HOKKAIDO94
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最北端をめざして(急行「利尻」編)

 長かったキハ40系の真夜中の疾走も、終わりに近づいていた。
 高速道路を照らすライトの灯がが雨に濡れて流れていた。
 滝川市内もついさっきまで雨模様だったようで、路面が濡れているのが分かった。
 「稚内に着けば晴れるかな。」
 しばらく天気の情報が入ってこなかった私にとってそれは気になる材料だった。
 そして、早く眠りの底につきたかった。
 23:09、滝川駅に到着。車内の案内放送通りに、乗り換える。
 次の列車は最北の駅、稚内へ向かう、急行「利尻」だ。
 ホームには、数えるほどだが、乗客の姿があった。滝川からオフシーズンのしかも日曜にこの列車に乗り込もうなんていう珍客は私ぐらいのものと思っていたのだが。
 闇の向こうから来る眩しい光。急行「利尻」は夜の静けさを裂くように滝川駅に入線してきた。
 私は後方の自由席に移動した。一番後ろの車両、つまり5号車は前の4号車と比べ、はるかに乗車率に差があった。
 本当はここで気付くべきだったのかもしれない。
 前の自由席のプレートの下にちゃんと「札幌→旭川」と書いてあったのには気付いていたのだが、それを無視した私が馬鹿だった。
 もう頭では、5両全てが稚内に行くと信じて疑わなかったのだ。
 しかし、現実は厳しかった。
 すでに眠る状態には行っていた私は、旭川の駅で見事に起こされ、前の車両に移るはめに…、しかもそこはほとんど席が埋まっていた。
 それでも何とか弁当を食い散らかした跡のある席を確保し、何とか睡眠できる体勢をつくった。
 あとはひたすらウォークマンの音に耳を傾け、熟睡体勢に入ってゆく……。

 でもね、こんな状態で熟睡できたら苦労しないわけで…、ま、とりあえず数時間「寝たなあ」位の間隔で目が覚めてしまったのだった。
 しばらくすると、車内放送が再開した。
 「進行方向向かって、左側にうっすらと雪をかぶった利尻富士が見えます。」
 私がデッキの洗面所で顔を洗っているときだった。窓の外に利尻富士の姿がくっきりと見えていた。これでこの急行「利尻」に乗った甲斐があるというものだと、ぼけた頭の中で思っていた。
 朝焼けがきれいに見えだし、やがて町の中へ…。
 急行「利尻」はもうすぐ最北端の駅、稚内に到着する。

北帰行殺人事件の舞台は今…

 私が、日本最北端の駅、稚内に到着したのは6:00ジャスト。急行「利尻」の車内は、乗車時に比べてかなり空席があったが、それでも、
 「こんなに稚内まで行く人がいるのか」
 と思えるほどの乗客が、稚内の駅で降りていった。そして、いつの間にか寒い寒い街の中へと消えてゆく。
 私は重い荷物をコインロッカーに預けて、近くにあるというバスターミナルを探した。稚内バスターミナルは、探す苦労もなく見つかって、とりあえず、早朝の市内の様子を見に出かけることにした。というより、目的はあの西村京太郎の小説「北帰行殺人事件」の舞台になった「利礼ドーム(北防波堤)」にあった。

 錆びた線路が、桟橋に向かって延びている。
 かつては、その上を列車が走り、新天地をめざした男女が、樺太行きの連絡船に乗り込んだのである。
 桟橋には、線路を呑み込む格好で、全長424メートル、高さ13.6メートル、柱の数が70本もある半円形のドームが作られている。いわば、ドーム型の桟橋である。
 ギリシャの神殿を思わせるドームである。
昭和11年に作られたこのドームは、樺太行きの船を待つ人々を、荒れ狂う北の海の風や波から守り続けてきた。
トンネルのような、長いこのドームの中には、桟橋駅があって、樺太の大泊駅までの稚泊連絡船の玄関だった。
 樺太まで伸びていた国鉄も、今は、ここで終わりである。連絡船のために作られた桟橋も、今は、利尻、礼文行きのフェリーの発着場になっている。……
 ……ドームの中には、ここが樺太への玄関だったころ、函館からの直通列車を牽いて走っていたC55型蒸気機関車が飾ってある。……
「北帰行殺人事件」より

 この小説が発表されたのは1981年のことだ。すでに10年以上の時が過ぎている。
 錆びた線路など、どこにも見あたらない。全て、冷たいアスファルトに埋もれてしまったのだろう。
 そして、北防波堤周辺は、ほとんど皿地になっていた。ただ、もうすぐ開業する「稚内全日空ホテル」の現代的な白亜の建物がでんと居座っていて、その奥に、ぽつんととりのこされるように、利礼ドームがあった。
 早朝とあって、ひっきりなしにトラックが走っていく。それを避けるようにして利礼ドームまで足を運んだ。
 本州とは比べものにならないほど風が冷たく、寒かった。
 北防波堤は、すでに利尻、礼文への渡し口としての役目も終え、本当に観光名所としてしか存在していなかった。奥の方にはC55蒸気機関車らしきものがあったが、青いビニールがかぶせてあり、その勇姿を見ることができなかった。
 ただ、夏に来れば、ここはデートコースに最適の場所であるということは間違いないだろう。


最北端に向かって(宗谷岬編)

 シーズンでもない、ただ閑散とした朝の街を一人旅する私っていったい何者?と、思いたくなったのは、ノシャップ岬へ時間があると思ってバスで行って、どこのお店ももやっていないのを確かめて(すごく空しかった)、折り返し帰ろうとしたバスの中だった。
 たまたま、乗ったバスは、時間も時間ということもあって、通勤通学の客で埋まっていた。それを見て、今頃は大学は学祭で盛り上がってるだろうと思うと、なぜかここにいるのが空しくなってしまった。
 宗谷岬へ行くバスを待っている間、バスターミナルの待合い室でずっと「ズームイン朝!」北海道版を見ていた。やはり、ローカルのTVは味がある。
 宗谷岬までゆくバスは、湯ノ丸へ行くバスと同じ位オンボロだった(そう言って何人の人が理解するだろう)。とにかく、行くまでがすごく遠くに思えたのは、どうやらバスのせいだけではないようだ。そう思ったのは、長い道のりを終え、宗谷岬にたどり着いたときだった。バスの運ちゃんが、
 「30分ぐらいしたら(帰りのバスが)戻ってくるから、ゆっくりしてられないよ。」
 と、降りるときに教えてくれた。
 風がものすごく強い。さすがは最北端の地、宗谷岬。ついに来てしまった。長い道のりだった。でも、ここにいられるのも30分程度。そんなもんでいいのかもしれない。あまりの寒さと強い風で、外には長くいられない。それでも、その中を歩き回り、写真にその風景を収めていた。
 後日、その話を大学のゼミの時間に話したところ、私の他に宗谷岬を到達していた人物がゼミの中に2人もいて、そのうちの一人は、3月頃、だいたい私と同じ位の時間にたどり着き、帰りのバスを逃し、数時間宗谷岬で過ごしたという話を聞いた。因みに彼は大の稚内フリークでもある。そしてもう一人は、夏にバイクで、夜中の宗谷岬に到達し、ライトアップされたあの有名な「日本最北端の地」の塔の前で写真を撮っていったようだ。何となく私が一番ノーマルな踏破のような気がしてならなかった…。


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