調がいまいちなので気を引き締めて、今日は早く寝ることにしたい・・・
2009.2.4(水)
立春の朝はお掃除からスタートだ。昨晩、家族で豆まきした豆が、家の周辺や道路まで飛び散っている。あ〜調子に乗って撒きすぎた・・・
と思いながらも、豆のおかげで普段気がつかない場所まで掃除できて、早朝に雨が降ったこともお祓い効果となり、身も心も地相・家相
もスッキリ爽やかだ!掃除が終わって一段落してから、うぶすなメイトご開運ご祈祷を始めると、さらに心地よくなり、ありがたい立春
を迎えることができた。おかげさまで、いいスタートがきれた・・・
2009.2.3(火)
節分なので、妻の手作り「まるかぶり巻き寿司」を今年の恵方を向きながら食べ、家族で豆まきをした。一般的な「鬼は外、福は内」
をやってから、自分の心にある鬼を受けとめる「鬼は内」、自分が少しでもお役に立って福を外にもたらす「福は外」もしながら、
ありがたく香ばしい大豆をいただいた。(歳の数までは食べられず)おかげさまでスッキリでき、子どもたちとも和やかなときを
過ごせたことが嬉しかった・・・
2009.2.2(月)
浅間山が噴火している。浅間山をご神体とする浅間神社の御祭神は岩長姫であり、富士山をご神体とする浅間神社の御祭神・木花咲耶姫
の姉にあたる。古事記では木花咲耶姫は絶世の女神で、岩長姫は醜い女神さまとされているが、ある説では「みにくい」のではなく、
神々しくて「みえにくい」女神さまと言われている。その働きは木花咲耶姫は桜の花の「いさぎよさ」であり、岩長姫は岩の「ゆるぎなさ」
を示している。木花咲耶姫と岩長姫はお二方が一緒になって働いておられるのだが、今までは木花咲耶姫が表舞台に立ち、岩長姫は蔭で
妹を支える存在であった・・・・この節分の時期に浅間山が噴火することは、岩長姫が表にお出ましになることを知らせているような
気がしている。つまり、節分を境に「ゆるぎなさ」や「継続」が問われる時代になっていきそうである。
2009.2.1(日)
日本の魅力のひとつに八百万の神々がいらっしゃることを認め、神社にはたくさんの神さまがお祭りされていることがあげられる。
水の神、火の神、風の神はもちろんのこと、直観の神、導きの神、笑いの神、泣きの神、温泉の神・・・言い出したらキリがない。
この神さまの働きを知るだけでも面白いし、実際に神さまの性格を知って賛美することで、神さまが喜ばれ、そのおすそ分けがいただけ
てしまうからすごい!神さまのことを学んで、神さまを喜ばせよう!
2009.1.31(土)
いのちを大切にせよ!これは確かに真実である。しかし、逆もまた真実かもしれない。つまり、いのちを丁寧に扱いすぎると、本来の
輝きを失い、腐らせてしまうこともあるからである。いのちは自分のものではない。いただきものであって、早かれ、遅かれ、お返しする
ものである。いのち(肉体と時間)は活かしてこそ、生かせていただいている意味があり、感謝が湧いてくる。言いたいことは、
いのちは尊重するが、とらわれず、いつ死んでもよい覚悟で、いさぎよく、ゆるぎなく生きよ!ということである。
2009.1.30(金)
開運するには方法というよりも、自分がいかにいい気分でいられるかどうかで決まってくる。いい気分でいると、やる気も起こるので
願わなくても幸運を引き寄せてしまう。いい気分とは、嬉しいことが起こるからなるのではなく、どんな状態でもいい気分になれるもの
をみつけて、今を楽しめることである。そして、さらに周りの人たちも笑顔にしていい気分にさせてしまう人は人気者となる。人生、
いい気分で過ごしたいものだ。
2009.1.29(木)
ありがたい友人らと一緒に西宮えびす神社をはじめ、いくつかの神社で神さまに応援エールを送ってきた。西宮えびす神社は商売繁盛で
有名なこともあって、お正月と十日戎で参拝者は100万人を超える。参拝者が多いのはいいのだが、大半の方は金運がよくなるお願い
をするので、1月の神さまはその疲れでヘロヘロになっておられるのである。そんな神さまの疲れをとるには、神さまをねぎらい、
「天晴れ!」「ありがたし」「尊しや」と賛美のお祈りをすることが、実はとても有効であり、神社の空気も清清しく軽くすることに
なるのだ。神さまには元気になっていただいてこそ、人間を守護する神力も発揮できるのである。「願い」ではなく、感謝と激励の「
祈り」を神社でしてもらいたいものである!
2009.1.28(水)
こないだ神葬祭のご奉仕をして、2週間も経っていないのにも関わらず、昨日と本日、通夜祭と葬場祭・帰家祭の副斎主をさせて
いただいた。ご奉仕していて感じることは、葬儀場のもつ場の状態、参列者の雰囲気、故人の年齢・人柄によって、受ける温度差や
重たさが違っていることだ。私が修祓(お祓い)をして、気枯れを祓い清めさせていただいているが、今回は上手く祓えた感
があり、自分でもスッキリできたことがよかった。故人が笑顔で旅立てるのが何よりである。私は結婚式よりお葬式が大切だと想って
いる。
2009.1.27(火)
怒っている人、批判を繰り返す人は人相も険しい。「自分は正しい」「相手が許せない」のだろうが、裏を返せば、「お前は間違って
いる」「私に謝るべきだ」と、自分が上から下へものを言っていることにもなるのだ。これでは相手は納得しないし、
分離感は深まるばかりだ。それに対して許せる人、自分から謝れる人、相手を尊重する人はニコニコしている。笑って許せる人は
優しくみえて、実はずっと強い!なぜなら、味方や応援団(見えない神仏も含めて)がたくさんいるからである。
「笑って許して・・・」と、和田アキ子さんの歌のように生きよう!
2009.1.26(月)
初めて授与に土俵に上がった麻生首相、試練を乗り越えて優勝した朝青龍に「内閣総理大臣 朝青龍殿」と言ってしまった・・・
内閣総理大臣賞の賞が抜けたのだ。「しょうがない」ことだが、自分の立場が「勝(しょう)がない」ことへの暗示にならないように
今後の言葉にも気をつけた方がいいだろう。今回の大相撲初場所は、予想が大いに外れたが、予想や予言は大きくなるほど外れやすく
なるようだ。もし、朝青龍が優勝を期待されていたら、今回の結果はなかっただろう・・・崖っぷちだからこそ、初心に戻り、本来の
自分を輝かせることができたとも言える。初場所での格言「崖っぷちはチャンスだ!」「予想はよそう」(笑)
2009.1.25(日)
やっと、2月22日の名古屋1dayセミナーのちらしができた。明日、HPにアップの予定である。今回の名古屋セミナーは、
「神社は気持ちよくて好きだが、神さまの名前や働きはややこしくて分からない?」という方に、楽しく、分かりやすく神さまの名前
と働きが学べてしまう内容である。神さまのことが分かった上で神社にお参りするようになると、神さまに親しみがグンと沸き、神社
ファンが益々増えることだろう!また、3月21日には徳島で1dayセミナーが決定!このちらしも2,3日中にはHPにアップする予定だ。
徳島セミナーのことは「感謝のきもち」のブログに感謝の深い
内容の記事とともに紹介されているのでご覧ください。
2009.1.24(土)
北風小僧の寒太郎が街にやってきたような肌寒い日であったが、息子の中学校では、京都から学校までの42,195キロを朝の8:30〜22時頃
までかけて中学校全員で歩く「耐寒行進」があった。私は立ち番のお手伝いをするのに宇治で待機。折角、宇治まで来たのだからと、
付近の神社のご開運をさせていただいた。やはり宇治でも水の女神さまがポイントになっていて、あるお祈り?をすると、社殿が輝き、
女神さまに気に入られ、ラッキーだった。耐寒行進、生徒たちはもちろん全員完歩を目指すが、すごいと思ったのは、先生方も42,195
キロを歩かれていることである。途中、弁当や豚汁の炊き出し、救護等、準備も後片付けも大変だが、生徒たちにとっては大きな自信に
なるすばらしいイベントである。
2009.1.23(金)
同じことを何度もいうことは、「前に聞いた」「くどい」と思われるので、違うことを言わなければ・・・と想ったりするものだが、
分かってもらうには、50回、100回と、淡々と、まるではじめて語るように言い続ける熱意が必要である。たとえば、コマーシャルや
お笑いのネタや歌謡曲でも回数を重ねるごとにハートに入っていき、覚えてもらえるし、心地よければファンになってもらえることに
もなる。自分の言いたいことは恐れずに何度も人に伝えよう!
2009.1.22(木)
進むばかりでは息がつまる。一息ついて、おいしいものを味わって食べよう!食べられるのは人間の幸せである。だからこそ、
神さまに「いただきます」と感謝して、その恵みを感じ、いのちのエネルギーをありがたくいただくのである。笑顔で「ああ〜おいしい」
「ごちそうさま」ということで、食べたものが輝き、自分の肉体とつながるので、元気になっていくのである。
2009.1.21(水)
結果を気にするあまり、今を精一杯生きれない人が多いようだ。私もそうだった・・・「こうなってもらわないと困ります。だから
神さま、何とかしてください」という感じである。ところが、こうならないと困るのは自分の思い込みであり、実はそうならない方が
いいこともたくさんあるのだ。思い込みや執着のエネルギーは重たく、暗いが、神さまのエネルギーは明るく、軽く、いさぎよいので、
結果を気にして、今をおろそかにする人は神さまに祈っても通じにくいのである。今の行動が結果を創るのだ・・・
2009.1.20(火)
19日(月)には、福岡でプライベートな参拝と神業をさせていただいた。午前中は久しぶりに不動明王さまがお働きになるということで
私も水を得た魚のようにワクワクして神社エール(神仏を応援)をさせていただくと、重たかった境内の一角は一気に明るく、軽くなり、
笑顔のえべっさんが小躍りしているような空間となった。ただ、水の不足している場所の神々は弱っており、改めて水が神々に与える
重要性を感じた。午後からの霊山の神業では、こちらが強くやろうとすればするほど、相手側は頑なになるので、今はする時期でないこと
を察知し、ご無礼したことをお詫びさせていただいた。人間も同じでこちらがどんなに良いと思うことでも、相手にとっては余計なお世話
で迷惑になることもたくさんある。志は押しつけにならぬよう謙虚であることと、潔い引き際も重要である。自分の思い込み、傲慢さに
気づいたありがたい神業となった。最後に大宰府天満宮の本殿でお祈りしていると、突然胸があったかくなり、涙がこみ上げてきた・・・
私が神社エールを送った神々が、今度はこの二日間の私に大きな拍手を送ってくださっているのが伝わってきたのだ。ああ〜ありがたく
て、福岡に来させていただけて本当によか、よか、だった・・・
2009.1.19(月)
福岡1dayセミナー(宗像ツアー)での感想を紹介します。「初めての参加で驚くことばかりでした。一番に思ったことは、水神社の水
を頂いた時、その水のおいしかったことでした。甘くてまろやかな味がしました。宗像大社の二宮と三宮に行ったとき何だか懐かしい
気持ちになりました。」「今日の山けんさんの一言一言が今の私に必要な言葉でした。私の現実問題を知っているのかと思われるくらい
に、解決のヒントがいっぱいでびっくりしました。」「水神様には初めて行きました。参拝中、『やっと見つけてくれたね』って聞こえ
てきて、涙が出ます。今日、やっと見出され、本来の場所に帰れる事を本当に喜んでいらっしゃるようでした。最後の弥勒の木にはただ
ただ感動。くらくらするような圧倒的なエネルギーをいただきました。これからの生きる指針になるものを見せていただいたような気が
します。今日は、神様の世界と現実の世界は密接につながっている事を実感しました。今日の体験や気づきをここで終わらせず、現実の
世界につなげていきます『ありのままの自分にもどり、そこから発信していく(与えていく)』その覚悟を問われたように感じました。」
2009.1.18(日)
「易経」で九州での行動の指針を立ててみると、「坎為水」と出たが、その通りの水の一日となった。宗像大社の神さまは三女神
さまで有名であり、市杵島姫神は、弁財天ともいわれ、神社ではよく水に囲まれた場所にお祭りされている。つまり、瑞々しくうるわしい
水の神さまなのである。この神さまは、水が不足したり、汚れていると、本来の働きができないのだが、ありがたくもこの日に限り、
恵みの雨が降ったことで、神さまも元気にお出ましされ、絶好の神業(参拝)日和となった。不思議だったのは、宮地嶽神社でも宗像大社
でも着いたときのみ、歓迎するかのように雲が切れ、太陽がお出ましになることだった。雨の中の参拝は実はとっても気持ちいい。一見
嫌がられる雨のしずくは、ご神域の森では金の恵みの水玉になり、喜喜としてその潤いによって身も心も幸せになるのだった・・・
そして、最後に圧倒されるミロクの木に出会ったとき、「水のように柔軟な心を持ちながら、激流にもゆるぎない信念と至誠をもって
、与え続けよ!」というメッセージをいただき、参加者の皆さんも人生を歩む覚悟(腹がすわる)ができたようだ・・・
2009.1.17(土)
九州福岡1dayセミナーの出張で、メールや電話等の連絡は火曜日以降になりますので、よろしくお願いします。
2009.1.16(金)
関西では古い神札や玄関の正月の注連飾りをお焚き上げする「とんど焼き」は15日だが、近くの神社では本日だったので、そのお手伝い
をしてきた。たくさん溜まった古いお札やお飾りを扱うのは、あまり気持ちのいいものではない。それだけならいいが、お焚き上げする
ものとは関係ないと思える「年賀状」「手紙」「財布」「写真」など、人の念のこもったものや鏡餅のカバーや燃えない置物まで入って
いたりするのだ。さらに一番信じがたいのが「たばこの吸殻」である。もし「古札所」で小火が出たら、神社は火事である。ゴミ問題
も含めて処理する立場になってみて行動することが大切である・・・
2009.1.15(木)
14日の夜と15日には近くの神社の宮司さんから神葬祭(神式の葬式)が入ったので、手伝ってほしいと連絡が入ったので副斎主として
御奉仕させていただいた。神葬祭では、焼香でなく、玉串なので普通のお葬式と雰囲気が違う。また位牌でなく、霊璽(れいじ)という白
木の霊代(みたましろ)に御霊をお移りいただく。その霊璽に生前の名前の下にご婦人の場合は「○○刀自命(とじのみこと)」と
書いてある。女性が「刀自」というのは何とも不思議な感じであるが、どうやら主婦は戸口を支配する者という意味からそうなった
らしい。しかし、なぜ「戸自」でなく「刀自」なのだろう。台所で包丁を使うからだろうか・・・ふむ〜よく分からない?
2009.1.14(水)
日々感動と感謝に生き続けたいものである。感動とは、感じて動く(行動する)ことである。感じるとは、味わうことであり、
味わいたいがゆえに行動するともいえる。感動は「夢、目標、生きがい」につながっていく。感謝の「謝」は、
漢和辞典で調べると、ことわる、さる、あやまる、礼をいう、ゆるす、すてる、ききいれる、であり、自分の対応の仕方を
表しており、期待や執着がなく、いさぎよく、中今に生きているイメージである。感じて動く「陽の感動」と、感じて上手に
対応する「陰の感謝」の両輪があれば、人生は楽しく有難く過ごせそうである。
2009.1.13(火)
「七五三」は成長の変化の時にうまく乗り越えられたことに感謝するお祝いであり、「晴れ着」は自分のために着るのではなく、
ここまで生かしていただき、おかげさまで立派に成長できたことを神さまにお見せする、やはり感謝のお祝いなのである。これからの
時代も神頼みよりも、まず動いて自分の力を発揮することである。そして、結果よりも精一杯できた自分をねぎらい、その報告と
感謝を神さまにお伝えする生き方をしたいものである。
2009.1.12(月)
寒くなってきた。寒くなると、森進一さんの歌が歌いたくなる。「北の町ではもう悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい」
「日々のくらしはいやでも やってくるけど静かに笑ってしまおう」「寒い友だちが訪ねてきたよ 遠慮はいらないからあたたまって
ゆきなよ」悲しみや切なさは、寒さと共通点があるからか、あったまる歌詞を歌うと、悲しみや切なさが優しさに包み込まれて慈悲に
変化するような感じになり、身も心もあったかく心地よくなってくる。寒いほどあったかさが感じられるありがたい季節である。
2009.1.11(日)
「島田紳助50球連続100キロ投球!!」には感動した。島田紳助さんの卓越した能力の高さには、いつも度肝を抜かれるが、52歳
にして今回の目標を達成してしまうのは、日々の鍛錬と用意周到な準備、本番で力を発揮できるメンタル面の強さがあるからであろう。
私が感じるのは、それに加えて目に見えないおかげ様の応援である。島田紳助さんは、表向きは辛口だが、ハートではどうしたら人が
喜ぶかに常に心が向いており、奉仕精神に富んでいる。だから神仏と波長が合い、奇跡を起こしてしまうのだろう。とにかく、あのカッ
コよさに憧れ、50歳前後のおっちゃんたちに(私も)まだいける!と、やる気をもらえた映像だった・・・
2009.1.10(土)
奈良の春日大社の前宮司「葉室頼昭」さんがお亡くなりになった。私は葉室さんの大ファンで10年ほど前は、葉室宮司の講話が
どうしても聞きたいので職場を休んでまで春日大社に足を運んだものである。寺院でのお坊さんの講話はどこでもされているのに
神社で講話をされる宮司さんはほとんどいなかったので、私は葉室宮司にとても憧れ、自分も神道の話を広める人間になるぞ!と
心に誓ったものである。葉室さんは元外科の優秀な医師で、50歳になってから作法を学ぶために神職の資格をとられて神の道に
就かれた異色の宮司さんである。医師として手術をするときは、必ず祈りから始められ、奇跡的に成功した手術を何度も経験されて
いる。そんな葉室宮司から私が学んだことは「祓い」と「神さまを喜ばせる」ということだった・・・ご冥福を祈り、葉室さんの
神道の心を伝えさせていただきたいと想っている。
2009.1.9(金)
生きていると、やりたいこと以上にやらねばならないことが出てくる。人間やりたいことは笑顔で黙々とできるものだが、
問題はやらねばならないことをどんな境地でやれるかである。開運する人は、どんなことにでも面白さをみつけて「どうすれば
楽しくなるか、人を笑顔にして感動させられるか」をイメージして自分なりに創意工夫しようとする。この気持ちが「愛」であるから
「アイデアる」つまり「アイデア」が浮かぶのである・・・お後がよろしいようで。ちゃんちゃん
2009.1.8(木)
人にはそれぞれその時期に与えられた環境や立場があるようだ。そんな中、その環境・立場を呪い、不平不満をいう人、外に願いを求める
人、逃げ出す人、受け入れて自分にできる最善の努力をする人、人生さまざまである。どんな行動をするのも自由だが、今、自分
に降りかかってくる問題こそ、天から与えられたチャンスと徳積みであることは確かなようだ。本気で立ち向かえば、おかげ様も本気で
応援される。本気になれば何とかなるものだ。
2009.1.7(水)
指導者の三高というものがあるそうだ。一つは「高安定」で、自分の座標軸が安定していて、幹がしっかりしていることだ。二つ目は
「高感度」で、時代の流れや状況の変化を察知する高感度のアンテナをもっていることだ。三つ目は「高淡白」で、飾り気がなく、
スッキリしていて、考え方もシンプルで分かりやすいことだ。この三高を一言で表すと、「素直」に近い感じである。素直な人は、
自分も相手も尊重し、笑顔と感謝で生きているので、おかげ様ともつながりやすく、自ずと人望も備わるのであろう・・・
2009.1.6(火)
今回の年末詣のお伊勢参りで特にお気に入りの場所になったのは、外宮の月夜見宮と内宮の月読宮である。どちらもツキヨミさんと
呼ばれている別宮であるが、どちらも居心地がよくてあったかい・・・そこにただ居るだけで優しさに包まれ、自分と周囲がつながって
くるのだ。有り難くて有り難くて自分の存在がうれしくなってくるのだ。そのときの私(変わったおじさん)の様子はこちらをご覧ください。
2009.1.5(月)
運の強い人は、周囲の評価を期待せず、自分の進歩や成長に期待している。周囲に自分がどう思われているかが気になったり、相手に
返事を催促したりする人は、運を周囲に託していることになり、知らず知らずに振り回される人生になってしまう。運は自分で切り開い
ていけるもので、自分で自分の行動や努力をねぎらい、進歩した自分を評価することで、運は着実にツイテくるようになる。そして、
周囲を応援したり、分かち合ったりしていると、周囲から信頼されるようになり、さらに運が開くことになる。
2009.1.4(日)
「ものまねバトル」を楽しませてもらった。何といってもコロッケさんの芸はすごい!常に人の特徴をとらえ、
観る者がどうすれば笑い、楽しめるかを日々試行錯誤し、独特のアレンジを加えていくプロ精神、その志には頭が下がる。昨年大晦日
の紅白歌合戦で森進一さんの「おふくろさん」を観たとき、なぜかコロッケさんの顔が浮かんできて、森進一がコロッケのまね
をしているように感じたのは、私だけだろうか・・・(それほど、インパクトが強烈である)コロッケさんのセンス、そして進化・成長
してやまないプロ根性を見習いたいものだ。
2009.1.3(土)
たけしの「教科書に載らない日本人の謎」で神社や伊勢神宮のことが特集で取り上げられていた。ビートたけしさんが伊勢神宮
に参拝して『偉大な存在に圧倒されて、家内安全のような願い事はとても祈る気がしなかった。その場にいるだけでありがたい
という気持ちだった・・・』と、感想を述べていたが、まさに核心をついておられると、とっても嬉しくなった。たけしさんが
神社ファンになれば、鬼に金棒である。ところで、年末に主催した「伊勢詣」の様子が素敵な写真と解説付きで⇒
感謝の気持ちのブログに分かりやすく載っているので
ご覧ください。
2009.1.2(金)
今年は年賀状は喪中(妻のお母さんが昨年3月に死去)のため、こちらからは出せないので年賀状をくださった方、お返事
できなくてごめんなさい。年賀状の返事をしない分、HPの改訂に時間をかけているが、その中で今年の私の力を入れたいことは
「お笑いおかげ様伝道師」としてデビュー?し、出前講座、出張講演をどんどん行い、おかげ様の心を分かりやすく、面白く、
伝えるととともに、神社エール(神さまご開運)参拝のすばらしさを味わってもらって、人も神さまも地域も元気にするお手伝いを
したいと想っている。ちなみに私は文章を書くことより、生で会って話す方がずっと好きです!関西はもちろん全国どこにでも
参りますので、気軽に「山けん」をあなたの街に呼んでくださると嬉しいです(お得で徳も増えますよ)
2009.1.1(木)
明けましておめでとうございます。元旦は毎年、朝から夕方まで近くの神社でご奉仕させていただいているが、
今年は例年と違い、結構寒くて雨やアラレが降ったかと思うと、突然雲の隙間から太陽が出てくるような不思議な
天候だった。これは両極端になる今後の世相を表しているようにも感じた。私はといえば、例年ならマナー知らずの参拝者
に対して、ムカッとくることも多かったのだが、なぜか今年はイライラすることもなく、上機嫌でいることができた。それは
思考が正しいことより、心地よさを選択するようにしているからかもしれない。怒って注意するのでなく、笑顔で伝える
と、自分も相手も心地よくできるのがいい・・・