第7話

天地自然の道理


神道は、大自然そのものを教典としています。
つまり、大自然の営みの中に人間の学びがあり、天地自然の道理とは、大自然の摂理やバイオリズムに順応して生きていく道理のことなのです。

この天地自然の道理は、人間の開運にもそのまま当てはまります。
道理にかなう行動をすると、人生は波はあれども、スムーズに流れ、天地自然の道理から外れると、 しなくてもいい苦労を背負い込むことになるようです。

たとえば水です。
大自然から湧き出ているおいしい水といわれるものには、豊富なミネラルが含まれています。

ところが、純粋な水にはミネラルはないのです。
純粋な水は、もちろん飲んでもおいしくありません。
不純物であるミネラルがあるから、とてもおいしくて体にもよいのです。

塩も同じです。
にがりの不純物があるから、海水からとった荒塩は、健康にも適しているのです。

大自然から生まれたものには純粋はないのです。
いいかえると、大自然は純粋を許さないのです。

しかし、人間は純粋や完全を求めて、自らを苦しめています。
原理主義や宗教戦争は、純粋さを求めるあまり、信じるもの以外は受け入れようとしない 唯一主義から起こるものです。

万物には完成や唯一はなく、あるのは常に変化している陰と陽なのです。

ずっと昼(陽)ばかりは続かず、夜(陰)が来ます。
満月(陽)があれば、新月(陰)もあります。
満ちれば欠けていき、陰は極まれば陽になっていきます。
物質と精神、女と男、仏と神は、陰と陽の関係にあり、どちらも大切です。

本来陰陽なのに、善悪や上下にとらえたり、唯一主義にしようとするから、混乱が生じ、 争いが起きるのです。
陰と陽は対等であり、両方がそれぞれの働きを発揮することで、調和されていき、新たな成長を 生み出していくのです。

陽は発する働きで、陰は受ける働きです。
球技でいえば、攻撃が陽で、守備が陰です。
どちらも重要で、偏るといい結果は生まれません。

人間の生き方も陽が必要なときもあれば、陰が大切なときもあります。
大自然に純粋がないのに、人間が完全や完璧を求めることは、道理にかなわないので歪みが 起こってくるのです。

心身症になる人は、完璧主義の傾向があります。

人間はもともと完璧ではないのに、なんでも完璧にしないと気がすまないので、 そこにギャップが生じ、心と体のバランスを崩してしまうのです。
そういう人ほど、他人を責め、自分を責めます。

そして、なんでもイエスかノー、善か悪かですぐ判断してしまう人も天地の道理から外れて いますので要注意です。

ちょっと危ないな〜と感じられた方は「〜でなければならない!」と考えないで、 「〜はしたほうがよいが、できなくてもそれはそれでよい」と思うようにしてはいかがでしょうか?
(ぐーんと気が楽になりますよ)

むしろ、うまくいかないことが「おいしい水のミネラル」のような成長の隠し味になっているの ですから・・・
不純物やうまくいかないことも、実はありがたいことだったのですね。


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