1672〜1757年。江戸中期の儒者。江戸の人。名は邦美、字は景鸞。通称新六。
人見鶴山に学び、18歳の頃より朱子学者山崎闇斎を師と仰いで著書を精読し、朱子学、
仏教、神道、禅学を修めた。また剣術にも熱心であった。
新井白石、室鳩巣、桂山彩巌らと交わり才識を磨いた。武事や兵法を語ることを好み、
英雄の武勇伝を語りだすとその人物に成りきり、刀に手をかける程熱中したという。
磊落(らいらく)で慷慨の気象に富んだため、覇儒(はじゅ)と称せられた。
岐阜の加納公に仕え、享保4年(1719)48歳の時、明石藩主松平直常公に招かれ藩需と
なった。晩年は人柄も穏やかで別人のようであったという。
宝暦7年7月17日没。著書に詩文集「蛻巌集」等がある。
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