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来し方より(2)
Lovers' Days




 そして、そこでヴィンセントは我に返った。焚き火の向こうで、ナナキが目をきらきらさせて彼を見つめていた。彼は、頬がどうしようもなくほてるのを感じた。
「−−−−−−−−もう遅い。寝ろ」
ヴィンセントはナナキに背を向けた。
「え〜〜〜〜、なんでだよ〜〜〜〜〜〜〜。この話、まだ続きがあるんだろ?ね、ね、それからどうなったの??」
「いいから寝ろ!ガキはおねんねの時間だ!!」
「なんだよ〜〜〜、人間の基準では超じじいだと思って、す〜ぐオレのことをコドモ扱いするんだから。オレとたいして年は違わないくせにさ」
ナナキがどんなに文句を言っても、ヴィンセントはそれ以上話を続けようとはしなかった。彼はあきらめて、ごろりと横になった。
 やがて、静かな寝息が聞こえてきた。ヴィンセントも寝袋に潜りこむと、夜空を見上げた。
 −−−−−−まったく、どうかしている。
 ナナキとふたりで旅をするようになってから、彼にせがまれてヴィンセントは時々ルクレツィアとの思い出を彼に語っていた。そして今夜は、一番楽しかった時のことを話してよと言われた。
 それがどうして、ふたりでウータイに潜入した時のことを話し始めてしまったのか。完全な失敗ではなかったとはいえ、とてもではないが満足できない形で終わった任務。ルクレツィアにとってはおそらく、思い出したくもないであろう、恐怖の体験。
 そんなことを、どうして楽しかったこととして思い返したのか・・・・・・・・。
 あの日−−−−−−−。
 ヴィンセントは初めてルクレツィアを抱いた。そこに愛はなかった。ただ、ヒステリーを起こした女をなだめる方法を、彼は他に知らなかっただけだった。
 一眠りしたあと、恐怖よりも恥じらいが先にたったのか、彼女は不思議なほどに落ち着きを取り戻していた。そしてその後、何度か危機に遭遇したものの逃走を続け、海沿いの町で漁師を脅して船を出させて無事にウータイの島を脱出したのだった。
 その後もふたりは、たびたびベッドを共にした。知的で美しいルクレツィアは、夜の相手としても申し分なかった。彼女の方も、一度は体を許した気安さからかあきらめからか、あるいは取り乱した姿を彼にさらしてしまったことに弱みを感じていたからか、ヴィンセントをこばもうとはしなかった。
 体だけの関係。
 それがいつから、彼女の体だけでなく、心も欲しいと思うようになったのか−−−−。
 それを考えるうち、ヴィンセントも眠りに落ちていった。
 −−−−−−−−−ルクレツィアに、会いたい。



×××



 ヴィンセントはルクレツィアが住む湖のほとりにいた。そして、水のカーテンの向こうにいる彼女に、ふたりでウータイに行った時のことをナナキに話して聞かせたことを言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり、怒っているか?あんなことを楽しかったと考えているなんて、と」
「ふふ・・・・・・・・・そんなこと、ないわ」彼女は明るい声で答えた。「あなたも、そう思っていたのねえ」
「ルクレツィア?」
「私もね、あなたとふたりで過ごしたあの時のことを時々、本当に楽しかったなあって思い出していたの。ウータイ忍者たちに追われたことは、今でも恐怖なしでは思い出せないわ。あの時私が持ち出した文献が、それがすべてではなかったとはいえ、古代種の研究を間違った方向に進ませる一因になってしまったことも後悔してる。それでも、ウータイでの日々は、楽しい思い出なのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねえ、ヴィンス。ウータイでは、夫婦として宿に泊まって、あちこち見物して、おいしいものを食べて、まるで新婚旅行に行ったみたいだったわよね、私たち」
「いや、あの、それは・・・・・・・・・・・・釣り合う年齢の男女が組んで潜入するには、夫婦をかたった方が動きやすいからって、それだけで・・・・・・・・・・・・」
「私にもわかってるわ。あなたが計算づくでそういう行動を取っていたことは。だけど今では、やっぱり楽しかった、大事な思い出なのよ。−−−−だって、心を通わせるようになってからの私たちには、つらいことしかなかったもの」彼女の声は、低く沈んでいった。「私は、いつからか、あなたが私の体だけを求めているのではなくなっていたことを知っていた気がするの。それでもやはり、私はあなたが恐ろしかった。宝条博士が古代種復活のために私の子宮を使いたいと言ってきた時、研究者としての誇りや使命感だけでなく、あなたからのがれるためにとその要請を受け入れてしまったわ」
「それは・・・・・・・・・私のせいだ。私があなたを愛さなければ、宝条はあなたを選びは−−−−−」
「そのことで、あなたが悔いることはないわ。ずっと同じ研究チームで仕事をしていながら宝条博士のたくらみに気がつかず、悪魔の子を産む選択をしてしまったのは私自身。そして、ジェノバの正体を知ったあなたが、あなたらしくもなく怒りに我を忘れ、宝条博士が放った銃弾をまともに受けてしまった時まで、あなたの心を信じられなかった。そんな私が一番悪いのだから。だけど−−−−−−−」
「ヴィンセント−−−−−−−−ヴィンセント!!」
その声に、彼は振り向いた。湖の岸辺を、ナナキが走ってきていた。
「ナナキ、ここには来るなといつも言っているだろう!!」
ヴィンセントの剣幕に、ナナキはびくっとして立ち止まった。
「え、ごめん、でも、あの、その・・・・・・・・・・・・・・・」
「ナナキくん?」
どこからか聞こえる女の声に、ナナキは驚いてきょろきょろあたりを見回した。そしてしばらくして、その声の主がヴィンセントの姿なき恋人だとようやく気がついた。
「いつもヴィンセントから話は聞いているわ。はじめまして。ルクレツィアよ。よろしくね」
「は、はい、オレ、いや、僕も、おわわわ・・・・・おわうさ・・・・・・えと、お・うわさ、は、かねがね」
「そんなに緊張しなくていいわ。いつもの調子で話してちょうだい」ルクレツィアはくすくす笑いながら言った。「それで、どうしたの?この怖いお兄さんにさんざん脅されてるのにそれでもここに来たのは、何か理由があったんでしょう?」
「ルクレツィア!!」
「ほら、やっぱり。すぐそうやって怖い声を出すじゃない。−−−−−いいわよ、ナナキくん。遠慮しないで、用件を話して」
「う、うん、実はね−−−−−−オレの仲間が見つかるかも知れないんだ!!」
「急にどうした?何かあったのか?」
「そうなんだよ!宿で待ってたら、泊まりに来た行商人がオレの顔見てびっくりしたんだ。それで気になって聞いてみたらさ・・・・・・・・・・オレの仲間らしいのに会ったことがあるんだって!!」
「本当か?またガセネタか、何かの見間違いじゃないのか?」
「話はしなかったって言うから、はっきりとはわかんないけど・・・・・・・・・。でもね、山の中でケガして動けなかった時に会って、食われるかも知れないと思っていたら−−−−そうじゃなくって、薬草とか、包帯にできる布きれをどっかから持ってきてくれたってさ。そんなのは、ただの犬や狼のすることじゃないだろ?!」
「その行商人の話とやらが嘘でなければ、確かめる価値はありそうだな・・・・・・・・・・」ヴィンセントは考え込んだ。「わかった。私もすぐに村に戻る。おまえは先に帰っていろ」
「あ、うん、わかった。−−−−−−じゃまして、ごめん」
「ナナキくん」引き返そうとした彼を、ルクレツィアは呼び止めた。「よかったら、また来てちょうだい。あなたともお話してみたいわ」
「は、はいっ!ルクレツィアさんにそう言ってもらえるなんて、すっごくうれしいです!オレは、ずっとあなたにあこがれてました。オレの夢は、ヴィンセントにとってのあなたのような恋人を見つけることなんです!!」
「ナナキ!!」
ヴィンセントは真っ赤になって怒鳴った。
「そうなの?その夢、叶うといいわね」ルクレツィアの声は、とてもうれしそうだった。「ナナキくん。いつまでもヴィンセントのいい相棒でいてちょうだい。私もいっしょに旅に行きたいけれど、私の体は人前に出られるような姿ではなくなってしまったから・・・・・・・・私の代わりに、彼のそばにいてあげてね」
「はいっ!」
 ナナキが立ち去ると、またあたりは水の音が静かに響くだけになった。人の立ち入らぬ、彼らだけの秘密の場所。
「−−−−−−ナナキくんって、本当にいい子みたいね」
「ああ。あいつはあいつなりに重い運命を背負っているというのに、それでもあんなに明るくて、前向きで・・・・・・・・・・。私たちと違って、未来があるからなのかも知れないな」ヴィンセントは言った。「しかし、本当にあいつを連れてきていいのか?あなたが事情を知る連中とすら話をしたがらなかったから、ここには来るなと言い含めていたんだが」
「私も、ほんの少しだけど、前向きになれたのかしらね。ほんの少しだけど、人生を楽しむようになってきたあなたの影響で。−−−−曲がりなりにも人の姿をしているあなたと違って、私にはこれ以上は無理だろうけれど」
人の肉体や精神に影響を与えるジェノバ細胞−−−−ジェノバを第三の遺伝子として持って生まれた彼女の息子は、外見は母に似て美しい青年にと育ったが、精神に異常をきたしてしまった。そしてその子を胎に宿した彼女は肉体の方に、おそらくは、実験サンプルになった他のどの人よりも強い影響を受けて−−−−−。
「ヴィンセント・・・・・・・・。昔の私たちは、自分の目的のためなら人を不幸にすることなどなんとも思わない、そんな人間だったわ。その報いが、今の体なのかも知れないわね。でも、人並みの体を失った代わりに、人間らしい心を得た。私たちは、昔のように体を重ね合わせることはできなくなったけど、心は他の誰よりも、深く結びついている。私たちが受けた罰はあまりにも大きかったけど、受けてよかったと思うわ」
「そう・・・・・・・・だな」
しかし、心は侵されていない。それならば、どんな姿になっていたとしても、ルクレツィアはルクレツィアであることに変わりはない。彼女に惹かれるようになったきっかけは彼女の美貌ではあったが、今愛しているのは彼女の魂。時折こうして言葉で愛を確かめあえれば、それでいい。
「・・・・・・・・・・・・ルクレツィア、そろそろ行くよ。ナナキがきっと、いらいらして待っているだろうからな」
「そうね。あの子の仲間、見つかるといいわね」
「ああ。あいつが家族を持つのは、私の夢でもあるんだ」
「私は何もしてあげられないけど・・・・・・・・・でも、祈ってるわ。あなたたちの夢が叶うのを」
「ありがとう。−−−−−−それじゃ」
「行ってらっしゃい、ヴィンセント」
 行ってらっしゃい−−−−−−ルクレツィアはいつも、別れ際にそう言っている。
 家も故郷もないヴィンセントにとって、ここがたったひとつの帰る場所。
 通い慣れた道なき森の中を歩きながら、ヴィンセントはさっきのルクレツィアとの話を思い返していた。
 あの時のことをなぜ楽しかったことと思い返したのか。その理由は彼女が言った通りなのだろう。少々日程に余裕があったこともあって、本当の観光客となんら変わらない時間を過した。美しい女性をエスコートするのも悪くないと役得を感じて、確かに楽しんでもいた。
 わずか2日間。人の体を持っていた頃に唯一共有した楽しい思い出。
 ウータイの旅は、新婚旅行−−−−言い得て妙かも知れないな。
 あの時から、ふたりの運命はひとつになった。そして百数十年の時を経て、ふたりはどんな夫婦よりも、深く結ばれている。
 しかし、あの時が一番楽しい時だったわけではないな、とも彼は思った。
 一番楽しいのは、今、この時。
 言葉を交わすだけで満たされる、今、この時こそが至福の時。




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