ナギ平原に降る雪
The Last Day of Braska
ナギ平原を一陣の風が駆け抜けていく。 誰もいない。 獣の姿すらない。 ただ、冬枯れの始まった草原が広がるのみ。 長い旅を終え、彼らはここにやってきた。 とうとう、ここに・・・・・・・・・・・・・・・。 「アーロン」 ブラスカの声が、はるか遠くから響くように聞こえる。 「アーロン?」 チョコボが首をかしげ、ブラスカの肩越しに彼をのぞきこむ。 「アーロン?大丈夫か?」 何度呼ばれてもアーロンは、うつむいて座り込んだままだった。 彼は顔も上げず、ただ、しぼりだすような声でこう言った。 「ブラスカ様・・・・・・・・・・・。『シン』が現れたら、本当にジェクトを喚ぶおつもりですか」 「たとえ喚ぶのをやめても、彼はもう人には戻れないよ」 「わかっています。しかし、あいつを喚んだら、その時にはあなたまで・・・・・・・・・・・・・」 「その話はもうやめないか、アーロン。旅の初めから、この日が来ることは君も覚悟していたのだろう?」 「そのつもり・・・・・・・・でした。だけど、そうじゃなかった。やっとわかった。俺は、上官の意に反したためにうとましい目で見られるようになったのが嫌で、居場所がなくなったのがつらくて、それで、寺院から逃げて来ただけです!」 ブラスカはかすかにため息をつくと、首を振った。 「私は知っていたよ・・・・・・・・・・・・・・初めから」彼はアーロンの肩に手を置いた。「それでも、君はよくやってくれた。私がここまで来れたのは、君とジェクトのおかげだ。心から−−−−感謝している」 チョコボがかまえと言うように鳴いた。旅の最後を、ジェクトに代わって彼らと共にしたチョコボ。ほんの2、3日のつきあいだが、すっかり彼らになついていた。ブラスカはチョコボに微笑みかけ、首をなでた。 「私はね。私のガードが君とジェクトで本当によかったと思っているんだ。腕がたつだけのガードなら、他にいくらでもいただろう。しかし、君たちでなければ、私の旅はただつらく苦しいだけのものになったに違いない。君たちは、この旅を時には楽しいものに変えてくれた。寄ると触るとケンカばかりしていた君とジェクトをなだめるのは楽しかった。決して相容れることはないと思っていたふたりが親友になってゆくのを見るのは楽しかった。修行の旅をこんなにも楽しんだ召喚士は、きっと私ひとりだけだよ」 ブラスカのその言葉に、アーロンの心はさらに乱れた。 −−−−ならば、あなたの旅をつらいだけのものにすればよかったのか?そうすれば、まだ引き返せるうちに挫折してくれたのか?俺が、最初から、ブラスカ様の死を恐れていれば・・・・・・・・・・・・・! 旅の初め、アーロンの胸にあったのは覚悟ではなく、野心。実力以外の理由で自分を切り捨てた寺院を見返してやろうと。大召喚士のガードともなれば、もう二度とつまらぬことにわずらわされたりせず、寺院で確固たる地位を築けるだろうと。 その時には召喚士はこの世にはいないことは、もちろんわかっていた。それを考えると、それなりに胸が痛んではいた。しかし、召喚士との別れがこんなにもつらいこととは想像もしなかった。 これほどまでに、ブラスカの人柄に惹かれるようになるとは思ってもいなかった。 「アーロン。『シン』との戦いが終わったのちベベルに帰ったら君は、大召喚士のガードとして尊敬と賞賛を一身に受けることになる。しかし君は生真面目で不器用な男だ。それこそが君にとって、何よりの責め苦になるだろう。それでもどうか−−−−それに耐えて欲しい」 「・・・・・・・・・・・・・・・・はい」 アーロンには、もう何も言えなかった。 ここで引き返したら、彼らを待つのはスピラ中の人の非難と軽蔑の目。究極召喚を得ながら『シン』を倒さなかった召喚士とそのガード。そんな彼らの居場所は、スピラのどこを探しても見つからないだろう。アーロンはそれでもかまわなかった。ブラスカが死なずに済めばそれでも。しかしそんな不名誉を、ブラスカにまで強いるわけにはいかなかった。ブラスカにとってそれはきっと、死ぬことよりも、つらい。 もう後戻りはできない。 ジェクトが祈り子になった時、橋は落とされた。 アーロンは空を見上げた。 真っ青な晩秋の空。刷毛ではいたような薄い雲が、ゆっくりと流れていく。 のどかな時間。 −−−−−このまま、『シン』がやってこなければいいのに・・・・・・・・・・・・・。 自分が倒されるのを待ちかねていたかのように、『シン』は究極召喚を得た召喚士の前に現れるという。その言い伝えが間違いであることを、アーロンはまだあきらめきれずに願っていた。『シン』がやってこなければ倒すことはできない、ブラスカも死ぬことはない、と。 それでどうなるというものでもないのだが・・・・・・・・・・・・・・・・。 突然、風向きが変わった。 機嫌良く草をついばんでいたチョコボが金切り声をあげた。 アーロンは立ち上がった。 そして、ブラスカが見つめる方に目を向けた。 深い谷の向こうに、醜悪な黒い影が現れていた。 「『シン』!」 とうとう、この時が・・・・・・・・・・・・・! 「アーロン!行け!」 ブラスカは叫んだ。 「ブラスカ様!俺はやはり、最後まであなたのおそばに−−−−−!」 「行けと言っている!君にはまだ生きてもらわないと困る!ジェクトと約束しただろう、彼の息子のそばにいてやると!そして、私も・・・・・・・・・・・・・!」 「ブラスカ様・・・・・・・・・・・・」 「早く行け!どうかユウナを・・・・・・・・・・ユウナを、頼む!」 アーロンは唇をかんだ。切れるほどに強く。 彼はうなづくと、チョコボにまたがった。そして、チョコボを走らせると、もう振り返らなかった。 さっきまで穏やかにさざめいていた草原が、生臭い風にあおられて悲鳴をあげる。青い空はさらに青く冴え冴えと凍りつき、今にも落ちてきそうに重くせまり来る。ざわめきたつ大地を、アーロンを乗せたチョコボは疾走する。頬にあたる空気が、氷のように冷たい。 どれくらい走ったのか。気が遠くなりかけた時、突き上げるような振動が襲った。アーロンはチョコボの手綱を引いた。そして、振り向いた。 『シン』の前に、その大きさをはるかに越える巨大な影が立ちふさがっていた。人であった頃の姿をわずかにとどめる、ブラスカの究極召喚獣。 −−−−−−ジェクト。 最後の戦いが、始まった。 究極召喚獣はその大きな両手で、『シン』の体をわしづかみにした。すさまじい雄叫びが響いた。『シン』はその手を振り払おうともがいた。体中からコケラが飛び、次々に究極召喚獣に襲いかかった。しかしそれは敵の体に触れることすら叶わず、火花のように幻光虫となって散ってゆく。 恐ろしくも、美しい光景。 アーロンは魅入られたように戦いを見つめた。 召喚獣はさらに『シン』の体をしめあげる。のたうち回る『シン』の尾が大地を割る。激しい力のぶつかりあいが空間までもえぐり取る。光が、舞う。 『シン』は思い切りのけぞると、反動をつけて召喚獣の肩にかみついた。召喚獣はそれにひるむことなく、両手に満身の力をこめた。そして、『シン』を握りつぶした。 閃光。 アーロンは両目を覆った。 やがて目が視力を取り戻すと、アーロンはそっとまぶたを上げた。 そこにはもう、『シン』はいなかった。究極召喚獣も。 草原の上にはただ、淡い光の固まりがあるだけだった。 その光は器からあふれるように少しずつ形をくずし、広がった。そしてナギ平原を光の海にと変えていった。ゆっくりと、うねるように。 幻光虫が一匹、アーロンの頬をかすめて飛び去った。 「・・・・・・・・・・・・・ブラスカ様!」 アーロンは我に返ると、チョコボの脇腹を蹴った。そして手綱を元来た方へと引いた。 あたり一面に、無数の幻光虫が舞う。雪のように。花びらのように。チョコボの足がコケラくずを踏みつぶし、新たな幻光虫が舞い上がる。刹那の安息を得た魂の声が、耳の奥でこだまする。 大地から生えるトゲのかたわらに、人の姿。 「ブラスカ様!!」 アーロンは転げ落ちるようにチョコボから降りた。あやつる者のいなくなったチョコボは、そのままどこかに走り去った。彼はそんなことにはかまわず、ブラスカに駆け寄った。 ブラスカは、ぐったりと、トゲにもたれかかっていた。 アーロンは彼の頬にふれた。 温かい。 しかし、すでに息はなかった。 「ブラスカ・・・・・・・・様・・・・・・・・・・・・・・・・」 ブラスカの頭ががくりと揺れた。もう二度と開けられぬ目から、涙がひとすじこぼれた。 アーロンが一度も見たことがなかった、ブラスカの表情。悲しそうな、くやしそうな・・・・・・・・・・・・・。そこには、『シン』を倒し、悲願を達成した満足などかけらもなかった。 これが本当の・・・・・・・・・・・。 これが本当の、ブラスカの、心。 この人だって−−−−−死にたくなど、なかったんだ! ブラスカの頬の上に、アーロンの涙が落ちた。それはブラスカの涙とひとつになって、草原に吸い込まれた。ブラスカの体は、アーロンの腕の中で少しずつ冷たく、固くなっていった。 「どうして・・・・・・・・・・・・・」 どうして、召喚士は死ななければならない? どうして、何もかも捨てなければならない? どうして、こんなにも苦しい旅に耐えた人が、自らがもたらした平穏な時を楽しむことすら許されない? ここまでして得られるのは新たな恐怖に−−−−いつ『シン』が復活するかにおびえる日々だけだと言うのか? こんなくだらないものが『スピラの希望』だと言うのか? 「答えろ・・・・・・・・・・・・・・」アーロンは歯を食いしばり、はるかにそびえるガガゼトの尾根を見上げた。「答えろ、ユウナレスカ!!」 幻光虫が乱舞する。ブラスカの身体に降り積もるように舞い降りる。 やがてその一群は、アーロンのたぎる怒りを乗せてガガゼトの向こうへ、ユウナレスカが棲むザナルカンドへと飛び去った。 |