奥羽本線 庭坂駅〜赤岩駅間 廃隧道 番外編


     
     こういう小話がある。
     アラブの大金持ちが『黄色と黒のシマウマを連れてきた者には百万弗の賞金を出す』と宣言した。
     これを聞いたイギリス人は早速鉄砲を担いでアフリカに出掛けてしまった。
     ドイツ人は図書館にこもってしまった。
     イタリア人は陽気に前祝の大宴会を開いている。
     フランス人は普通のシマウマをペンキで塗りたくっている。
     日本人は一本一本植毛を開始した。というものである。

     小生とF班長のコンビは、この点に関してはほとんどイギリス人である。
     アウトラインを頭にインプットしただけで出掛けてしまう。

     この一連の廃隧道めぐりは、その最たるものの一つであった。

     2003年の12月、旧6号と旧7号のトンネルを見てきた。
     ここは案内する人さえいれば比較的容易に行くことが出来る。
     地形図では表記されてないため、自力では入り組んだ地形に惑わされ
     かなりの困難を強いられるだろう。
    
     その時点では旧6号と旧7号を通り抜け、対岸の旧5号の米沢側坑門を
     見ただけでしごく満足であった。
   
     2004年の4月、春の訪れと共にお散歩の虫がうずき出し、
     対岸(松川南岸)の旧5号が気になって仕方がなくなった。
     それが「お散歩Part2」である。
     しかし、アプローチルートは公開しなかった。
 
     小生もF班長も、ごく普通のオジサンである。
     特殊な装備を持っている訳ではない。
     筋力、体力にしても、ごく当たり前で、
     消防団に属しているため、少々違った経験と知識があるだけである。
 
     結果的に、旧5号隧道、旧4号隧道、二代目5号隧道には行くことが
       出来たが、要所要所に危険箇所があり、とてもではないが一般的でないために
     我々の採ったルートは公開しなかったのである。
     
     足を挫いただけでも、帰還するのは困難な場所である。
     まして骨折でもすればレスキュー隊にお世話にならねばならない。
     
     ルートの公開には、F班長と意見も分かれた。
     様々な考え方ができる。
     ともあれ、我々が辿ったルートを公開しよう。






この険しい崖の中腹にポッカリとその姿を見せる旧5号隧道の
米沢口にどうやって辿り着けばよいというのだろう。
対岸から見ても、下からはとても登れない。
少しばかり迂回したところで、中途でルートが途切れてしまう。
そこから先はどうするんだ?
登りは危険である。進むも退くも出来なくなる状況が最も怖い。


では、上方からか?
大きく迂回して坑門の上に回り込み、ロープを垂らして降りる・・というのは?


小生とF班長の持参したロープを二本繋げれば30Mにはなる。
余裕を考えれば実質20M余、間に合うのか?
分からないが、それしか方法がなさそうである。
ともかく現場まで行ってみなければ話にならない。
ダメなら諦めて帰ってくるだけのことだ。


では、一旦赤岩駅まで戻り、イラ窪に渡って迂回するか?
いや、この隧道の福島側には旧4号隧道と繋ぐ蝮澤橋梁というのがあるはずである。
そこならあるいは登るのが可能かも知れない。


そう考え、とりあえず松川河岸に降り、下流へと下ってみることにした。





松川の水量はさほどではない。
大石を飛びながら対岸へと渡った。
しかし、むしろ河原にある大岩石が我々の行く手を阻んだ。
川筋のヘアピンカーブを過ぎたあたりから、這い蹲ったり
飛んだり、屈んですり抜けたりと難儀した。




随分と時間をかけ距離を稼いだつもりだったが、未だ蝮澤橋梁の跡が見えない。
河原から見えるのかどうか、橋脚や橋台がが存在するのかどうかさえ、分からない。
ひょっとすると視認出来ない場所なのかも知れない。
橋梁跡を確認できたところでどうなるか分からない。
分からない事だらけである。
ダメなら又ここを戻ってくるしかないわけだ。


それと「蝮澤」というくらいであるから、ヘビがうようよ?かも知れない
F班長の苦手はヘビである。困った所へ向かっているわけである。


何個目かの大岩を乗り越えて行くと、岩場の崖でない
土の崖?の部分があった。
下から眺めると何とか登れそうである。

蝮澤橋梁に向かうのを変更し、ピークを目指して登り始める。

枯れ枝をつかまない様に慎重に登る。(我々の得意分野だ)





ここでおよそ30Mも登ったかという所で予想もしてなかった光景に驚いたのである。

最初は息も絶え絶え、「おぅ、ちょっと平らな所に出たな」と思っただけである。
ところが違った。

何と、道のようになっているではないか。「何なんだ、これは!」


おまけに欠けた湯のみ茶碗が半ば埋もれてあるのも見つける。
ヘルメットを被ったオッサンが今にも現れそうである。





あの険しい断崖を迂回した所にこんな道らしきものがある、というのは
何か狐につままれたような感覚である。

ともかく、工事に使用した何かであろう。
この道を松川下流側に辿ることにした。


ほどなく段々と道が崩れ始め、その先に人工物が見えてきた。
何か関連した物かと思い、恐る恐る近づいて行った。






結果的には「大正解」であった。旧5号隧道の福島口である。
山からロープを垂らして降りる危険を冒すこともなく、
おそらく最も安全なルートを偶然に辿ることができたのである。


小生とF班長のコンビは、よくこういうことがある。
二人合わせて百歳を越える知恵?と言うと言い過ぎだろうか。


こうして我々は旧5号隧道に取り付くことが出来たのである。





出迎えてくれたのは、カモシカ君である。
けたたましく降りてきた割には、のんきにこちらを見ていた。
ほんの数秒ではあったが、人間の踏み込むべき土地ではない・・
そう言っているような気がした。





初代の5号隧道と二代目5号隧道の福島口が、謂わば同じ敷地に
存在するとは思わなかった。
それぞれ、やはり崖の中腹にポッカリと穴を開けているのだとばかり思っていたのだ。
新たな発見というか、確認であった。


さて、帰り道である。





二代目5号隧道の米沢側坑門から降りてきたのである。





この橋台の片隅に咲く名も無い花を撮影しながら、松川を眺めてみた。

上から眺めると、よく見える。
あそこまで行って、次にあそこ、次は・・
という具合にルートを見出せる。

これは下から見出すのは無理であろうと思われる。
一度降りた経験のある小生でも、下から登れと言われれば
ずいぶんと時間がかかることだろう。
まして樹木の茂る時期はおそらく拒否するであろう。


以上で我々の辿ったルートの公開を終える。

最後にこの二代目6号隧道の米沢側坑門の橋台に
面白いものがあった。

ヘビ嫌いのF班長が思わずビビッた木があったのだ。




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