匠のつぶやき  Vol.19


母の“くすり”


 思えば去年は、私にとって大変な1年でした。3月には新宿京王プラザホテル企画の個展を、4月にはフランス美術賞展に出品、会場となった南仏コルシカ島への参観団に加わり、この間の半年は走り過ぎてしまいました。

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↑母が入院していた病院のロビーで開かれたバイオリンコンサートの様子。
左・阿部真也さん。

↓母の退院を祝して病院のロビーで記念撮影。
下段右から阿部真也さん、筆者の母、上段右が筆者。

 梅雨の終わりのこと。ホッと息をついた矢先、母の体に異変が…。急遽きゅうきょの検査に続く入院、そして手術と、待ったなしの目まぐるしいひと夏でした。そんなある日、入院前に母から預かっていたバッグの中から1通の手紙が見つかりました。そこには手術前のおもいをつづった文面の最後に、「貴女あなたの三十六歌仙を見届けるまでは頑張って生きていたい」とあったのです。

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 その言葉通り、主治医が「今までてきた患者さんの中で誰よりも回復が早いですよ」と、おっしゃるほどの奇跡的な術後経過でした。不自由な初めての入院生活も大正生まれの母にとっては、戦中戦後の苦労に比べれば天国のようなものだったようです。退院の際は、京王プラザホテルのロビーで演奏して下さった、バイオリニストの阿部真也さんが、今度は母へのお祝いに、と病院のロビーで室内楽をプレゼントして下さいました。たくさんの患者さんと一緒に、幸せそうに聞き入るよみがえった母は、妙な例えですが、修復を終えて綺麗きれいに仕上がった掛軸の姿と重なるようでした。

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 私たち母娘は、いつもこうして周りの方々に支えられて、いくつもの絶望的と思われる場面をくぐり抜けてきました。奇しくも母の長生きの“くすり”はどうやら、私のライフワークである、三十六歌仙の完成のようです。私もまた、母の強靭きょうじんな生命力を“くすり”として、その実現を年頭の目標として、スタートしたいと思っています。

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