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水子供養の体験
水子の霊の存在 主婦Y・K
ある日の事です。見知らぬ女性が師の前を通りすぎた時、1つの青い物がポンと出てきました。青いものとは水子です。
師は
「ぼく、名前は?」
「知らない、青いの…」
「お家は?」
「知らない…」
「何を食べているの?」
「知らない…」
「お母さんは?」
「知らない…」
その子は、まだまっ白な紙のまま、寒くて厳しい自然の中へ出てしまったのです。 そこで、師は新しいお母さんをその子に紹介してくださいました。その子の最初の言葉は「わぁーきれい…」その子にとって、お母さんとは、とってもきれいで、あったかいものだとそこで始めてわかったのです。「きれい」とは心がきれいであれば、とってもきれいな光に身体が包まれます。クリームソーダを飲みました。その子はクリームソーダも知らず、初めての飲み物でした。とっても甘くておいしいものと初めて分かったのです。うどんも食べました。
普通、肉眼では見ることができません。また、声を聞くことはできません。よほどの訓練をし、心を浄化しなければ見えないし、声も聞こえないのです。だからと言って、目に見えないから、もうその水子のことは忘れていってしまっていいのでしょうか。水子だって、お母さんと一緒にいたいのです。どこへ行って、どうして良いか分からずにいるのです。決して、神社仏閣でいくら供養してもらっても、往生できないのです。そんな水子が日本中、世界中にどれだけいるでしょう。もう、数えきれないほどです。姿は見えなくても、神社仏閣に親から捨てられた子供が1人で道をとぼとぼと歩いているのです。落ちているものを食べたりしているのです。普通、人間として生きている子供達は、おもちゃや絵本が母親から買って与えられます。しかし、この水子達は、指をくわえてみているだけにしかすぎないのです。目に見えないだけで、廻り中そういう子でいっぱいなのです。人は実際に、目の前に人間として写り、又、科学的、数字で表わされないと、なかなか信じることができません。霊的現象は特に、怖いという意識から、心の中で霊を拒否しようと考えてしまいがちなのは、どこか心の奥で霊を信じているからでしょう。母親が心の浄化をすることにより光り、もう1人の自分(霊性)が霊界へ水子を連れて、三途の川を渡すことができます。子供に母親が、お菓子やミルクを供えてあげれば、どんなにうれしい事かわかりません。水子の供養は自分の心で供養していくことです。

母として、あやまちを語る
尼僧M・T
家族の者、特に父母に抱かれることもなく、水子となってしまった子供達が、暗闇の中で、寒さと飢えといろんな害敵にさらされ、食べ物といえば、ゴミ箱の残飯、熟し柿の落ちたのを食べながら、それでも他の家のものは盗らないでがりがりにやせながらも頑張っている事。そして、日夜、放ったらかしにされている事を聞かされた時、全身全霊が電気ショックをうけたように凍りついてしまいました。
私も3人目の子をみごもった時に、深い考え(殺生)もなしに、楽観的に堕してしまいました(人殺しです)。その後の罪の意識と筆舌に尽せぬむなしさ!肉体的にはもちろんのこと、精神的な苦しみに1年間立ち直れませんでした。
そして、その時に思ったのです。後悔先にたたずですが、堕すぐらいなら何故もっと「万全」の努力をしなかったのかと自分ばかりを責め悩み「2度としないでおこう。どんな事情があろうと、たとえ片輪で生まれてこようと、それは自分の運命だから耐えていこう」と決心したのです。そして自分に強く言い聞かせました。堕した後の、あの索莫とした、全身に心に嵐が吹き抜けていくあの苦しさ(水子はまだまだ苦しんでいますが)からみたら、生みの苦しみや、お腹の中の十ヶ月間の苦しみなど問題になりません。まして、母親でしか味うことの出来ない感激をいただけるのです。それだけで充分です。
親が勝手に水子にしてしまい、その上、供養も何もせず、命日すら忘れようとしている自分に気付かせてもらった時、身のすくむ思いと同時に、本当に懺悔し気付かせてもらった時点で、生きている子供達と同様に、常に心の中で忘れないように呼びかけては自分に言い聞かせ、子供の犠牲の上に今の自分がある事を強く強く思い起し、その分も自分をより一層、磨いていかなければと思っています。取り返しのつかない事はどうすることもできませんが、これからの次代をになう人達、又、自分の息子や娘達に、自分の体験を話し、水子だけは絶対にしないように、あやまちを繰り返さない様に伝えていきたいと思っています。

捨ててきた水子をもう一度、母として育てる感激 主婦H・M
三年前、市内の仏閣で水子供養をしてもらった事がありました。その時の気持を素直に告白すると、現在、生きている子供二人があまりにもよく怪我をするので、「ひょっとしたら、水子供養がおろそかだからだろうか…」という、自分の生きている子供かわいさからで、本当に水子供養を心から願ったのではなかったのです。
もちろん、水子供養したいという気持が全然なかったわけではありませんが、形式的にしておけば、それで済むのではないかという下心があった事も確かです。
私に水子がいると分かった時、師はその行為を戒めるよりも先に
「大事にかわいがって育ててやれよ」と悟されました。
その時、目が覚める思いがしました。
先に仏閣で供養した時に「これで済んだ」と思う気持の内には、もうこれで縁を切りたいという気持があったのは確かで、それは間違いなく、師がおっしゃるように、仏閣に水子を捨ててきたのだと知り、反省しました。 この世に生を受けて来たのに、自分のわがままで摘み取ってしまった水子に対して、姿をみなかった事、一緒に暮らしたことがないだけに忘れがちとなり、最後には忘れ去っていた水子を、これからは大事に、いつもそばにいることを忘れず生きている子供と同様にかわいがって育てたいと思います。
私の水子なのだから、誰に供養を頼むのではなく、自分自身で日々の行いの中で供養していきたいと思います。
師に水子供養の仕方についてお話を伺った時、一番うれしかった事は、今、現在生きている私が、おろかにも死なせてしまった子供なのに”育てていける”ということです。生きている者は、死んでしまった水子に対して無力なものと諦めていたのに「育てられるのだ」と知った時、本当に感激しました。

我が水子の供養
 衆徒K・M
私には、過去に色んな間違いや失敗があります。その中には、女性とのトラブルも随分とありました。自分自身が気付いている事や、その時には気付かなかった事など今、思い起してみると恐ろしくなる時があります。特に、自分の責任で知らない間に出来てしまった水子がもしいたならと思うと、その時、苦しませた女性や水子に対して「申し訳ない」といつも思っていました。
師に出会い、正しい水子供養の仕方を教わり、その教えの中に、水子も成長するという事、人間としての自分が分からなくても、霊性には分かっているのだから、人間として正しく供養していけば良いという事、そして―あまりにもむごい話ですが―女性が堕胎する際、お腹の子供の霊性が、一早く気付いて母親との経を伸ばして母親の胎外に出してしまわないと、堕胎の時の人間の身体と同じように霊性の身体も傷ついてしまうのです。
つまり、子供の霊性の身体の一部、手や足がないとか、目や耳がないという事になるのです。霊性という目に見えない存在だから強く心に響かないのですが、人間として生きている子供がもしそうだったらと思うと…。
私には、現在、妻と二人の子供がいます。その妻との間に水子がいるのです。水子をつくる事自体が悪い事なのに、間違った供養をして、それ以上の不幸な思いをさせる…

水子供養の私の体験 I・Y
私達は、8年前に自分達の身勝手「1年前に双子が生まれ、母親の健康上、経済的な面など」という理由をつけて、自分の子供を作った責任を誤魔化して、子供を堕してしまいました。そして、後味が悪いものですから「水子供養いたします」という仏閣へ行って、水子供養をお願いしたのです。
しかし今になって思えば、野晒し同然の、水子地蔵の前に捨て子をしたのです「目に写らないから、声が聞こえないから」と言った、そんなものではないのです。可愛そうなことをしてしまいました。これからは…

水子供養の体験記 凡僧K・K
あなた自身、中絶された子供(水子霊)の事を考えたことがありますか。母親の胎内で受精を受けてから10ヶ月間、出生してからは家族の愛情を受け立派な大人になったはずの子供、その子供の命を奪ったのです。これは明らかに殺人です。
水子霊は母親、父親、家族の身体にしがみつき、寒さに身体をふるわせ、飢えに耐え、「お母さん、お腹すいた。私ここにいるんだよ」と言っているのです。しかし当の本人は一切気付かず知らぬ顔で、きれいな洋服に身を包み、町中を平然と歩いているのです。いくらきれいに表面を飾っていても人間として中身は最低なのです。動物でも自分の子供の面倒は最後までみると聞きました。人間として恥じるべきです。
中絶の理由はいろいろあると思いますが、もし自分のした行為に恥じているなら、自分の手で自分の光った心で供養してあげてください。あなた自身の手であなたの光った心で供養してあげたなら、もう水子霊でなく仏様になられるのです。
この世に水子霊をなくさなければならないのです。
水子霊は1人では生活できないのです。1日でも早く、1分、1秒でも早く、あなた自身の手であなたの光った心によって仏様にしてあげてください。
もしあなたが中絶経験者ならば、あなたは人間の掟により本当ならば死刑囚なのです。その罪は、あなた自身の手で、あなた自身の光った心によって成仏させてあげることにより滅するのです。
心の行に目覚め、心の浄化をして、1日も早く、1分、1秒でも早く自分の手で、光った心で供養してあげてください。そして、二度と殺人を繰り返さないように。

私の見た、本当の水子供養! 衆徒H・M
水子供養、先祖供養をあなたは本当にしているのでしょうか。この供養をあなたは放って置いたり、他人(ここでは仏閣寺院の事)にまかせては居ないだろうか。まず下記に示す「心の三原則」を心してから読んで下さると分かると思います。
一、善悪を見きわめる知恵
一、己の身体をいたわる事
一、己に打ち勝つ強い精神力
あなたはその憎い手で自分の都合で、宿った小さな生命(流産、死産を含む)を無惨にも殺して、平気で他人に供養してもらっていますが、本当の成仏はされていないのです。今、現在その成仏されていない水子は、この寒空に着る物もなく、食事はごみ箱の残飯、落ちている食物、木の実等でひもじい思いをしているのです。又、悪くなった水子は人の家の牛乳、食物、そして八百屋の食品まで盗んで食べているのです。この責任はあなたにあるのです。
人間として生きているあなたとあなたの子供の衣食住は満ち足りています。しかし、この水子もあなたの子供なのです。そして、大きくなるにつれて醜い子供になるのです。
あなたが心の三原則を守ったならば、絶対に水子はできなかったはずです。やがて、この水子が悪となり、不浄仏霊となった水子があなたの前に現われて、心の中に巣を作り、身体の細胞まで喰い荒らして病気にしたり、夜中に霊が出たり家庭まで不幸になるのです。

黄光龍説法 心の未来(T) 第一章 体験記より  ▲先頭に戻る


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