第71話

神ながらの道



神道は、「神ながらの道」と呼ばれています。

神道や神ながらの道の解釈は、いろいろな説や考え方があるので、
そこには触れないで、私の感じていることと、口に出してとなえる
と、神さまを呼ぶ呪文になることについて述べてみようと思います。


『神ながら』とは・・・、
神の御心であり、天地自然の道理でもあり、人知では計り知れない
ご存在に対して、随(したが)いながら生きていくことであり、
その道が「神ながらの道」になるでしょうか・・・・

私としては「神ながら」を「神さまとともに生きる」というとらえ方
が一番お気に入りです。


また、「神ながら」には、神さまにおまかせするという意味合いもあります。

目の前に起こることを裁かず、受けとめ、神さまに守られている
ことを感じながら、自分の今できることにベストを尽くす。

そして、後のことには執着せず、結果は神さまにお任せするという
「人事を尽くして天命を待つ」生き方が、神ながらの道なのかも知れません。



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普通、「神ながら」は、「かんながら」「かむながら」と読みますが、
私は、そのまま「かみながら」と、口に出した方が、神さまと一体に
なれる心地になります。

「か」には、「火」の上に上がる縦のエネルギーを感じ、
「み」は「水」の横に広がるエネルギーを感じるので、
「かみ」は「火水」で、縦横十字の神なるエネルギーが起こるのですね。

「かみながら」の言霊を何度もゆっくりととなえていると、外なる神
と自分の中にある内なる神の部分が、寄り添うような感じになります。

さらに、自分は神さまに包まれている幸せを感じ、
「何があっても大丈夫!」という安心感が出てきます。

神社や神棚で、「神ながら」と、称えると、神さまと自分の距離が
近づき、ともに喜びあえる「神人和楽」の境地になってきます。



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この「神ながら」ですが、大中臣神道(朝廷の祭祀を司る)の復興
に努め、西郷隆盛の友人でもあった「芳村正秉(よしむらまさもち)
」 が、伊勢内宮の荒祭宮で、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から諭された
言霊だということです。

倭姫命は、伊勢神宮を現在の地に定め、天照大御神をお祭りした
斎王で、神の神意を受ける巫女ですが、芳村正秉と倭姫命の間には
次のようなやりとりがあったとか・・・

芳:「仏教では南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)という念仏がありますが、
  神道では、それに代わる言葉は何でしょうか?」

倭:「それは『かみながら』です。」

芳:「本当にそれだけでよろしいのでしょうか?」

倭:「よろしい。かみながらは、神の大道の根本です」



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と、いうことで、『かみながら』という言霊は、ヤマトヒメさまのお墨付き(?)
もいただいている「神さまに近づける呪文」なんですね。

今や私にとっては、「おかげさま」「ありがたし」と並んで、シンプルな
三大五語神言?となっています。


皆さんも大いに『かみながら』をとなえて、神さまを感じてみませんか?




おかげさまで、ありがとうございます。
                            (^_^) 山けん



   ※ 参考資料:山田雅晴著「大中臣神道の秘儀と神言」(たま出版)




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