2003年08月16日(土)〜17日(日)
【朝日連峰 日暮沢〜竜門小屋(泊)〜大朝日岳〜小朝日岳〜日暮沢】
西朝日岳から以東岳を望む 2003/8/17 |
【メンバー】 単独 【歩行距離】 約20km(カシミール3Dより) 【所要時間】 【通過時間】 8月17日(日) |
【山行メモ】 仕事柄、連休がとれるチャンスは少ない。15日から17日までの三連休ではあるが、初日は中学時代のクラス会があるし、16日は朝だけ仕事があったりで山行きの時間がとれたのは、16日の仕事終了後となった。仕事が終わり次第に出発するとにし準備をすすめる。 今回の山行きには、二つの目的がある。一つは前回の炊飯が「めっこ飯」であったので、山の師匠からアドバスをいただいての『リベンジ炊飯山行』であることと、もう一つは、これまた前回に竜門小屋の管理人さんから、たらふくご馳走になったお礼返しを背負ってゆく事である。 前夜のクラス会も盛り上がり、予定より遅い帰宅となってしまった。山行き当日は、午前4時に起床するも、寝不足を感じながらの出勤である。朝の仕事も順調に終了し、一度帰宅し準備を整え出発。 予定とおりに自宅を朝9時に出発する。 途中、山行き車SJ30の燃料を満タンにする。エンジンオイルも前日に補給しておいたので、日暮沢までの道のりを快調に走ってくれるだろう。工夫して取り付けた無線機も完璧で、加美町移動の局長さんJJ1BQE/7さんとQSOをしながらのドライブとなる。今回は、SJ30が高速道路を走るのが苦手だという事で、白鷹町を経由し、朝日町の木川ダムから大規模林道を利用して大井沢根子へと向かう。自宅から根子までの所要時間は1時間30分であるから、R112利用とさほど変わらない。予定とおりに午前11時には歩き始められそうである。 日暮沢到着、10時45分。
40分ほど登ると、薮の中から熊除けの鈴の音が聞こえてきた。ガサゴソと現れた人はマイタケ採りの主、竜門小屋行きを話すと、この方、去年の竜門小屋改築の際に一ヶ月間、小屋に住み込んだ大工さんとのことであった。 ゴロビツ水場に近づいてくると、あたりに霧がかかってきた。雲の中に突入である。今回は管理人さんへのお返しの“泡”を背負っているものの、荷物の軽量化に心がけた。前回の朝日山行の教訓からである。水場には、学生さん3名が下りの休憩をしていた。「朝の稜線は快晴だった」との事であるが、今はどうであろうか。
視界は依然開けず、登山道は雲の中である。晴れていれば、朝日連峰の主稜線を眺めながら尾根歩きを満喫できるところだが、今日は、ただモクモクと登るだけである。そのためか、歩きに集中でき久しぶりの重荷も気にならず前回同様のコースタイムで登っている。 ユーフン山通過、14時33分。
霧の中から人の話し声が聞こえてきた。どうやら竜門小屋に到着のようだ。小屋前の水場には、“泡缶”が良く冷やされている。『譲ります 800円』の看板。安いと思うか高いと思うか、私にとっては前者であろう。 2度目の竜門小屋である。昨年は、改築工事完了まもない頃にお世話になった。昨年と違い、入口の上には『竜門非難小屋』の立派な看板が取り付けれていた。 扉には補修のためか『ペンキ塗り立て』の張り紙。まだ乾わいていないのだろう、大きなラジウスがゴーという音を上げていた。 竜門小屋到着、14時42分。 中に入ると、昨年お世話になったEN管理さんがいらっしゃった。挨拶をすると、覚えていてくれた。お礼返しを背負ってきた旨を話すと、大変に喜んでくれた。当初は、お礼返しの“泡”の量にかなり気合を入れて考えていたが、出発前のパッキングでその気合も半減してしまい、実際は“500泡“×4本だけになってしまっていた。いざ、ザックからそれを出すときになると、なんだか勢いよくお礼返しと言ったわりには、少ないような気になってしまった。面目ない。しかし、それでも快く受けとっていただき、早速冷やしに行ってくれた。戻ってくると、「さぁ、まずはどうぞ」とよく冷えた“泡”を持ってきてくれた。うゎー、なんともありがたい。 外はまだ明るいのだが今だ霧が深い。そのため、早速夕食の準備にとりかかる。今回の二つ目の目的に挑戦である。まずは、無洗米1合にその1.2倍の水を入れる。吹きこぼれるまで火力を気にせずコッフェルをガスストーブにのせる。前回は、吹きこぼれ始めたところで慌てて火力を落とし、その後まもなくガスストーブの火を止て食べてしまっていた。これでは、『めっこ飯』になるのも仕方ない。 師匠からのアドバイスに従い、吹き零れ始めたら火力を弱め、米の上に幾分水分が残るくらいまでじっくりと待つ。うぅっ、なかなかいい感じ。ご飯の表面にくぼみが出始めたら、箸でその穴をほじってコップ1杯程度の差し水を入れる。ここまでは順調のようである。だがしかし、ここからが、五感総動員(目・鼻・耳)でコッフェルを火から降ろすタイミングを探る。芳ばしい香りとパリパリという音を逃さずにということであるが、はたして上手くゆくか。 なんとなく芳しくなってきた。蓋との隙間についたいた煮汁が乾き始め、わずかながら動き始めてきた。これをタイミングと見て、コッフェルを火から降ろし、逆さまにして蒸らしに入る。蒸らす事約5分。蓋を開けるのが楽しみである。おぉっ、ふっくら。レトルトカレーをかけ、頬張る。まだまだ完璧とはいかないが、昨年のご飯に比べれば、「月とすっぽん」である。師匠のアドバイスに再度感謝。
8月17日、4時15分起床。 まだ、寝ている登山者のほうが多い。外はうっすらと明るくなっていた。窓から外の様子を見ると、主稜線が見渡せる。雲海である。予報に反して天気は良いようだ。下界の雲が稜線に上がってくる前に、なるべく行動しておきたい。予定とおり大朝日経由で日暮沢に行く事とし、荷物をまとめる。朝食は途中で摂ることにして、4時40分に小屋を出る。
前日の天気予報から、このような絶景が予想できたであろうか。辛い登りや雨の中の山行などがあったとしても、このような景色に遭遇してしまうと山行きがやめられなくなる。前方に聳える大朝日岳は、端正な三角錐になって見える。 まもなく中岳への登りに差し掛かる。昨年7月に来たときには、不要なものを詰め込んだ重荷に、喘ぎながらこの坂を登ったことを思い出す。そのときは、濃霧の中、雨合羽を着ての山行だった。 中岳は、山頂の東側を巻くように通過する。登山道脇に薄紫色の花をつけた背丈40cmほどの植物が目に付く、シオガマの仲間であろう。 中岳の巻き道を6時36分に通過。
大朝日岳は目前である。大朝日岳の山頂や非難小屋の周りに登山者が見える。金玉水のテント場にはまだ雪が残っている。鞍部に咲くヨツバシオガマに励まされながら大朝日非難小屋を目指す。 大朝日非難小屋に6時56分到着。 大方の登山者は出発したあとのようで、小屋の周りで管理人さんが掃除をしていた。荷物を置き空身で大朝日山頂へ向かう。 7時08分、大朝日山頂に到着。
非難小屋に戻ると、テント泊のパーティが撤収を終え出発をするところだった。大きな荷物を背負ったご夫婦のパーティと話をすると、この方たちも一昨日は竜門小屋に泊まり、EN管理人さん達と楽しく宴会をしたとの事である。 大朝日小屋前のお花畑は、花の種類が多い。2種類ほど管理人さんに尋ねると、タカネナデシコとクルマユリであった。ナデシコは薄紫色の花弁が裂けているが見えた。車輪のような輪生の葉をつけるクルマユリの花は、想像より小さいものであった。どちらとも実物を見るのは初めてである。
テント泊のパーティと前後するように、7時24分に大朝日岳非難小屋を出発する。竜門小屋で満タンにした水筒(900ml×2本)も減ってはいないが、銀玉水で冷たい水と入れ替えよう。
小朝日岳に向かって下ってゆくと、右手には御影森山が雲の上に頭を出している。鞍部から古寺山に向かうには、小朝日岳の急登『熊越』を登る道と、小朝日岳の北側の巻き道を利用する二通りがある。師匠に以前、言われた事を思い出す。「巻いても、登っても大して時間は変わらないよ。」せっかくの雲上の稜線である。小朝日岳からの展望を楽しみに、『熊越』を登る事にする。
やっとの思いで、小朝日山頂手前の展望の良いところまで登る。ここで始めて、腰をおろし休憩をとる。計画では、朝食にインスタントラーメンでも煮て食べるつもりだった。しかし、行動の時間がもったいないので、菓子パンとみかんを一つづつ、頬張る。大朝日にテント泊をしていた単独の男性が、登ってきた。開口一番「いやー、きつかったですね」。仙台市からいらしたこの方は、初めての朝日連峰をすっかり気に入った様子である。 小朝日岳山頂手前で、8時33分〜50分まで休憩。
小朝日岳からの展望に別れを告げる。あとは下るだけであり、雲の中には入れば主稜線の景色も見れないであろう。鞍部からの巻き道の分岐点まで下ってくると、大朝日で言葉を交わしたテント泊のご夫婦と再度一緒になる。
雲は厚く、ブナの木々から雨のように雫が落ちてくる。雨合羽を着るほどではない。これから大朝日岳を目指そうとする、いくつかのグループとすれ違う。 三沢清水、9時35分通過。水場の水量は意外に多い。熊越での疲れがまだ残っている。ゴクッゴクッと喉音を立て、冷たい水を飲む。 下ってゆくと、4名の登山者が休憩をしていた。三沢清水がまもなくである事を伝えると、「それでは、そこまで頑張ろう」と登っていった。 古寺鉱泉への分岐を、9時52分に通過。 ハナヌキ峰を、10時02分に通過。 登山道は、ぬかるみの個所が多くなり足元が泥だらけになる。この夏の天候が、あまり良くない事を物語っている。 根子川までの最後の下りに差し掛かる。さすがに足も疲れてきて、着地の際のクッションを上手く使うことが出来なくなっている。途中、二人組を追い抜き、次の休憩地をブナ林からヒメコマツに変わるあたりを予定して下り続けるが、途中でスリップ転倒してしまった。まだヒメコマツの樹林帯ではないが、根子川の沢音が聞こえてきたので、このあたりで腰をおろして一本つける。 昨日の昼前からの山行も、まもなく終わろうとしている。ヒメコマツの樹林帯の急な下り坂は、結構、足に疲労を感じるが、これを下りきればあとは平坦な沢沿いの道と、林道歩きだけである。もう一頑張りである。親子3人の登山者が休憩をしていた、登山靴が汚れていない事を見ると、これから登るのだろう。この時間からだとどこまで行くのだろうか? 11時02分に、急な坂を下りきる。平坦な沢沿いの道を進むと、一度、支流を横切る。沢の水で顔を洗い、冷たいタオルで頭を冷やすと生き返るようだ。 林道をしばらく歩き、日暮沢の駐車場に11時35分に到着する。今年は、雪解け後にあまり山に入っていない事もあり、今回の山行きは、昨年に比べて全体的に疲労感の残る山行きになったしまった。 山行き車SJ30に乗り込み、大規模林道から白鷹町あたりまで来る頃には、雨がフロントガラスを強く打ち付けていた。R348から菅の部落を通り大平山を抜けて市内に戻ってきたが、距離は近いのであろうが時間のかかる山道で、やはり『急がば回れ』であった。 14時30分に自宅に無事到着する。師匠宅に立ち寄るつもりであったが、疲れたせいか自宅から無事帰宅の旨を電話で報告する。 |