MOVIEtonbori堂

その夜はいつもどおりの夜だった
その男が乗るまでは

コラテラル

製作/マイケル・マン/ジェリー・リチャードソン
製作総指揮/フランク・ダラボン/ロブ・フライド/チャック・ラッセル/ピーター・ジュリアーノ
監督/マイケル・マン

キャスト
ヴィンセント/トム・クルーズ
マックス/ジェイミー・フォックス
アニー/ジェイダ・ピンケット・スミス
ファニング/マーク・ラファロ

マン監督の趣味炸裂って感じな「コラテラル」
のっけから緊張感のあるシークェンス。空港でさりげなく「運び屋」とかばんを取り替えるクルーズ=ヴィンセント。(余談だがここでカバンを取り替える男がジェイソン・ステイサム、しかも登場はココだけ、ちょっと拍子抜けなんだけど彼が重要な役をしているとまた別の方向にいったかも(笑))一方今日も同じ日常が待っているタクシー運転手ジェイミー・フォックス=マックス。マックスは女性検事アニ−を乗せてダウンタウンへ。下道を指示するアニ−に対しマックスは高速を使うことを主張する。結果タクシーは渋滞につかまらず早くダウンタウンへちょっとした満足感を得るマックス。そしてその後に乗ってきたヴィンセント。自分は不動産業者で5人の人と友人に会わなくてはならない、その一晩につきあってくれれば600ドル、朝一の飛行機に間に合うように空港に到着できればさらに500ドルを払うという。最初は渋ったマックスだが300ドルを気前よくくれるヴィンセントに対しOKする。最初の訪問でタクシーを裏通りに移動させるマックス。そこに人が降って来た!驚くマックスに現れたヴィンセントは平然としている。

マックス「あんたが殺したのか?」
ヴィンセント「いや、銃弾がやった」

こうしてマックスはヴィンセントともに長い一夜を過ごすことになる

物語中は殆ど夜のシーンである。
そしてヴィンセントとマックス2人の男の物語でそれ以外の要素は殆ど話を進行させるためだけにある。これはある男が巻き込まれ(コラテラル)自らの生き方を見つめそれをきっかけに変わらざるを得なくなる話だ。だからタイトルが「コラテラル(巻き込まれる)」なのである。
マックスは平凡に暮らしており夢もあるがそれをただ夢想しいいなと思いながら日々を暮らしている男だ。一方のヴィンセントはプロの殺し屋。いかにスマートにビジネス(殺し)を遂行する事にしか興味がない。
彼はマックスに尋ねる「LAは好きか?」と「世界第五位の経済都市。しかし雑然とただ大きいだけだ」と。マックスは全てにおいてきっちりとしており割り切っている男なのだ。そしてこうも言う。マックスは「殺しの手伝いは出来ない」とするとヴィンセントは「環境に順応しろ、ダーウィンの法則だ」と言う。いかなる困難があってもやり遂げる強い意志をもっている。ようするに彼は非人間的な行為を自分なりの規範でこなしているプロフェッショナルということが強調される。それはこの後の展開でマックスが取る行動のためだ。
冷酷に標的を殺していくヴィンセントに全く共感できないマックスだが徐々にこの状況から影響を受け始めていく。その変化をうまく演じているジェイミーはスタンダップコメディアン出身ながら普通の男だが異常な体験をして内面に変化の起こる男を好演している。
しかしこういった男達の話を描かせるとやはりマイケル・マン監督うまいなと思う。別に互いに友情が生まれるとかじゃなく相手によってそれぞれが何かしら影響しあう。
タクシーという密室で繰り広げられる2人だけのやりとりというのもうまいし余計なものを入れずに2人の絞ったのもこのためだ。だからこそマックスのキャラクターが生きてくる。
対するトム・クルーズ・・・・・何処から見てもトムである(^^;演技も巧いし冷酷なしかしよく喋る殺し屋を熱演している。でもトムである・・・・。しかし映画評論家の先生方の言うとおり別の人がやってたらマックスがあそこまで生きてきただろうか?もしかすると殺し屋の方も比重が大きくなって結末が多少変わったかもしれないと私は感じた。
絶対的にこの映画ではジェイミー演じるマックスのほうが美味しい役だ。ヴィンセントは主役でありながらトリガーでもある。引き立て役なのにそれを受けやはり大方の見方としてジェイミーの演技が光っているという風に書かれていることを考えるとけっこう大したモノかなと。
全体的にマイケル・マン節で締めくくられている映画だった。
※Webtonbori堂ブログに掲載したものを一部改訂再掲載しています

Vol.56「ヘルボーイ」をもう一回観る      Vol.58「スカイキャプテン」を観る