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決別




 彼の意識は次元のはざまからしみだすように空間にこぼれ落ち、形と言えぬ形を成した。
 彼は何も感じず、何も考えず、ただまどろむように漂っていた。
 そうしていたのは長い時間だったのか、あるいはほんの一瞬のことだったのか。
 やがて彼は、自分と同じようなモノの存在に気づいた。そして、覚醒した意識をそちらに向けた。
 そこには、少年のような姿があった。
「やあ」
「・・・・・・・・・よお」
どこから聞こえてくるのかわからない自分の声。しかしそれは、不思議としっくりときた。
「はじめまして、かな、いちおう。−−−−でもぼくは、あなたをよく知ってるよ」
「・・・・・・・・・・・はじめまして、だな、いちおう。だけど、そんなは気はしねえな−−−−−バハムート」ジェクトは言った。「あんただろ。ベベルからブラスカにくっついて来てたのは」
「似たようなものだね。文字通りいっしょにいたわけではないけれど」祈り子の少年は答えた。「それがどういうことか、今のあなたに説明する必要はないよね」
「・・・・・・・・・・・そっか。オレ、本当に祈り子とやらになっちまったんだなあ・・・・・・・・・・・」
ジェクトは、いまさらのように嘆息した。
 自身の重みもぬくもりもなく、感覚はすべては他人の感覚の借り物のような、それでいて確かに自分の存在だけは感じる。まるで、生きながら幽霊になったような気分。
「−−−−こうして確かめはしたものの、やっぱり信じられないよ。あなたが究極召喚の祈り子になるなんて。ブラスカが究極召喚を得るとしたら、アーロンを使うしかないと思っていたから」
少年はかすかに首を振った。
「オレなんかにはそこまでの覚悟ができるはずがない、ってか?」ジェクトは皮肉めいた笑みを浮かべた。「そりゃそうだ。あんたたちの言うところの『覚悟』ってヤツはオレも理解したつもりだ。だけどオレは、それだけの『覚悟』とやらをしてこんな道を選んだわけじゃねえ。半分以上はやけっぱちってヤツだな」
彼は少年の言葉の意図を勘違いしたまま、吐き出すように言った。
「オレは・・・・・・・・・・ブラスカがザナルカンドに行くって言うから、ヤツのガードになった。ヤツの旅につきあえば、故郷に帰れると思った。ザナルカンドは大昔にほろんだなんて話、これっぽっちも信じてなかった。誰が信じられる?オレが1000年の時を越えちまったなんてさ。単に、なんかのショックで記憶を失うかどうかして、気がついたらどこか遠く離れた知らない土地に来てただけだって。それが・・・・・・・・・」
ジェクトはあたりを見回した。かつて大都会だった街の廃墟が視界いっぱいに広がる。
「ここに来て、認めるしかなくなった。オレのザナルカンドは、本当にもうどこにもないんだと。だから−−−−もう帰れないのならせめて、ブラスカの力になってやろうと思った。スピラの苦境は旅の間にさんざん見てきた。確かにあるのは今この時だけで、明日のことなど考えられない−−−−ここがそんな世界だってのはオレにもよくわかった。それをブラスカは、自分の身を犠牲にしてでも世界を救おう、未来をみんなにくれてやろうってんじゃあないか。そんなヤツの心意気に心底ホレちまったんだよ、オレは」
ブラスカのことを考えた時、ジェクトは自分の中に彼の存在のかけらを見た。凪いだ海のように広く、優しく、おおらかな心。彼の前にはもはや死しかありえないというのに、なぜこんなふうに前だけを見すえていられるのか。
 それに比べて、オレは−−−−−−。
「ジェクト・・・・・・・・・・・。今でも、ザナルカンドに帰りたい?」
少年は言った。
「あったりまえだろが」
 通り過ぎる日々を、享楽的に過ごしていた。
 ブリッツボールのスタープレイヤーとしての華やかで多忙な日々。気の向いた時だけかまっていた女房と子供。その時その時が楽しければそれでいい。先のことなど、考えたことがなかった。
 そんな、漫然と送っていた暮らしが、いざ失ってみれば、たまらなく恋しい。
「帰して、あげようか」
「帰してあげようって・・・・・・・・・そんな方法が、あるのか?」
少年はうなづいた。
「なんだと、てめえ!!」ジェクトは少年に飛びかかった。「そんならなんで、もっと早くに、オレがこんな幽霊のバケモンになっちまう前に言わねえんだよ!!オレに直接は無理でも、ブラスカになら教えれたんじゃねえのか?!」
少年は何の苦もなく、ジェクトの手をかわした。
「落ち着いてよ、ジェクト。ぼくは、今のあなたなら帰れる、と言っただけなんだ。祈り子になる前では、ぼくにもどうしたらいいのかわからなかった」
「今のオレなら・・・・・・・・・・?」
「帰れる、と言っても、見に行けるというだけだよ。元の生活に戻れるわけじゃない。帰ったと誰かが気づくことすらない。−−−−−−それでもいいと言うなら、連れていってあげる。あなたのザナルカンドへ」
「おう!連れてけ!!」

×××

 そしてふたりは、ある場所に立った。
 そこは、祈り子たちの山。
「ここが・・・・・・・・・・ザナルカンドへの入口?」
「スピラのどこからでも行こうと思えば行けるけど。でも、ここが一番近いのは確かだよ」
ジェクトは、腹の底からえたいの知れないものがわきあがってくるのを覚えた。
 旅の途中、ここを通り過ぎた時、ブラスカは言っていた。ここにある何万、何十万、何百万という、人の彫刻が風化だか溶けただかしたようなものすべてが祈り子であり、誰かが彼らを召喚している、と。
 その時にもジェクトは、背筋に我慢できないほどの悪寒を感じた。一刻も早く、ここから立ち去りたかった。それまで、どんなに凶悪な魔物に遭遇しても、怖いなどと思ったことはなかったのに。
 少年はふわりと宙に浮くと、そのうちのひとつにジェクトを導いた。
「ほら、これ」
少年は彼に、それに触ってみるようにうながした。彼はおそるおそる、手を伸ばした。それは、肉を持たず力を実体化されてもいない彼が触れただけで崩れ落ちそうだった。
 それは、祈り子の力をすでに失っていた。
 ジェクトはそれを、ずっと前から知っていたような気がした。
 なんだ、これは?バハムートはなぜ、これに触ってみろなどと言った?
「それから、これ」
その声に振り向くと、少年は少し離れた場所の別の祈り子を指し示していた。
 それは『生きて』いた。何かが召喚されているのが、ジェクトの目にも見えた。
 その召喚されたモノは煙のように空に立ちのぼり、どこか別の空間へと消えていっていた。
 なつかしく、そして愛しい−−−−−−−。



×××



 気がつけば、周囲の風景は一変していた。
 もはや、死の臭いが漂う荒野ではなかった。
 それは、ジェクトにはなじみ深い光景だった。
 群衆。喧噪。活気。
 水と光の都、ザナルカンド。
 もう2度と見られないとあきらめていた故郷。
 オレは−−−−−帰ってきた!!
 ジェクトは我を忘れて駆けだした。叫びながら、人混みに飛び込んだ。
 みんな喜べ!ブリッツの英雄、ジェクト様が帰って来たぞ!!
 しかしその叫びは、誰の耳にも届かなかった。
 誰も、彼の存在に気づかなかった。
 ブリッツボールに興味のない人間ですら、顔と名前を知らずには済まないほどの超有名人。それがジェクトだった。不用意に街を歩けば多くの視線を集め、嬌声やささやき声がとりまき、時にはサインや記念撮影をねだる人が寄ってくる−−−−−。
 それが今は、ここに誰かいることにすら気がつかない。
 本当に・・・・・・本当に、誰も・・・・・・・・・・・・・・。
 彼はふらふらと歩きだした。
 どこまでも続くビルの群れも、きらびやかな街並みも、楽しげに行き交う人々も、彼が恋しくてならなかったものすべてが、急に作り笑いに似たものに見えてきた。
 なんだろう、この感覚は?
 誰も自分に気がつかない。それは、自分があるはずのない存在にと化してしまったから。そのせいだ。そのはずだ。
 それが、だんだんと、回りの方が、自分以外の方が、あるはずのないモノに思えてきた。
 どうしてだ?
 オレはザナルカンドで生まれた。ザナルカンドで育った。笑いもした。悩みもした。ダチはいっぱいいた。恋も山ほどした。結婚した。子供も生まれた。オレは、ここで生きていた。ここで暮らしていた。
 そのはずだ。そのはずなのに・・・・・・・・・・・・。
 ジェクトははっとして振り向いた。
 学校帰りとおぼしき数人の子供が、彼の方へと道を歩いてきた。
 その中に、彼の息子もいた。
 ティーダ!
 オレだ!おまえのオヤジだ!帰ってきたんだ!
 おまえだけでも気づけよ!!
 ティーダっ!!
 しかし、彼の声は息子にすら届かなかった。
 少年は夢中で友だちとおしゃべりしながらさらに父親の方へと近づき−−−−−−。
 そして、ジェクトの中をすり抜けた。
 な・・・・・・・・・・・・・。
 まさか、あいつは・・・・・・・・・・・・。
 彼に一番近い存在−−−『息子』が『父』の中を通り過ぎていった瞬間、ジェクトはすべてを悟った。
 彼はうろたえて回りを見回した。多くの人々が行き交う、にぎやかな昼下がりの街角。
 風景が乱れた。
 そんな−−−−−−−。
 ここにいる連中は?
 この街は?
 そして、オレは−−−−−−−−−そういうモノだったのか?

×××

 ふと気がつけば、ジェクトはザナルカンドの我が家に帰っていた。
 部屋のすみにうずくまり、ぼんやりとあたりを眺めていた。
 こじんまりとした、しかし穏やかな湾を自分の庭にしたかのように眺望のすばらしいこの家は、彼がいなくなった時とほとんど変わっていなかった。
 さっきまで家の掃除をしていた近所の主婦が帰ると、家の中にはジェクトの妻と息子のふたりだけになった。
 ティーダはテーブルでお絵かきをしながら、その日学校であったことを母親にえんえんと話していた。しかし彼女は、窓辺に座りただ窓の外を見つめていた。夫が消えた海を。
 彼女の顔には、まったく表情がなかった。
 夫が行方不明になったショックで彼女が精神的におかしくなったことを、ジェクトはその家の空気から知った。
 おまえ、やっぱり、オレがいなくなっても全然変わらなかったんだなあ・・・・・・・・・。
 どうしてか、自分の腹を痛めた子に、それも、誰よりも愛した男との子供に、まったく興味を持たなかった女だった。食べさせて着せて、それなりにしつけもしてと、育児を放棄していたわけではない。しかし、愛情を持っていたとは言い難かった。
 −−−−−−−もしかしたら、あいつの『モト』がそういうヤツだったのかも知れねえな・・・・・・・・・・・・。
 たとえそうだったとしても、それだけを理由のすべてにはできなかった。
 自分もまた、たったひとりの息子に素直な愛情を抱けなかった。
 ティーダはほんの赤ん坊の頃から夜泣きが激しく、物心ついたあとも何かというとすぐ泣く泣き虫だった。疲れて帰った時にびーすか泣かれると、うっとおしくてならなかった。あまりかまってくれないのは父親も母親も同じだったというのに、なぜか母親にだけはなついていたのも気に入らなかった。
 だからといって、にくたらしく思っていたわけではなかった。ただ、めんどうくさかっただけだ。息子がかまって欲しそうだと見てとると、女房をうながして−−−−−。
 どうしてそれだけしかしなかったんだろう。
 自分がもっと積極的に子供に接してやれば、女房の態度も違ったかも知れない。
 子供が生まれた時、たまらなくうれしかった。あれもしてやろう、こんなこともしてやりたい、と、いろいろ夢も持ったはずだった。
 あの気持ちをどうして忘れてしまったのか。そして、どうして今になって−−−−−もう元の暮らしには戻れない、それだけではなく、自分が本当は何者だったのかを知ってしまった今になって、思い出さねばならなかったのか・・・・・・・・・・。
 絵が仕上がって、ティーダは椅子から飛び降りた。そして母親に駆け寄った。
 少年が描いていたのは、大好きなお母さんの似顔絵。小さな子供らしいヘタクソな絵だったが本人は出来に満足しているらしく、うれしそうに母親に見せた。その彼女はそちらに目を向けようともしなかったが、少年はかまわずにいっしょうけんめい話しかけ続けた。
 ジェクトは息子のそばによると、抱きしめるようにそっと腕を回した。
 ティーダの目に、涙が浮かんだ。おかあさん。彼はそうつぶやくと、父をすり抜け、ばたばたと自分の部屋に駆け込んだ。
 おそらく、またひとりで泣くのだろう。
 『どうしてこうもすぐ泣くのかねえ』
 いつも息子に言っていたセリフを、ジェクトは今は言う気になれなかった。
 そしてジェクトは、愛しい我が家に永遠に別れを告げた。

×××

 オフシーズンのブリッツボールスタジアムには誰もいなかった。
 ジェクトの人生を華やかに彩った場所。最高の舞台。
 すっかり水を抜かれ、からっぽになっていたスフィアプールの中心へと彼は泳いだ。
 あたりを見回せば、歓声が耳の奥に蘇るようだった。
 チームメイトが彼に投げたボールを受け取り、すばやく返す。
 再び飛んできたボールを、今度は別のプレーヤーに渡す。
 細かいパス回しで相手チームを攪乱しているすきに、彼はゴールへと近づく。
 その動きは速く、敵は誰もついて来れない。
 ノーマークでゴール近くの絶好のポジションを確保した彼へと、はるか遠くからボールが託される。
 そして、満を持しての強烈なシュート!
 歓声と興奮がスタジアム全体を包む。
 しかし、今あるのはただ静寂のみ。
 ゴールポストの前で、ジェクトは膝をかかえた。
 泣き虫の息子をバカにできなかった。泣き出してしまいそうだった。
「ジェクト」
彼のうしろから、声が聞こえた。
「バハムートか・・・・・・・・・・・・」ジェクトは振り向きもせずに言った。「なんで、オレをここに連れてきた?」
「あなたが望んだから」
「そだな。そうだったな・・・・・・・・・・・。だけど、オレはもう、あきらめてたんだ。絶対に帰れないと思っていたならそんなこと・・・・・・・・。それなのに、あんたは、なんで、帰る方法があるなんてオレに言ったんだよ?」
 その返事を待たずに、ジェクトは再びプールの中心へと泳ぎだした。
 そして、ふっと消えた。
 バハムートの祈り子も、彼のあとを追った。



×××



 ふたりはスピラに−−−−祈り子たちの山に戻ってきた。
 祈り子たちから立ちのぼる気を、ジェクトは一段と強く感じた。
 そう、これこそがザナルカンド。ここで召喚されているのは、オレが暮らした街。そして−−−−−−。
「バハムート・・・・・・・・・・。つまり、これが、『オレ』だったんだな」
ジェクトは、少年が最初に指し示した、力を失った祈り子に目をやった。
「そう。あなたの存在が『ザナルカンド』から消えた時、もはやあなたを探そうともせず、異界へと去っていったあなたの、祈り子」
 そして、あれが、ティーダ。オレに『ザナルカンド』への道を教えたあれが・・・・・・・・・。
「ジェクト。ぼくは最初に言ったよね。ブラスカが究極召喚を得るとしたら、アーロンがその身を捧げるしかなかったはずだったと。それは、あなたにそれだけの覚悟ができるかどうかではなく、祈り子の核となる確固とした肉体と魂を持っているとは思えなかったからなんだ。実は、スピラに迷い込んだ『ザナルカンド』の住人はあなたが初めてじゃない。ここでの暮らしを受け入れ、結婚した人も何人もいる。だけど、子までなした人はひとりもいない。ここの人間となんら変わらないように見えても、やはりそこまでは無理だったんだろうな。だから、あなたが、祈り子になるなんて、想像もしなかった」
「あんたがどう想像しようがなんだろうが、オレがこんなもんになっちまったのは間違いねえんだよ、くそったれ」ジェクトは吐き捨てるように言った。「あんたが賭に負けたのは十分わかっただろ。帰れよ。オレはもうあんたには用はない」
 そう言うなり、ジェクトはまたどこかへと姿を消した。
 少年は、今度はあとを追わなかった。
 今のジェクトの気持ちは、誰にもわからない。
 何百年もの長い時を祈り子として存在してきた彼にとっても、究極召喚の祈り子になるというのはどういうものなのか、想像と理解を超えていた。
 ましてや、『ザナルカンド』こそが現実だったジェクトの胸の内などは。
 −−−−ぼくはどうして、ジェクトが祈り子になったのを確かめただけでは満足せず、彼に現実の一端を見せてしまったんだろう?
 彼は、自分の心すら計りかねていた。
 ブラスカはもうすぐ、『シン』を倒すべくジェクトを喚ぶ。そして役目を終え主を失った究極召喚の祈り子はやがて次の『シン』へと化す。ジェクトの『ザナルカンド』への想いが強ければ強いほど、彼の『シン』は、これまでのどの『シン』よりも強固な「『ザナルカンド』の鎧」となるだろう。
 ぼくはそれを望んでいるんだろうか。
 それとも・・・・・・・・・・・・・?

×××

 ジェクトはザナルカンドのなれの果ての中を漂っていた。
 1000年の昔、大戦の末にほろんだ都。
 自分が生きていた−−−−生きていたと疑ったこともなかったザナルカンドは、戦いに敗れた人々の生き残りがこぞって祈り子となり、愛してやまなかった故郷を夢み、作り上げている幻影。
 そんな道を選んだ彼らの気持ちが、ジェクトにはなんとなくわかる気がした。あれほどに華やかで美しく、活気のある街を敗戦で失った彼らの絶望は、いかばかりだっただろう。
 しかし、なんとなくわかるだけで、すべて理解できるわけでも賛同できるわけでもなかった。
 彼らは、敗れたとはいえ、祈り子になるまでは生きていたはずだ。生きながらえた命でもって、どうして現実の街を再建しようとはしなかったのか。
 彼らが現実ではなく幻想の世界にザナルカンドを再建したからこそ自分がいて、自分の生活があった。ジェクトはその事実を、単なる知識だけではなく全身で理解していた。それでも、彼らの選択を支持しようとは思わなかった。
 こんなのは、結局嘘じゃないか。嘘っぱちじゃないか。
 自分のすべてを否定された。そんな怒りが、彼の胸を満たしていた。
 どうして奴らは、現実から逃げ出したのか。
 どうして奴らは、過去ではなく未来を夢見てはくれなかったのか。 
 どうして、奴らは・・・・・・・・・・・・。
 同じ疑問が何度も駆けめぐるうち、ジェクトはふと思い出した。祈り子の山で、ブラスカが言っていたこと。
 『これほどたくさんの祈り子を一度に召喚できるなんて・・・・・・・・・いったい、どんな召喚士なんだ?』
 そうだ。祈り子そのものに力があるわけじゃない。召喚士が喚ぶことで、初めて力となる。
 誰が、大昔にほろんだ街の影を喚んでいる?
 やはりこれもバハムートに訊いておくべきか、とそんな考えが頭をかすめたが、彼からは答を得られない気がした。
 奴は、いくら祈り子たちの長老的存在であっても、しょせん祈り子にすぎない。
 では、その祈り子を生んだのは、誰だ?
 祈り子たちから力を引き出しているのは、誰だ?

×××

 ジェクトは、自分が肉体を奪われた場所に現れた。死に満ちたスピラのどこよりも死の臭いが強い異空間に。
「ユウナレスカ!訊きたいことがある!出てこい!」
彼の声はひずんだ空間に吸い込まれ、しかし消えることなく、どこまでも拡散していった。
「ユウナレスカ!」
 −−−−どうしたのです、ジェクト。そんなに声を荒げて。
どこからか、漂うように女の声が聞こえてきた。
「どこにいる!姿を見せろ!!」
 −−−−顔を合わせなくても、話はできますよ。言いなさい。訊きたいことがあるのでしょう?
「『ザナルカンド』を喚んでいるのは、誰だ?!」
ジェクトは、彼女が姿を見せようとしないことなどにこだわっていられず、叫んだ。
 −−−−ザナルカンドが生んだ、偉大なる召喚士。
「なんだと?!」
 −−−−1000年の昔、ザナルカンドの民を導いた、そして今も導き続けている、素晴らしき力を持つ召喚士。
「1000年前って・・・・・・・・・・。ならば、そいつも死者だと言うのか?!」
 −−−−もちろん。
ユウナレスカの声は、誇りに満ちていた。
 −−−−はるか昔、ザナルカンドはスピラとの−−−−今スピラに生きる者の先祖たちとの戦いに敗れ、ほろびました。しかし、かの召喚士は、生あることのみが勝利ではないと教えてくれました。我らは召喚士の大いなる力に導かれて彼らには決して手の届かぬところにザナルカンドを再建し、死とまやかしの希望を以て今までも、そしてこれからも彼らを支配してゆくのです。
 つまり、その召喚士がすべての元凶なのか?
 祈り子になった連中だって、敗戦の痛手から立ち直ればきっと、もっと別の前向きな道を探し、選んだはずだ。それを、まだ心が疲れ切っていた時に、そいつが見せた甘い夢に誘われて・・・・・・・・・・・・。
 −−−−ジェクト。ザナルカンドからこの地にやってきたあなたが私のもとにたどり着き、究極召喚の祈り子になる道を選んだ時、私の胸がどれほどの喜びに打ち震えたか、わかりますか?ザナルカンドを故郷にする者ならば、ザナルカンドを愛する者ならば、きっとこの上なく心強いザナルカンドの守り手になるであろうと。
 ザナルカンドの守り手?究極召喚の祈り子が?究極召喚は、『シン』を倒す、唯一の力じゃなかったのか?
 ジェクトは、その問いを口にできなかった。恐ろしかった。もしかしたら、自分はとんでもない間違いをおかしてしまったのでないか、と。
 それでも彼は、力をふりしぼり、もうひとつ、彼女に問いかけた。これだけは、どうしても訊いておかなければならなかった。
「ユウナレスカ・・・・・・・・・・・。その召喚士は、いったい、どこにいるんだ?」
 −−−−『シン』の中に。
「『シン』の・・・・・・・・・・中?」
 −−−−そう。死のことわりをスピラの者どもに示すモノの中に。
「もしかして、そいつが『シン』も・・・・・・・・・、自分を守るモノを、何度倒しても、復活させているのか?」
ふふっ、とユウナレスカの笑い声がかすかに聞こえた。
 −−−−ジェクト。あなたがザナルカンドの新たな力になる時が来るのを、楽しみにしていますよ。
 そして、彼女の気配は消えた。
「ユウナレスカ!!」
 ジェクトはその場に立ちつくした。長い間。
 彼はすっかり混乱していた。ユウナレスカの言葉が理解できずにいた。
 ただ、ひとつだけ、はっきりとわかっていることがあった。
 こんなのは、間違っている。
 自分は最初から、死者の側の人間だった。
 それでも、『ザナルカンド』では、確かに生きていた。かつて本当に生きていた祈り子の生の記憶の疑似体験にすぎなかったのだろうが、それでも生きることを楽しんでいた。そしてスピラに降り立ち、世界中をくまなく巡るうちに、この地に住む人々のせつないまでの命への想いを知った。
 死は、満ち足りた生の果てにあるべきもの。
 死が生を支配するなど、間違っている・・・・・・・・・・・。
 その時ジェクトは、自分の身に変化が起こっているのに気がついた。
 オーラがあふれ出す。その輝きが強くなる。
 霞のようだった自身の存在が、急激に確かなものになっていく。
 ブラスカの、生けとし生けるものすべてへの祈りが、彼の心へと流れ込む。
 やるのか、ブラスカ。
 おまえの命を賭けた、最後の戦いを。
 いいだろう、オレを喚べ。
 オレも、今度こそ、覚悟を決めた−−−−−−−−!



×××



 ひとりの男がすべてを捨てて赴いた戦いは、あっけなく終わった。
 生ある者たちのあらがいなど毛ほどもよせつけず、死と恐怖をまき散らし続けてきたモノも、究極召喚獣の前にはひとたまりもなかった。『シン』はジェクトの手の中であっさりと砕け散った。そして無数の幻光虫と化し、急激に腐るかのように崩れていった。
 だけど、これで終わりじゃない。
 ジェクトは、幻光虫が舞う中へつっこんだ。
 この中に、真の敵がいる。本当に倒すべき敵が。
 どこだ?どこにいる?!
 がむしゃらに幻光虫の群れの中をかきわけ、突き抜けた時、淡い光のかたまりの上に浮かぶものが見えた。幻光虫とは明らかに違うそれは、突然庇護するものが消えたためか、たよりなげにふわふわと漂っていた。
 あれが−−−−ザナルカンドを喚び、『シン』を復活させている、召喚士。
 ジェクトは宙を蹴り、それに飛びかかろうとした。
 しかしその瞬間、彼から突然力が失せた。
 彼を召喚獣として実体化できる唯一の召喚士の心臓が、その時、止まったのだ。
 ブラスカ!頼む!オレに今一度力を!
 そんなジェクトの叫びは、むなしく空に吸い込まれた。
 やがて『シン』の中にいた召喚士は最初はゆっくりと、そして急に動きを早め、ガガゼト山の向こうへと飛び去っていった。
 彼はそれを、あきらめの気持ちで見送った。くやしかったが、今ここで自分ひとりが追ったところでヤツを叩きつぶすことはできないとわかっていた。
 ジェクトは地上を振り返った。地に横たわるブラスカと、この旅を共にしたもうひとりのガード−−−−アーロンが主人に駆け寄る姿が見えた。
 アーロンはブラスカの身体を抱き起こすとさんざん揺さぶり、主の名を叫んだ。しかしもう、何をしてもブラスカは目もあけず、応えもするはずがなかった。アーロンはブラスカを固く抱きしめ、泣きじゃくりだした。
 他人にきびしく自分にはそれ以上にきびしく、やたら怒りっぽい、涙なんて想像もできなかった男が、子供のように泣いている。
 その姿を見ていると、ジェクト自身の怒りと悲しみも、張り裂けんばかりに膨れ上がった。
 その時、今まさに異界へと旅立とうとしているブラスカの想いが、ジェクトの心に触れた。
 −−−−どうか、このような死を迎えるのは、私で、最後に。
 そうだな、ブラスカ。こんなのは、オレたちで終わりにしよう。
 ジェクトはブラスカとアーロンの側に寄ると、彼らを包み込んだ。
 ブラスカ。おまえを失い、祈り子のカスになってしまったオレに、何ができるか今はわからない。
 それでも、なんとかする。
 アーロンもきっと、同じことを考えている。
 オレたちふたりで、おまえの最後の望みは、きっと叶えてやる・・・・・・・・・・・。
 生まれ育った街が、心の底では愛していた家族の姿が、見えなくなった。
 それでも、かまわなかった。
 幻は幻。いつかは消えなければならないモノ。




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