序章
風が吹く。
枝の擦れ合いがかすかなざわめきを起こした。
ただ月光だけが世界を照らしている。
暗い巨木の林を抜けた先。そこは連なる山脈を見渡せるような位置にある断崖。
その先端に、二つの影がある。
一つは人、もう一つは、四本の足と比較的大きな体格から、おそらく犬であろう。
月明かりが、鮮明に影を照らす。
長い、そしてきらきらと輝く銀色の髪。
足元には、艶やかに光をかえす赤い靴。
黒いロングコートをまとった影は、薄紫色の瞳をたたえた少女の顔つきをしていた。
年のころは十二,三といったところだろうか。
「……戦いの音だ」
少女はつぶやく。
その透るような声には、かすかな憂いが感じられた。
大きな黒犬は、少女に擦り寄る。
それに気づいた少女は、少し腰をかがめてその頭をなでた。
「……行こう、トト」
少女がつぶやくと、黒犬は身を引き、林のほうへ身を向けた。
少女もかがめた腰をもどしつつ林のほうを向く。
そして、ゆっくりとその右手を天高く上げた。
轟音。
それは林の向こう側からやってきた。
音がどんどん大きくなっていく。
それは何者かの到来を告げている。
やがて、耳が痛くなるほどの轟音を携え、上空から巨大な漆黒の影が降り立った。
巨木の群れを揺らすほどの突風。
しかし、少女と犬は動じない。
ゆっくりと少女は振り上げた右手を下ろした。
影は林の巨木をゆうに超える巨大さをもっていた。
折りたたまれた傘のようなシルエットの隙間に、月光に照らされて人型の体が見えている。
所々きらきらと反射される光から、それが光沢を持つ金属でできているらしいことがわかる。
見上げれば、てっぺんにはややとがった感じのシルエットをした頭。
そして、頭の中心付近の位置でルビーのように赤く輝く2つならんだのそれは目であろうか。
その周囲の空間が若干揺らめいて見えている。
重力緩和システムの影響である。
大質量体を運用するために、重力子の動きを操作し、重力を緩和することで少ないエネルギーで高速の物体移動を可能にしているのだ。
やがて揺らぎがおさまり、風が止む。
はためいていたコートを翻し、少女はその影へと近づいていく。
「壊さなきゃ……全部……」
空には白く輝く大月。
その横に、その半分ほどの大きさの赤月。
今宵、赤月は満月。
それは、この世界において異質なる変動の到来を告げるとされる。
はたして、二つの月はこの雲のない夜に何を見るのだろうか……
ノア 〜小さな記憶〜
第一話 胎動 へつづく……
異空間ゲート
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