このような活動をしています                     

     

      福島現地調査報告書(通算16回目)

                  

       


     

調査日:20161116日(水曜日)晴・時折強風

参加者:2名 平子 三平 ・ 原田 昭夫・

行程:往路 中央道⇒首都高⇒常磐道富岡IC⇒国道6号線

   復路 国道6号線 大熊町(福島第1原発所在地)・富岡町・楢葉町(福島第2原発所在地)・広野町・いわき市⇒常磐道いわき四倉IC⇒首都高⇒中央道国立IC 

走行距離:601km

放射線測定器: エアーカウンター2基 測定誤差 ±20

最少可能測定値 0.05μSv/h (1時間あたりのマイクロシーベルト)

最大可能測定値 9.99μSv/

 

国立市にある私たちの事務所辺りの測定値は、通常0.05μSv/、年換算値は0.4mSv/年。国際的には、平常時の年換算値は1mSv/年 (0.11μSv/h)以下と言われ、その効果に大きな疑問が持たれている福島地域で現在行われている除染作業は、1mSv/年以下にすることを目的にしています。チェルノブイリでは5mSv/年(0.57μSv/h)を超えると、移住義務が課せられ、居住が許されず、30年経った今でも半径30km以内は立ち入り禁止です。

今回も前回および前々回とほぼ同じ地点を調査・観測しました。定点を調査・観測することで、限られた時間を有効に使い、経時変化をよりはっきりと知ることができると考えております。

 



   

調査・測定結果

 

*常磐道 美野里PA (福島第1原発から約160Km、茨城県内)

  

今回201611

2016523

20151111

201542

0.25μSv/h

0.14μSv/h

0.19μSv/h

1.50μSv/h 

 

福島第1原発から約160Kmも離れているにもかかわらず、半年前に較べやや放射線量が増えており、安全領域を超えている。PAに立ち寄っている人たちは,相変わらず何事もなかったかのように、屋外でタバコをすったり、談笑したり、コーヒーを飲んだり、ノンビリ過ごしていました。JR中央線国立駅前を朝545分時に出発してから最初の休憩PAです。

 

*常磐道富岡ICから富岡市内への地域

 

富岡町上手岡:福島第1原発から15kmほどの除染済畑2.21μSv/h。(赤字はチェルノブイリの居住不許可の0.57μSv/を超えているとの意味です。)無人の地域に民家の新築工事が進んでいた。他にも1軒建築中。学校も保健所も病院も町の集会場も、作業車用のガソリンスタンドを除き商店もすべて閉鎖されており、作業者以外は人影がなく、地域の生活感が全くない所に新築工事が行われていた。半年前は見当たらなかった光景に、一体どういうことなのかと首を捻った。一瞬、政府が強引に進めている帰還政策の影響なのか、と思った。後述もしますが、いわき市に5年半前に建設された楢葉町住民避難者仮設住宅にお住いのご夫婦からお聞きした背景がその説明になりそうです。即ち、福島第1原発から20km圏内に家屋などの不動産を所有し、“3.11福島原発事故”により他地区に避難を強いられた人たちが、20183月までに新築すると、その費用の全額が公費から支払われるのとのことです。新築の場所は元の場所でなくても、県外でもどこでも認められます(脚注)。従って、若い子供や孫は放射線量が高いこの地域には戻らなくても、工事費が全額補填される今のうちに老夫婦用にだけでも建ててしまおう、とのことのようです。施主の方からは話を聞く事ができなかったので、その決断の真意はわかりませんが、いかに慣れ親しんだ場所とは言え、可愛い子供や孫と別れ、コミュニティとして存続しうるのかとか、将来への不安を懸念しながら、不便このうえないこの地域に住もうと決めたのは、簡単な決断ではなかったのではないでしょうか。このような新築家屋がこの地域にこれからも増えていくのでしょう。半年前と比べて、幹線道路だけでなく一般道路にも通行車両数がかなり増えていました。以前は赤信号の時に23台しか止まっていなかったのですが、今回は数十台も止まり、渋滞地帯さえもありました。福島第1原発用作業車や除染用作業車に加えて、このような新築用の作業車と思われる車を多く見かけました。

 

(脚注)

楢葉町のご夫婦のお話をもとにした情報です。その後少しばかり調べますと、市町村や家屋の崩壊程度や福島第1原発からの距離などにより詳細な条件が設定されているようです。



*福島第1原発から10~15km程の富岡市街地。 

 

   2016523日           今回20161116



   
             


   

半年たったが、変わらず無人の洋品店。あの3.11前までは地元の小・中学校の制服を扱っていた。
店内に商品はそのまま残されていた。


                      

 

     

     新築の立派な家屋が並ぶ、誰もいない、音のない、呼吸をしていない死の町。住人は今いずこ。

     

依然として地域全体に除染作業が行われているが、半年前に比べて、除染土を入れたフレコンバッグの数が外観上は減った印象です。どこに行ったのだろう。山林はほとんど手つかずのため、山林に多量に蓄積された放射性物質が雨や地下水とともに除染後の場所に流れ込む。市内中心部に向かう途中に、地震や津波による崩壊や損傷を免れた立派な家屋が並ぶ住宅街は、猫の子一匹見当たらない無人の死の町だ。この生活の臭いのしない沈黙の場所に立つと、原発事故の恐ろしさが静かに襲ってくる。断腸の思いで立派な住まいを放棄せざるを得なかった人々は、今、どこで、何をされているのか。あの原発事故さえなければ、と原発を憎み恨み、憤怒していることであろう。



   

*大熊町

 国道6号線沿い。福島第1原発から12.5km

今回

2016523

20151111

201542

9.99μSv/h

9.99μSv/h

8.81μSv/h 

8.81μSv/h 

持参した放射線測定器エアーカウンター2基とも 最大可能測定値 9.99μSv/h(87mSv/年)を示した。車での通行は誰でも可能だが、降車は禁止されている福島第1原発から僅か1kmの国道6号線沿いでも、2.5km離れた地点ですら9.99μSv/hであった。車中でも5.00μSv/hあった。このレベルの放射線量は危険を通り越して生命にかかわるレベルの猛烈な高放射線量である。上記のように放射線量は減っていないどころか我々の測定では上昇している。このあたりは6号線の交差点には何人もの民間のガードマンが警備しているが、全員マスクだけを着用している。彼らは日々の生活の糧を得るために自分の健康や生命を削っているのでしょうか。それとも雇用主はガードマンを人間扱いしていないのでしょうか。職務に真面目なガードマンにすぐに立ち退くよう再三にわたり注意された。

10km以内で国道6号線に交差している道路は防犯のため全面的にバリケードで封鎖されている(交通量が多く写真撮影のための降車が危険であり、実際には降車は禁止である)。この国のモラル低下は目を覆うばかりで、4月に起きた熊本地震でも同様の盗難事件が多発している。当然泥棒は許せないが、そもそもこれほどの高放射線量の地域を誰でも通行が許されることがあっていいのか。原発事故の過小評価・隠ぺい体質が根っこにあるから、人々の望郷の念につけこんで、近々もとの住んでいた家に帰れるのだ、いかにも復興が進んでいるのだ、と世論誘導しているとしか思えない。   
  

*富岡町深谷無人の民家

 

今回

2016523

20151111

201542

4.25μSv/h

3.90μSv/h

4.38μSv/h  

5.88μSv/h

福島第1原発から約10km。相変わらずこの広い民家はどなたも普段は生活していないが、時折様子を見るために戻って来ている雰囲気。この家の前の道路を挟んで金網フェンスに囲まれた除染物質をチップ化する巨大な“チップヤード”がある。ガードマンの方によると、もうすぐ満杯になるので、別の場所に新設予定のようだ。言うまでもなく放射能は煮ても焼いても食べられないし、減りもしない。時間の経過だけが減らしてくれる。それも何十年も何百年も何千年も掛けて。この膨大な量のチップをどこに保管するつもりであろうか。彼の“体内被曝量”はギリギリのレベルだと言っていました。

                    


      

 富岡第1小学校

校庭

今回

2016523

20151111

0.60μSv/h

0.56μSv/h

0.13μSv/h

 

校庭の側溝

今回

2016523

20151111

1.85μSv/h 

2.82μSv/h 

3.28μSv/h

 

開校140年以上経つ名門校。2年半前に除染。職員室の時計は地震が起きた午後246分を指したまま、カレンダーは20113月と4月が残されている。黒板にはその日の教師の分担予定が書き残されたままだった。半年前には校門は倒れたままで、校庭には雑草が生い茂っていた。今回は校庭の雑草は見事に刈り取られ、再除染された形跡がみられた。驚いたことに校庭にうず高く積まれた膨大な量の砂が置いてあったことです。いわゆる再除染した校庭にさらに“盛土”をするのでしょうか。そこまでしてどうしてでも開校したいのでしょうか。そのような小学校にどこの子供が入学し、喜んで通ってくるのでしょうか。

          2016523日             今回20161116  


     
       

 

   

*JR常磐線富岡

3枚の写真は常磐線富岡駅前の同じ場所です。福島第1原発から約12km。           

今回20161116日    2016523日       20151111


                             


  

駅舎は跡形もなく解体・撤去。3.11で駅前商店街の崩壊した居酒屋・花屋・美容室・中華料理店・ビジネスホテル・酒屋・八百屋・電気店もほとんど撤去され、ユンボなどたくさんの工事用機材が持ち込まれ広大な空間が更地になり、新しい駅前の町が開発されだした。59ヶ月経った今、住人のみなさんは今いずこ。

     

*楢葉町宝鏡寺

福島第1原発から約20kmの山寺。

今回20161116

2016523

0.41μSv/h

0.66μSv/h

 

昨年1110日の新聞に、楢葉町の小高い山の上に620年の歴史を持つ浄土宗の宝鏡寺があ

り、その住職が「楢葉町が2か月前に避難指示解除になったのは、復興という名の切り捨

てだと怒っている。」との記事がありました。今回はバスで来た20名ほどの方々が本堂で住職の

講話を聞いていました。

 *浜風商店

 

 いわき市久之浜第一小学校敷地内にある仮設店舗「浜風商店街」

     


沿岸部にあり津波や地震で崩壊したもとの久之浜に今年度中には戻る計画だったが来年に延期さ

れた。はたして何軒のお店が新規開店できるであろうか。今日の客足もマバラ。地元産キュウリを

買いました。久之浜第一小学校敷地内が工事用の巨大なフェンスで囲まれていました。商店の方に

よると数年前に校庭を除染した時に出た除染土を校庭の地下に埋めた。その埋めた除染土を掘り返

して、別の場所の仮置き場に移動する工事中とのことでした。あまりにも呆れ、しばし呆然とした。


*楢葉町住民避難者仮設住宅

いわき市に5年半前に建設された楢葉町住民避難者仮設住宅は毎回伺う度に外観がミスボラ

シクなってきています。まさに仮設用に突貫工事で間に合わせたプレハブ建物です。外壁も

ボロボロになってきていて、内部はいかがばかりかと心配になります。56軒長屋で、11

は狭くてプライバシーなどはほとんど保たれないでしょう。だいぶ空き室が増えて、合計50軒ほ

どのうち70%くらいは空き家になっていました。楢葉町に戻った人、新たな住処を求めた人、み

なさん犠牲者です。

一組の60歳台と思われるご夫婦と少しばかり話ができました。「入居して5年半。旦那さんは楢

葉町で農業をしていたが、耕作禁止地域になったので、現在は何もしていない。来年3月に新居

が楢葉町に出来上がるので、そちらに引っ越す。新築の工事費はすべて公費で補填してくれる。楢

葉町はいまだに放射線量が高いのはわかっているが、歳も歳だし、今さら放射能を怖がっても仕方

ない。当時一緒に住んでいた2人の子供や孫は、千葉県八街市といわき市に移り住んでいるが、

もう楢葉町には戻ってこないので、一緒には住めない。奥さんいわく、ここに住んでいるとミジメ

になる。家族崩壊です。明日八街市に車で行き、子供と孫に会う。」

 

以上です。

 


 


* 3.11大震災復興支援チャリティコンサート 
  

 
毎年開催していますNPO法人年次総会の終了後にアトラクション

コンサートを開催してきました。2011年からは、3.11大震災復

興支援チャリティコンサートとして、2014年までに4回開催し

ました。会場は、東京都国立市にある「くにたち市民芸術小ホール

」です。出演はプロのアーティストと地元の高校生のグループです。

       

                                                              
20114月の第1チャリティコンサート以来、第4回までに、

会場にお越しのみなさんから頂きました義援金の総額は、34      

6516円です。すべて、復興支援関連の活動をしているNPO

団体に寄付しました。

次回は2016424日(日曜日)、午後2時から、くにた

市民芸術小ホール」で開催が決まっています。会員でなくても、        

お子様でもどなたでも歓迎します。入場無料です。


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