〜3〜



 一頭の馬と一人の男が、防壁の全てを管理する最大の要塞、その入り口にある大きな広場に、微動だにせず立っていた。
男はローマ帝国の都から長い距離を馬を乗り換えやってきたとは思えない程、身綺麗であり疲労の色をまったく浮かべていない。
馬も各駅で乗り継いできた馬であるにも関わらず、まるでこの男こそが己の主人であるかのように、男の隣にしっかりと寄り添い、誇らし気に立っていた。
「今まで見たことのないタイプのローマ人だな」
アーサーの横に従うように歩いてきたランスロットはボソリと、アーサーにだけは聞こえるような小さい声で呟いた。
アーサーは、ランスロットのその言葉が最大級の褒め言葉であることはわかっていた。
目の前に立つ男が『たかが伝令』と云う見下した相手ではなく、馬と共に生きるサルマティアの価値観でもそうだが、馬がこれほどまでに信頼を寄せている乗り手、一人の立派な騎士に対当する人物だとランスロットは認めたのだ。
それが呟きに現われている。
実際ランスロットと云う男は、人を見た目だけでは判断しない注意深い男である。もちろんそれは他の騎士たちにも言えることだ。
総ては最悪の事までを想定し、だが行うときには最善最良の事を口にし実行する。
己が生き抜くことに、どん欲でなければならない。
そう、馬に乗って戦う騎士は「最強だ」と、己で見栄を張るわけではない。
ただ、馬と共に在り、馬と共に逝く、その全てがサルマティアの民に在り、サルマティアの民の魂であるのだ。
馬に乗る事こそ、馬と一緒である事こそが、特出した戦闘能力を持つ事になったサルマティア騎士の所以なのだ。
アーサーはランスロットの、人物を見る目に安心し、これから起こるであろう大きな波にも、きっと翻弄されずに、その中心を見る事ができるだろうと安心した。
たとえどんな事があったとしてもだ。
「帝都よりの輸送ご苦労である」
アーサーは、ランスロットが今までに聞いた事がないような、流暢で美しいラテン語で、遥々ローマ帝国帝都からやってきた男を出迎えた。
「ハドリアヌス防壁責任者にして、要塞最高司令官、アルトリウス・カストゥス様ですね」
「如何にも」
対する男も、ランスロットには話す事が出来ないであろう完璧なラテン語で、アーサーに対し敬意を持った態度で確認を求めた。
「拝見ください」
ぐっ、とアーサーの前に差し出したのは、男の左腕にガッシリと枷のごとく嵌まっている、様々の模様が刻まれた銀の腕輪だった。
アーサーは、顎を引くように頷くと、両腕を広げて、中へ入るようにと促した。
「こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
男は一抱えの木箱を馬の背から降ろし、アーサーに導かれるままに後ろを歩いた。
あまりにも簡素なやり取りで、要塞内部へと入っていく二人に、ランスロットは若干あっけにとられた。
「馬は馬守達に任せ、荷は……ジョルズの指示を仰ぐように」
アーサーと男の後を追おうとしたランスロットは、側仕えの警護の兵士たちに指示を出そうとした。
すると既に何時ものように落ち着いたアーサーの従卒ジョルズの姿を見つけ、彼に後を任せた。
アーサーの部屋を慌てて出て行ったこの男が、何もせずにこの場にやって来るわけはないと、ランスロットは知っていた。
「お任せください、ランスロット」
ジョルズは恭しくランスロットにかしづくと、側仕えの騎士達の元へと向かって行った。
「荷は、客室へ」
アーサーの後を追うランスロットの耳に、ジョルジュの指示する声が聞こえてきた。 
 コツコツと足早に石畳の上を歩き、前方を歩くアーサー達に追い付こうとランスロットは急いだ。
ランスロットが追い付いたのは、円卓の間への扉の前だった。
「ランスロット、君も中に入るんだ」
アーサーはランスロットの姿を見つけると、司令官としての権限を発する口調と態度で、ランスロットが追い付くのを扉の前で待っていた。
「彼の同席は可能ですね、むしろ彼が同席してもらわなければ、私は貴方から何も受け取ることは出来ない」
円卓の間への入り口を開き、アーサーはランスロットの肩を抱き込み、男へと信頼している片腕だと知らしめてみせた。
「アーサー!」
驚いたのはランスロットの方だ。
いきなりきつく肩を抱き寄せられ、それはまるで己が伴侶に対する扱い方に、あまりにも似ているからだ。
「構いません」
男は、無表情に頷くだけだ。
実際に持って来たものを読んでもらわなければならない手前、アーサーの出した主張を呑む事も、一つの解釈の仕方である。
だが実際は、その主張すら跳ねのける権限をこの男は持っている。
面通りをした際にアーサーに見せた左腕に嵌る銀の腕輪に刻まれた紋章が、その効力を持っているのだった。
銀の腕輪に刻み込まれた紋章……馬の蹄鉄と小さな花とを象ったそれ。
その紋章が示す特定の個人。
勿論アーサーも、この銀の腕輪の効力は十分知っている。

 そして円卓の間の扉は固く閉じられた。

誰も近付く事は許されず、円卓の間はたった3人の為だけに使われた。



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