【熊野岳をバックに@中丸山コース】

山行記録 - 平倉山荘 -

2006年4月19日(Wed)

【蔵王連峰/熊野越え(ライザ〜熊野岳〜中丸山)】

【メンバー】 ミラーマン君&私

【歩行距離】 約8.5km (カシミール3Dより)

【所要時間】 約4時間30分

【山】 熊野岳(1840.5m)・中丸山(1562m)

【地図:1/2.5万】 蔵王山

ミラーマン君のサイト「メットの中の独り言」にも、彼の山行記録が載っています。ご覧下さい。

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【山行メモ】

おかげさまで天候に恵まれました。

帰宅途中、車の窓から見える13号線沿いの山々には、黒く重圧な雲がのしかかっている。
雲との境に見える春待つ山肌にはうっすらと雪が積もっていた。
季節外れの雪と言っていいだろう。ほとんどの車が夏タイヤに交換を終えている。
昨日、私たちが穏やかに歩いてきた蔵王の稜線には、はたしてどのくらいの雪が降り積もったのだろうか。

4月19日、LODS仲間のミラーマン君と一緒に熊野越えをしてきた。
互いにスケジュールが合わず、急遽、二日前に話がまとまった。
天候の崩れも、私たちの計画に合わせてくれ一日ずれてくれた形になる。

ミラーマン君は夜勤、そして私は得意先様との懇親会とお互いに忙しい前夜を過ごす。
朝7時に猿倉に待ち合わすため、早朝5時に目を覚ます。
前夜の疲れがさほど残ってなく、穏やかな楽しい山行きを予感させる。

計画第1案は、ライザから仙人橋を渡り中丸山山頂まで登り、そこから蔵王ラインまで滑り降りる。
第2案は、ライザから馬の背を経て熊野岳を目指し、中丸山コースをライザまで下る計画。
この時期の残雪を考えれば、標高1000m以上でなければスキーを使った山行きは無理のはずだ。
いずれにしろ、目的エリアを中丸山とスキー山行にしぼったのはミラーマン君の希望である。
1案か2案かの判断は、当日の天候しだいである。

一足先に待ち合わせ場所についた私は、第1案蔵王ラインの下山口を偵察に行く。
北斜面には雪が残っているものの、ほとんどがスキーの出来る状態ではない。
隊長によると、今日は猟友会による熊撃ちがあるという。
昨年、この時期に熊に出会っている。
天候、残雪そしてこの熊撃ちのことなどを考えると、今日は第2案で行こう。
ミラーマン君に伝え、二人でライザに向かう。

二日前の黄砂は結構ひどかった。その飛来量は年々増えていると言う。
私たちはスキーにシールを張り付け、誰もいない静かなゲレンデを登っていく。
猟友会所有のスノーモービル2台と雪上車がゲレンデに駐車されてある。

7時30分に歩き始まる。

ゲレンデ最上部までの歩きは約1時間が相場であるが、今日は45分間で登って行く。
今シーズンの山行きの回数を考えると、体力がついたからと言うわけではない。
久しぶりのスキーツアー、そして穏やかな天候のため私たちのペースは早かった。

冬期閉鎖中のエコーラインは、GWにあわせあと10日もしないうちに開通するだろう。
除雪が進んでいるエコーラインを巻いて登ってゆく。豪快に排雪された雪塊の横を通過する私を、
ミラーマン君はデジカメにおさめてくれた。気の利いたワンカットと感心する。
御田ノ神には作業前のブルドーザーが1台静かに停まっていた。

     


天候はうす曇ではあるがいたって安定している。二日前の黄砂の時とは空の色が明らかに違う。
南屏風岳の端正なシルエットがはっきりと見え、南からの天候の崩れがない事を知らせてくれる。

阿部虎さんとクラークさんの遭難記念碑に立ち寄り、右又沢源頭に滑り込む。
沢の積雪は昨年同時期より少ないのだろう、一部で雪が開いて細い沢の流れが見えている。
沢底の滑走に不安がないといったら嘘になるが、雪山での遊びに100%安全という保障はない。
ミラーマン君に確認をとり出合まで一気に下り降りる。

残雪の沢を登り詰めて馬の背へ直登してゆく。熊野岳に向かって近道をすることになる。
なだらかに見える斜面ではあるが、意外に距離があり息の切れる傾斜が続く。
ボディーブローを浴びているように、じわりじわりと効いてくる。稜線を目前にどちらからともなく一本をつける。

昨年は、このあたりで風雪と霧のために引き返している。
登山者の心理は、天候に大きく左右される。経験の多さにそのブレ幅は違うのだろうが、
無視することの出来ない心の動揺である。窮した心理は行動の判断を大きく狂わせる。

同じ時期、同じ場所に居ながら天候の違いで私の心はこうも違うのだ。
今日はこのまま登り続けることになんのためらいも不安も感じられない。

馬の背はいつも風が強い。厳冬期であっても積雪は少ない。
吹き飛ばされた雪は宮城県側の沢筋に多量の積雪となって舞い降りる。
井戸沢の残雪が遅くまで残るのはそのためだ。
さて、馬の背から熊野岳向かう尾根ルートには、どの程度の残雪があるだろうか。
画像のとおり、雪は消え赤茶けた火山礫が顔を現していた。
仕方なくスキーを外して先に進む。

    

熊野岳山頂へは寄らずに、左又沢源頭を巻いて中丸山コースへトラバースをする。
冷たい風が左又沢から吹き上げてくる。
適当なところでシールをはずし、カッパの上着を羽織って滑走の準備に入る。
ミラーマン君にとっては初の中丸山コーススキー滑走の始まりとなる。

彼は、家の事情で2月中旬から山行きに出れない日々が続いていた。
「ストレスが溜まりっぱなしで・・・。」とメールが届いたのは二日前であった。
そんな彼のために今日の天候が安定してくれているのだろう。
ここ数年、雨男のレッテルを貼られている私にとっても、今日熊野越えが出来るのは彼のお陰だ。

    

ワシ岩をバックに残雪を辿り下ってゆく。
月見が原からドトマツ帯までは尾根が狭くなる。残雪が少なく這い松が露出している。
尾根通しのにルートを南に北にと変えながら下ってゆく。
北斜面となる蔵王沢側には、見るからに快適な滑走ラインが残っている。
だが、滑り降りてしまうと下山ルートの尾根まで登り返すことになるので今回は見送ることにする。

     

トドマツ帯に入ると尾根は広がり、スキーインストラクターでもある私たちは
樹間を縫うように快適なツリーランを楽しむ。

鞍部は風が弱く休憩をするのにちょうど良い。上空を県警ヘリ「月山」が旋回してゆく。
今日は気温も高く汗をかいたので、水分補給は、準備してきたテルモスに紅茶ではなく
冷たいスポーツドリンクのほうが良かったようだ。

中丸山への登り返しは約15分間。雪の斜面を登る足が重く感じられ。
もう疲れてきたのか?気持ち的にはまだまだ余裕があるが、足元には疲労が溜まっていた。
山歩きのための体力は、山歩きを繰り返すのが一番である。というのが私の考えである。
今日の山行きが次のためのトレーニングになる。

山頂では、ミラーマン君がモンテディオ山形のタオルを頭上高々と掲げ記念撮影をする。
彼は熱心なファンなのだ。頑張れモンテディオ。

さて、山頂西斜面の最後の滑走に入る。積雪状態はどのようになっているのか。
出発前にスキー場から見上げるその斜面は、残雪の白よりも
トドマツや這い松の緑のほうが多く見えた。西斜面は、冬の間は風が吹きつけ
春になると日当りが良く雪解けが速い。
もしかすると、藪でスキーどころではないのでは、と心配していたが
何とかスキー板を外さずに下ることが出来た。

1400m付近のブナ林帯まで下ると、こちらのほうがスキー滑走には適した積雪状態となった。
お互いに、ロケーションの良い場所を選び
ミラーマン君の500万画素デジカメ(連写モード)で滑降シーンを撮影し合う。
いつになく楽しい山行きが続く。

夏道沿いに尾根南寄りのルートを下ってゆく。
先日見かけた熊棚は、このルートには見当たらず北寄りのルートのみのようだ。
1300mあたりから急にブナが細くなり混み始めてきた。
ターンが出来ないほどの混みようだ。パチンコ玉がピンの間をあっちこっちと
行き先を探すように下ってゆく。

夏道の目印となるブナの大木を確認する。滝見場はすぐそこである。

滝見場で一本をつける。
その後は仙人橋への下降点を探すため、仙人沢対岸の斜面を見ながら下ってゆく。
間違って下りすぎては、登り返すことになる。対岸の稜線は間違いなく青い鳥コースである。
リフト下り場横の木造小屋を見つけられれば、その真下が仙人橋である。

先日、ドキュメント「雪崩遭難」を読んだ。
興味深くあっという間に読み終えてしまったが、雪崩の恐ろしを知り、
これまでの山行きがいかに無知識の中で行われ、「知らぬが仏」状態だったのだと思い知らされる。
雪と斜度があれば、いつどこでも雪崩れてもおかしくはないのではないか。
より安全に山に入るために読んだつもりが、
逆に、雪山が怖くなり山から足が遠のく原因となってしまいそうであった。

とはいえ、一ヶ月も過ぎれば、その感覚も薄れていた。
雪山に入る以上は安全が100%保証ているということは、不可能なのである。
そのリスクの確率を可能な限り下げるために、知識と技術そして経験を積んでゆくしかないのだ。
そんな山への覚悟というか、いやいや、そんな「覚悟」というほどの大それたのもでもなく
開き直りに近い気持ちになった。

仙人橋までの下りは特に急である。もし、足元の雪がそっくり崩れたら
仙人沢まで雪もろとも落とされて埋まってしまうだろう。山の中での心配事は絶えない。
樹木の根元を結ぶようにルートを取りながら、慎重に仙人橋まで下ってゆく。

最後の懸念箇所である仙人橋までの急斜面を下り終えた私たちは、スキーをザックにくくりつけ
リズミカルな足取りで仙人橋を渡ってゆく。緊張の解けた心の弾みが伝わってくる。

ミラーマン君は、よく写真をとっってくれている。
今回の山行記録の画像が、私自身の写っているものがほとんどなのは
すべてミラーマン君の撮影のお陰である。という私は、今回は銀塩カメラでの山行きのため
写したカットはプリントしてミラーマン君に渡した。
フィルムは、まだデジタル化していないのでページへの出番はない。

つり橋を渡り終えると、スキー場までの最後の登りが待っている。
この斜面がなければツアーの最後が楽なのであるが。
しかし、楽しいツアーの終わりは楽でないほうが思い出になる。
互いに横目に見ながら、急斜面を喘ぎ喘ぎ登ってゆく。

3月に行われた県救助訓練時の足跡の部分が特に硬雪になって残っていた。
突然、右足がぬかり胸まで埋もってしまった。
見えない雪の下にこのような空洞があるとはとびっくりだ。
このような空洞や空間が全層雪崩は引き金になるのだろうか?

ゲレンデに出ると、ミラーマン君はすかさずスキーを履き駐車場まで滑ってゆく。
私はそのままスキーを背負い坪足で歩いてゆく。
彼の金具はディアミールVにストッパー、そして私はジルブレッタ404に紐の流れ止めである。
金具の着脱の容易さは彼に敵わない。皆がディアミールがいいという理由が良くわかる。

12時、駐車場に到着。

出発前に停めてあったスノーモービルが1台なかった。そういえば、中丸山のくだりの途中に
「パンッ」という乾いた音を聞いた。熊撃ちの音だったのだろうか。
残雪の山には、楽しみ方がいろいろある。雪の残っているときにしか行けない場所もある。

今回はミラーマン君のおかげで楽しい山行きが出来た。本当にありがとう。
なかなかスケジュールが合わず、会うたびに「今度、山行くべぇ。」と決まったような挨拶になっていたが、
今回のように、急遽、話をまとめすばやく行動に移せば、また一緒に行ける機会はいくらでもありそうだ。
次回は、残雪の月山や雪の消えた朝日、飯豊もいい。楽しみだ。

 


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