メリッサ

〜時の挟間の渦の中で〜


〜1〜


 夕食後の円卓の騎士たちの楽しみは、美人の女主人(ヴァノーラ)が切り盛りしている酒場での酒宴だ。
今夜、そこには5人の騎士が一日の終わりのゆっくりした時間を、楽しく騒がしく賭け事に興じながら居た。誰一人として、この場での待ち合わせや約束をしているわけではないが、必ず円卓の騎士たちはこの酒場の決まったテーブルに腰掛けているのだった。
けれど今晩そこのテーブルには一人、いつも一番騒がしく、大きな声で笑い声をあげ、楽しむ人物の姿がなかった。
酒場中の女の視線を釘付けにし、酒場中の男たちの羨望を一身に受ける一人の騎士。
もしかしたら男からも熱い視線を投げかけられているかも知れない、騎士。
今晩と言うだけではない。
ここ数十日。
いや、ひと月近くなるだろうか。その騎士がまともにこの酒場に姿を現わしたことはなかった。
「やれやれだ」
だが、騒がしいテーブルに年寄り臭い言葉を吐きながら、その騎士はやってきた。
誰もがハッとする程の、研ぎすまされた剣の刃のような、触れれば怪我をする程、鋭利な美貌を持つ騎士、ランスロット。
「お疲れさん、ランスロット」
「おう、悪いな」
自分と同じような強いカールの黒髪の男から、ランスロットはなみなみと酒が注がれた質素なカップを受け取った。
円卓の間であれば、手入れの行き届いたゴブレットで飲む事ができる酒が、ここではしっくりと指に馴染む味のあるカップで飲むことになる。
自分には、あんな豪華な物よりも、こんな素焼きのカップが似合うとランスロットは、唇にあたるざらりとする感触を味わいながら、咽の奥へと、濾しの足りず舌に異物感が残るぶどう酒を流し込んだ。
「まったく、アレが来てからここ一ヵ月は、ゆっくり酒を飲んだためしがない」
はぁ〜〜、と、酒くさい溜め息を吐き、肩を落として、ランスロットは愚痴をこぼした。
自分のこの忙しさがわかるか?と同じテーブルにいる円卓の騎士……ガラハッド、ボース、ダゴネット、ガウェン、トリスタン……に言葉にしなくても、言葉よりもモノを言う大きな瞳が語っていた。
「今も、逃げ出して来た口だろうに」
トリスタンは呆れた声で、ランスロットに現状を突き付けた。
「御明察」
逃げ出したくもなるさと唇の端を、シニカルに引き上げて笑うランスロットの目には、疲労の為の疲れはたしかに合ったが、その奥にあるどこか楽しそうな色を、長い時間を共に過ごした円卓の騎士達は見のがさないでいた。
なぜなら、仕事であったとしても、とにかく今回はいつも一緒に司令官と行動をともにしなければならない事態が、命令だとか、義務だとか、そう言う立て前としての大きな看板が副官のランスロットにはあったのだった。
(忙しくても、最愛の人物と一緒に居れるって事は幸せだよな〜〜。とばっちりがこない分、俺たちも幸せだし)
ガラハッドは、忙しい忙しいと言いながらも、しわ寄せが来ない事にとても感謝しランスロットへの労いも込めて酒を注いでやった。
「サンキュ」
「所で、どの辺まで進んでいるんだ?」
ダゴネットが自分達には回ってこないその忙しさに、少しでも何か手伝おうかと、内容を聞き出そうとした。
「ああ、昨日……円卓の間で説明したように、道中の警護の交代時間と砦内の警備の強化の為のローマ兵の訓練とだろ、後は滞在時に快適に過ごしてもらおうって事で部屋の改装をしているな、それに何十年も前から使ってないっていう祭壇の………」
「いい、いい、もう言うな!そのほとんどがお前らが指示して、ローマ兵達がしなきゃならねーって事はわかっている」
俺たちの出るまくじゃなさそうだと、ボースは、ダゴネットの肩を叩いた。
「精々できるのは、近隣の村に近付いてからの騎乗警護ぐらいだな」
トリスタンも、ダゴネットがまだ何か言いたそうだった所を、なんとか引き止めるために、結果論を口にした。
「まぁ、俺たちがいれば、ウォードなんかに指一本触れ指せやしないけどな」
援護弓のようにガラハッドも、胸を張ってみせた。
「勿論、期待しているさ…………ァア、向かえが来ちまった」
ランスロットはカップを煽った時に、目の端に映った男を確認すると、酒を全て喉へと流し込み、テーブルへと置き席を立った。
陶然、ランスロットの視線の先を、円卓の騎士全員が追った。
「ランスロット、アーサーが呼んでいたぞ!」
酒場の入り口には背の高い男がランスロットの名を呼んでいた。
通りの良い、テノールの響きは、雄叫びを上げ戦う兵士特有の濁声とはまた違い、まるで旅役者のような美しさがあった。
その声には、酒場にいる兵士や、女たちでさえも、ぎょっとする美しさだった。
「ああ!ティリー、直ぐ行く!」
アーサー付きのジュルジュではない、すらりとした長身と身に纏うサルマティア風の長衣でわかる事だ。
こんな辺境な地で聞く事が稀な声に、酒場中の人々が驚いたが、その声の持ち主が誰であるかと気づくと、酒場の雰囲気はいつもの状態に戻った。
ランスロットは、己を呼びに来た男の名前を満面の笑顔付きで呼ぶと、まるで足下に羽がついているんじゃないかと思える小走りで酒場の入り口まで行ってしまった。
勿論煽ったアルコールで酔う程のランスロットではないため、呼ばれた理由に対しての嬉しさだろう。
「ア〜ア、嬉しそうに」
がウェインは、そこまで楽しい仕事なのかと、半ば羨み、半ば呆れながら見送った。
「あそこまではっきりしていると、こっちも気持ちがいいな」
トリスタンは、いつにもまして御機嫌なランスロットの後ろ姿を目を細めて見送った。
やはり誰でもそうだが、笑顔で日々を過ごしている人物の姿を見るのは、楽しく安らぐことだろう。
「一ヵ月前に彼奴が来た時の荒れようと、雲泥の差だな」
ボースが思い出すのは、一ヵ月前の嵐のようなランスロットの荒れ様だった。
「ああ、ティリーだろ?」
ガウェインがテーブルの真ん中に置かれた、干し果物を頬張りながら、先ほどランスロットを呼びに来た男の名前を確認する。
「まぁ、俺達もかなり驚いたけどな〜」
ガラハッドはガウェインの手から干し果物を奪うと、自分もワインのあてにと頬張った。
「ああ、サルマティアの騎士があーゆー事に使われるなんて思ってみなかったしな。でもティリーの話し聞いてたら、それも在りかと思ったな。なんせ俺達サルマティアの騎士には縁のある『方』の事だ」
ガウェインは、どこか間の抜けたようで、まるっきり他人事のような言い方をしたが、一人のサルマティア騎士『ティリー』が、このハドリアヌスの砦にやってきた一ヶ月前から、ランスロットの忙しさが始まったのだった。
「サルマートにとって、このブリテンにいることが最良だなんて、誰も思ってはいない。ましてローマが支配する広大な土地のどこかには、必ずサルマートがいるだろう。馬にも乗れず、ましてや騎士と兵士とも呼べない状態の者もいるかも知れない」
ダゴネットは、アーサーに『我が騎士団に入らないか?』と手を差し伸ばされた日の事を思い出した。
「ここにいる俺達の価値観だけでは、決められないことだ」
トリスタンは己たちの置かれている立場と、そしてそこで過ごして作られた価値観とを、揶揄するように呟く。
「ランスロットのやつも気づいたんだろう」
ダゴネットの呟きに、円卓の騎士達は一ヶ月前の事件を思い出す。
相変わらずどんより曇った、ブリテンの空と、しけった空気のあの日の事。



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