徳富蘇峰先生髪塚祭
 

蘇峰先生髪塚祭・合吟

平成14年(2002)11月2日(土) 徳富蘇峰先生髪塚祭〜熊本市島崎7丁目4−4
 1、開   式 蘇峰先生髪塚祭・講話
 2、黙   祷
 3、会長挨拶
 4、吟   詠 詩吟合吟:香雲堂吟詠会  吟題「感 懐」
 5、講   話 講師:野水 一郎氏 香雲堂会員記念撮影
  演題「蘇峰の少年時代と二つの夢」
 6、閉   式
  主催:徳富先生顕彰会
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  【髪  塚】 (※徳富先生顕彰会資料より一部抜粋)
 霊樹院敷地内にあり、巨大な自然石の下に徳富蘇峰先生の髪が埋められている。
 昭和25年(1950)蘇峰先生の米寿にあたり、戦犯容疑により公職追放中であった
 先生を慰め励まそうと、吟詠家・瓜生田君子女史が、大橋万亀女史、近沢まさ女史
 等と語らって計画したもので、これを聞いた先生は非常に喜び頭髪を贈ったという。
徳富蘇峰先生髪塚
 同年7月、地主・塩山金太郎氏が土地提供を決定し、古田正雄氏
 の手によって碑が設計され、11月23日に除幕式が挙行された。
 
 また、碑の横には建碑に至る経緯を刻んだ副碑がある。
 毎年、蘇峰先生命日の11月2日には徳富先生顕彰会により
 髪塚祭が行われ、碑面の詩を吟唱して故人を追懐している。

感懐(徳富蘇峰)
 
【詩意】
  故郷熊本の西、石の神を祭った山の麓に、何度春が巡って来たことだろう。  
  止水先生の小さな村塾での光景が、夢の中で新たに蘇える。  
  当時は自分一人だけが頭角を現そうなどとは少しも考えなかった。  
唯々、幼い自分が頬を真っ赤にして書物を読んだ時代である。

 蘇峰先生は御高齢に加えて、戦犯容疑による蟄居の身であった為、髪塚除幕式へ
 の御出席は叶わなかった。先代宗家が戴いた書簡の一部をここに紹介する。
 昭和25年11月23日の髪塚除幕式当日、先生の御挨拶文を代読したものである。
 
 第五八信
 御来会ノ各位ニ棒ホド願ウテ針ホド叶ウト申シマスガ此ノ蘇翁髪塚ハ針ホド願ウテ棒以上ニ
 出来マシタ。老生ニ於テハ全ク意想外ノ仕合セデアリマス。
 ・・・・・<中略>・・・・・
 大人ハ世界ヲ以テ墳墓トナスト申シマスガ老生ハ故郷ヲ愛シ、故郷ヲ慕ヒ、故郷ヲ恋スルモノ。
 生前ハ固ヨリ死后幾百戴マデモ故郷ト縁ノ繋ガランコトヲ一生ノ念願トイタスモノデアリマス。
 従ッテ髪塚ノ建立モ亦其ノ意味ニ外ナリマセヌ。乃チ老生ハ徹頭徹尾日本男児トシ、特ニ
 火国男児トシテ天地間ニ生存ノ意義ヲ有スルモノト信ズルモノデアリマス仮令火国ガ老生ヲ
 誇リトセザルモ、老生ハ火国ノ子デアルコトヲ誇リトスルモノデアリマス。天若シ老生ノ悲願ヲ
 容レ玉ハバ、老生ハ昭和二十七年老生九十翁トシテ親シク現地ニ参上現場ニ於テ各位ニ
 感謝感激ノ御挨拶ヲ申上ルコトヲ期待スルモノデアリマス。是ヲ以テ今度ノ除幕式ニハ略儀
 ナガラ本文ヲ以テ御免ヲ被リマス。
 昭和廿五年十一月吉日
米寿叟 徳富猪一郎 

 
【詩意】
  公会堂に、飛び抜けて優れた偉人・蘇峰先生をお迎えする事が出来た。  
  この熊本、薫風の五月。めでたい烟が辺り一面にたちこめている。  
  先生の尊顔を拝し、感極まり何ともいえない感動に満ち満ちている。  
心から先生の御健康、御長寿が千年も万年も続くように祈るばかりである。
 
 公職追放解除となり、最後の帰郷と言われて帰熊された先生90歳。
 石神山下、靈樹庵庭の髪塚を訪れられ、その巨大な石碑を撫でられ喜ばれた
 先生のお顔が眼前に浮かぶ。
 じっと傍らで見守る先代宗家の感激の一瞬、笑顔が素晴らしい。
 この最後の帰郷から5年後、蘇峰先生は昭和32年11月2日にご他界された。

徳富蘇峰先生と初代宗家
 

 昭和27年5月

 帰郷された徳富蘇峰先生を

 髪塚にご案内する

 初代瓜生田山桜。


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