夢に遭う者
Zanarkand : the first day
潮風。 波の音。 天空には、星。 アーロンは、夢とうつつの間をただよっていた。自分が起きているのか眠っているのかもわからぬまま、見るともなく雲の流れを見上げ、聞くともなく風のささやきを聞いていた。 彼はふいにむくりと起きあがった。 目の前には、暗い夜の海が広がっていた。人気のない波止場。水平線のかなたで、何かの明かりがちらちらしている。 ジェクト−−−−−行ってしまったのか。 『シン』にジェクトを感じた時、今さらのように思い出した。ジェクトはザナルカンドの海で巨大な魔物−−−おそらく『シン』に襲われて、気がついたらスピラにいた、そう言っていたことを。それならば、ジェクトであった『シン』が俺をザナルカンドに連れていかないわけがない、そう思ったのに。 ザナルカンドに行けば、たとえ他に何もできなくとも、ジェクトの代わりに彼の息子の成長を見守ることくらいはできると思ったのにな・・・・・・・・・・・・。 ナギ節は終わった。 『シン』はまたも復活した。ユウナレスカが言っていた通り。 あのまま平和な時が続いたのであれば、そのうち異界に行ってしまってもいいと思っていた。何の役にもたたなかった俺を、ブラスカ様もジェクトも笑って許してくれそうな気がして。 しかし今となっては、それもできない。 何も為さぬまま、スピラを去ることはできない。 だけど、何をすればいいのか。どうすればいいのか。 いまだにその答は、かけらも見つからない。 −−−−−ブラスカ様に、もう一度だけでも会えたら・・・・・・・・・・・・・。 迷うたびに、アーロンの胸をそんな想いがよぎる。今も彼を頼っている自分を情けないと思いながら。 グアドサラムの異界に行けば、顔くらいは見られるだろう。しかし俺のこの体では、一度異界に行ったらもう戻っては来られまい。第一、異界の死者はただ笑いかけてくれるだけ。異界は過去の幻影。そんなものに頼っても、なんの足しにもならない。わかってるつもりなのに−−−−−。 「アーロン」突然名前を呼ばれ、彼はびっくりして振り返った。「とうとう、来たね。ザナルカンドに」 それは、古風な服を着た見知らぬ少年。 「誰だ!?」 「そんなに驚かなくてもいいよ」少年はその幼い外見とは不釣り合いの、優しく深い声音で彼に話しかけた。「ぼくはあなたを知っている。2年半−−−−そろそろ3年になるのかな。召喚士ブラスカといっしょに、ぼくのところに来たでしょう」 「おまえのところに・・・・・・・・・・・・・?」 「あなたはぼくを知らないだろうけどね。掟で、あなたは隣の部屋で待っていたから」 3年前?ブラスカ様と?掟? まさか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 「祈り子様!?」 「そうだよ。ぼくは、ベベル寺院にいる祈り子」 アーロンはあわてて、少年に深々とエボンの礼をした。そしてゆっくりと頭をあげると少年は、ちょっと困ったような顔で彼を見ていた。 「やっぱりそうしちゃうのかなあ。あなたはもう、エボンの教えなんか信じていないはずなのに」 アーロンの顔がカッと赤くなった。その場から逃げ出したかった。しかし、足がどうしても動かなかった。 「ごめん。困らせちゃったね。恥じなくてもいいよ。ぼくは、エボンの教えを捨てたあなたを非難しているのでもなければ、捨てたはずのエボンの儀礼から抜けられないことをばかにしてるのでもない。どちらも、当然のことなんだから」 「どちらも、当然・・・・・・・・・・・?」 ものごころついた時から慣れ親しんだ習慣がとっさの時に出てしまうのはしかたがないと自分でも思う。しかし、エボンの教えを捨てたことも当然だと言うのか?祈り子は、教えの柱のひとつのはずなのに? そして、彼はさっき、なんと言った?『ザナルカンドに来たね』? 少年は微笑むと、言った。 「今は真夜中だからね。いくらザナルカンドでも、こーんな街のはしっこにはあまり人は来ないよ。ついておいで。見せてあげるから」 少年がきびすを返すと同時に、アーロンの意識がかき乱された。ばらばらになってしまうような感覚。 それは、一瞬のことだった。まだふらつきながら彼は目を開けた。 あたりは、光で満ちていた。 「すごい・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」 ため息に似た言葉が彼の口から漏れた。 空をつくようにそびえる、優美な建物がどこまでも続く。空に浮かぶ街道が建物の間をぬって伸びる。その上を何台もの見たことのない機械の乗り物が走っていく。窓から、街灯から光があふれ、夜の闇をかき消す。多くの男女が談笑しながら通り過ぎていく。川となり、あるいは滝となって流れる水が街中をうるおす。 美しい、光と水の都。 「どう?きれいでしょう」 「はい、とても・・・・・・・・・・!」 「でもね。あなたの感動に水をさすようで悪いけど、これだけは覚えておいて。ここは理想郷なんかじゃない。『シン』こそいないけど、いやな人はいっぱいいる。みんなそれぞれに悩みや苦しみをかかえてる。人間ってのはそういうものだからね。ぼくらも元は人だから、どんなにもっとよくしようとしても、どうしてもそうなっちゃうんだ」 「それは・・・・・・・・・そうでしょう」祈り子の言葉の含みに気づかぬままアーロンは、ただ、どうしてそんなことを言い出すのだろうと思いながら答えた。「しかし人間には、これほどまでに美しいものを作り出す力もある。それを『シン』は破壊してしまう。人が作ったものも、作ろうとする気力さえも。それを知ることができただけでも、ここに来てよかったと思います」 「そう・・・・・・・・・・・」 少年はハイウエイの壁に背伸びをして寄りかかった。そして窓のあかりにきらめく水の流れを見下ろしながら言った。 「ねえ、アーロン。あなたがここに来れたのはどうしてだと思う?」 「それは−−−−−−『シン』が連れてきたからでしょう」 「その答は、半分だけ当たってるね。『シン』は橋。スピラとザナルカンドをつなぐ橋。だけど、その橋を渡れるのは、在るはずのない存在だけ」 「在るはずのない・・・・・・・・・・・」 「ぼくは祈り子。生きながらにして魂を抜かれた、生者とも死者とも言えない存在。そしてあなたは死人。幻光虫となって、霧散するはずの存在。在るはずのない、不自然な存在。あなたは、死人になったから、ここに来れたんだ」 「しかし・・・・・・・・・!」 ならば、ジェクトは?彼はザナルカンドからスピラに渡った。『シン』という橋を渡った。彼も、死人か何かだったと言うのか?しかし彼は、ブラスカ様が異界送りをする場に何度も立ち会ったが、溶けてゆく気配はかけらもなかった。それどころか、究極召喚の祈り子にすらなった。それは、確かな肉体がなければ決して・・・・・・・・・・・。 「召喚士ブラスカには、ガードがふたりいたね。あなたともうひとり−−−−確か、ジェクトって名前だった」 アーロンはどきりとした。ジェクトのことを考えている時に祈り子の少年の口から彼の名が出て、まるで心の内を見透かされているような気になった。 「ぼくは不思議でならなかった。どうして彼がここにいるんだろうって。どうやって『存在』を得たんだろうって。疑問ってものを持ったの、いったい何百年ぶりだろうな。あれからぼくは、ずっと考えていた。あなたたちの旅をずっと見守っていた。そしてあなたがユウナレスカに立ち向かっていった時、今まで誰も考えもしなかったことをした時、やっとわかったんだ。あれは、前兆。スピラが変わる、前兆」 「しかし、俺たちは、結局」 「そうだね。ブラスカとジェクトは、今までの大召喚士やガードと同じ道をそのままたどった。そしてあなたはユウナレスカに勝ち目のない戦いを挑んで負け、何も変えられぬまま、死んだ。ぼくは思うんだ。それも必然だったのだろうと。あなたはブラスカの願いを、ジェクトとの約束を、スピラの人々を大事に思っている。死人になってしまうほどに。ぼくはあなたに期待しているんだ。あなたなら、スピラを死人の支配から解放する死人になってくれるかも知れない、ってね」 「死人の支配から解放する死人・・・・・・・・・・・・・?」 少年はふいに空を見上げた。 「ああ・・・・・・・・誰かが喚んでる。ベベルに召喚士が来たみたいだ。帰らないと。『シン』が復活して、また何人もの召喚士がぼくの力を求めてやってくる」 その姿が、街の光に溶け始めていた。 「待ってください!俺はまだ、あなたに訊きたいことがある!『シン』とは本当は何なんですか?ジェクトはいったい誰だったんですか?ザナルカンドは−−−−−−!」 「教えてあげるのは簡単だよ。だけどあなたは、自分で答を探すべきだ。あなたは、与えられた答をうのみにして満足できる人じゃない」 「しかし、自分で答を探せと言われても、俺などには」 「無知であること、未熟であることは恥じゃないよ。自分が無知な未熟者であることを知っている限り。あなたはそれを知っている。それ以上に、自分の頭で考えるということを知っている。なによりも、これはあなたの物語。ぼくに綴れることじゃない」 「だけど、俺はもう−−−−−−−」 「あなたの肉体は滅んだけれど、魂はまだ生きている。最終章を綴るために。−−−−−まずは、回りを見てごらん。これまでは知らなかったことを知ってごらん。そうすれば、あなたならきっと、物語の結末を自分で決めることができる」 「祈り子様・・・・・・・・・・・・・」 −−−−−−−ぼくはあなたより多くを知っているけど、すべてを知っているわけじゃない。ぼくは長い間、考えるということを忘れていた。それをあなたは思い出させてくれた。ぼくも−−−ぼくたちも考えるから。いっしょに考えようよ、アーロン。ぼくは、あなたは、ぼくたちは、どうすべきかを。 「祈り子様!!」 そして、少年の姿はかき消えた。 それと入れ替わるように視線を感じた。彼は顔を上げた。通行人があわてて目をそらし、立ち去った。その人だけではない。通りすがりの人たちはみな、見慣れぬ奇妙な格好をした彼に不審げな視線を向けていく。 アーロンは、急に心細くなった。 ザナルカンドに来た、その興奮は、すっかり消え失せていた。ただひとり、まったく見知らぬ土地にほおりだされた不安が、彼の心に押し寄せてきた。 それから多くの、あまりにも多くの疑問も。 スピラが変わる前兆?ジェクトが『存在』を得た?スピラを死人の支配から解放する死人? 『シン』とは何だ? 祈り子様は、俺に疑問だけをたたきつけて去ってしまった。 あの方は俺に何を望んでいる?何を求めている?今、どこに行けばいいのかすらわからないようなこの俺に? 「あ・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ふいに奇妙な感覚にとらわれ、彼は自分の手を見た。 奇妙というのとは違っているかも知れなかった。それは、あまりにもあたりまえの感覚。 自分の体への違和感が消えていた。死人になってからずっと感じていた、今にも崩れてしまいそうな不安定さが。 血流、吐息、心臓の鼓動−−−−失ったはずの生の証が、彼の体によみがえっていた。 「そんな・・・・・・・・・・・・・・・・・」 遺跡となったはずの街、ザナルカンド。それが今、こうして繁栄を謳歌している。 そこに俺は、死人となってやってきた。『在るはずのない存在』となって。 アーロンは今、答をひとつ得ていた。 しかし、それが正しい答だと理解することは、今の彼にはできなかった。 |