これまでのシーズン券
H20.12.23作成、H23.3.25追加

これまでのシーズン券を並べてみました。 

左の列から札幌藻岩山、ピップ、サンタプレゼントパーク(昔はサンバレー)、カムイスキーリンクス



1985−1986シーズン 22歳

 大学3年の時、初めて買った札幌藻岩山スキー場のシーズン券。
 この前の年、ちょっとしたキッカケでスキーを始めた。
シーズン券を買いたかったけど、そんなに行かないだろうと思い、買わなかった。
 でも、行くのをちょっと控えながらも、買った方がいいくらいだった。
 ・・・しかもなんと、購入時期によって金額が3段階か4段階になっていて、買った方がずっと得だった。・・・このことを知ったのはこのシーズン券を買いに行った時でした。

 シーズン終盤には、転んで手首の骨にヒビが入った。

 




1986−1987シーズン 23歳

 大学の後半2年間は姉と一緒にペットOKの部屋を借りてました。

 姉が飼っていたパグと(猫が生まれたてなら犬とも大丈夫と僕が飼っていた)猫です。
いや〜、懐かしいです。

 確かこのシーズン、初めてうさぎ平のコブを上から下まで通せた。その時は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 右手薬指と中指がバネ指になり、朝は辛かった。症状の強かった薬指には整形で注射を打ってもらった。
・・・今でも弱いバネ指にはなるけど、別に気になりません。






1987−1988シーズン 24歳

 就職して旭川に。

 旭川はスキー場に恵まれ、街に近いスキー場のオープンは札幌より早くて、すごく得した気がした。

 当時はスキー人口も多く、コブ斜面はたくさんあったけど、(藻岩山のうさぎ平やダイナミックコースのような)急斜面のコブ斜面がなかった。
 
 久しぶりに急で大きなコブに会ったのは、富良野のフリコ沢でした。

 あと確か、(今はなき)嵐山で2級を取ったはず。






1988−1989シーズン 25歳

 前の年から東鷹栖(旭川の北の方)に住んでいたカミさんと付き合い始め、偶然カミさんもスキーは好きだったので、一緒に行くためにピップにしました。

 サンバレー(当時の名称)に比べ広いし斜面変化もあって楽しかった。

 このシーズンの最後、黒岳で1級を(3度目でなんとか)取得。







1989−1990シーズン 26歳 

 このシーズンは、カミさんの1級受験に付いて回った。
 結局、カミさんも黒岳で1級取得。

・・・当時、チューンアップ(アイロンでワックスかけたり、エッジを研いだり、ビベリングしたり)にちょっと凝っていて、黒岳受験前日、(気温が高い予報だったので)急遽カミさんのスキーにベースワックス入れて、ワックスかけて準備した。

 当日、「みんな滑らない≠チて言ってるわ。」と言うカミさんに「滑るかい?」って聞いたら、(他人事のように普通に)「うん。」と返事。・・・そうだろ、そうだろ。

 今でもこの合格は、前日のワックスがけのお陰だと思っています(カミさんは自分の実力だと思ってるだろうけど。)。






1990−1991シーズン 27歳

 1990年9月に結婚して、旭川市東鷹栖に住み始めました。

 ピップに随分通っていた頃です。












1991−1992シーズン 28歳

 カミさんと一緒に準指導員を受けました。

 養成講習会の実技は水曜日にサンバレーでナイター、日曜日にピップで午前中だった。
 カミさんは美瑛で働いていたので(水曜日は仕事が終わって速攻で旭川の街中の僕の駐車場に来て、一緒に行くんだけど)、吹雪の時など大変だったと思う。

 二人とも合格して良かった。
 3月には上砂川で検定員の資格も(二人とも)取ったし。

 コブを滑ると、滑りが崩れるだかなんだか言う人もいたけど、やっぱりコブは滑っていた。検定の合間にも滑っていて、一緒に受験していた人達もあきれていた。

 これ(準指検定)が終わったら、モーグルをやりたいと思い始めてました。







1992−1993シーズン 29歳

 バンケイの公認大会に出ました。78人出てて67位でした。

 前日の公トレのとき、ジャンプ台は飛べたもんじゃなかった。出るのを止めようかと思った(でも、友達に自信満々で出るって言っちゃってるし・・・)。

(旭川に帰って来て)ベッドの中で怖くて震えていた。

 それでもやっぱり出場して、1エアーで手を着いて、2エアーで派手に転がって(運良くスキーは外れなかった)、なんとかゴール。
 単にヘタな人が転びながら滑ってきただけなんだけど、僕にとっては、こんなんでも自信になり、(大袈裟だけど)生き方・考え方が変わりました。

・・・(ただ、冷静に)公認大会には、もっと練習してからでないと出れないと思いました。



 この後、10年間シーズン券を買ってません。
(10年のうち前半の5年間は特に)冬期間忙しい仕事になり、雪が降っているのを窓越しに恨めしく眺めていました。
 といっても基本的に日曜日は休みになったし、土曜もナイターに行けることが多かったから、そんなんでもなかったけど。
 草大会はあちこち(夕張とか、4月のスーパーバンプスとか)出てました。

 一番辛かった思い出は、37日間連続仕事(土日は6時過ぎには上がれたけど、他は10時過ぎまで残業)というのがあったこと。・・・楽しみの土曜日・日曜日のナイターもなんだかヘロヘロだったような。


 2001−2002シーズンは、神風喜田さんが旭川で大会を開催、サンタには常設モーグルコースが作られた(みんなで作った)。旭川でいくつも大会が開かれるなんて、それまで考えたこともなかった。
 





2002−2003シーズン 39歳

 一気に歳をとっているはずだけど、写真は何年も前のを使ってる。

 確かこの前の年から、再び(あのバンケイ以来の)公認大会に出始めた。・・・このままだったら、出ないで終わってしまいそうだと。
 ・・・全然歯が立たないことは、わかってはいたけど。



 ただどんな小さな大会でもいいから、1回優勝したい≠ニいう夢は叶った。・・・正月のピップでした。







2003−2004シーズン 40歳
※直前に撮った正直な写真。


 前のシーズンから引き続き、喜田さんの大会でいい成績が残せて嬉しかった。

 トリプルダフィーも飛んで、今思えば元気≠セったんだと思う。












2004−2005シーズン 41歳

 モーグルを始めた頃、35歳まではやろう(やれる)と思っていた。

 35歳になったとき、あと2年、37歳まではやろうと思った。

 37歳になったとき、もうちょっとやろうと思った。

 40歳になったときは、もうやれるだけやろうと思った。

(ただ41歳のこのシーズンあたりから)喜田さんの大会での成績がズルズルと落ち始めた。
 
 サンタでの元気な頃の滑りとジャンプ(2005.3.21旭川市長杯予選)






2005−2006シーズン 42歳


 ウォーターでバックフリップが出来たので、雪上でも1回やってみようと思っていた。
 大雪が降った後、ピップの裏にジャンプ台を作って恐る恐る≠ナも思い切ってバックフリップをかけてみた。

 ・・・ウォーターと同じだ〜 と感じた直後、(着地地点は新雪のままだったので)スキーの先が刺さって雪に突っ込んでいった。

 3回くらいしか飛べず、ちゃんと立てなかった。







 
2006−2007シーズン 43歳

 リンクスの券が安く買えるというので、リンクスのシーズン券も買いました。
でもやっぱり家から遠く、シーズン初めこそ続けて行ったけど・・・、そのうちほとんど行かなくなっちゃいました。

 サンタのは仕事が早く上がれたときのナイター用+大会用で、休みはピップが多かった。
(サンタとリンクスのシーズン券を持っていて)ピップの裏で、バックフリップの練習を(続けて)やり始めた。
・・・なんともチクハグだった。



 
2007−2008シーズン 44歳

 (当然)今年もサンタで大会をやると思ってシーズン券を買ったけど、大会はやらない(ピップで開催)、モーグルコースは作らない、でしょうがなくピップのシーズン券も後追いで買いました。
・・・でも、ピップのナイターが(なんと)2月で終わってからは、この無駄になったと思っていたこのサンタのシーズン券でナイターに行きました。




 
2008−2009シーズン 45歳

 丁度いい写真が見つからなくて、去年と同じのを使っちゃいました。
そして、調子に乗って、ほろたちのシーズン券も買っちゃいました。・・・でも、ほろたちより雪質がいいなと日向にも結構行きました。

 ピースばっかりで、しつこいです。


 ケガなく、いいシーズンになりますように!


 ところが、手稲のゲットホットで転倒し骨折。・・・治って思った。滑れるって本当に嬉しいことだ。
滑れるうちは滑ろうと・・・。




 

2009−2010シーズン 46歳

 またまた同じ写真です。

 今年は日向だと楽しみにして買ったけど、急斜面のコースは雪割れして滑走禁止になってしまった。
でも、ダイナミックコース結構滑ったよ。




2010−2011シーズン 47歳

 またまたまた同じ写真です。・・・下の娘からは、だんだん老けていくのが分からないと、変な文句が。

 ちょっとやりすぎですが、ピップのナイターが2月で終わってしまうので、サンタのナイターシーズン券(早割りで22,000円)まで買ってしまいました。


 “神風”喜田さんに、旭川のスキー馬鹿と言われて嬉しかったです。

 だんだん衰えていくのがハッキリわかりますが、まだまだ滑って飛びたいです。








自己紹介に戻る