今回は、宣言したとおり「オタク=キモイの式はどうして生まれたか?」についての考察をしてみましょう。
この場合の「オタク」は、主にアニメ、ゲーム等に強烈な執着心と愛着を持つような人々を指します。
そのほかにも鉄道関係がすきなひとを「鉄道オタク」といったり、まあオタクというものは結構バリエーションが多いような気がしますが、今回の話の中では上記のものをイメージしておいてください。
さて、そもそもどういう要因でこの式がうまれたのでしょうか?
私が考えた原因は、以下の3つです。

1・理解不能の恐怖
2・生理的嫌悪
3・上記二つの項目の刷込み、連想


さて、これはどういうことか。
まずは 1 について考察してみましょう。




1・理解不能の恐怖


人は、根本的に自分が理解できない存在を嫌う傾向にあります。
たとえば、心霊写真なんかを見て、怖いと思ったことはありませんか?
幽霊のような類は、本来実在するのか定かではありません。
そういった、実際にはありえないようなもの=理解不能なものに、人は恐怖を抱きます。
それと同じような現象が、オタクをみる目にも起きているのではないでしょうか?

いまこんな考えを維持している人ってどれくらいいるのかよくわかりませんが、
「漫画だのアニメだのは、子供の時代で終わりにしておくものだ」
という考え方がありますよね?
そして、「オタク」と称されるのは大抵十代後半以降、つまりは大人になりはじめる時期を超えた人であることが多いです。
これより、そういった考え方を持つ人にとってこのようなオタクは、
もう大人になろうという(あるいはなった)のに、いまだにアニメ、漫画などから脱せていない。
 ↓
なんで脱却できないのか、自分には理解できない。
 ↓
そういうやつが気持ち悪い、怖い。
といった感じで映るのではないでしょうか?

このほかに、もっとも多くあるパターンとして、
オタクの多くは2次元の女の子がやたらと好きだ。
なんてのも。
実際、「オタク」と称される人々の何割程度がそうなのかはわかりませんが、そういった人がいるのは事実であり、またそういった人のためのアニメ、ゲームは今ものすごい数ありますね。
そして、そういった趣向をまったく理解できない人のほうが、まあ世間的にみれば多いと思われます。
ですから、そういった趣向を持ってる人々は、そうでない人々にとって気持ち悪く映ったりするわけです。
まあ、2次元の女の子などをかわいいと思えない、むしろ気持ち悪いと思い、そういうのを好きな人を気持ち悪いと感じる、というのもあるでしょう。
この辺は次の「2・生理的嫌悪」にもかかってくる部分がありますので、「1・理解不能の恐怖」についてはこのあたりにしておきましょう。




2・生理的嫌悪


人には、根本的に好きになれないもの、というのが存在します。
それは生理的に受け付けられないもののことを指します。
たとえば、爬虫類が嫌いな人がいるとします。(私も嫌いですが)
そこでなぜ嫌いかと聞けば「あの表面のざらついたようなぬめついたような見た目が……」とか、「あの4つんばいの妙な動きが……」といったような回答が得られることでしょう。
要は、「感覚的に受け付けられないもの」というのがあるんですな。
それは、人間同士にもあてはまりますね。
あの体格はイヤとか、あの動きがイヤとか、何かしら他人の受け付けられない特徴があるもんです。
オタクに関して、その例が顕著に現れているような気がします。
ココで、生理的に嫌われる要因を二つほど挙げると、

1)外的要因
2)内的要因

の二つに分けられます。
まず「1)外的要因」について。
単純に言えばきったない見た目とかですな。
なぜかはわかりませんが、オタクにはあまりカッコいいといえるような見た目の人が少ない傾向にあるのではないでしょうか?
髪型をかざったりしない、服のセンスがない、とか。
そうそういるわけではないですが、キャラクター物の何かを堂々と外見に持ってきてたりするとカナリ悪印象ですよねえ。
これは1の理解できない恐怖にかかってくる部分でもあります。
あとたまにいるのですが、やたら体臭のきつい人とか。これはオタクに限らずですが、嫌われる要因としては大きなものです。
全てのオタクがそうだとは言い切りません。でも外見的に気持ち悪いと思わせてしまうような人が、オタクであることはけして少なくないような気がします。
それと、ちょっと言動や挙動がおかしかったり。
なんか妙にゲームやアニメの台詞おぼえてたりなんてのもよくあります。
そういう話って、多くの人は子供のころまででやめてしまうので、大人になってからやってるのを見たりすると、その不釣合いさが気持ち悪く見えることもあるのです。

「2)内的要因」について。これがカナリ厄介です。
オタクは傾向として、ある一点に集中するがあまり周りが見えなくなる、というのがあるような気がします。
つまるところ、好きなもの(この場合漫画、ゲーム、アニメ等)を見つめるあまり、周囲を気にしない人が多い、と。
電車なんかで堂々とオタトークしてるのを見かけることがありますが、あれもそういった思考の表れですよね。(自分も何度かやってます。反省)
他人に対する配慮がなければ、それは単なる自己中。そりゃ嫌われもします。
また、この思考が外的要因のほうにも現れているのではないでしょうか?
好きなものを買うとして、資金というものには限りがある。そこで、服装のほうにそのしわ寄せがいき、結果的に流行の服を買おうとしなくなるとか。
要は「周囲に見られている自分」に対する意識が薄れる。周囲のことが気にならなければ、自分さえOKであれば臭かろうがきったなかろうがお構いなしになってしまうと。

何度か言ってますが、オタクの全てがこんな感じであるわけではありません。
しかし、こういった人が一部にいることもまた事実です。
ちなみに、こういう生理的嫌悪を引き起こすような外見、挙動を示すオタクの人を「キモオタ」と言ったりもしますね。
でも、これだけでは、「オタク=キモイ」の式は成り立ちません。
仮にあなたが会ったのが、こういった生理的嫌悪をおこさないようなオタクの人ばかりであれば、「ああ、こういうのが好きな人もいるんだ」ですむことだってあるんです。
全てはこれら「1・理解不能の恐怖」と「2・生理的嫌悪」の原因を踏まえたうえに成り立つ「3・刷込み、連想」に収束します。



3・上記二つの刷込み、連想


上記の二つの原因だけなら、気持ち悪いと感じるのはあなたが会った、そういう要因を持った人のみに限定されるはずです。
しかし、社会的に「オタク=キモイ」と思ってる人は結構いるはず。それはなぜなのでしょう?
答えは簡単。そういった人を見たときに、「オタクはキモイものなんだ」と刷り込まれてしまうから。
これは単にそういった人に出会っただけでなく、テレビや本などの各種メディアによるところもあります。
メディアは根本的にネタになるものを求めます。ネタに必要なのは、情報の重要度がほとんどですが、それとは別に「インパクト」というのも必要なわけで。
その点で、上記の原因を満たすオタクはカナリのインパクトを持った存在ともいえるわけです。
極まれにではありますが、各種メディアでオタクが取り上げられることはあります。
そのときに見られるのは、大概において上記の原因を満たすオタクであることがほとんどです。
それを見た多くの人には、不快感を感じる方もでてくるでしょう。
ましてそれが一人ではなく、複数であったり、また何度かそういったネタを見てしまえば、「ああ、オタクってあんな感じの人ばかりなんだ」という刷込みがおきたっておかしくないわけです。
メディアによらずとも、その人があったオタクがほとんど上記の原因を持つものであった場合も、そういった刷込みは起こるでしょう。
この刷込みにより、オタクと聞いたときに真っ先に連想されるイメージが、キモイオタクのものになってしまう、というわけです。




おわりに


なんとなく「オタク=キモイ」の式がどうやって生まれたか、わかっていただけたでしょうか?
まあこれはあくまで私の見解でしかないので、ある程度偏った思考をしているところも多々あるでしょう。
ぶっちゃけ、もっともらしいことを並べただけですので、あんまり頭の中にとどめるようなもんでもないですからねー。
でも大体はこんな感じだと思うんだけどなあ……。
なんか他に考え付くことあったら誰か教えてください。

それにしたって。
ココにこんな文章書いちゃった以上は、最低限2の条件を満たしてしまうオタクにだけはならないように気をつけたいっす(;´д`)
偏見ではありますが、アレを完璧に満たしてしまったら社会的にヤヴァイのではないでしょうか……?
いま私たちが生きているのは人間社会のど真ん中。人間関係はできる限り大切にしたいもんです。

ちなみに、外国のオタクでキモイ人の話ってあんまり聞きませんよね?
今回の話はあくまで日本に限った場合で考えてましたが、海外ではどうなんでしょ?
ワールドワイドに考えると疲れるのでこれ以上これについて考察する気にはなりませんがね。
雑記帳
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