匠のつぶやき  Vol.18


父が遺してくれたもの





↑平成15年5月、地元の大学病院のロビーで
開かれた筆者の父の回顧展で展示された父の
作品と筆者。

↓父が書いた「般若心経」。掛軸に仕立て、
 母の枕元に飾っている。



 昨今、その是非が問われ続けていますが、頂いて嬉しいのは、「手書きの年賀状」ではないでしょうか。毎年師走が近づきますと、干支の動物を父が水墨画で描き、横では母が「何だか変ね」と批評を下し、私が筆でひと言添える、という年末恒例のひとコマが懐かしく思い出されます。

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 若かりし日、私が初めて頂いたお給料で油絵の具一式を贈ってから、家族のために働くだけだった父が趣味の世界に入るようになりました。独身時代に油絵を描いていたせいか、水を得た魚のように好奇心を発揮し、デッサン、水墨画、パステル、写真と、腕前は別として、新しい仲間との楽しい時間を持つようになりました。

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 その活動の一つに、地元の大学病院で始まった朗美会がありました。1階ロビーの人通りの多い壁面をギャラリーに見立て、月代わりに作品を飾り、患者さんやご家族に楽しんで頂こうという趣旨のもと、父は穏やかな人柄が買われて二代目の会長となっておりました。

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 奇しくも3年間、病院には一生縁が無いと思っていた私が、予期せぬ入院患者となり、父の絵や写真に癒され、励まされていたのです。残念ながら、父にそれを伝えられないまま、私の退院後、入れ替わるように持病が悪化しました。そして、まもなく夜中に発作を起こし、救急車で運ばれ、ロビーギャラリーの前をストレッチャーで通り過ぎ、明け方についに何も語ることなく静かに息を引き取りました。

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 本人の念願どおり、春の盛りに好きな病院で看取られ、家族に一日も世話をかけずに89歳で逝きました。

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 1ヵ月後、ご厚意で異例の回顧展を、この病院のロビーで開かせていただくこととなりました。数々の思い出深い作品に加えて、私の退院当日、首を長くして帰宅を待ちながら書いていた「般若心経」を掛け軸にしてみました。今でも父が遺してくれたこの軸は、母の枕元で私たちに何かを語りかけています。


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