〜2〜



『コンコンコン』
「入れ」
「アーサー様、帝都よりの使者だと、名乗る男が参られております」
木戸を叩くノックの後に入って来たジョルズは、アーサーに一礼をすると要塞の門番兵から伝言兵へと取次がれた言葉を伝えにやって来た。
「定期連絡の連絡兵ではないのだな」
いつもならばジョルズの手には通信筒が握られており、この場でその内容を確認できるのだが、明らかに彼は手ぶらでアーサーの前に立っていた。
「はい…………ですが、今までにない状態での面通りで………」
「どう言う事だ?」
ジョルズの言葉の歯切れの悪さに、アーサーはいぶかしんだ。
いったい何者が何用でここ(ブリテン島)まで来たと言うのか。
「は………その、あまりにも伝言兵の言葉があやふやでしたので、直接、私がお会いしました。ですが…その方はお一人でローマから馬を駅で乗り継ぎ来られたと申され、ご本人は提示されませんでしたが、帝都の教会の紋を背負っての来城で………」
「一人でローマからだと?」
アーサーはジョルズの報告を途中で遮り、己が指揮する内でこのブリテン島にあって、遭遇する事の確率がゼロに等しかった、ある事項を思い出した。
「ジョルズ!急いで客人用の部屋の用意と医師を!ああそれと奥の湯殿の準備を急いでくれ」
「はい!」
ジョルズは主人の顔色が変わり、いきなりの指示を出されたが、一礼をするとすぐに行動に移った。
ジョルズが退出してすぐに、アーサーはいつも身に付けているマントを脱ぎ捨てると、納戸の奥から一枚のマントを引っぱりだし羽織った。
「なんて事だ、こんな所へも『あれ』は来ると言うのか!」
アーサーはマントを留める、留め金をなかなか掛けることが出来ずにいらついた。
指先が言うことを聴かない、気が動転していることを隠すことも出来ずにアーサー自身の指が、アーサーに知らしめていた。
「チィッ」
己の腑甲斐無い無さに彼らしくもなくアーサーは、思わず舌打ちをした。
平常心を保ち、心に穏やかな水面を持つアーサーが、落ち着きのない焦りを持った所為だった。
「アーサー、ジョルズのやつが血相変えて出て行ったが、どうしたん……だ。ってアーサー!何を着てるんだ!!」
言葉に含み笑いを残してランスロットは砦の司令官の部屋に入って来て、いつもではあり得ない司令官の姿を見つけ声を荒げてしまった。
 どこか砦内が慌ただしい妙な雰囲気に包まれている事にランスロットは気づき、すぐにでも対応できるようにと司令官補佐として司令官の部屋の前までやって来た。するとランスロットの目の前をアーサー付きのジョルズが、いつもでは見られない慌て振りで部屋から出て、どこかへと行く後ろ姿を見ることになった。
それをランスロットは笑いながら、己が円卓の騎士団の司令官の部屋に入って来たのだ。
司令官の部屋だとしても、ランスロットはもちろんノック等はするはずもない。
ただ扉を開けて、そこで目にしたのが、司令官が特別な日にのみ身に纏う豪華な深紅のマント姿だった。
それは副官のランスロットでさえも年に一度見る事が有るか無いかの、司令官の姿だ。
このマントを羽織る事は、何日も前からランスロットにも知らされるのが当たり前であり、ランスロットは知らされていないことの怒りよりも、緊急な状態でのそのマントの登場に何ごとが起こったのかと、思わず大きな声をあげた。
「ちょうどいい所に! ランスロット!君も一緒に来てくれないか」
「ぁあ?!………っておい!!待てって」
「行きすがら話すから、来てくれ」
アーサーがランスロットの前を歩きながらついてくるようにと促す。
深紅のマントが翻り、ふわりとランスロットの鼻先に乾燥ハーブが炊かれた香が漂った。
(ああ、この前の祭事の時の匂いか)
めったに着る事はないそのマントからは、以前アーサーが司祭に代わり行った典礼(正式な儀式)時に使った、清めの為の乾燥ハーブの移り香だった。
 何故アーサーが司祭の変わりをするのかというと。この帝都から遥か離れたブリテンの地には、皇帝から与えられた土地を支配する貴族らが抱える土地の教会関係者…司教・司祭ら…は居るが、ここ砦に関しては駐留するのは、もちろん兵士達や馬丁、せいぜい医師ぐらいなものだ。
砦には抱えの司祭を迎える程の予算はなく、教会へ師事を仰いだアーサーへと自ずと祭事事も任されることになったのだった。
 ランスロットはアーサーの半歩後ろを歩きながらその香に眉をしかめた。
己の斜前を闊歩する男が、まるで自分が知らない男のようで、たった一枚の赤いマントの所為で、こんなにも心を乱してしまう自分を情けないと感じた。
「ローマから……ああ、中央教会からだと思うのだが、使者だ」
アーサーは、焦る気持ちを抑えランスロットに伝える。
「使者ぁ?たかが使者にお前はそんな大層な格好で逢うって言うのか?しかもお前の方から迎えるなんてどう言うことだ?」
ランスロットは仰々しいアーサーの姿に、めんどくさいと云う気持ちが乗っているのがありありと解る声音で言い放った。
「いつもならば伝令兵からの通信筒だけで用件はすむんだが、今回ばかりはそうも言ってられないんだ」
アーサーの押し殺した声に、今までどこか軽々しいリズムで話していたランスロットも声を潜めえて伺うように聞くしかなかった。
「緊急事態でも起きたか?」
「近いな」
ランスロットの自分を気遣う声音に、ほんの少しアーサーの心に余裕ができ、にやりと口元を引き上げて応えた。
「厄介事が舞い込んで来たって事か」
アーサーの周りに合ったピリピリした空気が消えたことに、ランスロットもくだけた調子に戻ったが、これから起こるであろうことに気を引き締めた。
「どうだろうか?それは逢ってみなければ解らないな。ああそうだ、ランスロット」
「ん?」
「たった一人でローマから馬だけを乗り継いでやって来た人物の到着が意味しているのはなんだと思う?」
「よっぽど大切な荷物なんだろう?途中で摺り替えられることを嫌う荷物か、まぁ……俺は、ローマの伝馬制度はてんで解らんがな」
アーサーの問い掛けはランスロットの興味がないというそぶりで解決されそうになったのだが、遅くなる事はない速度のまま、アーサーはランスロットの興味が向くようにと話し続けた。
「本来なら通信筒を数マイルごとに配備された駅ごとで運送されていくんだ。そうするとその通信筒は一日で187マイルは走るんだ」
「単騎で一日そんな距離は走れないだろ?……だとしても、馬だけを乗り換えて繋いで来たってなれば……死んでんじゃねーのかその乗り手」
「そうだな普通は無理なことだろうね、けれど訓練された人物だったらどうだろう。たとえば君たちのように生まれた頃からずっと馬と接していたとか」
「サルマティア人なら、ぴんぴんしているだろうな。ただ、俺たちはそんな伝令ごときをするためにローマに連れて来られたわけじゃない」
ランスロットはこれだけは言っておくぞとアーサーに進言した。
自分達サルマティア人は、馬を操る兵士としてローマに従軍している。それを忘れて、ローマの飼い犬になり、『たかが伝令』に等、成り下がりはしない。馬を操り勇猛な騎士として、戦う戦士として、決してそのプライドは捨てるはずがないと。
「そうだな、君たちは騎士として戦っている」
アーサーは少し歩みを抑えると、ランスロットの隣へとより、『最強』の名を頂く騎士にしては随分と細い彼の肩に手を添えた。
「さぁ、私の片腕、副官であるランスロット、共にこれからやってくるだろう大嵐に立ち向かおうではないか!」
グッとその手のひらに力を込め、どこか芝居がかった抑揚で、ランスロットと一緒に使者が待たされているだろう防壁中央門内の広場へ通ずる扉を押し開いた。
 ギギギギギ……
重たい扉が開けられ、薄暗い建物の中に、外の明るい日が差し込む。
空は相変わらずの曇り空であり、外を吹く風もいつものように湿気を含んでいる。
それなのに、アーサーとランスロットは、戦場に赴く以上の心構えで、明るみの中へと足を進めた。


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