小説

 だるい。意識が戻り始めてまずディエラスが感じたのはそれだった。
 その次に感じているのは安堵だった。まだ生きているらしい、という事実が実感として全身を満たしていく。
 体は非常に重たく感じるが、姿勢は楽だった。寝かされているのだと気がついて、彼はやっと目を開いた。
「う」
 照明が目にささる。目の前が真っ白になった。
「おお、気がついた」
 聞こえてきたのは知らない女の声だった。
 目が慣れてくると、周囲が確認できた。まず目に入ってきたのは白い天井。そして自分の顔を見下ろしている二つの顔があった。たれ落ちてきている金のほうは、見覚えがある。もう一方の黒い髪のほうは初めて見る顔だとなんとなく思うと、少しずつ意識が鮮明になってきた。
「イルセナ?」
「おはようございます、ディエラスさん」
 そういって、イルセナは微笑みかける。そこに安堵を感じたのは気のせいではあるまい。
「丸一日かー。だいぶかかったわねえ」
 黒髪の彼女が茶化すように言った。背はイルセナより高く、年も自分と同世代か、少し上のように見受けられた。
「あなたは?」
「ん? ああ、こういうときは自分から名乗るもんだってたしなめちゃうところだけど、まあ状況が状況だしね」
 口元に手を当てて小さく笑う。しゃべり方と違って笑い方はちょっと貴賓があるなーと重いながら、そういえばそういうもんだとディエラスは妙に納得していた。
「はじめまして。私の名前はラナ。ラナ・オルフィエです。よろしくね? ディエラス・ウォークライス君」
 覗きこむように身を寄せて彼女は言った。
「ここは反ザフュセル帝国組織「スフィア」の特殊艦「ナバタス」の医務ブロックの一室」
跳ね上がるように手を広げて立ち上がり、そして、そのまま隣の椅子に音を立てて座った。足を組み、前かがみになって膝のあたりに肘を当ててディエラスを指差す。
「そして君は、哀れとらわれの身というわけです」
 言われたディエラスは、きょとんとした目のまま頭だけイルセナに向いた。
「……そうなの?」
 問われて、彼女は苦笑する。
「ちょっと違いますが……似たようなものだと思います」
「いや、そこは否定してほしかったわ」
身を再び起こして、ラナはあきれたようにイルセナを見た。
 疑問を持った顔のまま、ディエラスはもそもそと動き出す。まずは指先から腕にかけて持ち上げ、かけられたシーツを押す。そのまま身を少しひねると、イルセナがそっと肩に手を触れた。誘われるままに、助けを借りて身を起こす。
「んむぅ」
 特に不調は無いようで、軽く頭を回しているディエラスを見てラナは小さく笑った。
「まあ、目立った外傷があるわけじゃなかったしね。落ち着いたんならすぐにでも動けるでしょう」
「そうですか」
 よくわからないが、とりあえずは大丈夫、ということなのだろう。
 彼は状況の確認が必要だと思い、先ほどいわれたことを頭の中で反芻する。
(確かこの女性は「反帝国軍組織」と言っていたはずだ。なら、おそらくはどこかの国に潜伏しているであろうレジスタンスの一派に囚われた、という認識でおそらく間違いないかな。それにしては、いささか待遇が良いように思えるけど)
この部屋は普通の医務室のようだった。すぐ側にはいくつかの機器のほかに棚が数個置いてある。部屋はそこそこ広く、ベッドはコレ一つしかないようだ。拘束する、というイメージには一般的に見ても遠い感じもする。
 どうやらそのあたりはベッドの横の椅子に腰掛けたイルセナが説明してくれるようだ。
「拘束されたわけではないんです。いくつかの条件の下に助けていただいた、といったほうが正しいのかな」
「条件っていうと……情報かな」
(思い当たる節はそれくらいだ。もしくはあの機体だけど、あれがどうなったのかよくわからないし、もし機体を破棄して助けられていたのなら条件には満たないだろうし)
「おおー話がスムーズでお姉さんうれしいわ」
 考えていたことはおおよそ正解、といったところだと、ディエラスは思う。
「聞きたいことは色々あるし、まあどうせしばらくは航行が続くわけだし、じっくりいきましょうねー」
 屈託の無い笑顔でラナは言う。なんだか毒気が抜かれてしまった。
 ディエラスは一度小さくため息をつく。
「まあ月並みなことを聞くんだけど、船の中って言うのはわかるんだけど位置はいったいどの辺なんですか?」
「アスティ地方の空の上」
「空? だったら飛行なんじゃ」
 そう言いつつ、彼は意識を失う前に着水したことを思い出す。そこまでは鮮明に思い出せた。
「の、偏向領域で生まれた海、といえば正しいかな」
 そこまで言われて思い出した。アスティ地方の一部で使用された空振弾のせいで、海水が重力にとらわれて中空にとどまるような形になったのだと。数百キロ四方の広さで、海水が宙にういた状態になっているのだ。陸があって、何も無い空間があって、その上に平べったい(といっても、数キロメートル単位の厚さではあるが)海水の層がある、というイメージが正しい。
「確かにココなら、目くらましにはもってこいか……」
「ええ。電波系や熱センサー系はもちろん、光学系や空間振動系もある程度ごまかせるしね。量子計測系にしたって、そんなことしてる軍事基地は聞いたこと無いわ」
「いやでも、探査船を数隻回してるはずだけど」
「領域内では重力子変動が激しいからあちこちで変な水流が出来てて、探査範囲が一般の海より狭まってるの。そんな中で、うまい具合に探査を抜けるような水流にのって移動してるからね、まず発見は不可能」
 ラナは自慢げに語る。要は「そういう流れに耐えられる船である」ということが重要なのだろう。確かに、帝国側はこういった場所に進行するための船を用意していない。そもそも、対外的な進行においてこの地方は此処があるため重要視されていないのだ。あの領域を抜けて進行してくる軍はない、という考え方が広まっているわけである。こういう単艦での隠密行動に使われるという想定などまったくされていない。
また、航空と潜行を同時に行えるような船など、量産に向かないため作らないというのが一般的なのだ。帝国が回している探査船も、そういった類ではあるが小型であり、かつ数がない。探査用にそこそこな設備を持った船を用意するのは容易なことではないのだ。
 この船はそれを満たしている。相当機密性が高くかつ汎用性に富んだ船なのだろう。そこそこなレジスタンス程度の組織が持つような代物ではないことは確かだ。
(単純な反乱軍程度の組織じゃなさそうだ……裏にどれだけの奴らが絡んでるだか)
 そして、わかる事実がもうひとつ。
 つまりはこの船が行き着く先に彼らのアジトがあり、その間ここは完全に逃げ出すことの出来ない牢獄となるわけである。
「ちょっとは色々察してくれてるみたいね」
 ラナは小ばかにしたように言うが、思考が読まれているということなのだろう。ディエラスにしたら、そんなに意識していたかと確認させられたようなものではあったが。
「……色々考えることが多いみたいですね」
 思ったままに、ディエラスは言った。色々、色々だ。まずは何から考えるべきなのか。
「考えなさい、最善を。導きなさい、あなたの答えを。滞りなく進む考えうる限りのベストをね」
 にこやかに、とても静かな印象をあたえる笑みを浮かべて、ラナはそう告げた。




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