今回は、訓練集中のため
画像は撮りませんでした。
(゜゜)(。 。 )ペコッ

山行記録 - 平倉山荘 -

2005年3月2日(Wed)〜4日(Fri)

【蔵王連峰/山形県山岳遭難対策委員会救助訓練 参加】

【メンバー】 総勢49名

【歩行距離】 約00km (カシミール3Dより)

【所要時間】 約00時間00分

【山】 刈田岳(1758m)

【地図:1/2.5万】 蔵王山

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【山行メモ】

山形県山岳遭難対策委員会の救助訓練に参加してきました。訓練会場は、蔵王坊平高原一帯で、私たちがいつも山歩きをやっている地元での開催です。参加者は、山形県警山岳救助隊(H16年に発足)・自衛隊・そして各地域山岳遭難対策委員会のメンバーです。講師は小国山岳会の方々です。

1・2班は県警救助隊の方々で編成されました。私たち、地域山遭対は3班と4班に編成されました。私の第4班には、同じ上山山遭対から地元先輩のKIKUさんと消BO隊のKAGAさんと一緒になりました。また、県境保護課の石YMさん(上山在住)とも一緒になりました。

初日は、第4班講師・菅NO講師の読図とコンパスについての講義から始まります。昼食後、ライザスキー場青い鳥ゲレンデを貸切、ワカン歩行訓練、滑落停止訓練、懸垂下降・確保訓練を行いました。

2日目の3月3日は、総合訓練です。
昨年実際に発生している遭難事例を元に、各班が刈田岳を目指し総合的な訓練を行います。出発前に総合講師・二SINA氏からも話が出ますが、天気が良く訓練には向かない天候のようです。まず、各班がリフトを利用してスキー場最上部へ上ります。ここから、かんじきをつけ各班毎に刈田岳を目指します。

第4班は、コンパスを利用し御田ノ神非難小屋を探します。途中、デフ棒の活用法を講師から習います。私は、これまでデフ棒を利用したことがなかったので、その必要性を感じました。特に単独のとき、視界がない状況下では2本のデフ棒を活用して、進路を探るのに活用できそうです。また、樹氷などを迂回して進路をとるときなども有効のようです。御田ノ神非難小屋には、すでに第3班が到着していました。この時点で、天候は上々。しかし、馬の背方面には雲が掛かっています。

訓練用に渡された地図には各班ごとの歩行ルートが引かれています。第4班のルートは、北斗観光リフト沿いに馬の背を目指すようになっています。国土地理院の蔵王山の地図は、平成4年に改定になっているようです。私が持っているそれ以前の地図には、北斗リフトが実線で記載されていますが、改定されたものには、廃屋となっているリフト乗り場の建物と、実際には建物がないリフト終点の折り返し位置だけが、地図上に記載されています。(ライザゲレンデのリフトは、新しい地図に改められていますので、地図は新しいものを準備しなければなりませんね。)

地図と言えば、今回は講師菅NOさんがGPSを携行しました。こうなると、地図上に磁北線のほかに緯度・経度のグリッド線を引いておく事も必要になってきます。講師の引いていたグリッド線は6秒間隔のものでした。参考にしたいと思います。
また、いままで、どこに行ったのか探せなくしていたTomenの高度計を、訓練前の準備中に偶然見つけ、個人装備として携行してきました。ライザペア2リフト上駅で高度を1440mに合わせておくと、かなりの精度で高度変化を表示してくれました。これからは、どんどん活用したいです。

北斗観光リフト下駅で現在地を確認します。地形図から北側の小沢を確認し、廃線となっている北斗リフトを辿って登ってゆきます。北西からの風が徐々に強くなってきます。雲の中に入り、視界もなくなってきました。再度現在地を確認し、コンパスを刈田岳三角点に合わせます。班員11名で先頭を交換しながらラッセルを続けます。さすがに刈田山頂・刈田神社までくると吹き付ける風は強烈です。訓練では、このあたりで雪洞をほり昼食となりますが、シュカブラとなっている雪面から雪洞の敵地が見当たりません。風下にある刈田岳非難小屋のほうまで進み積雪の多い場所を探します。すっぱり雪に覆われたかった非難小屋の入口付近の吹き溜まりを利用して雪洞を掘ることにします。このとき、私は失敗を起こしてしまいました。それは、団体装備として背負ってきたブルーシートを、ザックから取り出したところ斜面下のほうに滑り落としてしまったのです。それを見ていた、菅NO講師が数メートル先に滑り落ちるシートを、すかさず走っていって捕まえてくれました。冬山で装備を無くすことの重大さを身にしみて感じさせられました。

その後、吹き溜まりを掘り進めてゆくと、小屋の入口が出てきました。非難小屋を利用するには、この周りの雪をきれいに取り除いていたほうが良いようです。宮城県側から登ってきた一般の登山者の方もいるようです。非難小屋を利用できるように排雪作業を続けます。せっかく入口を掘り出したので、非難小屋の中で昼食をとることにします。菅NO講師が、手際よくシーチキン入り味噌味ソーメン汁を作ります。このような炊飯術も登山技術の一つと感心させられます。食事中も、数人の登山者が非難小屋を利用するために入ってきました。非難小屋をいつも利用できるように、出入り口の排雪の管理をしておくことは重要のようです。

短い昼食時間を切り上げ、下りの行動を開始します。下りのルートは、刈田岳から冷水山を経由し集合場所のライザスキー場青い鳥ゲレンデまで行くということになりました。刈田岳山頂で北斗観光リフト下駅にコンパスを合わせて進みます。しかし、方向が狂ったようで、馬の背を北上しているようです。稜線に吹き付ける北西風は北上する私たちの左方面から容赦なく吹き付けます。露出している顔の左側の小鼻の部分が、白くなってきました。軽い凍傷です。ヤッケのフードや襟元で覆います。自衛隊の方も、ヤッケのフードを被り重装備です。地形に明るい地元先輩KIKUさんを中心に、進路を変更します。強風と霧の中、山交リフトを確認し高度を下げてゆきます。リフト中段から下は視界が開けています。このあたりから冷水山に真っ直ぐ進むには、小沢が邪魔して歩行ルートに向かないと言うことで、一度、御田ノ神非難小屋を迂回して冷水山を目指します。このあたりの列のトップを自衛隊の方々が担当してくれましたが、その歩行やルート選択などに頼もしさを感じました。実践訓練の積み重ねを感じます。

御田ノ神非難小屋からコンパスを冷水山にセットし、樹氷原とブナ林を真っ直ぐに下ってゆきます。その間も、コンパスを頼りに進路を探ってゆきます。かんじきトレッキングなどで何度か歩いている箇所ですが、コンパスを利用し地図で地形を読みながら歩いてゆくと、あらためて勉強になります。冷水山手前のエコーラインから進路をライザスキー場内のEXプレスリフト上駅に向かってすすみます。上空を県警ヘリ『月山』が旋回しています。地元先輩KIKUさんは、「このエンジン音は『月山』だな。」音で聞き分けているようです。

青い鳥ゲレンデで、何度かロープを使い確保訓練を懸垂下降訓練をした後、ゲレンデ下部の集合場所に行きます。ここで、各班合同で雪崩ビーコンを使った雪崩埋没者捜索訓練を行いました。まずはじめに、第1班・井ノUE講師がアナログビーコンを使った捜索要領を説明します。続いて自ら実践をして見せます。その後、参加者による訓練です。二人で競い合って発信ビーコンを探し当てるという訓練を行います。私も体験させてもらいましたが、なかなかうまく探し当てれず、相手の警察官が先に発信ビーコンを探し当てました。うまく出来なかった反省も踏まえ、いろいろと考えてみると、まず最初は、35mレンジで真っ直ぐにすばやく移動してみると言うことのようです。ちなみに、今回使用したアナログビーコンは80m・35m・15m・8m・2mのレンジ切り替え(受信感度切り替え)が付いていました。隠された場所がおおよそ50m範囲内のようだったので、最初から35mレンジ位置からと言うことにしましたが、実際は80mレンジから始まるのでしょう。話は戻り、35mレンジでまず直線状にすばやく移動してみます。その線上で一番反応の大きいところに戻り、その場所でビーコンを発信音間隔のタイミングで横に移動させ反応の大きい方向を探ります。発信音のなるタイミングでビーコンの動きを止めて反応を見るようにと講師に指摘されます。方向がつかめたら、その向きに進んで見ます。その直線上でまた反応の大きい箇所がわかれば再度方向確認となりますが、このあたりで、音と発光ダイオードの反応がMAXになれば、レンジを1段下げて低い受信感度に切り替えます。方向がわかれば進みます。反応の強弱は、最大反応箇所を通り過ぎてみてはじめてわかるようです。これを繰り返し最小レンジ2mまで絞ってゆきますが、この後はビーコンを雪面に接するくらい近づけて、発信ビーコンの反応を探るとピンポイントで発見できると言うことです。実際は、2mレンジでMAXの反応があれば、おおよその場所の特定には十分かと思われるので、その周辺の雪を掘り起こすことになるようです。

ビーコン訓練中に、2班が下山してきました。訓練ルートを聞くと刈田岳には向かわず、より困難なルートと言うことで、スキー場上部から仙人沢に下降し、その後、熊野岳を登って来たとのことです。県警救助隊で編成された1班と2班は、それなりに厳しい訓練をこなしてきたようです。さて、2日目の訓練も無事に終了し、夕食時に懇親会が開かれました。懇親会では、恒例となっている各班ごとのかくし芸披露があり、各班、思考凝らした出し物で山男の意気込みを披露してくれました。また、講師そして事務局の方々からは、昨年発足した県警救助隊の歌『山形県山岳救助隊の歌』が初披露され、大いに盛り上がりました。私達の班では、地元上山から参加したメンバーを集め蔵王の歌『オー・シーハイル』を歌わせていただきました。班の他のメンバーからは、それぞれの団体の訓練内容など伺い、交流を深めるとともに有意義な時間を過ごす事ができました。

3日目は、ゲレンデ脇の仙人沢周辺でし、雪崩ビーコンによる埋没者捜索、エアーストレッチャーを利用した搬送訓練、レスキューハーネスを使った吊り上げ吊り下げ訓練を行いました。隣で訓練している第3班では、上山山遭対のKaGmi君と北MuR君が大きな声を掛け合いながら、訓練に励んでいます。頼もしく見えます。この日の訓練の中で、再確認させられたことは『メインロープは直接立ち木からエイトノットで』 『確保は、必ず・確実に・最後まで』。実地での訓練を何度も繰り返さないと、確実な技術は身に付かないようです。これからも、機会を見つけ精進したいと思います。

今回お世話になりました講師の菅NOさんはじめ第4班の皆さん、それから講師及び事務局の皆様、いろいろとお世話様でした。また、お会いすることがあろうかと思います。これからも宜しくお願いいたします。

今回の訓練については、1班・井ノUE講師のサイト『 飯豊朝日連峰の登山者情報 』のなかの『 登山者情報・第887号 』で詳しく紹介されています。ご覧ください。


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