夢の終わり
Stairway to the Future
ベベルの街は、闇に沈んでいた。 傷ついた『シン』はエボンの総本山をなぎ倒し、人々は街から逃げ出した。今そこには、ひとすじの光もない。 しかし夜明け前は、最も深い闇に包まれる。 人々は還ってくるだろう。そして作り上げるだろう。『シン』が破壊した最後の街の上に、新たな時代を。理不尽な死から解放された喜びを胸に抱いて。 それは、彼が見ることのない世界。 彼はただ願うだけだった。すべての生ある者たちが、彼らの『覚悟』を無駄にすることのないようにと。 飛空艇の中に、彼の足音だけが響く。 静かな夜。 戦う者たちが、スピラ中の人々が、そして『シン』さえもが、息をひそめてその時を待っている。 明かりの落ちたブリッジの窓辺に立ちつくす影。その人影は窓の外、遠い地平をじっと見つめていた。 「ティーダ・・・・・・・・・・・。ここにいたのか」 少年は振り向いた。 「なんだよおっさん、まだ起きていたのか。年寄りはいいかげん寝ないと、朝がキツいぞ」 「明日が・・・・・・・・最後だ」アーロンはティーダの横に立った。「今のうちに、恨み言のひとつも聞いておいてやろうと思ってな」 「・・・・・・・・・・・・・・なに、それ」 「おまえのザナルカンドは、過去の幻影だ。しかしおまえにとっては、まぎれもない現実だった。あのままあの街で暮らしていれば、おまえには未来があった。それを俺は、捨てさせた」 「いまさらなに言ってんだよ。あんたのことだ、こうなることはどうせ最初からわかってたんだろ」 「俺も何もかも知っていたわけではない。しかし、おまえが祈り子たちの夢の産物にすぎないことだけは知っていた。だから・・・・・・・・・・・・予感はあった」アーロンはティーダの目を見つめた。「この旅で俺がおまえに求めたのは、真実を知ることだけだった。事実を見ようともせず、逃げ出すことだけは許す気はなかった。しかし、知るべきことをすべて知ったあとならば、おまえの選択がどんなものであっても認めるつもりだった。それがたとえ、ザナルカンドに帰ることでも」 ティーダはアーロンをにらみかえした。 「あんた、卑怯だ。仲間たちがこんなに苦しんでいるのを見せつけられたあとで、オレひとりザナルカンドに帰ってぬくぬく暮らすことを選ぶとでも思ってたのかよ」 「卑怯、か。そうかも知れんな。おまえに選択をゆだねると言っておきながら、おまえが本当にザナルカンドに帰る道を選んでいたら、正直なところ、俺はどうしていたかわからない。俺は、おまえがそんな安易な方向に流されることはないと心のどこかで確信していたからこそ、おまえをスピラに連れてきたのだろう。−−−−俺はスピラの人間だ。『シン』のいない世界こそが何にも勝る願いだ。そして俺は、おまえがジェクトのように、どんなに過酷な運命でも受け止めることのできる強い男に育っていることをも願っていた。俺の望む結末は、おそらく、こういう形でしかありえなかった。俺は、おまえがここまで成長したことを喜んでいる。皆が自らの手で新しい希望をつかもうとしていることを喜んでいる。しかし、おまえにとってはどうだったのか・・・・・・・・・・・・。許せと言っても、今のおまえにはそらぞらしく聞こえることだろう。だが俺には、おまえにあまりにもつらい決断をさせたことをわびたい気持ちも、本当にこれでよかったのだろうかと迷う思いもあるんだ」 ティーダはなおも、アーロンをにらみつけていた。 しかしやがて、その目からけわしさがふっと消えた。そして、彼は言った。 「・・・・・・・・・・・・・・いいよ。信じるよ。あんたにはもう、オレに隠しごとをしたり嘘をついたりする理由なんかないもんな。−−−−あんたも明日、全部終わったらいなくなるつもりなんだろ」 「ああ。ユウナの手で異界に送ってもらう。それは、あの子が召喚士の修行を始めたと知った時から決めていたことだ」 「今のあんたなら、送ってもらわなくても自分の意志だけで行けるんじゃないの?それでも?」 「それでも。それが、俺の最後の望みだ」 「ユウナ・・・・・・・・・・・・つらいだろうな」 「そうかもな。しかしいずれ、それでよかったと、そうすることができてよかったと思えるようになる」 「うん・・・・・・・・・そうだろうな。そうだといいよな」 −−−−本当に、そうだといい・・・・・・・・・・。 これもまた、今となってはそう願うしかなかった。 ユウナにも、ひどく厳しく接してしまった。それはブラスカの、そしてユウナ自身の望みを叶えるために必要だと信じてのこととはいえ。いくら彼女が芯の強い娘でも、時には泣きたくも、反発したくもなったことだろう。 しかし、ユウナは今、父を越えようとしている。その彼女ならば、何もかも受け入れることができるだろう。喜びも悲しみも、俺の想いも、そして、これから失うことになる初恋の痛みも、すべて。 そしてまた一回りも二回りも成長するだろう。 その姿が見られないと思うと、ひどく淋しかった。しかしそんなものは、ブラスカの悲しみに比べれば、物の数にも入らない。ユウナの旅に同行し、彼女を導き、その成長に力を貸せた。それは、満足してあまりあることだった。 「アーロン・・・・・・・・・・・・・。オレ、やっぱり、あんたには感謝しなきゃなんないのかも」ティーダはぽつりと、つぶやくように言った。「オレやオレのザナルカンドは、いつかは消えなきゃならないもんなんだろ。でも、そうだからって、なんにも知らないままいつのまにか消されていたらと考えると、すごく嫌だ。だけどオレ、わかったから。自分が誰なのかって。どうして消えなきゃならないのかって。オレは召喚士たちのように犠牲になるわけじゃない、ただ、在るべきところに還るだけなんだって。それはあんたが、この世界を見せてくれたおかげだ。それだけじゃない。あんたはオヤジとの約束を、文字通り、死んでも守ってくれた。ザナルカンドで何年もたったひとり、淋しかっただろうに、心細かっただろうに、それでもずっと、オレのそばにいてくれた。今ならわかるよ、あんたの気持ち。−−−−アーロン、今まで、本当に、ありがとう」 アーロンは、自分の耳が信じられなかった。 ティーダの口から、自分への感謝の言葉が聞けるとは考えもしなかった。 泣き出したいほどの想いが胸に満ちた。 ジェクト、おまえの息子は、これほどまでに強くなった−−−−−! ティーダはにっと笑うと、言った。 「−−−−−アーロン、オレは大丈夫だからさ。もう寝ろよ。明日はあんたにも、あのクソ親父を叩きのめすのを手伝ってもらわなきゃならないんだからさ」 「おまえもな。いつまでも世界を見ていたい気持ちもわかるが、今夜はきちんと休んでおけ。そして明日、ジェクトに元気な姿を見せてやれ」 「うん・・・・・・・・・・・そうする」 ティーダはそう言うと、また窓の外に目を向けた。 その姿に、アーロンはあの日の自分を思い出した。 迎えが来る。それを間近に感じたあの夜。アーロンは一晩中、ザナルカンドの喧噪の中に身を置いた。夜が明けそめていくのを、哀しい思いで見つめていた。 あの街を、うつろな実のない世界と知りながら、彼は彼なりに愛していた。祈り子たちが夢見た、理想のひとつの形を。ここを去る時が来たと思うと、これから自分が何を成そうとしているかを考えると、あまりにも辛かった。 そして今、スピラからも去る時が来た。 覚悟はしていたつもりだった。しかしいざその時が来てみると、この世界への未練が残った。これからスピラがどう変わっていくのか、自分の目で確かめたいという想いにかられた。 しかし、これからの時代は生者たちのもの。死者はこれ以上、ここにとどまるべきではない。 ユウナに異界送りをと望むのは、純粋にブラスカの娘に導かれて逝きたいからではないのかもと彼は思った。それが自分にとって必要なことなのかも、と。 何年も前からこの時が来るのを知っていた自分ですらそうなのに、ティーダの胸の内には今どれほどの想いがあることか・・・・・・・・・・・。 アーロンはきびすを返すと、その場をそっと離れた。 ティーダの心は誰にも推し量れまい。誰とも分かち合えまい。今、彼に必要なのはただ、自分自身の覚悟と向き合う時間だけ。 そして、俺もまた・・・・・・・・・・・・・・・・・。 「アーロン・・・・・・・・・・・・。やっぱり、もうちょっと、ここにいてくれよ」 ブリッジのドアのところで、その声に、アーロンは振り返った。 「オレ・・・・・・・あんたにだけは、泣き言言っても、いいだろ」 「ティーダ?」 ティーダはアーロンの胸に飛び込んだ。そして、彼にしがみついて大声で泣き出した。 「オレ・・・・・・・・・・オレ、ほんとは、ザナルカンドに帰りたかった。もう一度だけでいいから、友だちや、エイブスの連中や、ファンの女の子たちに会いたかった。だけど、ユウナとずっと暮らせるなら、ユウナとずっといっしょにいられるなら、二度と帰れなくても、死ぬまでスピラにいてもよかったんだ。どっちもなんか欲しくない、どっちかだけでよかったんだ。もう十分によくばった、これ以上あれもこれもってよくばるつもりはなかったんだ。なのにどうして・・・・・・・・どうして、両方ダメなんだよお・・・・・・・・・・・・!」 子供のように泣きじゃくるティーダの姿に、アーロンは真の強さを見た。これほどまでに激しい悲しみを内に秘めながら、それを決して人には見せず・・・・・・・・・・・。 アーロンは黙ったまま、ティーダを抱きしめてやることしかできなかった。 人は、夢を見ずにはいられない。 アーロンもかつては人であった。それゆえ彼もまた、夢を見た。 ティーダとユウナ。一番の親友の息子と、最も尊敬する人の娘。ふたりが惹かれあってゆくのを見るうちに、彼の夢は膨らんでいった。このふたりが結ばれてくれたのならば、自分にとってもどれほど喜ばしく、誇らしいことであろうかと。 だが、それはしょせんは死者の夢、未来につながることのない、散りゆくのみの夢にすぎないのか・・・・・・・・・・・・。 これは、過去に囚われたがゆえの悲劇。 アーロンは願った。これからの時代、人々が過去に囚われることなく、前を向いて生きていって欲しいと。 そしてこうも願った。 過去に囚われず、しかし、過去を忘れることもないようにと。 ティーダというひとりの少年が確かに存在した、それを覚えていて欲しいと。 |