山口屋の歴史



創業は大正初年としか分からない。場所は市内豊田町に大叔母が創めたもの。
大叔母の名前は「トラ」と言った。
今の浜田町のヨークベニマルの所が、以前は野菜市場であった。
作物を持ち込む農家の人や、出入りの商売人をあてこんで、
近くには何軒かの飲食を供する店が出来た。
個店ごとの名前などは無く、そのような店を総称して「茶屋」といったらしい。
「おトラさんとこの茶屋」とでも呼ばれていたのだろうか。
「山口屋」と名前が付いたのは関東大震災の年
と言うことは、山口屋になってからもう、80年は越すということ。



何故、山口屋と名前が付いたかというと、
大叔母のつれあい、つまり大叔父の出が、文知摺観音のあたりで
その出身地、「山口」の地名を取ったもの。



その店を姪である、私の母が引き継ぐことになった。
父は旧鳥川村の農家の次男で婿に入った。



昭和31年に仲間町に移転する



ちなみに父は農家の出であるせいか、コメ人間で蕎麦は嫌いだった。
三食とも米飯で満足の近郊農耕民族そのものであった。
麺類を食べるのは、せいぜい半年に一度。
それでも、今の蕎麦の原型を作ったのは父である。
なんでだかよく分からない。



今の店主、つまり私は28歳で戻ってくるまで
民間企業に勤めるサラリーマンだった。
蕎麦屋で修行してきた訳ではない。
父が倒れ、突然に戻らざるを得なくなったのだ。
父の麺打ち作業は見ていたので、その分だけ素人よりマシくらいで
料理や調理などに本当のところ今でも興味がない。
よって何年もひどい蕎麦をお客様に食わせてきた。ごめんなさい。


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