【4】 神社って、いったいどういう場所なのよ?






 神社は、願いを神さまに伝える場所なのでしょうか?
 多分、そう思っている日本人が大半かも知れません。
 ところが、神社の起源は、人間が神さまの恵みに感謝させていただくためのお祈りの場
 として造られたものなのです。

 大地の恵みによって人間が生かされている感謝の祈りを神さまに捧げ、神さまとともに
 喜びを共有するためにつくられた感謝のお祭りの神の社が神社だったのです。

 本来、神さまは山、川、湖、池などにおられるのですが、人間からの、
  「ぜひ身近に鎮座していただきたい」
 という熱望(感謝の祭りをする条件)により、
  「そこまでの誠の心があるのなら、鎮座いたしましょう!」
 と、神社に神さまが鎮座していただけるようになったのです。


 やがて、感謝場である神社でお祈りをすると、なぜかいいことが起こってしまうことが
 噂になり、いつの頃からか願いを叶えてもらえる場として変わってしまったのでしょう。

 それでも、神さまは人間が好きだし、愛おしいので何とか願いを叶えてやりたい!
 という親心で数々のおかげを与えてくださっているのですね。

 ところが、だんだん人間が感謝することなしに、愚痴や不満をこぼし、要求する人間が増えて
 しまって、神社も「感謝賛美場」から「欲求不満場」になりつつあるのが、今の神社の現状と
 なってしまったようです。

 もちろん、そんな中でも、ピカピカ光輝いている神社もたくさんあります。
 そして、空気の重そうな神社でも、まだ参拝者のいない朝、もしくは感謝の祈りを捧げると、
 スッキリしますし、神社のお祭り(神さまを喜ばせる)のときには、場が喜びいっぱいの
 ワクワクした空間になります。


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 ここで、先日(2月6日)に祭りのすばらしさと重要性を再確認できた熊野の新宮市のお燈祭り
 に 「上り子」として初参加させていただいた時のことを述べたいと思います。

 まず、白装束に荒縄を5重に締めてもらい、草鞋に松明を手にもって新宮の神社に数社参拝
 するのです(阿須賀神社でいただいた甘酒最高!)

 町で上り子同士が出会うと、「頼むよ!」と声を掛け合って松明を当て合い、上り子同士の
 一体感を確かめ合います。
 (私はこの挨拶の時点でかなり熱く「頼むよ!」をしてしまい、松明についている華が
   気がつけばすべて飛んでなくなっていました・・・・)

 この「頼むよ!」には、
  「今日の祭り、盛り上げてや、頼むよ!」と、
  「自分に火がかかったときは、消してや、頼むよ!」
 というみんなで協力して助け合う気持ちが込められているそうです。(新宮の友人談)

 上り子で、それぞれの神社の境内は人でいっぱいになり、ごった返しているのですが、
 神社には重たさはなく、ご神気が満ち溢れています。

 これがお正月のように個人的な参拝であれば、人のエゴや念に包まれて疲れてしまう
 のですが、すべての上り子は祭りの成功を祈り、神さまのお手伝い役となる覚悟がある
 ので、場のエネルギーもあたたかいのです。


 そして、さらに神倉山の聖地のゴトビキ岩付近に2000人以上の男が松明をもって張り付いて
 いるときには、緊張はピークを迎えることになります。

 松明の火がどんどん広がり、上り子に行き渡ったときの熱気はすごい!
 これは上り子にならないと分かりませんので、ぜひ参加してみてください
  (ただし、女性は参加できないのです)

 女性は、神倉山の下で無事を見守って、今か今かと待っているのです。
 (ある意味、精子と卵子の働きを表しているようにも感じました)
 ちなみに、新宮の熊野速玉大社の主祭神は、イザナギ神とイザナミ神なので、その働きと
 「お燈祭り」はリンクしているのかも知れません。

 この祭りで新宮の町は、年が明けて春になると言われていますが、神さまと人が一体となる
 お祭りで、神社はパワーアップして、地域も守られるのです。


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 お祭りもそうですが、神社は感謝の祈りを捧げ、神さまとともに喜びを分かち合う場所
 なのです。

 感謝の場である神社で、神頼み(お願い)をするのは、やはり場違いといっても過言では
 ないでしょう!

 なぜなら、神さまに要求やお願いをするということは、今を感謝していないことを神さまに
 伝えていると同時に、現状や自分を否定していることになるからです。

 足らないことを神さまに伝えると、足らない現実を引き起こします。
 足りていることに感謝すると、さらに足りている現実がやってきます。


 とは言っても、愚痴や不安があるのが人生です。

 そういう時は、隠さずに神さまに素直な気持ちを伝えればいいのです。
 ただ最後に「愚痴や不安を聞いていただいてありがとうございます」と感謝で締めくくり、
 自分として今、できることやビジョンを神さまに宣言すればいいでしょう!

 また、本当に切羽詰まったときには、「どうか!お助けください」と、自分でも精一杯やれる
 ことをした上で、神さまに後押しをお願いすることはいいのでは・・・と私も思っています。
 (実は、えらそうに言っている私も何度も神頼みをしています)

 人間ですから命に関わることや紙(神)一重のピンチでは、神頼みもしなくてはいられないし、
 そのときはすればいいでしょう!
 (ただし、このときも期待せず、起こることに感謝する心が大切です)


 これは私の見解ですが、参拝では、10のうち
   半分の5は感謝の祈りで、3は神さまの応援エール、
   1が愚痴のカウンセリングを聴いていただく、後の1が後押しのお願い
 という感じでしょうか?

 もちろん、皆さんは感謝100%のお祈りをしていただいてもいいですし、現状に合わせて
 適当に比率を変えてくださればいいとは思いますが、神頼みや依存が主流になる祈りには
 ならないようにしてくださいね。

 神頼みで神社は重くなり、神さまは元気がなくなり、自分も貴重な学びを失うという三重苦を
 引き起こすことになりますので・・・・

 神社では、感謝を述べて、神さまにエールを送りましょう!




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