矢 沢 宰 詩 抄(詩と日記)


●14歳〔1958年5月7日〜1959年5月6日〕

11月3日(月)

今日から日記を書くことにした。生まれて初めての事だけに、どうゆうふうにして良いかわからないが、とにかく思った事、した事を全部そのとおりに書けば良いと思う。今日は文化の日なので学校は休みといっても僕はベッドの上? 朝から雲。昼の食がそばなので待ち遠しく、早く昼がこないかとモジモジしていた? 図画を書いた。まずいのだが、何か美しい人を書きたかった。

11月6日(木)

夜になってラジオを聞いた。落語を聞いたんだが、僕は大好きだ。これを聞いていると何だか心がなんとなく楽しい。

11月7日(金) 

午後からおもしろい本が来た。おばさんが見つけて来てくれたのだ。ちょっと熱中したらしい。恋物語である。この頃こうゆう本に目を付けるようになった。ふふふふ・・・。

11月8日(土) 

毎日変化の無い生活なので、この日記なのだ。はたして日記という物はこうなのだか? 火星が近づく。

11月9日(日)

朝からずっと雨。僕はこの頃音楽を聞いているが、何のために聞くのかわからない? 良くラジオなんか聞いている人があるが、わかるのだろうか? 僕はそんな物だったら聞かない方が良いと思う。今度良くわかる人や多くの人に聞いてみて、音楽の魅力を知ろうと思っている。

11月12日(水)

この頃どうも変な日が続く。おかげで詩や俳句が出来ない、といってもそんな上等な物では無く、とにかくこんなに休んだのでこういう文学の道に進もうと思っているけれど、学校にも行けず、これで出来るのだろうか?

11月14日(金)

午後から清拭を立川、広田両看護婦からしてもらった。立川さんが「どうしてこの頃そう元気が無いのだ」と聞いたから、「物思いにふけっているんだ」と言ったら笑っていた?

11月20日(木)

映画にみんな行って退屈してたので、ベースボールという週刊雑誌を借りたのを読んだ。僕は長嶋が好きなんだ!川上も大好きだ。彼はほんとうに努力家だ。

11月29日(土)

今日は天気が良いので鏡で外を見た。もう青空がずうっと澄みきっていて、遠くに飛んで行きたい思いだった。

12月1日(月)

きのうの昼の安静の時間に眠ったので、夜眠れなく、10時半頃まで目がさえて何か色々と僕のこれからの将来の事、また生活、家庭のことなど考えた。建築の設計、何事もこの病気を治して、体の弱い僕のことだから、じっとしていて頭で暮らしをたてなければならない。それに考えられるのが文学の方だが、この日記にも詩なんかも書いているが、僕にその素質があるかどうか。学校にもあまり行かず心配だが、僕はやるんだ。白秋や藤村のようになるんだ。それにはまず思った事を書くことだ。

12月8日(月)

朝とても天気が良かったので、きたなくなっている金魚鉢を看護婦さんからきれいにしてもらい、洗面器に水を入れ、温かくしたのを入れてやった。

12月10日(水)

安静の時に考えたんだが、小説を書きたい。題は「かえるのせんそう」というんだが、どんな物ができるかわからないが、とにかくこの熱が下がったら書こうと思っているが、一度にたくさん書くわけではない。気の向いた時にちょっとずつ書くつもりだ。

12月17日(水)晴

自分で一つの物を知りえたという事は、何とうれしい事だろう。今までわからなかった事を、今、自分の頭とこの手で発見したのだ。それは誰にもわからない。いや誰にもわかる。それは人々が経験してきたのだ。そして大人になって行ったんだ。一つの物を知りえたということは、なんとうれしいことだ。いやそんな物ではない。その心は、一人、一人にしか書きあらわせないのだ。自分の心、一つ、一つにしか表せないのだ!

12月20日(土)

昨日本当に寝つきが悪く、色々と変なことを考えてしまった。丁度ラジオがいやなのをやっていて、死について考えた。死んでからはどうなるのか? 死は怖いものだ。死んでからは本当に良く眠った時、夢も見ずの時と同じだろう。だから僕はまだ死にたくないのだ。どうしてももう一回この病気を治さなくては。こんな話はもうやめた。

1959年2月27日(金)

今月もあと一日。本当に早い。社会は、みんなは、ドンドン進んでいる。

2月28日(土)

本を読んでいると、また一つの希望が出て、自分も生きて書いてやると思う。

3月14日(土)

今日はうれしい日である。主医に僕の詩を見せたら「少し絶望しすぎ」と言ったが、今日運搬車に乗って、看護婦室で清拭をやり、少し散歩した。初めてである。きっと先生が喜ばせようと、看護婦と相談してやったらしい。

3月20日(金)

今日は学院の卒業式であった。昨年僕が初めて検診に来たのもこの日であった。入院じゃないが、早や1年である。また文集が出来上がってきた。僕の出した詩が2編入っていた。1編は出た作だが、もう1編は僕の詩集から選んだものだ。

4月22日(水)

今日も看護婦さんたちに話を聞いたが、はっきり‘神’天主様を信じることができない。はたして神と言う者がいるものか?と自分では思うし‘心の持ちよう’と言う人もいる。

ききょう

おまえは

本当に健康そうだね

つぼみは

ちょっとさわれば

はじけそうだね

一本のすじ雲

一本のすじ雲

このはてしない青空に

何かと何かを結ぶかのように

夕日で銀色にそまる

僕は好きだ この一本のすじ雲が


●15歳〔1959年5月7日〜1960年5月6日〕

5月7日(水)

我、今日15歳の日を迎えた。本当に15年間生きたから、喜びとしなければいけない。親に     も今まで苦労心配をかけたが・・・。

5月19日(火)

昨日父が来たので今買っている新聞を弟の入学の時の学費にあてないかで、オッケー。せめてカバンくらい買ってやりたい。

6月17日(水)

今日私は先生から本を借り、口語体の俳句があることをしり、今までの句より表現の仕方が素直であり、全然気に入った。今後これを作る。

9月2日(水)

武者小路の本が読みたい。あの人の詩は、私の詩に似たところがある。(その反対か?)とにかく話がわかる様に思う・・・。

9月6日(日)

父とこの頃とけ合うというか、親しみが感じられた様に思う。今まではどうも自分としては‘きつい’感じであった。

9月9日(水)

今日の夕方、窓の所に出て、夕焼けを見た。とても美しかった。詩を書いた。

9月14日(月)

ソ連の月ロケット成功。一日本を読む。早く起きて学校などへ行きたい。

9月26日(土)

私はこれで終わりたくないのだ。私がはっきり神を信じ切っていたら、神に対してのつぐないをはたすために生きるのだと言うか?またそれが正しいかもしれない。だが、今の私には良くわからない。。

10月21日(水)

15、6歳になると自分の生きる道、自分の今の状態など考え出すとある本で読んだ。私の場合はどうだ!・・・

10月28日(水)

中原中也の詩は私の思うこと考えることが生きたままに書いてある。すばらしい。人間は一度は死ぬのだ。なぜその間苦しんで生きているのだ。私の場合そう先も長くないのに・・・。まあまあ。わかった、わかった。淋しいなあ。

10月30日(金)

なぜみんなと同じ健全なる青春を過ごされないのだ。これが自分の人生、運命と言いながら、どうしてこんなに苦しまなければいけないのだ。いいさ、いいさ今日また生きたんだ。明日また生きよう。

11月6日(金)

あそこに太陽がある。ところがあそこには行けない。だが太陽があるので生きている。これに似た所があるのだ・・・。

11月7日(土)

私を少しでも喜ばせようと、家の出来事を話、自分も大声を出して笑う母。お前が帰ってきたら、お前が帰ってきたらと来るたびに自分の夢を話してくれる母・・・。ありがたいことだ。しかし、私はなぜ母のために生きなければいけないのだ。たしかに親だ。だが私ではないのだ。母の体は心配ないそうだ。大事にならなければよいが・・・。月が美しい、今日の夜は・・・。人間は誰もいつも孤独・・・。

11月9日(月)

私はこの頃よく、来年は何をしようなどと言うようになった。生きたいからだ!夢があるからだ!‘無’自分の力でせっせと生きていく方法はないものか。ベッド生活でもっと楽しくする事は出来ぬものか。この性格から当分ぬける事はない(一生ぬけないかもしれん)。だからここを自分の住家としてよりより生活を。

12月24日(木)

メリークリスマス!去年の今日初めて主イエスキリストの事を知って一年。だが私は主イエスをはっきり信じることは出来ない。だが私はきっと信じよう。私が出来る事は何もない。でも祈る事が出来る。信じるよ。一生懸命努力しよう。イエス様も力をかしてください。

1960年1月9日(土)曇

金魚が死んだ!出目金が死んだ。水が悪くなっていたのをかまわなくて置いたら・・・死んだのだ。かわいそうなことをした。早く水を変えてやればよかった。

3月21日(月)雨

去年の今日、貴方は山桜を私にくれた。私はよく覚えている。その時の喜びを確か私が書いたねこやなぎの絵を貴方にやったので、そのお礼に私に送ってくれたのだと思っている。それから一年。この二年間に貴方は数えるほどしか私の所へは来てくれなかった。今はまた、一昨年の時のようにこの病棟へ働きに来ている。また今日は卒業式であった。これについて私は何も言うまい。

3月27日(日)雨

私が入院してから今日で丁度二年目である。ほかから見たら長く思えるだろうが、本人である私からすれば短いように思えてならない。この二年間の間何もしないで過ぎたようだ。何も変化がなかったように思える。しかし、実の所は自分でいうのもなんだが、この二年の間にたいへんなる進歩をしたように思える。すいせんが大きく開いた!

4月2日(土)晴

思春期のこの不満?エネルギーを、オートバイに乗ることによって、強烈な音楽を聞くことによって、山に登ること等、思想運動やまた不良になって反抗する、またこれらのことについて静かに自殺していく・・・こんなことをテーマにしたラジオ放送があった。私はどの中にも入っていない。けれどもその反対に、このとにかく精一杯生きる!と言うこと、病を治す!神に対する愛、神の子となることに情熱、エネルギーを燃やしていると自分でいうのもなんだが、言えるだろう。しゃにむに生きるんだ。

  

早春

すずめの声の変わったような

青い空がかすむような

ああ土のにおいがかぎたい

その春にほおずりしたい

何を求めていいのやら

きっとしまっているような

ああ土の上を転げまわりたい

淡い眠りの中の夢のような

生きなければいけないけれど

何だか死んでもいいような

去年の春 女がくれた山桜

まぶたの中に浮かぶような

春の夜の窓は開けて

電気はつけないことにしよう

窓は開けておくことにして

春の夜の清く甘ずっぱいような香りを

部屋の中いっぱいにしよう

そして俺は

静かに神様とお話をしよう


●16歳〔1960年5月7日〜1961年5月6日〕

5月7日(土)曇

第十六回目の誕生日である。ということは十六年間生きたことだぞ!多くの出来事があった。そして少しずつではあるが進歩してきた。また、これまで生きられた事を、神様に深く感謝しなければいけない。一日、今という時を感謝し、あとはすべて神様にお守りを願う。そう精一杯生きて、後は神が知っているのだから、その結果がどうなろうと心配しなくともよいのだ。私も一生懸命がんばろう。書いたり口で言うことは出来るが、実行がうまくいっていないから。

6月1日(水)曇

「きけわだつみのこえ」という本を読んだ。人間は死に向かって生きていくことは確かだが、彼らのように死に直面している人間は、私達、重病患者に通じるところがあるように思われる。

6月5日(日)晴

実に二年何か月ぶりでこの俺の足で二十メートルぐらい歩いた。午後床屋に行って来た帰りに少し歩いたのである。窓の外の草がやっと緑を増して来たと思っていたら、今日みんな刈りとられてしまった。まったく残念でたまらない。この草なんか、悪いことをしてしないから、刈り取られなくともよさそうなものだが・・・。大憤慨である。

7月8日(金)雨

昨日父が持ってきた級友の写真を見ているとつきる事がない。時間がもったいないからと思い、やっと棚の中にしまう。昨夜は良い月だった。きっと満月だったろう。 人間の定価と言うものは何で決まるのか。誰が決めるのか。この問題は俺はまったく手がつけられない。俺は知りたい。しかし俺はなぜ知りたいのだろう。

7月28日(木)晴

何も考えまいと、つとめればつとめるほど胸がはりさけそうだ。放心しようと入道雲を見るほど、俺はまったく苦しい。なぜこんなに考えなくてはならないのか。何がこんなに考えさせるのか。俺はもういやだ。すべてがいやだ。病気になったためにこんなにも考えるのか。そうでもない。とにかくもうやんなっちゃうんだな・・・。

8月14日(日)曇

俺は恐ろしい男だ!俺は悪い夢を見ているんだ。詩を書くのも、今こうやって日記を書いているのも!俺は本当をいえば、こうやって生きていて、誰かに認められることを願い、賞賛され、名を讃えられることを漠然とした祈りを持っているのだ!これは正しく清くないことだ。確かだ!いったいに俺は何の点においても、甘い考えを持ちながらまったくの楽天家であればいいのに、ひきょうなくさった、いやらしい考えを持ち、これはいかんことだ!といったん決めた場合でも、それからいつまでたっても抜け切れないことだ!。だから全ての点で不安だ。毎日毎日ゆれている。俺を分解すれば何一つとしてまとまったものはない。こんな俺ががんばります、ああ!なんていって生きていく資格があるのだろうか。生まれなければよかったと言えば現実は現実だ!というし・・・。何でこんな人間ができたんだろうか?・・・。何も思わないで生きていきたい。バカになって生きていきたい。

9月24日(土)曇

祖父が俺の学生服姿を写真に撮りたいので、服を作ってやるとさ。俺も久しく着たことのない学生服だから、欲しくないこともないが、金を使ってねー、どうせいつも着る訳じゃないのに、考えもんだな。祖父はこんな俺のことが‘かわいい’のだろうかねー。これも考えもんだ。感謝するよ!ね、そうだ!こんな俺さ!

9月26日(月)晴

騒がしい一日が終わろうとしています。昨日は日記を書いてから、あまりにもうるさいので、窓の下に行って星空を見ていました。息をはくと白くなります。もう息が白くなり始めたのです。と共に自然の空気よりも僕の息が温かいのだ。僕からはき出すものが。とそして何か安心感を持って部屋に帰って来ました。体内からでるそれが温かい。それは僕が生きている証である。また僕が少しは温かいのだ。また、多少なりとも愛が僕にあるのかも知れない。

11月2日(水)曇

イチョウが本当に黄色になった。ああ! 菊の花が、白いカーテンをバックに大変美しい。

12月1日(木)強風−曇

今俺は何をしたってつまらない。詩を読んだって、つまらない。ああ、つまらない。つまらないということはなぜ起こったか? それは宗教はやっぱり一種の気休めでしかないと言われた時からだ。

1961年1月11日(水)雪

僕の頭の中にはいったい何が詰まっているのだろう。何の重たさもない。吹けば飛んでしまうようなものが、すみっこにちょこちょこと固まってあるのだろうか。正しいことにつけ、悪いことにつけ、自信とか信念とかそうゆう個々的なものでなく、僕という生物の魂は、もっと重量感のある生の営みをやらなくてはならない。この前、ラジオ新潟の詩の選者も言っていた。僕の詩には重さというものがたりない・・・と。本当にその通りなんだ。フワフワした根というものがない生き方なのだ。きっとそれが詩にも個性として現れているのだろうか。

2月25日(土)絶晴

とうとう今日は白い雲を一回も見なかった。もう朝から晴れて本当に気持ちがよかった。天気がいいということは、こんなにも人間、僕に明るいもの、楽しいものを与えるものかといまさらながら感心した。

4月1日(土)晴

僕は本当に、明日の命が知れない体かもしれない。しかし、今までの僕のように、だからといって死の前で倒れてしまっていては、それは全く、死ぬ前に死人になったようなものだ。

4月21日(金)快晴

死を考えることによって生を有意義なものにする。これはこれから大いに考えるべきだ。

武器

僕は天才少年ではないから

僕の持っているものだけを

ぼくにあうように

つまみだせばいいのさ

するとそこに小さな真実が生まれる

その小さな真実を

恥ずかしがることはないのだよ

その小さな真実を

どっこいしょ! と背負って

旅をすればいいのさ

あなたの手は

あなたの手は

握りしめるとあたたかくなる手だ

あなたの手は

あたためるとひよこが生まれる手だ

  

詩の散歩

コロコロと

桃色の玉や

紫の玉や

緑の玉やを

上手に使いわけ

詩が朝の散歩に

行きました


●17歳〔1961年5月7日〜1962年5月6日〕

5月7日(日)曇

17歳の誕生日。17年間、とにかく生きてきました。しかし、どうみたって、ぼくの人生はこれからだ。ぼくは確かにこれからだ。若い・・・。苦労したっていい、死があってもいい、悩みごとがあってもいいだろう。しかし、自分の本当の心に反しない、純な、素直な心、気持ちを、行いをしたいものだ。

6月7日(水)晴

死んでもいいと思う時があるが、あんな時本当に死んでくれたら幸せだろう。石にしがみついても・・・と思っている時は、死なないでくれよな。

7月13日(木)小雨

地理テストは思わぬ所が出て、よくて80点くらいだろう。武器よさらばを読んでいる。他に変わったこともなし。考えることもしなかった。ただ今ひじょうに悲しい。孤独。でもだからといってどうになるものでもなし。僕は黙っている。今雨は止んでいるようだが、風が気持ちよい。

7月15日(土)曇

夕方6時ごろから学校裏を1時間半もかかって回ってきた。まったく気持ちがよかった。汗のワイシャツをきた人夫風の男達が自転車に乗って帰って行く姿や奥さんや娘さんが買い物かごをハンドルにつるして町へ行く姿がいくつも通りすぎた。台所の窓にも奥さんが右に行ったり左にして夕飯の支度をしている様子が見えた。草の上に座ってみているとあきることがない。いつまでもこの部屋がまったく無意味に、暗く、味気ないものに思える。明日は日曜日。床屋に行ってこよう。そして、詩を絶対ものにしてやる。

8月2日(水)晴−雨

こうやって窓で風を浴びながら日記を書いていると、ぼくはうれしくなってくる。幸せ?うん。楽しい?うん、夢のようだ。あの人も雨戸を開けて、空をみていたっけ!うん・・・。

8月16日(水)晴

ベルリン問題で世界が緊張している。ヨーロッパの方では年末頃に世界大戦が起こるかもしれないといっている人があるそうだが、そうなったらたまったもんではない。人殺しあいを東西とも進んでやるようなことはないと思うが、どうにかして平和の方向へと進んでもらいたいものだ。誰だって平和を願うのに、たとえ戦争をやったとしても、しかけた方も、しかけられた方も世界中が破滅するのに、そんなことはわかっていると思うのに、それでもお互いに仲よくなれないというのはどうしたわけか。そんなことぐらいわからなければならないのかもしれないが、私にはまだわからない。

8月17日(木)晴

高校野球を聞いた。ぼくと同じ歳の者たちがやってるんだなあと思うと、自分もやっているような気持ちになり、手に汗を握り、おしい場面になると思わずホロリとなる。ぼくの中にも若さがあるんだ!ぼくの中にだって!

10月5日(木)雨

絶安の時に考えた。17年間生きてきたが、その内クツをはいていた時間よりも、布団にさわっている時間の方が半分以上、2/3近くであることを。これはすごい!

11月7日(火)晴

不思議に思うことがある。核実験に対してもっと強い反対運動がどうして起こらないのだろうか。人類の命をおびやかすものにはどんなものであろうとも、絶対反対するべきだ。激しく反対するべきだ。安保に反対した人達は、ソ連の50メガトンにはどうゆう行動もやらないのだろうか。どうしてだろう。日本だけでなく、世界中でもっと強く、もっと強く!どんな理由があろうとも!おやすみ。

1962年1月26日(金)雪

詩作しながら涙が出てしまう。久しぶりのことだ。だからといって別にどうということはないが。今日はいやに昔の事が思われて、ノートをにらんでいたら、何だか涙が出てしまった。血尿が出ていた頃を思い出したのだ。2.3日前に詩作するのを少し休むなどといったが、あまり感情的になってでまかせをいわないように気をつけたがいい。(すみません。)詩はできるときにできる。苦にしないがいい。大きな心を持とう。苦しいこと、辛いことは承知の上だ。それでもいいから生きたいと思っていた頃、それを忘れるな。(すみません。)

2月10日(土)晴

この間やった導尿検査の結果菌が消えたそうだ。また尿の中の赤血球も白血球もひじょうに減ったそうだ。先生が‘来年の春にはきっと退院だよ’と冗談気に言っていた。そうなると高校進学も夢ではなさそうだ。しかも明春!こんなことを考えると勉強を一生懸命やらなければ!と少し張り合いが出てきた。そこで先生に今度聞いてみようと思う。はっきりとした態度をとってもいいだろうか・・・と。そうなるともし受験勉強をすることになると恋も詩も一時おあずけだな。でもやりたいものだな。再出発!そんな感じだ。

3月19日(月)曇

山川先生に呼ばれて教務室に行ったが、来学期から2年の勉強を飛び越えて、3年の勉強をすることになったそうだ。やれるかどうか。(やらなければならん。)承知した。苦しいと思うががんばる。きっとやってみせる。やってやる。がっばってやる。それだけだ!

4月10日(火)曇

いつの間にかGardenが緑にしきつめられた。それが昨日今日の小雨で鮮やかに光っている。緑の輝きだ。学校が始まった。

4月24日(火)曇

わかば会選挙で会長に選ばれた。勉強のことを考えると何もやるまいと思ったのだが、みんなのために引き受けた。バリバリとやってやる。看護婦さんからつつじの花をもらった。

5月2日(水)晴

浴場清拭許可。湯を前進にあびるのは四年数か月ぶり。気持ちが良かった。でも頭がボーっとして・・・。

入道雲

大男になって

またいだり

よじ登ったり

いっきにかけおりたりして

ふるさとへ帰りたい

私はいつも思う

私はいつも思う。

石油のように

清んで美しい小便がしたい と。

しかも火をつければ

燃えるような力を持った

小便がしたい と。


●18歳〔1962年5月7日〜1963年5月6日〕

5月7日(月)薄曇

18歳になりました。うれしくはありません。悲しくて、くやしい気持ちでいっぱいです。そして15歳の頃は、何にもまだわからないことが多かったけれど、くるしかったけれど、何だか今よりもよかった・・・ように思える。自分の考え方、行ったこと、行いつつあることの幼稚さが悲しい。そして、何一つとして、18年間生きたという実績がないのがくやしい。しかし、感謝していいことはたくさんある。まず生きられた、生きてきたということに対して、おどろきと、喜びと、大いなる感謝をしている。と共に、父母、家族のぼくに対する苦労を感謝する。その他にも数えきれない程のものにも感謝する。自然に、また神がいたとしたら深く神に・・・。詩にもこの日記にも・・。 この誕生日に今まで四年間の個室生活から同じ病院内ではあるが、大部屋に出たということは大きな意義がある。新しい出発をしたいと思う。心も、体も。

5月31日(木)晴

5月が今日で去っていく。ことしの5月をふりかえって、前のそれと比べてみる・・・。去年が脱出の年だとすると、今年は一歩ふみだした年だといえるだろうか。気ばかりあせって、いっこうに足は進まない。

6月11日(月)曇

ぐみが実った。花ビンにさしたが美しいものだ。これもやっぱりふるさとの味だ。田んぼの上にかぶさっている木に上がって食ったものだ・・・。あのぐみもまっ赤になって、弟たちがたべていることだろう。

7月31日(火)

おそろしいような躍動である。(今屋根の上すれすれにまっ赤な大きな太陽がのぼりはじめた。これでおれはいいのだろうか。これが幸せというものだろうか、この心が。興奮してはいけない。退院じゃないのだから。泣いてぼくを待ち、そして死んでしまったじいさんに会いに行くのだ。3時間後にはふるさとの空気と風と熱と空と樹と土と山と父母とが待っているのだ。太陽がもうタンクの脚をのぼりおえた。ではこれから支度していってくる。

10月7日(日)快晴

クロッカスの球根をうえた。これは、ぼくの夢だ。来春に花開くことをたくしたぼくの願いだ。この花が開くころ、どうかぼくの人生もいっしょに開くように・・・と。その時のことを思うと、ぼくはたまらない。きっと、きっと咲くように。クロッカスのむらさきの花をだいて、ぼくはこの病院を去りたい。ひと株は吉住先生にやろう。一株は学校に残して行こう。もう一株は・・・、それは、その時になったら考えよう。ぼくの夢、ぼくの願い。きっときっと咲くように。

12月1日(土)曇−雨

ああ最後の月になった。今年もまた消えて行くときが近づいてきたのだ。ときが消える。それはどうゆうことなんだ。死ねばもう無いと同じようにすべてが無になる。結果や未来が残るとしても、その時が再び帰らないのだ。ということを、死ぬことがいやと同じくらいの気持ちで、時をおしみ、大事に・・・。

12月9日(日)薄曇−雨

朝食後九時まで信濃川に行く。心が落ち着く美しさだった。弥彦はみえず、どこまで平野がつづいているのかわからないような景色だった。広い野のまんなかで見る雨雲というのは、屋根の間や窓から見るそれと全然違う。雄大だ。かえりは雨にうたれて帰る。

1963年2月20日(水)みぞれ

受験番号は一番。合格していたら一番始めに名前がはり出されているだろう。恐ろしい番号だ。

2月27日(水)雨

クロッカスのつぼみがまた大きくなった。こんどの色は全部濃い紫色だ。あすの朝には開いているだろうか。卒業式に答辞を読むことになった。

3月19日(火)

朝から夜まで感涙の一日だった。この日はもうきっと忘れることがないだろう。朝の式の練習後、江川と二人で退院のあいさつがあったが、私は‘五年間・・・戦ってきました・・・’といっただけであとは何も言えなかった。

3月20日(水)晴

感涙、また感涙。最後の見送りの時も、みんなにひと言あいさつをしようと思ったのだが、ついに出なかった。吉住先生の手を握って‘ありがとう’というのが、精一杯だった。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。みんな、みんな、ありがとう。神さま。今こそ、今こそ神様といおう。神よ、感謝します自然よ人類万物よこの喜びの心、この歓迎をあたえてくれてありがとうありがとうありがとう私は‘ありがとう’ということしか今はいえない

3月27日(水)曇

3月27日、5年前のきょう、私は父にかつがれて入院したのだ。それが5年後のきょうは退院して一週間目の我家のこたつの中だ。私は感無量だ。

4月8日(月)雨

私はきょうから県立栃尾高等学校の生徒である。

4月16日(火)晴

‘生命ある日に’を今読み終わった。半分以上読んでいたんだが、それ以後を読むのが恐ろしく中断していたのだ。ここにも人間として生きるために、自分を見つめ、自然を愛し、他人に感謝を捧げて戦った人がいた。生きるためにBESTをつくして戦った人がいる。なんで死んでしまったのだこんなにすばらしい人をなんで殺すんだどうして生きなかったのだその戦いがいかほどのものであるか、私の胸にビンビン響いてくる。悔いなき戦いだったのなら、なぜ生きられなかったのだ。こんなにがんばったのに死んでしまった。残念で残念で残念だ。私は最高に残念だ。

再会

誰もいない

校庭をめぐって

松の木の下にきたら

秋がひっそりと立っていた

私は黙って手をのばし

秋も黙って手をのばし

まばたきもせずに見つめ合った

入学して

私の教室には

にごった川を渡り

ほこりだらけの道を横ぎり

若緑のやなぎをゆらした

春風がはいってくる。

身も心も

怖ろしいほど不安な私に

喜びとなぐさめを与えてくれるもの

春風と

若緑のしだれ柳。

私が一番うれしいこと

春風としだれ柳に会えたこと。


●19歳〔1993年5月7日〜1994年5月6日〕

5月7日(火)曇−晴

ペンを持つ手が思い。あす、病院に行くから・・・。どうなろうと、一応は覚悟しているが、時間が進につれ恐怖がつのる。暗いゆううつな19歳の誕生日となってしまった。

5月10日(金)薄曇

出芽のおそい柿もそろそろ芽をふき、野や山は緑一色になった。私が今一番なぐさめられ、興味を持ち、清新な気分をあたえられるのは、通学時の野や山の模様だ。できることならいつまでも黙って自然の中にねころんでいたい。それが一番私の心を安らかにする。

5月31日(金)曇

動乱の5月が去ろうとしている。しかし、どうやら持ちこたえることができたようだ。感謝の念をここに記す。苦しい月だったが、反面体勢のたてなおしのきっかけをつかんだ月になるだろう。生活に順応するのはいいが、それがマンネリズムにおちいらないように警戒しなければならない。今晩は星について考える。午後から風が強く吹いている。

6月2日(日)晴

学校へ行くようになってから初めて日曜らしい日曜を送った。午前中は掃除したり、少し本を読んだり、午後は勉強をした後土堤に行ってゆっくりねたり、詩を考えたりした。初夏。

6月18日(火)曇−小雨

4時限、1、2、3年の合同練習を見学した。この体育の見学ほどいやなものはない。科目の中でこれが一番いやだ。自分にいっしょうけんめい‘これくらいが何だ’病気の苦しみよりもいい。死んだと思ったのが助かったのだ。我、養護学校の各々はみんなこの苦しみと戦っているのだと叫ぶ。

6月25日(火)曇

書きたいことを書く。恋の詩を書きまくったっていいではないか。そう思ったら軽くなったような気がする。

7月19日(金)晴

池田首相は内閣改造。いわゆる‘7月人事’を行い、新しい大臣たちが発表された。自分が行政を行うにあたって、これが一番適当だと決めた大臣たちを、こうたびたび変えたのでは、どうして一貫した行政を行うことができるか、不思議に思う。そこへゆくと政治形態こそ違うが、アメリカなどはいちおう4年という時間がある。

10月2日(水)雨−晴

私が求めているものは、はたしてこの現実だろうか?絶対に幸せはあるはずだ。そして、全ての人間は幸せにならなければならない。それなのに金にしばられ、性にしばられ、精神に、肉体にしばられて、みじめな生活をしなければならない。自由、秩序ある自由。太陽に輝く自由を与えよ!

11月23日(土)雨

アメリカのケネディ大統領が暗殺された。日本時間できょうの午前4時ごろだったそうだ。私はおおいなる怒りを覚える。そして、心から惜しい人をなくしてしまったものだと思う。彼は今の世界に必要欠くべからざる人物だと思う。彼のキビキビとした態度が好きだ。どこか親しみのある人だった。身近な感じの人だけに、いっそうショックは大きい。まったく残念だ。せめて重傷ぐらいであってくれればよかったのに。私は人を殺しては絶対にいけないと強く感じた。それと共に戦争をしてはいけない。彼もきっとそれを望んでいることだろう。戦争をしてはいけない。

1964年1月6日(月)雨

愛とは何だ?愛とはどうゆうことなんだ?

2月8日(日)雨

禁じられた遊び(フランス映画)をテレビでみた。涙がポロポロでた。あれが愛というものなんだなと思うとまた感動する。子供の気まぐれとは思われない、そういってかたずけられない純粋なものが感じられる。何と優しいんだろう。何と美しいんだろう。あの風景のように何と大きくて温かいのだろう。戦争とはまた何と悲しいんだろう。とにかく私は、この映画を見てうれしくなり、元気になった。

3月21日(土)さあて天気は?

東京の第一夜。清水トンネル前は吹雪だったのに、暗をすぎたら乾いた太陽があった。竹林と麦と風が牧歌的であった。柏崎の町もこれに似ていたが、それよりも雄大である。まったく新しい世界である。汽車が進むと共に自分が新しい未知の世界に入り、まだ知らない知識を収めて偉くなっていくような気がした。野原といえば田んぼ、山といえばじめじめした木の葉。自動車は越後交通というふうにきめていたのが、麦畑や竹林や色とりどりの自動車やがここにはある。栃尾のでこぼこに雨水がたまっているのに比べて、‘白い道’の言葉がぴったりする道。私は自然ばかりではない、もっと他の多くのものに影響を受けるであろう。楽しみだ。少しぐらいの犠牲を払ってもこの旅行(経験)は有意義である。ファイトがでる。

4月4日(土)雨

かえるが鳴いている。木や草が芽を吹きはじめた。やぎが子を産んだ。

4月13日(月)

私の幼いイメージを捨てよというのだ。私の大事なものを捨てよというのだ。大人になるとは何と辛いものか。しかもそこに持っているものは何だというのだ!?しかし、私は捨てなければならない。捨てることが、次に待っているものを高くし、大きくし、深くする。そうに違いない。輝きに向かって、輝きをつかむために、輝きに向かって。

4月29日(火)晴

天皇誕生日。三日続けて天気がよい。にぎり飯を持って山あるき。杉沢の堤にも行ってきた。水草が萌え、さざなみが立って美しかった。あそこはいい所だ。いろんなことを想像させてくれる。

風が

あなたのふるさとの風が

橋にこしかけて

あなたのくる日を待っている

薄命のからす

すき間だらけの翼に風がからんで

ふるえ

それでも地上と空の距離を計りながら

からすが飛ぶ

ケッ!

と伸ばした首に砂袋をぶらさげ

嘴から舌がはみ出るのをこらえ

自分の生まれた杉の木を目指して

死にもの狂いで

からすが飛ぶ


●20歳〔1964年5月7日〜1965年5月6日〕

5月7日(木)晴

20歳になりました。それなのに何の起伏した感情もわかない。これはどうしたことだ。少し異常だ。しかし、今自分の心にさからわないことにしている。今さからうときっと破綻的なものが生じる。それがわかる。たしかに体の具合がわるい。どん痛がする。少し出血もしている。五日に道院に行ったが、その疲れがまだ残っている。満天の星。

5月11日(月)雨

夜、前の道に出るとお宮のほうをいつもじっと見る。かすかな音でもしようものなら、ぎょっとして身がまえる。恐ろしいくせに、私は怪物を待っている。

6月23日(火)晴

月がきれい。クラブがおもしろい。

8月2日(日)

どうも疲れが残る。父が再発して休んでいる。何かと私が動かなくてはならないのだ。もう夜は疲れて何も出来ない。こんなバカなことはないよ。

8月24日(月)

自分の力を知ったら、また別の道にむかって歩くほうがいいのではないか。大学へ行くのは大きなあこがれだし、大学卒ともなればサラリーだって高いし出世だってできる。しかし、ここで最高にがんばらないと入試は無理だ。がんばればがんばることもできるが、体を悪くするのは必至だ。なぜ大学にあこがれるかということも考えてみる必要がある。その内容によっては・・・。

8月30日(日)

働きたい。社会にでたい。そうした中だって勉強はできるだろう。

10月10日(土)雨

東京オリンピックはじまる。北朝鮮とインドネシアはとうとう国に帰った。残念なことだと思う。 夜、母が吐血した。例の気管支拡張症だと思うが、まったく私は心が痛い。父も母も私も・・・。いったいどうなるのだ。不安だ。とても私だけ大学になど行ってられないと思うよ。

11月7日(火)

アルバイトをやってもいいだろうか。冬休みにやってみたい。

12月17日(木)雨

「働いているのだ。」という意識の充実感。きょう私が穴あけをやったカードは、輸出品に結びつけて送るものらしい。私の力の一部が海外へいく「愛と認識の出発」を読んでいる。

1965年1月9日(土)吹雪

外は激しい吹雪だ。寝ていられない不安にかられて、また日記を開いた。病気が始まった! 尿回数が異常に多い。今日学校で血尿があった。横腹が痛む!無気力になってしまって、しかも狂いそうだ。自分はいうまでもなく、両親や知人まで失望させることが残念だ。とにかく月曜日に長岡へいって診察してもらってくる。いやだ。また、死との対話が始まるのだろうか。ああ、いやだ。ちくしょう。

1月11日(月)曇−雪

ブラボー!とまではいかない。やはり深刻である。レントゲンを撮った。止血剤10日分をもらった。レントゲンはたいした変化はみられないということだ。静観してみるといわれた。しかし,腹はあいかわらず痛む。いやな痛みだ。まったく生きている心地がしないよ。

3月2日(火)晴

入院2日目だ。とうとうこのざまだ。しかし、私の決心は固まりかけている。もう一回じっくり考えてみるつもりだ。

3月3日(水)

本間先生から手紙があった。急を要するものと考えて、忙しい中をこんなにも真心のこもった便りを下さった先生の真剣さに私は胸をうたれた。先生ご安心ください。私は愛にあふれた友人、教師、医師とたくさん持って幸せだ。吉住先生も夕方来てくださった。看護婦さんからはお見舞いをもらった。私は非常にうれしい。ほんとにうれしい。

3月5日(金)雪

価値のない命なのに、しかもボロボロに腐った命なのに、かじりついている自分。自分の手で絶つ勇気のなさ。そんな自分が情けないのだ。しかし、戦ってもダメなのなら(戦わずしてでなくとも)病気なんかにやられるより、もっと高等な死を選ぶ。吉住先生が家に来られた時も、勝てるか勝てないのか、確答をもらいたかったのだ。従って今、私を支配しているのは、とにかく、一戦を交えなければならないということだ。矛盾した言い方だが、実際のところ、総てのものが矛盾だらけなのだ。一向に考えは進展しない。一番直接的な哲学書と、議論をやれば、少しは糸口が、明確な糸口がつかめるかもしれない。

3月24日(水)雨

ゆうべ、童話的イメージをつかんだ。いったいに詩は衝撃を受けて、すぐあらわされるものではないらしい。やっぱり自分の中で消化されて、練りなおされて、やっと或るイメージとして、あるいは一つの思想として浮かんでくるものらしい。だから、かけないときは、無理して書くことはない。よく待つことだ。

4月24日(土)晴

桜が咲いた。栃尾の花も咲いたことだろう。あたり一面はもうすっかり緑にしきつめられた。北国で一番いい日がきた。心でも細胞でもふつふつとそれを感じとる。

少年

光る砂漠

影をだいて

少年は 魚をつる

青い目

ふるえる指先

少年は早く

魚をつりたい

柿の花

廻り道していくと

柿の花がいっぱい落ちています

ブツブツとその花を踏むのが

私は好きです

柿の花を糸にして

首飾りを作ったものです


●21歳〔1965年5月7日〜1966年3月11日〕

5月7日(金)晴

21歳の誕生日であった。

5月26日(水)小雨

感傷的な日だ。さびしい日だ。救いのない孤独感!はけぐちのない怒り!小雨と共に私は泣きたい。 また組織の様なものが2つ出た。吉住先生に見てもらった。培養と組織検査をすることになった。先生は私の顔を見ながら「7月からの学校はむずかしくなったな。」といわれた。しかし、私にだってすべてを犠牲にしても生きることに力を注ぐ決意がないでもない。そのことについて一日考えた。

6月1日(火)曇

早、6月!入院して3か月である。きょうもまた鈍痛と血尿である。学校へ行くまでにあと1か月もないというのに、これではまったくどうなるのだ。それよりも、こうなると命までがいよいよ先行き不安になる。気分までが弱気になって困る。悪い予感。このまま全てずるずると何の準備も、何の形も残さずに終わるのではないかそんな予感がしきりにする。しっかりせよ

6月23日(月)晴

私は恋をしているしかも真剣な真実なのっぴきならぬ気持ちで日記しなかったが、私は命と恋についてどれほどなやんだことだろう。毎日心と話していた。これで体も心までも危機を招いた。しかし、私はこの頃、そのためにむしろ勇気を得た。まるっきり絶望が襲ってこないわけがない。しかし、あの自殺の観念は押さえることはできた。押さえる自信がある。私は恋をしている。私は求めている。人生を、死ぬ前に私はその一端なりとも知りたいのだ。結局私は不満なのだ。あきらめ切れないのだ。人生の可能性を、真実を。私は夢見ているのだ

8月15日(日)晴

「幸せになりたい?」とあなたは聞くんだね。私は幸せになりたい。「2人は幸せになれるの?」とまた聞くんだね何と恐ろしい言葉だ。いやな問いだ。そういわれると、私にはあなたを幸せになぞする力がどこにあろう。私の後について来れば、幸せにはなれないだろう。未来ある、もっと輝かしい人生があなたの前途には待っているだろう。だから最初から、その事についてあなたの決心を聞きたかったのだ。しかし、私は幸せになろうと努力する力は持っている。あなたよ、これだけは言える。あなたが、ありのままの私を認識して、いつまでも私を愛してくれたなら、私達2人が幸福になるために、私はその努力を惜しまない。いやどんな困難にもぶつかって、戦うだろうと。しかし、また恋人よ、その結果を恐れてはならないと警告しておく。

9月23日(木)晴

不眠、悲嘆、混乱。ああ、休息が欲しい。苦しい。くるしい。わかってくれ。どうにかしてくれたすけてくれ。昨日は町を歩いた。

10月22日(金)曇

こざかしい態度はやめるべきだ。素直になるのは自分に忠実であるということだけではない。向上のない素直さや忠実は捨てるべきだ。いじけた魂を持って、自分の要求なり希望がかなうものか。たとえばそれがやむにやまれぬ心の吐け口の結果だとしても、みにくく、世に受け入れられぬものであれば、そしてまた自分があわれである。たとえば彼女に対するわたしの気持ち、立場にしても、こざかしい卑怯なものでなかった。これは自分の悲しみをなぐさめるために言うのではない。自分では素直に、真実であると思っていたものが、はたして彼女の目にこせこせとした卑屈な姿としてうつらなかっただろうか。あの夜「あんまり素直だから」と彼女は言った。しかし、彼女には私にはっきり言わなかったいらだたしさがあった。それは彼女のはたで知った私のそうゆう態度ではなかったか。美しい行為、潔白な態度、それが私のモットウでなかったか?淡々とした杉の香りのような、そして大陸の空気のような明るい素直さをもってゆけないものだろうか。もう彼女は今月かぎりでいなくなる。清々しい心と態度を彼女に示すことはもう時間的にむずかしい。しかし、私は彼女を愛しているならば、自分の良い所を少しでも知ってもらおうとするのは当然だ。ただ、それが見栄になってはいけないが。 彼女をいじめてはいけない。彼女を憎んではいけない。「強い人になって、明るい人になって」といった彼女を安心させてやれるような、つまりそれを彼女が直接知ることがなくとも、いつまでも愛しいものを愛しむ態度が欲しい。

10月25日(月)

私の目的は何であったか。私の命の真の目的は何であったか。生きることである。満たされたものを求めて止まぬ、幸福を求めて止まぬ力である。その力を得るために21年間生きてきたのであり、それを一人で実行できるように教育されてきたのだ。私の魂は求めてきた。病気で人より範囲が狭いかもしれないが、私は一生懸命求めてきた。自力で、真に独力で。そして神の中に、人類を越えた絶対的な力の中に、無限の宇宙の中にそして、人の心の中に、女の愛の中に求めてきた。力添えを、励ましを、救いを愛を私は求め続けてきた。残ったのは何だ!いつも絶望だけだ!悲しいのだ。言い知れぬ暗黒の中で、おそろしいのだ。それから、いらいらしてくるのだ。絶望感を私はどうすればいいのだ。町がやたらむしゃらに歩いても、将棋をしても、魚つりのうきに目をこらしても、思いはどうしても彼女のことにかえるのだ。最後の望みを彼女に託した。それは結果的には見事に裏切られた。そして、それでも私は彼女への望みを捨てきれないのだ。彼女の魂と彼女の身体とも求めてやまないのだ。しかし、それはもう日増しにかなわないものとなっていくのだ。25日、あと一週間もなくして、彼女はここから去る。惜しいのだ。体中に熱いものが満ちてくる。許されぬ想いを抱いた男の慟哭は誰にもわからない。

あの夜

誰もいない競馬場の夜も星がいっぱいだった。

広い原っぱを歩いてあなたは、北海道もこんなでしょうね、といった。

北海道もきっと星が地平線のかなたまで続いているんだろうね。

私はどんなことがあっても忘れない

あなたの告白

頷いた白い首すじ

あなたのほんとに星が映っていた瞳を

小道がみえる……

小道がみえる

白い橋もみえる

みんな

思い出の風景だ

然し私がいない

私は何処へ行ったのだ?

そして私の愛は   (絶筆)