萌動
The End and The Start
その夜、ザナルカンド・エイブスは3試合を残して今シーズンの優勝を決めた。 今夜チームを勝利に導いたのはティーダ。16才、この春デビューしたばかりの新人。パスや守備といった点で課題は残る。しかし父ゆずりのスピードとシュートテクニックで、あっと言う間にベテラン選手と肩を並べるほどになった。 フィールドに出てきた選手のコメントを取ろうと、スポーツジャーナリストたちが群がる。その一番人気はやはりティーダだった。彼自身、今日の試合内容にいたく満足しているのか、実に上機嫌で冗談混じりにインタビューに答え、観客の歓声に応えた。 その様子をアーロンは、観客席から見つめていた。この息子の姿をジェクトが見たらどんなに喜ぶだろうかと思いながら。 ジェクトが息子に見せたいと言っていた『てっぺんからの眺め』。それがぼんやりとくらいはティーダにも見えてきただろうか・・・・・・・・・・・? 白熱した試合、優勝の決まった一戦、興奮した観客たちはまだ誰も帰ろうとしなかった。その中でアーロンはひとり席を立ち、帰路についた。 涼しい風が街を吹き抜けていく。絶えることのない水の音がかすかに響く。明るく照らされた街角を人々は笑いさざめきながら歩いていく。ザナルカンドの夜はこれからだった。 長い夜を楽しもうと街へくりだす人たちとは反対の方に歩きながら、アーロンは思いをめぐらせた。そろそろティーダに、どう『真実』を告げるか考えておいた方がいいだろう、と。 ティーダはまだ、『ジェクトの息子』と呼ばれることが多い。10年も前に忽然と姿を消した名選手のことを、その衝撃的な事件とともに世間はまだ忘れていない。しかし彼がこの調子で活躍を続ければ、この枕詞が消える日はそう遠くはないだろう。 その時が来たら、すべてを話すつもりだった。ジェクトの身に起こったことを、ジェクトの息子への想いを。 そして、ティーダ自身が本当は何者なのかを。 そのために、アーロンはザナルカンドにやってきたのだから。 |
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ひとり住まいの部屋に帰り着く。 あかりをつけると、誰もいないはずの部屋の中から「おかえり」という声がした。 古風な服を着た少年が、窓辺の椅子に座っていた。 「祈り子様」 「アーロン、久しぶり」バハムートの祈り子は、にこっとして言った。「ここのところなかなか来られなくてごめんね。ぼくもいろいろ忙しくってさ」 「召喚士の数が増えましたか」 アーロンは上着を壁にかけながら訊いた。 「まあね。いつものことだよ。ナギ節が終わったあとは、召喚士になろうという人が急に増えるんだ。あの平和な時を今度は自分が、って思うんだろうね」 「くだらない。あんなもの、自分の命をなげうつだけの価値などないのに」 「あいかわらず辛辣だね。だけど、昔の自分に腹をたてるのはいいかげんやめたら?」 「そう見えますか」 「違う?」 アーロンは首を振った。祈り子の言う通りだった。 「最近は特に若い召喚士が多いよ。これもいつものことなんだ。ナギ節から10年たつかたたないかってくらい−−−−ちょうど、子供の頃にナギ節を経験した世代が大人になるくらいには。若いだけあって、英雄ってものに対する憧れが強い。だから、早いうちに自分の資質に気づくんだね」 「ばかばかしい」 アーロンは吐き捨てるように言った。 若者が英雄に憧れる気持ちはわかる。人の役に立とうという志は貴い。しかし、死を覚悟するのは自分自身の生をぞんぶんに楽しんだあとで十分だ。 「それでね。今日は、これだけはどうしてもあなたに伝えておかなきゃと思って来たんだ。−−−−ブラスカの娘が、召喚士の修行を始めたよ」 「ユウナが!?」 「うん。まだ従召喚士になったばかりだから、ほんとに召喚士になるかどうかまではわからないけど。でも、たぶんなれるよ。あの娘からは強い意思と、気を感じる」 「そうですか。ユウナが・・・・・・・・・・・・・・・」 アーロンがユウナに最後に直接会ったのは、ブラスカと共にベベルを旅立つ前日のこと。 彼女はまだ6才だった。父の旅がどんなものなのか理解できていたとは思えない。しかし母に続いて父までどこかに行ってしまうことだけはわかっていて、ブラスカにすがりついて泣きじゃくっていた。 あの幼い少女が成長し、父と同じ道へと歩みだそうとしているのか。これがスピラの悲しみをぬぐう唯一の方法だと信じて。 「どうする?やめさせたい?ぼくたちが拒絶すれば、ユウナは召喚士にはなれない。あなたがどうしても認めないと言うのなら拒否してもいいよ。ぼくたち祈り子が召喚士と交感するのは本能に近いものだから、それだけの能力がある相手からの呼びかけを無視するのは難しいといえば難しいけど」 召喚士にさせない?そんなことが望めばできるのか? すでに修行を始めてしまったのだから、ここで止めても結局『大召喚士の娘のくせに』というそしりからはまぬがれられないだろう。それでも、召喚士を待つ過酷な運命よりはずっといい。 そして時がたてばいずれは『ブラスカの娘』と呼ばれることもなくなり、ただひとりの女性として、それなりに、幸せに・・・・・・・・・・・・・・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・わかりません。少し・・・・・・・考えさせてください」 「そうだね。その方がいいと、ぼくも思う」 祈り子はふいにくすりと笑った。 「何か?」 「いい目をするようになったね、アーロン」 「なんですか、突然。からかわないでください」 「からかってなんかいないよ。本当にいい目になった。かつてのあなたは迷いにふりまわされていたけど、今は迷いを糧にしている。あなたを見ているとつくづく、それこそがスピラに必要なものだったんだなって思うね。−−−−そして、ぼくにもさ」 「迷うことがですか」 「と言うより、考えることが、だね。自分の頭で考えるからこそ、迷うんだ。それで、ぼくも考えてみた。でも、ぼくには迷いきれなかったよ。ぼくは、あなたのように生きているふりすらできないから・・・・・・・・・・・・・・・」 祈り子は少し淋しそうに言った。 「ぼくにできることはあまり多くない。だけど、ぼくが何をすべきかはわかってきたつもりだ。あなたも、どうするにしても、早めに覚悟だけはしておいた方がいいね。−−−−ジェクトが『シン』になってもうすぐ8年。過去の究極召喚の祈り子たちは、どんなに長くても10年くらいで完全に人の心を失っている。ジェクトもそろそろ限界だと思う。彼がそれに気づいた時には、きっとあなたを頼ってくるから」 「はい・・・・・・・・・・・・・・」 「ユウナのことはとりあえず心配しなくてもいいよ。あなたの結論が出ないうちは召喚士にしないからさ」 「はい。−−−−−ありがとうございます」 「さて、そろそろ帰らなきゃ。ほんと忙しいんだ。でも、なにかあったら暇をみてまた来るよ」祈り子は立ち上がった。「じゃ、またね、アーロン。近いうちにスピラで会えるといいね」 そして祈り子は姿を消した。 アーロンは、さっきまで祈り子が座っていた椅子に座り込んだ。 そして、呆然と祈り子の話を思い返した。 −−−−ユウナが、召喚士に・・・・・・・・・・・。 俺はどうして、「やめさせてくれ」と即答しなかったんだろう? もちろん、あの子を召喚士になどしたくない。あんな無意味な死を見るのはもうたくさんだ。 それなのに、なぜ・・・・・・・・・・・・・・? 父の志を受け継ぐこと、それがユウナの望みならばむやみに止めてはならない気がした。もしもユウナが召喚士になれるだけの強さを持つならば。 だが、あの子を召喚士にして、それで?ブラスカとまったく同じ道を歩ませるのか? それは、だめだ。それだけは絶対にさせられない。やはり、止めるべきだろうか−−−−? 考えれば考えるほど混乱していく。 あせりで思考がから滑りする。 落ち着け、アーロンは自分に言い聞かせた。そんなに思い詰めることはない、今すぐ決めなければならないわけじゃない、と。 それでも、思っていたのよりずっと早く『時』が来てしまったことを感じ、アーロンは動揺していた。 ティーダが『ジェクトの息子』から『ティーダ』になるまで早くてもまだ4、5年はある、もうしばらくはゆっくりと考えられる、そう思っていた。 ティーダに真実を伝えることで何がどう変わるかはわからない、しかしそのあとのことはそれから考えればいい、そう思っていた。 ユウナのこともずっと気にはかけていた、しかしスピラに帰る方法を探すのはザナルカンドですべきことを終えてからのことだ、そう思っていた。 だが、祈り子の言う通り、ジェクトが心の底まで『シン』になるまであまり時間が残されていないのならば・・・・・・・・・・・・・。 きっと、すべてが一度に動き出す。 ひとつずつ解決していこうなどと、のんきなことは言っていられなくなる。 しかし、いつ?どんなふうに?何が? 決して見つかることのない答を探すうちアーロンは、それはたいした問題ではないことにふと思い当たった。 そんなことよりももっと、大事な、こと。 −−−−ジェクトは、本当に、俺を頼ってくるのだろうか? アーロンは窓の外に目をやった。 そこにはザナルカンドの夜景が広がっていた。 ザナルカンド。ジェクトがあんなにも帰りたがっていた場所。 もうすっかり見慣れた光景。美しく、華やかで−−−−そして、むなしい。 今、その目に映る光が実は影でしかないことを彼はすでに知っていた。 このきらびやかな街が大いなる幻影にすぎないことを彼は知っていた。 ジェクトもおそらく、知っただろう。ザナルカンドの『鎧』となることで、ザナルカンドの真実を。 しかし、ここにも人の生があり、死があった。時を経るにつれ、アーロン自身の思い出もいくつも積み重ねられてきた。単なる幻と切り捨てるには、あまりにも大きすぎる存在感。スピラが死の螺旋から解放される時にはこの街が消えることを知るのと同時に、消すことへの抵抗と迷いも彼の心に生まれていた。 ここでわずか数年暮らしただけのアーロンですら迷うというのに、ジェクトにとってはこの街こそが彼のすべて。もし彼が動くとしたら、それは覚悟の上でのこと。祈り子になった時とは比べものにならないほどの強い覚悟の上での。 あまりにも酷なこと。しかし、ジェクトならそれだけの覚悟をしそうな気がした。 そして、アーロンもまた。 彼は、窓に映る自分の顔を見つめた。醜い傷跡の残る顔を。 死人となった時、その気になればこの傷も消せたはずだった。あの時助かっていればきっと歩けなくなっていたであろうほどの傷を消してしまったように。しかし彼は、不自由であろうと、不都合があろうと、それでもこの傷だけは幻光虫が形作る今の身体に残した。あの時の怒りを忘れないために。 あの時彼は、すでに自分が何をすべきかを知っていた。 ただ、そのためにはどうすればいいのかわからなかっただけで。 あれから10年近くがたった。その間にさまざまなことを知り、多くの考える時間を持った。そして、どうすればいいのかぼんやりとは見えてきていることにアーロンはようやく気づいた。 ティーダのこと。 ユウナのこと。 友に託されたふたりの子供たち。 スピラのこと。 そしてなによりも、彼自身の真の願いのこと。 スピラを、生きる者の手に取り戻す。 そこは、アーロンには行くことのできない世界。 それでも、やらなければならなかった。もしもジェクトが覚悟したならば−−−−いや、たとえ彼が動かなくとも。 −−−−−俺は、今度こそ『覚悟』できるだろうか? いつしかアーロンの想いは、10年前のあの旅の時へと戻っていった。 ブラスカ。ジェクト。3人で過ごした短い時間。彼はそれを、激しい後悔と、奇妙な懐かしさと共に思い返した。つらく、苦しく、時には楽しかった日々。 彼らとの思い出の中に、アーロンが求める答のすべてがあった。 |