匠のつぶやき  Vol.27


佐竹本三十六歌仙装芸画絵巻・・・・・・続々編
魔除け、それとも 色気?・・・・・「紅絹もみ」の魅力

三十六歌仙の内、たった五人の女流歌人ではありますが、装芸画絵巻に仕立てるには、特別に手が掛かかり、取り組む際の気合の入れ様は、尋常では有りません。
しかも、制作が進 むにつれ、妙に気持ちが高揚してくるのは、どうやら「紅絹」の魔力かも知れません。
もはや、「紅絹」を知ってい る世代は、ぎりぎり50代まででしょうか?
おっと、失礼。お洒落な着物好きのお嬢様は、既に大島の袖口にさりげ なく紅絹をあしらっていらっしゃいますね、染をする時に、花を揉みこんで染めることから「もみ」と、呼ばれるようになったこの生地は、ウコンで下染めをしてから、紅花で仕上げをするそうです。
上質な「黒」がそうであるように、「紅」の色も一種類だけではあの美しい色は生まれないのですね。
薄地の平絹に染めてあるので、実際身に纏っても、軽くて暖かだったの でしょう。

幸い、装芸画にとっても薄いのは切り易いです。
フランスやイタリア製の輸入生地にも、色鮮やかな赤の生地は沢山ありますが、王朝歌人を布で表現する者にとって、日本独自の染めによる「紅絹}は掛け替えの無い材料です。
一口に「紅絹」と言っても赤に近い色、朱に近い色、やはり花によってどれひとつ全く同じ色は無いのが、又、魅力です。
「うぐひすの声なかりせば雪消えぬ 山里いかで春を知らまし」と歌った中務に取り掛かる時は、魔法に掛かったように、様々な想像を巡らせながら、裾に廻した紅絹から切り始めた春光でした。
何故なら。彼女は、宇多天皇の皇子、中務卿敦慶親王と、同じく三十六歌仙のなかの5人の女流歌人うちの一人、伊勢との間に生まれた名門女流で後撰集時代を代表する女流歌人であり、艶名も高かったのです。

最後に、中務の優艶な一面を感じさせるこの歌を。

うつつとも 夢とも分かで明けぬるを いづれのよにか または見るべき


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