春秋時代から戦国時代にかけて長江流域に楚の国が栄えました。 |
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(※楚 成立年不明。紀元前223年、秦に滅ぼされた) |
この地方の民間歌謡が「詩経」の刺激を受け、楚の王族の出身 |
の屈原(くつげん)という天才詩人によって文学的に高められて |
「楚辞」となりました。
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屈原は晩年不遇で江南に追放され、後に淵に身を投げて生涯を閉じますが、時世や自身の |
不運を憂えていた時期に、代表作である自伝的長編叙事詩「離騒」を作ります。 |
讒言によって都を追われた屈原自身が理想の君主に会えない葛藤を、美人を探してさまよう |
姿に寓して夢幻的に詠いました。 |
主に現実世界を詠った「詩経」には見られなかった詩の世界でした。長江一帯は地形も変化 |
に富み、気象条件も複雑であった為、 その様な幻想的な詩歌が生まれたといわれています。 |
詩の形式も楚の歌謡は「詩経」と異なり
“三言が基調で間に休止符をはさむ”ものでした。 |
当時、中国の北方と南方では、全く異なる詩が詠われていたようです。北と南が風土や習俗を |
異にするために、詩風の違いが起きたと思われます。 |
@現実的と幻想的 A抒情的短編と叙事的長編 B質朴な表現と華麗な修辞 C四言と三言 |
等、様々な点で相違する「詩経」と「楚辞」の二つの詩歌が、以後の詩歌にいろいろな影響を |
与えていきます。 |