第一話 胎動
星が見える。
目の前に、無数の星々が瞬いている。
足元に一面の青い光。浮遊感。
宇宙と空の境界。
背には翼がある。はばたき、舞う。
蒼い鎧をまとった自分。右手には一本の長剣が握られている。反りのない刃は、光り輝き振るうごとに軌跡を残す。
弾かれる剣撃。音はない。
繰り返される衝突。無音の世界に響く空間そのものの振動。揺らめく。
戦っている。戦っているのだ。
だが何と?
巡る視界。目に映る星。捜し求めるは、相手。
見えない。幾度も衝突しているにもかかわらず、相手を視認できない。
いや、確かに捕らえてはいるはずなのだ。そうでなければ、相手の動きを予測して剣を振るうことも、放たれる弾丸を避けることもかなわないのだから。
でも、見えない。
みているはずなのに、意識できない。
僕は何と戦っているのだ?
私は何と戦っているのだ?
意識が鮮明になるにつれ、目を刺す朝日のまぶしさにおもわず手をかかげる。
今まで幾度となく見てきた夢。他の夢はほとんど覚えていないのに、あれだけはいつも鮮明に思い出せる。
体がまだだるい。血圧はそんなに高いほうではないので、感覚が普通になるまでにしばらくかかる。ぼけた頭のまま時計をみると、針は明けの一刻を指していた。
(……もうちょっと)
鈍った頭はそれを見て覚醒を拒否。毛布をかけなおして再びまどろむ。
「起きろディエラス! そろそろでてこねえと約束の時間に遅れちまうぞ!」
ちょっと低めの若い男の声が響いたかと思うと部屋のドアが乱暴に叩かれ、呼び鈴が鳴らされる。まどろみから一気に現実へ引き戻された。
「ちょっと待ってくれよ。まだ朝ごはんも食べてないんだ……」
毛布をのけて、彼はベッドから這い出た。
白よりも灰色に近い銀髪が朝日を返す。中性的な美しい顔立ちに対し、細い体は男性的に引き締まっているのがシャツ越しに見て取れた。
「仮にも"皇帝の四宝剣"なんだぞ。そんなだらけてていいのかよ……」
部屋の隅のドアが機械的な音を発してスライドした。長身痩躯の、青髪を角刈りにした若い男が入ってくる。下側に銀の縁を持つ長方形のミニグラスが印象的だ。その身を包むのは、光沢のない黒い生地の、複数のポーチのついたズボンとジャケットからなる軍服だ。胸元には正六角形の縁取りを持つ翼の紋章。「ザフュセル帝国軍」を示すそれは、ディエラスがいま着ようとしているものにも縫いこまれている。めがねの男の紋章は縁取りが赤いのに対し、ディエラスのものは金色だ。
「しっかしまあ、ほんとにこの部屋はなんもねえなあ……」
男がつぶやくと、ディエラスは振り返って微笑した。
「しょうがないよ。別に欲しいものなんかないし。あったとしてもココで買えないだろうからねえ」
部屋にあるのはいまディエラスが前に立っているクローゼットと、ベッド、通信端末とちいさな机、その上にある木製の引き出しと、机の上に置かれた軍事兵器関連のマニュアル程度だ。
「購買でもエロ本ぐらいうってるぜ?」
にやにやと笑いながら男は言う。
「僕がそういうのあんまり好きじゃないのは知ってるくせに」
ディエラスは軽く受け流す。
「よし」
ジャケットを着終わると振り向く。直後に小さな箱が投げ渡された。
「朝飯。時間ないから昼までそれでつなぎな」
携帯食だ。中には高カロリーなビスケットとどろりとした甘めのゼリーのチューブが入っている。
「そんなに時間なかったっけ?」
パッケージを開けながらディエラスは問う。
「お前ボケすぎ。移動に2時間ちょいかかるのを忘れたか? 午後からは合同訓練とDAの調整があるからって早くあけてもらったんじゃないか」
呆れ顔で男が答えた。ディエラスは納得したようにビスケットをかじりながら首を縦にかくかくと振っる。
「わざわざ起こしに来てやったこのカズンズ様に感謝したまえ!」
胸をたたいて男は誇らしげに言う。
「ぼうほあひはほうぼばひはふ」
「……礼は食い終わってから言ってくれ」
いまだ口をもごもごと動かしながら、ディエラスはカズンズを部屋の外へと促した。
夢のことは、もう忘れている。
●
廊下は日がささず、天井に連なる照明で照らされている。金属のパネルをならべて塗装した壁は汚れ一つなく、かなり殺風景だ。
かつ、かつと二つの足音が廊下に響いている。
「そういえば、今日選定に行く『サポートドライバ』って一体なんなんだ?」
カズンズがかるい調子で問う。チューブを飲み終わったディエラスは空になったそれを腰についたポーチの中へしまった。
「ほら、僕ら四宝剣は単独行動での強襲制圧を目的として作られた部隊でしょ? だと、DAに乗っての戦闘の際に、オペレータからの指示なんかは期待できない場合が多いだろうから、状況判断やデータ採集を任せられる人やら機械やらを一緒に乗せようって話になったんだよ」
「なるほど。たしかに通信波妨害なんかしょっちゅうだろうし、場合によっちゃ、『偏向領域(へんこうりょういき)』突入なんてこともあるだろうしな」
カズンズは手を軽くあごに当てて、うなずく。
「前大戦の傷跡、か……」
言って、ディエラスの表情が少し翳った。
●
全ては5年前にさかのぼる。
アレスティア暦0985年、巨大国家のひとつ「ザフュセル帝国」の皇帝バルノア・ノイエ二世は、民族、宗教を越えた大統一国家の設立のため、軍部の圧倒的な支持を得て武力による侵略行為を開始。国際統合機構はザフュセルの暴走を阻止しようとするも、周辺諸国の協力と小国の降服により軍事力が急成長しており、対応が間に合わずにザフュセルはわずか3ヶ月でアラテア大陸を制圧。そして、それに対抗する流れが統合機構の影響で世界に飛び火し、「総界機大戦(そうかいきたいせん)」と呼ばれる世界戦争へと発展することとなる。
0970年にザフュセル国内で発掘された小片。電磁波と、重力子の流れを外部へ放ち、強い熱量をもつという特性を持つそれは組成を解析できない未知性から、霊子結晶(アストラルピース)と名付けられた。
0986年、ザフュセルは数多く発掘された霊子結晶を中核とした動力炉「血精炉(けっせいろ)」を開発し、兵器に組み込むことにより戦力増強を図る。結果として、ほぼ無制限にエネルギーが供給されることによる高出力、高機動を誇る航空機や砲撃車両の開発を促し、他国を圧倒。強襲、一点突破による拠点制圧により着々と勢力を拡大し、ついには星の半分ほどを制圧および強制的な協力関係に持ち込むことになる。
統合機構側は完全に軍備の強化に出遅れ、なすがままに押されるだけだった。それまで兵器として主流だった大型人型機動兵器DA(ディバイディッドアーマー)はザフュセルで新開発された兵器群に圧倒され、その存在はもはや時代遅れのものと認識されるようになる。
だが、統合機構内で地位の小さかった小国アルバラントが、その状況を一変させることとなった。
0987年U―sikk(ユーシック)某日。その日、勢力図の末端にあったアルバラントに侵入する予定で進行中だった帝国側の一師団が、わずか一晩で壊滅することとなった。
使用されたのはたった一つの投下爆弾。それにつまっていたのは「KEY(キー)」と呼ばれる空間干渉型エネルギーだった。
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「空間の組成を書き換えて破壊方面の現象をつくりだすようになってたんだっけ。一発目は一瞬だけ範囲内を数千度に引き上げて半径約十キロを焦土に変え、二発目は超重力領域を生成しすべてを圧壊。それ以降何発やられたんだっけかな……」
カズンズが指を折りながら数える。
かすかな機械の駆動音をたてながら、エレベーターは下へと下っていく。妙な浮遊感。
ディエラスはため息を一つついて、口を開いた。
「アルバラントだけなら七発。技術を手に入れた他国の分もあわせると、大小あわせて三十発近く使われてるはず」
おお、とカズンズは軽く手を叩く。
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俗に「空振弾(くうしんだん)」と呼ばれたそれは、ザフュセル軍に対し壊滅的な打撃を与えることには成功した。だが、半年たってその使用が統合機構により禁止されることとなる。
その理由は二つ。一つは、空震弾による空間干渉が後を引いて、使用された領域を異常世界に変えてしまったこと。一部には物理法則も狂ってしまっている場所もあり、それら全てをまとめて「偏向領域」と呼ぶようになった。
もう一つは単に人道的なものから来ている。大量破壊兵器ということもあったが、なにしろ、KEYとは「人が内包する」エネルギーだったのだから。
抽出のために何人もの人間が犠牲になっていることを知ると、世界は一斉にアルバラントと使用した数国を弾劾した。
空震弾を封じられ、統合機構から見放されて孤立したアルバラントは、それでも衰えなかったザフュセルからの進行に耐えるために、独自に開発していた「黒魔女」というコードネームをつけられた決戦兵器を投入。だが、その実態が明らかになる前に、アルバラントはその後の歴史から姿を消すことになる。
0987年M-sikk(エムシック)、アルバラントは文字通り消滅した。半年間で手に入れたデータを元にザフュセルが空震弾を完成させ、それを投入したのである。だが、その威力は今までアルバラントと他数国が使ったものの比ではなかった。
被害は一国の消滅にとどまらず、アルバラントを中心とした周囲二十ほどの国が、壊滅的な打撃を被ることとなった。
原因は、爆心地における空間そのものの消滅であるとされた。これにより、現れた「虚無」を修正しようという空間の動きが衝撃波を発生させ、周囲一体を吹き飛ばしたとされている。
しかし、単に空間に干渉し組成を組み替えるだけのKEYが、空間の消滅までも行えるものなのか、という疑問も上がった。3年たった今でも真偽のほどは定かではない。
だが、これによりザフュセルに協力していた数国が非難の色を示し、内部情勢の悪化を抑えるためにザフュセルは進行を停止することとなったのは事実である。
「降死弾(こうしだん)」。被害を予測できずに放たれ、史上最大の天変地異を引き起こしたそれはこう呼ばれた。場合によっては世界が崩壊していたかもしれない、という最悪の事態も後々になって推測された。
そして、ザフュセルが体制をたてなおし、統合機構側もまた、被害をおさめ修正を始めてはや三年。今現在、膠着状態が続いている。
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「それじゃあ、行ってくる。見送りありがと」
寮の地下にあるステーションにはほとんど人影はなかった。
施設同士は、地下に建設された列車道でほぼすべてつながっている。重力制御機構をもちいたホバーで移動する車両がすべるようにホームに入ってきた。白塗りの車両のトップは空気抵抗をへらすための流線型だ。運転席はない。運転は完全に機械に任されている。
「まあここまで見送ってやる必要もなかったんだがな。どうせ午後には帰ってくるだろうし」
カズンズは苦笑する。
「なに言ってんのさ。早起きしすぎてどうせ暇だったんでしょ?」
茶化すようにディエラスは言った。
横を列車が抜けた。風が来る。
「まあな。それに、お前からいろいろ実状をきいてみたかった、ってのもある」
意外な一言を聞いて、ディエラスは軽く眉ひそめる。ディエラスのショートカットの髪が、風に引っ張られて軽く揺れた。
「なんの?」
「四宝剣のさ。まあ結局なんも聞けなかったがな。歴史講釈に花が咲いちまった」
カズンズは目を伏せ、軽く鼻で笑った。
列車が止まる。
「それにしても、なんで『サポートドライバ』を選ぶのが兵器開発研究所なんだ?」
「人よりは頑丈な機技巧人(テクノパーソン)を選ばせるらしいよ。開発中の機技巧人のテストも兼ねるんだってさ」
「ふーん……」
感慨なさげにカズンズはかるく首を縦に動かした。
列車側面の扉が音もなくスライドする。
「それじゃ。君の知りたい実態ってやつはこんど暇なときにでも教えてあげるよ」
ディエラスはわずかに微笑みながら挨拶代わりにかるく右手を上げた。
「おう、いいパートナー見つけてこいよ」
カズンズも右手をあげて返す。
車内に乗り込んでも、人影はまったくなかった。ディエラスは適当な席に腰掛ける。
わずかな機械音。発車を告げる電子音が鳴り響いた後、入ってきた扉が再度スライドし、閉じる。
そして、列車は音もなくゆっくりと加速を始めた。
第二節
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