平 倉 山 荘

(たいらぐら山荘)

平倉山荘はネット上だけに存在する、空想上の山小屋です。
小屋番(Webマスター)は山形県上山市在住です。
小屋番が思ったことを、勝手気ままに綴らせていただきます。

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HP『平倉山荘』について

 皆さん、こんにちは。
この度はWebサイト『平倉山荘(たいらぐら)』にお立ち寄りいただきありがとうございます。

『平倉山荘』は実在せず、ネット上だけに存在させた空想上の山小屋です。
もしも山小屋を持てたら名前は「平倉山荘だな!」という事でサイトの名前にしました。

上山市蔵王連峰を中心に、登山とスキーをやっております。

この空想の山小屋『平倉山荘』は
上山市蔵王坊平高原にあることを想定しオープンしました。
『平倉(たいらぐら)』とは、蔵王坊平高原の昔の名称です。

 蔵王山、とくにこの蔵王坊平高原は
私にとってなくてはならない存在で
幼少の頃からスキーを通じ親しんできた所です。
現在も、冬はスキー、夏は登山と通い続けております。

この蔵王坊平スキー場(現・ライザスキーワールド)での
スキー』との出会いは
私にとって、『人』との出会い、そして『経験』との出会いでした。


 その経験の一つに
海外(カナダニュージーランド)でのスキー教師活動があります。
この海外での経験の中で
スキー以外のもうひとつの魅力に『出会う』ことになりました。

それは『山岳と登山』の魅力です。

カナダとニュージーランドで、幾度とヘリスキーをする機会がありました。
これまで経験してきた日本でのゲレンデスキーでは味わえない
素晴らしい魅力に出会いました。
それまで、スキーテクニックの習得にのみ没頭してきた私のスキーは、
雪山での楽しみ方の一つに過ぎないということに気づいたのです。

それ以来、ゲレンデスキーにとどまらず
この蔵王連峰を中心に
積雪期はツアースキー、無雪期は山歩きと
四季を通じた『山』の楽しみを追い続けております。

 そんな今、蔵王連峰に関する登山の情報や
私の山行記録などをお伝えできればと思い
このWebサイト『平倉山荘』をオープンしました。

では、どうぞよろしくお願いします。

 

蔵王と斎藤茂吉

 上山市出身の歌人・斎藤茂吉が蔵王山について読んだ歌の中で
お気に入りのものがありますので、ご紹介します。
坊平高原が以前「平倉(たいらぐら)」と呼ばれていたことを、
この歌の中で知りました。

  『 平ぐらの高牧に来て あかときの 水のみ居れば雲はしづみぬ 』
【蔵王坊平高原(平倉)に歌碑があります。】


  『 陸奥をふたわけざまに聳えたまふ 蔵王の山の雲の中に立つ 』
【熊野岳山頂に歌碑があります。】

 

野の思想家 真壁 仁 「 峠 」

峠は決定をしいるところだ。
峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。
峠路をのぼりつめたものは
のしかかる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいってゆけない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。
峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけるみちはたのしい。
みちはこたえない。
みちはかぎりなくさそうばかりだ。
峠のうえの空はあこがれのようにあまい。
たとえ行手がきまっていても
ひとはそこで
ひとつの世界にわかれねばならぬ。
そのおもいをうずめるため
たびびとはゆっくり小便をしたり
摘みくさをしたり
たばこをくゆらしたりして
みえるかぎりの風景を眼におさめる。

〜真壁 仁〜
詩人。山形市宮町生まれ 明治40年〜昭和59年 享年76歳。
尋常小学校卒業後、家業の農業を継ぎながら、その傍らペンを執り
『野の思想家』といわれる。
県内42校の校歌を作詞。我が母校上山市立南小学校のものも。
歌碑『峠』は、蔵王坊平高原 お清水の森に建つ直筆のもの。


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