母の“くすり”
思えば去年は、私にとって大変な1年でした。3月には新宿京王プラザホテル企画の個展を、4月にはフランス美術賞展に出品、会場となった南仏コルシカ島への参観団に加わり、この間の半年は走り過ぎてしまいました。
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↑母が入院していた病院のロビーで開かれたバイオリンコンサートの様子。 左・阿部真也さん。
↓母の退院を祝して病院のロビーで記念撮影。
下段右から阿部真也さん、筆者の母、上段右が筆者。
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梅雨の終わりのこと。ホッと息をついた矢先、母の体に異変が…。急遽の検査に続く入院、そして手術と、待ったなしの目まぐるしいひと夏でした。そんなある日、入院前に母から預かっていたバッグの中から1通の手紙が見つかりました。そこには手術前の想いを綴った文面の最後に、「貴女の三十六歌仙を見届けるまでは頑張って生きていたい」とあったのです。
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その言葉通り、主治医が「今まで診てきた患者さんの中で誰よりも回復が早いですよ」と、おっしゃるほどの奇跡的な術後経過でした。不自由な初めての入院生活も大正生まれの母にとっては、戦中戦後の苦労に比べれば天国のようなものだったようです。退院の際は、京王プラザホテルのロビーで演奏して下さった、バイオリニストの阿部真也さんが、今度は母へのお祝いに、と病院のロビーで室内楽をプレゼントして下さいました。たくさんの患者さんと一緒に、幸せそうに聞き入る蘇った母は、妙な例えですが、修復を終えて綺麗に仕上がった掛軸の姿と重なるようでした。
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私たち母娘は、いつもこうして周りの方々に支えられて、いくつもの絶望的と思われる場面をくぐり抜けてきました。奇しくも母の長生きの“くすり”はどうやら、私のライフワークである、三十六歌仙の完成のようです。私もまた、母の強靭な生命力を“くすり”として、その実現を年頭の目標として、スタートしたいと思っています。 |