お 札

私の装束

遍路日記

まずは日記を書いた事無く日記と言いがたい代物ですが、
宜しければお読みいただけましたら嬉しく思います。

2000年10月22日

午前8時10分、私は京都駅烏丸口の高速バスの車中にいた行く先は徳島駅。
名神、山陽道、明石海峡大橋、淡路島、大鳴門橋を通って徳島駅まで、正確に言うと鳴門市の四国八十八ヵ所の第一番札所霊山寺(りょうぜんじ 徳島県鳴門市)に向かう事。

私がなぜ四国八十八ヵ所へ行こうと考えたのか、私自身今年50才である。
母は58才で亡くなった。
大の親友のT・K君の死亡、父や叔父の死亡、そして同僚のk・Tさんの死亡、さらに家内の両親の死亡。いずれ私が生きていくかぎり、この人々の年齢に達し、追い越していくであろう。

否、この世の中何があるか解からない。
この人々の年齢に達せずの私も仲間入りするかも知れない。
その日は本人は勿論分からない。更には誰もわからない。
ただ断言出来る事は、命あるものはいつか死があると言う事は、誰でも解かっているが日々の生活の中でいちいち考えてないだけだと思う。

少々時間があったので昼食を摂る。
その後仕事先へのお土産に「すだち」60個を宅急便で送る。

徳島駅からJR高徳線の板東駅下車。
徒歩10分で第一番札所霊山寺。ここで、白衣、金剛杖、輪袈裟、ずた袋、納札一冊、納経帳を買い本堂、太師堂で納経するのだが、私は般若心経を唱えた事、つまりお経を唱えた事がない。

先ほど書いた人々の冥福をお願いし、これを最後の札所までして行った。
1キロ先には第二番札所極楽寺(ごくらくじ 徳島県鳴門市)である。

さらに第三番札所金泉寺(こんせんじ 徳島県 板野町)へは約3キロ弱。
途中、電話しょうとカード式の電話があったと思ったら先約あり。
1分3分5分経っても終わりそうにもない。
若い女性で日本人ではない。コンビニと言うより田舎町の雑貨屋さんの店主が出てこられて、店の電話を使いなさいと勧められたが低調に遠慮した。
京都までの長距離電話になるしこの店で何も買っていないし・・・・・・。

あとでわかった事だが、タガログ語、つまりフィリピン人だということが店主から聞いた。
道理で私がTEL終わるのを待っている姿をキョロキョロ見ていたのがわかった。
フィリピンにお遍路さんはいないと思う。キリスト教の国だったかな。

今は、4時を廻っているので以前から予約していたT旅館に向かった。
その時に親子丼と漬物しか出せませんと言われていたが泊まってみてわかった。
客は私一人、採算合いませんねこれでは。私としては腹をすかして寝る事よりありません。


翌日AM4時過ぎ一度目覚めたとき、雨音が・・・。
今日は一日雨か。ほとんどあきらめで傘さしてトコトコお参りするかの心境。
第四番札所大日寺
(だいにちじ 徳島県板野町)へは雨中あったけど、5キロの距離にいささかびびった。結果としてタクシーに乗ってしまったが、ここ?十年これだけの距離歩いた事なかった。

今だから言えるけど、軽い軽い(大法螺)。

さて大日寺を終えて次のお寺は第五番札所地蔵寺(じぞうじ 徳島県板野町)だが、2キロの道程に野良犬が二匹、雨の中、座っていた。
私の後を付いてくるかも知れないと思って心の中では無視していたが、内心付いてくるなと思った。ソロリと後ろを見たが通り過ぎる時と同じ。
ここらの犬、お遍路さんを見慣れて別に気にもならないのか・・・。

地蔵時の後、第六番札所安楽寺(あんらくじ 徳島県上板町)へ向かい、さらに1.2キロ先の第七番札所十楽寺(じゅうらくじ 徳島県土成町)、4.2キロ先の第八番札所熊谷寺(くまたにじ 徳島県土成町)で道に迷った。
周りは同じような畑、道もくねくねしていて小雨でまったくわからず。
ガレージに車を入れようとしている人がいたので問いかけると、先方様から入れかけていた車を出して、「道違っていますよ。」と言われて第八番熊谷寺まで乗せていただいた。
これもお接待。
お礼をいい熊谷寺にお参りした後時間を見ればまだ昼前。
このまま徳島駅高速バスに乗るには時間がありすぎるし、かと言って23キロ先の鴨島駅までは時間がかかりすぎる結局タクシーに乗る事になった。

この間、第九番札所法輪寺(ほうりんじ 徳島県土成町)、第十番札所切幡寺(きりはたじ 徳島県市場町)、第十一番札所藤井寺(ふじいでら 徳島県鴨島町)をお参りしていったが、タクシーの運転手が私と同じ年齢、私より一週間早く生まれたとか。
ただ気のなったのは第十一番藤井寺迄行った方がいいと言う。

「この後家に帰って調べれば私の言ってる意味がわかりますよ」

メーターアップを考えとるんかいな、と内心思ったが、たしかに家に帰った後、その訳がわかった。

第十一番から第十二番焼山寺(しょうざんじ 徳島県神山町)俗に「遍路転がし」と言われる難所約12キロの上登り坂、そして峠を越えては下り坂の繰り返しとか、私はこれをパスした事になる。

とにかく生まれて初めての遍路旅はJR徳島線、鴨島駅から徳島駅そして高速バスで京都着で、一回目の遍路の旅は終わった。
第一日目は少々お遍路姿に恥ずかしさもあってか帽子を深々とかぶり、どちらかと言えば前を向くより下を向いていたような気がする。
でも次の日は雨だったけれど、堂々と前を向いていた。他のお遍路さんはおられるし、地元の人たちにはお遍路さんは別に珍しくもない。
それこそ赤ん坊の時から見ているのだから・・・・・・・・

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