第45話

神仏は現実を重視する


人間の生活は聖でもあり、俗でもあります。

山にこもって、滝に打たれたりすることだけが修行ではありません。
むしろ、日々の生活そのものが最大の修行ともいえるのです。
ただ、現実の生活の中ではどうしてもつみ穢れが溜まり、聖なる気持ちにはなれないものです。
そんなとき、神仏に近づくことで、癒され、スッキリして感謝と謙虚な気持ちになることができます。

ところが、そうかといって神社、寺院、教会や聖地めぐりばかりして、現実に目を向けようと しない人たちがいます。
当の本人たちは、そのことで神仏から好かれ、特別にお役に立っていると思い込んでいる ようですが、神仏にしてみると・・・
「こっちのことはもういいから、それより仕事や家庭のことに力を注いだら・・・」
とメッセージを送っているようです。

神仏が人間に求めていることは、人間が現実に向かって、志をもって学ぼうとする姿なのです。
そんな人間を応援したくなるのが神仏なのです。
ただし、神仏のことに全く気を向けないのも、神仏からの応援は期待できません。
神仏の感情というのは、何をするのも義務ではなく、好意でするという感じです。
だから、この人間は応援し甲斐があると判断するとより守護されるわけですね。

大切なことは、現実の中で神さま、仏さま、ご先祖さまとともに生きるという境地です。
神ながらの道は、喜びであり、働くことと遊ぶことが同じなのです。
働くことが苦痛で、遊ぶことは楽しいというのは、働くことと遊ぶことが分離しています。
遊ぶために働いているのではなく、食べるためにいやいや働いているのでもなく、働くこと そのものが楽しみで、学びであり、遊びであるのが神の御心なのです。
神さまは遊びと無邪気な子どもが大好きです。

「神人和楽(しんじんわらく)」とは、神々に温かく見守っていただいていることを意識しながら、 「おかげさまで・・・」と感謝の気持ちで神さまとともに現実を楽しく生きることをいうのです。
そんなわけで、お祭りは古来より神さまへの感謝と、神と人が仲よくなるために、神と人の間(ま) をつり合わせるための大イベントであったのです。


感謝と喜び、そして笑いは祭りの特権ですが、神さまは祭りのときだけでなく、 普段からどんな現実であっても目をそらすことなく、笑顔と感謝で乗り越えていくことを 望んでいらっしゃるのでしょうね。


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