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推理小説の本棚

「クリムゾンリバー」
創元推理文庫 ジャン=クリストフ・グランジェ
実はこの作品は仏映画「クリムゾンリバー」の原作で映画を見終わった後に書店で購入したのだが「羊達の沈黙」は「レッドドラゴン」の流れで映画の前に買って読んで映画も凄かったがこれは逆パターンでありながらどちらも素晴らしかった。往々にしてこのパターンだと本がノヴェライズでつまらないことが多い。
原作の方が細かい描写で映画を行間のあいた絵本のようにしてしまうパターンが多いがこれは違う。同じ事件を同じように観客と読者に提出しているのに映画は人は環境によって左右されそれに縛られると言ったテーマが強くでているのに対してこの小説ではその上に2人の刑事と犯人達とのなんといったらいいのかコレを書くと完全ネタばれになるのであえて書かずに置くが相対する相対化が素晴らしい。
この作品は先の羊達の沈黙とも対比されるが(その猟奇殺人のような手口から)サイコパスの快楽殺人ではなく狂気とも言える意志をもって目的を遂行する人々の話なのだ。レクター博士は自らのトラウマと動機によって殺人を犯すがそれは彼によって空気を吸うがごとく、スカルラッティを聴くがごとくなのだ。
だがこの作品にでてくる登場人物はそうではない。目的のために殺人を犯す人達の話なのだ。私はそこに横溝正史の金田一シリーズとの共通点を見た。あの作品でもおどろおどろしい殺人が行われるがそれには目的と理由があった。つまり殺すために殺すのではなく目的のための殺人と言う点が非常によく似ている。映画も素晴らしいがこの作品もかなり面白い。変則バティ(相棒)ものだが後半ちょっと過ぎでないとふたりは会わないだが会った途端同じ目標だとしるとそれに向かって一目散に駆け出すところは猟犬を思い出す。ニエマンス警視正(主人公の1人)が犬嫌いなのを思うとかなり皮肉に満ちているがそれもフランス流なのかも。
映画と合わせて読むことをオススメする。
「レッド・ドラゴン」
ハヤカワ文庫 トマス・ハリス著
最初に言っておくが私がこの小説を読んだのは映画「羊たちの沈黙」の公開よりも前であることを断っておく。
「羊たちの沈黙」から「ハンニバル」のレクター博士が有名になる前からレクター博士登場のこの小説をしっていたのだ。そして実はこの小説もホプキンス”レクター”の前にあの男気映画を世に問い続けるマイケル・マン監督によって映画化されていた。主演はウィリアム・ピーターセンで「LA狼たちの街」というかなり重いクライムアクションに出ていた俳優だった。もっともあまりヒットはしなくて日本ではビデオリリースされたと思う。
話はFBIの捜査官クロフォードがフロリダにいる元部下のウィル・グレアムを訪ねるところから始まる。クロフォードは「羊たちの沈黙」でクラリスの上司だった人物だ。彼は満月の夜に起こった二つの一家惨殺事件の捜査にグレアムに加わって欲しいと要請に来たのだ。グレアムはその特異な能力、犯人の心理を自分に同化することによって犯人の思考を辿り捜査するという特異なやり方で今まで異常者の犯罪に対し目覚ましい成果を上げたしかし彼が引退することになったのもそのせいだった。直接的には彼が捕まえた最後の犯人「カニバル(人食い)レクター」ことハンニバル・レクター博士を逮捕したときに受けた傷が原因だったが。彼は犯行が行われた家にいって犯人像を描こうとした。しかしうまく結べず彼が怪物と呼ぶレクターと面会する。そして彼の収容されている病院から出たところをタブロイド紙に撮られグレアムの存在が犯人に知れてしまった。そして「ピルグリム」とレクターが呼ぶ犯人ダラハイドはグレアムを密かに狙い始めた。
異常心理の殺人者という話は今では特に珍しくもないし当時もけっこうあったように思うがこの話は厳重警備の精神病院に収監されたレクターの存在がこの話を名作としている。が当時はファンの間では取り沙汰されたが世間一般的にはあまり話題とならなかった。が続く「羊たちの沈黙」が映画化されそれがヒットした時から評価がうなぎ昇りちなみに著者のトマス・ハリスは寡作で知られ一本を上げるのに10年スパンは当たり前の人物。この作品も第2作でその前はこれもジョン・フランケンハイマー監督ロバート・ショー主演により映画化された「ブラックサンデー」であるそして犯人ダラハイドも内面描写とともに行動様式に重きを置きかなり不気味さを演出している。映画公開前に新装文庫版になったのは羊達の沈黙と同じだなあと思いつつ、映画を見る前に読んでも良いし観た後で読むのも良いだろう。

2005.01.16文章一部改訂しました
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