乾 杯

君といた日々





丘の上、風がようく通る場所に、ベンチがぽつりと備えられている。
そのベンチに座り茶色い巻き毛を風に吹かせているのは、かのト□イ戦争が集結を迎えてから十年の月日を経て帰国したイタカ国国王その人だった。
ここはエーゲ海に浮かぶ小さな島。
小さいと云っても人々は住み、家畜は生き、作物は育ち、交通も物流も滞り無く動くポリス(都市国家)である。
イタカ王が座るベンチの空いている所には、今年出来上がったばかりのワインとそれが注がれたカップが二つ。

「今年の新酒だ、お前と飲もうと思ってな」

イタカ王は両の手にカップを持ち一つに口をつけ、一つを空高くへと掲げた。

「十年……お前に飲ませてやれなかったな。その分今年は特に上手く感じるぞ」

蒼い海と蒼い空が重なりあう水平線を、イタカ王は眺めていた。

今となっては、何もかもすぎてしまった事……

だと、句切れる程の身分ではないイタカ王。

「お前と居た時間、私は王であって王で無く、戦人であってそうでは無い『私』だった気がする」

穏やかに、静かに微笑んだ。

「まぁ、遠く無い未来、私もお前のところに行くのだから、それまで待っていてくれないか?」

「私の本音と愚痴聞いてくれるのはお前だけだ」

「なぁ、アキレス。」


言葉は海風に乗って、空高く運ばれる。

死者の国、冥不に向けて。

地上の実りを凝縮した、香しい匂いがそこに届くようにと、イタカ王は願った。



05-11/30
オデッセウスは10年かけてト□イから帰って来ました。
過ぎ去った事に対する思いを、命の炎を輝かせ駆け抜け
ていった英雄達に馳せて、愛した己の国の酒に酔う。