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供養の体験記 凡僧K・K 今の現代人にとって、先祖供養はあまりにも形式化されすぎているとおもいませんか。やたらめったら「ああ今年はあの人の七回忌やった」「今日はあの人の命日やった」と、こういう事ばかり気にして、本当の先祖供養を忘れていませんか。 世間にはこういう方がいらっしゃいます。 「私は宗教を信じません」 「私は霊の存在を信じません」 でもこういう方に限り、自分が困った時や物事をお願いする時には仏壇の前に座り一生懸命、手を合わせ「どうぞ、お願いします」と、自分の勝手な時だけ自分の都合の良いお願いをする。これはおかしいと思いませんか。 先祖はあなたの欲望から出た物質物体のお願いを聞いて下さると思っているのですか? 世間の人々はすべてこのような人だとは言いませんが実際にはこのような人の多いのが現実です。私は先祖供養の本質を問いたいのです。 あなたにとって先祖とは何ですか? あなたにとって先祖供養とはいったい何ですか? あなたが今、生あるのもみな先祖があるお陰ではないのですか! 先祖あっての我々ではないのですか! 先祖のいない家は世界中どこをさがしてもいないはずです。それで、あなたはどれだけ心から先祖供養をなさっていますか? でもこういう方もいらっしゃるのです。 「私はある高僧を招いてこの間、先祖供養しました」 「私は○回忌の時、親戚一同を招いて先祖供養しました。さぞかし先祖も集まった皆の顔を見て喜んでいるでしょう」 このような建前の先祖供養があまりにも多いのです。どんなに名のある高僧を招いてお金を使ったところで、どんなにおいしそうな供養物を供えたところで、あなたの心が醜いならば先祖は一切喜ばないのです。 先祖供養の本質は”あなた自身の心”にあるのです。高僧を招いて供養するのも心、供養物を供えるのも心。でもあなたはどこか間違っていませんか 黄光龍説法 心の未来(T) 第一章 体験記より ▲先頭に戻る |
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