●下記の話は2006年9月に発行したアスカガ主従パロ個人誌、「Master and Servant」のオマケ話です。
<Master and Servant 〜epilogue〜>
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厚いカーテンの隙間から細く差した月光が、室内に僅かな明かりを導く。薄暗闇にほの白く浮かび上がる肌の持ち主はいまだ夢の中だ。激しい情交に疲弊した肢体はけだるげに寝具に横たわり、微かな寝息が甘く空気に溶ける。 固く絞った布が、優しく女の身を清めていく。よほど深く寝入っているのか、どこを摩られてもなすがまま、目覚める気配も無かった。 後始末を終え、用を成した布を放り捨てて男がベッドに乗り上げる。もつれた金糸を、骨ばった長い指でいとおしむように梳いて、瞼に柔らかな口付けを落とした。その翡翠の双眸には、日の下で見るのと寸分無く、女の姿が映っている。闇の眷属たる彼にとっては、暗がりなどなんの隔たりにもならないのだ。 いつだったか、灯りを消してくれと懇願されたことを思い出す。言うなりにしてやれば、女――カガリは肩の力を抜いた。悦に染まる表情を隠せると安堵したのだろう。男の瞳には、照明が消えた後でも変わらず全てが晒されていると知れば、きっと羞恥で暴れ狂うに違いない。想像して、男――アスランは楽しげに口角を上げた。 薄く開いた唇に己のそれを乗せて、貪りはせず、表面を撫でて軽く吸った。そして覆い被せていた上肢を起こし、バルコニーに続く窓へと向かう。 後ろ手に窓を閉めて見上げた先に居たのは、一羽の鴉。異様に大きな羽を広げて、黒く鋭いくちばしを開く。 「やあ、元気?」 「キラか…なんの用だ」 耳障りな泣き声の代わりに紡がれたのは、年若い青年の声。獣の口から発される人の声は不気味でしかないが、アスランは慣れたように応じた。 「うわ、それが親友に対する台詞?」 愛想の欠片もない誰何に、キラと呼ばれた声の持ち主が呆れたとばかりに文句を垂れる。姿は鴉だというのに、口を尖らせている表情が浮かんでくるようだ。 「あと一時間早かったら、使い魔は八つ裂きだったな」 半刻前の所業を思い出したのか、アスランが艶めいた笑みを零す。 「あーやだやだ。すっかり色惚けしちゃって」 「新婚旅行と称して百年遊び歩いてたお前に言われたくない」 遠い昔、世に生まれ出でた時期が近く、また身に宿す魔力の強さも互角ということで、キラとアスランはともに居ることが多かった。だが、キラが彼の妻であるラクスと婚姻し、「じゃあちょっと宜しくね」の言葉だけ残して、百年以上姿を眩ましたのをアスランは未だ根に持っている。 「だから今こうやって代わりに閉じこもってあげてるでしょ! イザークがカンカンで宥めるのに苦労するったら」 事あるごとに持ち出される過去の恨みにキラが反論した。代わりと言っても、元々はキラとアスランの両方がその立場にあったのだから、それで恩を着せようというのもそもそもは筋違いなのだが。 「知るか。あと五年は帰らないぞ。契約だからな」 「よく言うよ。下級魔族の振りなんかして」 契約、などと言うものに縛られる身でもないくせに。しれっとした顔で言い放つアスランをキラが糾弾する。 初めて彼の行為を知った時には、随分と妙な遊びを始めたものだと思っていた。 享楽的で好奇心の強い魔族には、人間にちょっかいを出して遊ぶものも多い。けれど、いつもどこか冷めていて、排他的ですらあった彼は、人界に赴くこともほとんどしなかったはずだ。 それが、ある日を境にふらりと姿を消すことが増えて、さらには『人間と契約をしたから十年ほど留守にする』と言う。 よほどその相手が気に入ったのだろうか。だが、それならこんな回りくどいことをせずとも、さっさと連れてきてしまえばいい。魔物の身には短いとはいえ、十年も人に化け、吸血鬼などという低級の魔物の振りをするのは相当面倒くさいだろうに。 しかも月光を介して覗き見てみれば、お目当ての相手とはとても友好な関係を築いているとも言えない――その身だけは、好きにしているようだが。 「なんとでも。もう帰れよ、カガリが目を覚ます」 うっとうしそうに退出を促され、キラが眉間に皺を寄せる。まったく、らしくない行動ばかりの親友を、これでも心配しているというのに。 「その内イザークが切れて、お目付け役を送るとか言い出すかもよ。メイリンとか」 ぞんざいな扱われ方にむかついたので、彼が嫌がりそうなことを言ってやった。あながちただの揶揄ではなく、彼らの腹心――と言うと不機嫌な顔をするけれど――であるイザークは、それくらい業を煮やしているのだ。さすがにアスランに恋心を抱いているのが丸わかりな女を送り込むなんて下世話な真似はしないだろうが。 鴉の口から紡がれる当てこすりに、けれどアスランは、目を細めてうっとりと微笑んだ。 「よしてくれ。また嫉妬されてつむじを曲げられたら厄介なんだから」 「顔と台詞がぜんっぜん一致してないっての」 嫌味も通じない、とキラがごちる。長い付き合いだが、こんな顔で笑う彼を見た覚えはない。 無愛想で冷たくて人嫌いだった彼を蕩かした相手は、部屋の中で寝ているのだろうか。垣間見た姿は、まだどこか少女めいた容貌に凛とした眼差しが鮮烈で、正直色気には欠けていた気がする。それでも、彼の前ではまた違う顔を見せているのだろう。 にわかに沸いてきた好奇心と、わずかばかり混じった色に気づいたのか、アスランの気配が鋭く尖った。 「……ん…」 閉じられた窓の向こうで、女の身じろぐ声がした。刹那、アスランの手が翻り、鴉に向けて一閃する。音もなく黒い影は切り裂かれ、羽根の一枚すら残さず立ち消えた。 使い魔を消滅させられて、人界と異界を繋いでいた水鏡がただの水面に戻る。 「あーあ、駄目だねあれは。すっかり溺れちゃってる」 こういうのを、ミイラ取りがミイラと言うのだったか。何者にも執着しない態だった彼だけに、初めて知った蜜の味で深みにはまってしまったのかもしれない。あんな顔をしていると知れば、嘆くか嫉妬に怒り狂う女たちがどれほど居ることだろう。 「どうだった、あいつの様子は」 勢いよく飛び込んできたイザークが問いかけるのに、キラはひらりと手を振ってため息を吐いた。 「無理無理、とても帰ってこいとか言える状態じゃないね」 「まったく! 立場を自覚しろというのだ、あの馬鹿は!」 いらだたしげに足を踏み鳴らして怒鳴るのに、控えていた魔族が怯えたように肩を震わせる。キラやアスランには多少劣るとはいえ、十分に強力な魔力を持つ彼の怒りは、微力な魔物など一瞬で焼き殺してしまう。氷を彷彿とさせる銀髪に怜悧な美貌を湛える外見ながら、その属性は燃え盛る炎なのが皮肉な話だ。 「でもわたくしは、アスランのあんな顔を初めて見ました。とても幸せそうで」 ひりついた空気を、鈴を振るような声音が柔らかに包む。魔族というより天人と言ったほうが似合う、キラの半身だ。 「人間なんぞにうつつを抜かして、腰抜けが!」 ラクスの言葉にようやくほとばしる魔力を制御して、それでも憤懣やるかたないと言わんばかりに罵倒する。イザークにしてみれば、アスランの不在そのものよりも、彼がたかが人間の女に執着しているのが気に食わないらしい。弱くて醜い生き物と蔑んでいた存在が、自分より強い魔族を篭絡したなど、認めたくないのだろう。 「五年といえば、ちょうど千年夜草が花開きますわ」 「はあ?」 そんな彼の屈託を知っているのかいないのか――おそらくわざとだろうが、ラクスが楽しげに手を叩いた。脈絡のない発言に間抜けな返事をするイザークに笑いかけ、「とても珍しい花ですの」と続ける。 「わたくしもまだ一度しか聴いたことがありませんけど、とても美しい歌を奏でますのよ」 「へぇ〜、僕は聴いたことないなあ。さすがに千年ごとじゃそうそうお目にかかれないし」 横でわなわなと震えているイザークに気づきながら、キラも話題に乗って暢気に答えた。 「結婚式にはぴったりですわね。わかっていてあわせたのしょうか」 「アスランにそんな情緒はないね、絶対」 「そういう問題ですか!」 自分をそっちのけにして繰り広げられる夫婦の会話に、臨界点を超えたイザークがふたたび怒鳴る。侍従たちは予測していたのか、とっくに室内から消えていた。 怒りに顔を赤くするイザークに菫色の双眸を向けて、「よろしいではありませんか」とラクスは笑んだ。そして水面に白い指先をす、と触れさせる。華奢な指から伝う魔力に、ふたたび水が人界への扉に変わる。 水鏡に、彼らの同胞と、その腕の中に抱え込まれた女が寄り添って眠る姿が映しだされた。 その様子を苦々しく思いながらも、目を閉じている男が満たされているのが伝わってきて、イザークが複雑な表情を浮かべる。 こうして見られていることをアスランは気づいているだろう。わかっていて、見せ付けているのかもしれない。先ほど、ほんの一瞬抱いた興味へのけん制かと、キラは苦笑した。 それぞれの反応を見せる男たちに、すべてわかっているのだろう女神が笑みとともに告げる。 「わたくしたちにとっては、ほんのわずかな時間ですもの」 黒翼の魔王が黄金の花嫁を連れて帰還するのを、楽しみに待ちましょう――― |
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本を発行した折にはまさかこれほど遅れるとは思っておりませんでした…。 これだけ遅くなっておいて、萌えの欠片もないお話でもうほんっとうに申し訳ありません。 これは私の癖なのですが、話の中でカガリとアスランの両方からの視点を書くのが 基本スタンスなので、本の方は完全にカガリ視点のみだったのでこれをつけることで ようやく私の中で収まりが付くというか…でも別に読まれる方にはなくても全然構わない 内容だと思います…むしろワケわかんない部分とかあるかと…すみません。 ついでに言うと、アスラン視点というかキラ視点かもしれません。 それにしても最後の一文は一番書きたかったながら恥ずかしいったらありゃしません。 ちなみに魔法の呪文は『魔王』にかけていたのですが、気づいた方いらっしゃいます? 魔界とか魔族とかは無秩序のようで結構秩序があるようです(なにその他人事)。 しかしなんというか、当初は漫画にする予定だったネタなので文字にすると何か微妙…? 黒鴉を腕に止まらせて会話するアスランとか、その鴉をすぱっと消しちゃうアスランとか 寄り添って眠るアスカガとかはちょっと絵で描きたかったかなとも思います。 どうでもいいですがとうとうイザーク書けましたよ!(このネタ自体は1年前のものなのですが) 2007年9月30日 |