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前回のお散歩で動物の頭骨ではないか?としていた物は、実はただの白い石であった。雪で流されもせず、そのまま存在していた。(背骨はどこかにいってしまったが)
とりあえずは初代松川橋梁の場所まで行くために、前回とは逆のコースを辿る。
地形は頭に入っているため、迷わずにここまで来ることができた。 |
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「ニヒト・アイレン」様のサイトによると、この7号隧道の福島側坑口にはプレートがあるという。
前回はムチャクチャすげえ所に来ちゃったという感じで、余裕が無く気付かなかった。
なるほど、あった。 |
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初代6号隧道(110M)を通り抜け、初代の松川橋梁の場所に着く。
今回の目的は、この松川の対岸(南岸)の初代5号隧道に行けないだろうか、というものだった。
そういう目で改めて眺めるが、一目瞭然こりゃぁ無理かも・・・・・という険しさ。
断崖絶壁!早々に諦めムード。 |
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何処か取り付く所はないだろうかとアチコチ周辺を探る。
少し西側に2代目の5号隧道の米沢側坑口と思われるものを見つけた。
が、こことて無理。 |
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せっかくだからズームを使って撮影。
左側に青色の掛札が下がっているように見える。
近くで見てみたいものだ。 |
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さらに右側(西側)にもトンネルの坑口が見える。
先ほどのが2代目5号隧道とすれば、これが2代目6号隧道の福島側坑口となるはずだ。
さすればこの隧道を繋ぐのは長谷橋梁であるはず・・
双眼鏡を使ってさがすと橋台と思われるものが見える。間違いなさそうである。
せり出した崖と崖にトンネルを掘り、その間を橋梁でつなぐというやり方である。
こういう工事を明治の人間で可能だったのは驚く。
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とりあえずも松川まで降りて、下からルートを探してみることにする。
が、降りられるような良い場所が無い。
結局、初代松川橋梁の付近から降りることにする。
上から覗いただけでは見えなかったが、初代松川橋梁の橋台もさすがに傷んでいる。 |
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橋台はレンガで造られているが、その土台は石積みであった。
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松川まで降りるのだけでも容易ではない。
事実、朝方降った雨のために落ち葉に足をとられ、3メートルほど落下。(幸いにして怪我無し)
降りて松川南岸を見上げる。
とてもじゃないが登れるような所ではない。
残念ながら、断念するしかない。 |
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どらえもんのタケコプターを使って、ここまで辿りついたと思ってもらいたい。
いきなりで恐縮だが、あえてプロセスをカットした。
並みの危険さではない。
この画像が何であるかは未だ分からない。
とにかくも人工的な建築物にまで辿りついた。 |
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プレートが無いので、この隧道がどの隧道であるのか分からない。
初代の5号か2代目5号かのどちらかと思われる。 |
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この隧道を抜けてみて確かめようと内部へ入りかけたら、山側から物音。
カモシカだ。カモシカが駆け下りてきた。
あわててデジカメを取り出す。
(上の画像の左の急斜面を降りてきたのである。) |
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のんきなもので、「何だコイツラ」と言う顔でこちらを見ている。
熊でなくて良かったが、張り詰めた緊張感がほぐれ、ほのぼのとした雰囲気に。 |
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さて、抜けてみることにする。
内部は綺麗であった。
これが初代5号であるならば既に廃棄から93年の月日が流れている。
対岸の6号も綺麗だったが、こちらの方がよりそうかな・・・と感じた。 |
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トンネルを抜けると、初代の松川橋梁跡が見える。
間違いない。これが初代5号隧道である。
あの断念した5号隧道の米沢口に立つことが出来た。 |
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米沢口にある5号隧道のプレート。
在ったのはいいが、今冬の積雪に耐えられるだろうか、と心配なくらい崩れかかっている。
あと何年もつだろうか。 |
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5号隧道を戻る。福島側坑口から数十メートル先に建築物が見られる。
2代目5号隧道の何かと思われる。
横坑でも有れば入れるかな・・・と近づいてゆく。 |
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あっさりと2代目5号隧道の福島側坑口であった。
隧道の出張りの部分であったわけだ。
この口にはプレートが無い。
この隧道も中へ入ってみることにする。 |
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内部は真っ暗である。
この2代目5号隧道は164Mの長さであるので、出口から光が差し込むはずだ。
途中で崩落している可能性が高いので、慎重に進む。
画像のように、敷かれた砂利の上に、枕木の跡が見て取れた。
1961年廃棄であるから、その時の跡である。 |
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慎重に慎重に足を進める。
中ほどに達すると、何となく薄明かりが差し込んでくる。
出口だ。
この隧道は福島側から見ると、左へフックラインを描いていたのだ。
だから真っ暗だったのだ。 |
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米沢側坑口へと出る。
1961年まで使われていたのだから、何度か改修されたのだろう。
部分的にも崩落の跡は見られなかった。
対岸から見えた、青色の掛札もちゃんとあった。 |
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青色の木札に何が書いてあったのか不明だが、その下にペンキで5と書かれている。
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ここから長谷橋梁を経て、2代目6号隧道へと繋がるわけである。
画像は長谷橋梁の橋台。 |
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戻って、この2代目5号隧道の前で昼食とする。
右側に初代の5号隧道の福島側坑口が見える。
日差しがやわらかい。
風も無く、鳥の鳴声を聞きながらお茶を沸かす。
このひと時がこたえられない。 |
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おにぎりをパクつきながら、この隧道を繋ぐ、蝮澤橋梁の跡を眺める。
画像の真ん中に橋台があり、4号隧道の米沢側坑口が見える。
峻険の谷である。落ちたら真っ直ぐに数十メートル下の川まで落下。
ロープワークを駆使して、向こうまで可能だろうか、とF班長と相談する。
予定外ではあったが、行けるものなら行ってみたい。 |
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余分な荷物は置き、とにもかくにも4号隧道の米沢側坑口に到着。
プレート等、4号であることを示すものは何も無い。
内部を伺うが、331mの長さなので、光などは見出せない。 |
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内部は荒れている。
崩れたりはしていないが、コンクリート塊や木材などが散らかっていて歩きにくい。
一連の隧道とは性格を全く異にしているようだ。 |
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置き去りにされたのか、スコップなども真っ暗闇のなかにあった。
すぐそこに誰かいるような、薄気味の悪さが残る。 |
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およそ200mほど進入したかと思われる地点で、コンクリートで塞がれていた。
という事は、空気の出入り口は入ってきた坑口だけである。
ガスの発生や酸欠が無くて良かった。危ないところであった。
しかし、このトンネルは非常に雰囲気の悪いトンネルである。
真っ暗闇の中でストロボで撮影すると、こんな水玉みたいな物が写るのであろうか? |
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4号隧道の米沢側坑口付近の画像。
このトンネルだけ、他のと違う工法なのか、ご覧のような構造になっている。 |
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現在使われている松川橋梁。
2代目6号隧道を除いて、探索してきた訳であるが、この2代目6号隧道の米沢側坑口が見当たらない。
おそらく現在の上り線の坑口とクロスしているのではと思われる。
あの2代目6号隧道の先も、4号隧道同様にコンクリートで塞がれているに相違ない。
先が塞がれている隧道は4号みたいに多分、気味が悪いに決まっている・・・・と思われる。 |
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