MOVIEtonbori堂

こんなアメリカに誰がした?それはあんただ(爆笑)
アホでマヌケなアメリカ白人に噛み付く男のお話

ボウリング・フォー・コロンバイン

監督 ・ 脚本 ・ 製作 ・ 主演
マイケル・ムーア

カンヌ映画祭で大絶賛を受け、審査委員長のデビッド・「ツインピークス」・リンチが特別賞を設けたとも。しかも数々の映画祭でも絶賛されとうとうアカデミー賞ドキュメンタリー映画部門でオスカーを受けその壇上で「ブッシュは恥を知れ」と言ったことは記憶に新しい。さて白状しよう、tonbori堂はガンマニアである(^^;「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」とそれを金科玉条とまでは言わないけれど無邪気に信じていた人でした(苦笑)しかし今回のムーアのこの映画でそれは図らずも証明されたとも言える。ただそれが聖書の聖なる言葉のごとくふるまうがのような人たちが圧力団体(全米ライフル協会NRA)を運営しているとなるとそりゃとんでもないことだ(そんな人ばかりじゃないし軍産複合体など実際にはかなり複雑な構造になっているけれど)。個人の権利を声高に叫ぶ人たちがその権利を抑えようとする者たちに闘うのに銃を持ち出せば相手も銃を持ち出す、そしてそれは延々と続くことになる。そんな神経症的で攻撃的なアメリカで銃を野放しにするのは果たしていいのだろうか?という事をこの映画ではあれこれ周辺への取材や突撃アポなしでのチャールトン・ヘストン(今は前NRA会長)へのインタビュー。もっともそれを取り上げるきっかけはタイトルロールに入っているコロンバイン高校での2人の少年達の銃乱射事件だったのだがそれが彼の故郷であるフリントであった6歳の少年が6歳の少女を射殺した事件へ比重が移っていく。そのあたりは彼の原点となる貧者と富める者たちとの軋轢やそれが抱える社会問題への追求にも関わっているためそこが深く掘り下げられるがそこらの下りはよくある社会問題とのリンクでもあり私は蛇足な気がした。これは9.11へのアンサーとなる事が9・11が起こった瞬間に決まったのだから。そして恐怖は今も彼らを捉えている。ムーアは独善的な部分もあるし欠点もある。問題を提起するだけであとは見る人に委ねるようにしながらもある答えに結びつくようにしているところはそうだ。だってマリリン・マンソンがクレバーで非常に落ち着いて語るシーンがありその後彼はアメリカの大手スーパーチェーンの本部へコロンバインで銃撃を受け障害が残った少年達を引き連れ銃弾の販売を止めるように訴えるのだがそれに対しスーパー側は翌日に段階的に取りやめると発表するそしてチャールトン・ヘストン(アメリカを代表する俳優でNRA会長)に突撃インタビューを試み、彼にインタビューをするがそれは全てある意図を持って行われたのは間違いない。ただ私はこう思う彼のような男が入るからこそアメリカは自由の国なんだと。もし彼が創作活動を制限されることがあればそのときは本当の恐怖が始まるときだろうとも思う。しかしだ彼もまたアメリカ人であり自らの正義を通すためにありとあらゆる手段を使うことにには間違いない。それが私の中での違和感の正体だろう。ただ今は彼のやり方もありだと思っている。
最後に私にこの映画を見ることを勧めてくれた友人に感謝!
6/4梅田ガーデンシネマ鑑賞 03・09・04改訂03・09・07キャッチ変更

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